岡山ゆかりの歴史人物3 吉備真備


吉備真備入唐絵巻』より

吉備真備(695〜775)
系譜
・父は右衛士少尉下道圀勝(しもつみちのくにかつ)、母は楊貴氏(八木氏)。

生涯
霊亀2年(716)8月20日、22歳の時に遣唐留学生(遣唐使)となる。
養老元年(717)、阿倍仲麻呂、玄恕痰轤ニ共に入唐。
天平7年(735)3月、帰朝。[経書(『唐礼』130巻)、天文暦書(『大衍暦経』1巻、『大衍暦立成』12巻)、日時計(測影鉄尺)、楽器(銅律管、鉄如方響、写律管声12条)、音楽書(『楽書要録』10巻)、弓(絃纏漆角弓、馬上飲水漆角弓、露面漆四節角弓各1張)、矢(射甲箭20隻、平射箭10隻)などを献上
天平9年(737)2月14日、従五位下に昇叙。同年12月27日、従五位上に昇叙。[※聖武天皇光明皇后の寵愛を得たため。]
・翌10年、橘諸兄が右大臣に任ぜられて政権を握ると僧玄纊ともにブレーンとして重用される。
天平12年(740)、真備と玄纊を除するべく藤原広嗣大宰府で反乱を起こす。
・翌13年、東宮学士として皇太子阿倍内親王(後の孝謙天皇称徳天皇)に『漢書』や『礼記』を教授する。
天平18年(746)10月19日、吉備朝臣の姓を給い、以後吉備真備と称す。
天平勝宝2年(750)、藤原仲麻呂が政権を掌握すると、筑前守、肥前守に左遷される。
・同3年には遣唐副使となり、翌4年に入唐。
天平勝宝6年(754)3月、帰朝。この鑑真を伴う。4月5日、大宰大弐に転任。4月7日、正四位下に昇叙。
・平宝字8年(764)1月21日、造東大寺長官に異動。また恵美押勝藤原仲麻呂)の乱の折には、従三位に昇叙され中衛大将として追討軍を指揮して乱鎮圧の功を挙げる。
宝亀6年(775)10月2日、薨去



岡山県立博物館には吉備真備の母の骨蔵器が所蔵されています。
下道氏は吉備地方の有力豪族吉備氏の一族にあたります。
そう言えば、少し前に放送されていたNHKのスペシャルドラマ「大仏開眼」は、吉備真備が主人公でしたね。
一応教科書に載っている人物ですが、よもや主人公とは夢にも思いませんでしたっ!
阿倍内親王(後の孝謙天皇称徳天皇)役の石原さとみがよく似合っていて可愛かったです。



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