rebels

Zack de la Rochaのインタビューを読んでると
「justify」っていう言葉がよく出てくるなといつも思う。
彼の音楽やインタビューに触れるたびに
自分がいかに甘くって、自ら考えるという事をしていないかに気づかされる。
毎日グダグダと思っている事って言うのは
明日の自分の命が当然のように保証されているからこその思考で、
毎日明日の命も知れない生活をしていたら
もうそんな事考えてなんていられないと思う。
自分の命を守る、それだけを考えなくちゃいけない。
それも遠い未来の自分の命ではなく、今この時点での命。
毎日、そういう生命の危機に置かれている人々が何万といて
それはいつも外からの、一般人には正体の見えにくい理不尽で巨大な暴力で。
時々思うんだけど、もし地球外生物や恐竜や何でもいいけど
人間以外の第三者が人類を襲ってきたら、人類同士で殺しあってる暇なんかないと思う。
(ああ、でも生き残ろうとして人間同士殺し合うのかも・・・。)
人間以外の大きな力の恐怖にさらされないと
いつまでたっても人間って人間同士でくだらない事を繰り返していくんだと思う。
大昔は、その人間以外の力って言うのは「自然」だったんだと思うけど
逆に今では自然は人間に守られるものっていう感覚を人間は作ってしまったし。
(勝手に壊しておいて、守ろうって言う言葉は違うんじゃないかなと思うんだよね。)



小さな幸せ不幸せを噛みしめる毎日も大切だけど
そればっかりに振り回されないでいたい。
そのエネルギーを、世界で起きている事実を知るという事、
そして、それについて何もできなくてもきちんと考えるという事に使いたいし、
少しでも自分は恵まれていると感じられるなら、
その贅沢な感情の力を垂れ流したり、ないものねだりを言うのに使うよりも
私はそれを世界に向けて積極的に使って行きたいな〜とつくづく思います。



それはそうと…
WHOのフクダさんのスピーチはかなりスローで丁寧で聞きやすかった。
多分英語ネイティブでない人たちがたくさんいるアメリカ大陸や
全世界の人々の事をかなり考慮されてるんだなと思った。
オバマ大統領のスピーチが日本人にも聞きやすいものだったのも同じだと思う。
それにアメリカの政治家って徹底的にナマリを直されるっていうし。
英語ネイティブが非英語圏の人間に対して、一方的にスラングも含めて
ばーっと話して、分かんないの?っていうのはもうダサいね。


で、zackの音楽ですが、
このwild internationalっていう言葉がうすら恐いです。
うっすらと感じる恐怖っていうのが、余計恐い!
ぼんやりとした不安っていう言葉を残された文豪もおりましたが
この感覚って本当に恐ろしい…と高校生の時に痛感しました。


 wild international/one day as a lion