歴史小話2 神になった怨霊たち〜御霊信仰〜(中)

前回に引き続き御霊信仰に関する記事を書きたいと思います。
今回は八所御霊として祀られている人々をそれぞれ紹介します。



早良親王(さわらしんのう、750〜785)
光仁天皇の皇子。母は高野新笠桓武天皇能登内親王の同母弟。
母方が下級貴族であったために立太子は望まれておらず、天平宝字5年(761)に出家して東大寺羂索院や大安寺東院に住み、親王禅師と呼ばれていた。
天応元年(781)、桓武天皇の即位と同時に光仁天皇の勧めによって還俗し、立太子された。
しかし延暦4年(785)、造長岡宮使藤原種継暗殺事件に連座して廃され、無実を訴えるため絶食して淡路国に配流の途中、河内国高瀬橋付近で憤死した。
その後、桓武天皇の第1皇子安殿親王平城天皇)の発病や桓武天皇妃藤原乙牟漏の病死などが相次ぎ、それらは早良親王の祟りであるとして幾度か鎮魂の儀式が執り行われた。
延暦19年(800)、崇道天皇と追称され、大和国に移葬された。



井上内親王(いのうえないしんのう、717〜775)
聖武天皇の第1皇女。母は夫人県犬養広刀自。
養老5年(721)9月11日、5歳で伊勢神宮の斎王に卜定される。天平16年(744)1月13日、弟の安積親王薨去に伴い退下。
帰京後、白壁王(天智天皇の孫)の妃になる。天平勝宝6年(754)、37歳の時に酒人内親王を出産。
その後、天平宝字5年(761)、45歳で他戸親王を産む。
神護景雲4年(770)、称徳天皇崩御するが、度重なる政変による粛清劇によって天武天皇嫡流にあたる皇族が存在しなかった。
ただ、井上内親王と白壁王との間に生まれた他戸王は女系ではあるものの天武天皇嫡流の血を引く男性皇族の最後の一人であった。そこで他戸王が天皇になるまでの中継ぎとして白壁王が即位することとなった。
宝亀元年(770)10月1日、白壁王が即位すると、同年11月6日に井上内親王立后、翌2年(771)1月23日に他戸親王立太子される。
しかし宝亀3年(772)3月2日、井上内親王光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、同年5月27日には他戸親王も廃されることになり、翌年1月2日、高野新笠から生まれた山部親王を立てて皇太子とした。
更に同年10月19日、井上内親王天皇の同母姉難波内親王を呪ったとして他戸親王もともに大和国宇智郡(現在の奈良県五條市)の没官の邸に幽閉。
同6年4月27日、幽閉先で他戸親王とともに毒殺される。
これによって天武天皇の皇統は完全に絶える。
なお、この一連の事件は山部親王立太子を支持していた藤原式家による他戸親王追い落としの陰謀であるとの見方が近年は有力である。



●他戸内親王(おさべしんのう、761〜775)
光仁天皇の皇子。母は聖武天皇第1皇女の井上内親王
光仁天皇の即位に伴い立太子されたが、藤原式家の陰謀により廃太子となり、宝亀6年(775)4月27日、母の井上内親王と共にわずか15歳で毒殺される。
他戸親王の死後、天変地異が相次ぎ、更に宝亀10年(779)には周防国親王の偽者が現れるなど、「他戸親王の怨霊」が光仁桓武両朝を悩ませる事になっていく…。



藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ、?〜740)
藤原式家宇合の長男。母は石上麻呂女。
朝廷で政権を掌握していた藤原四兄弟天然痘の流行で相次いで死去する。
代って政治を担ったのが橘諸兄であり、また唐から帰国した吉備真備と玄纊が重用されるようになり、藤原氏の勢力は大きく後退した。
天平10年(738)藤原宇合の長男広嗣は大養徳(大和)守から大宰少弐に任じられ、大宰府に赴任した。
広嗣はこれを左遷と感じ、強い不満を抱く。
そこで天地による災厄の元凶は、反藤原勢力の要である吉備真備と僧の玄纊に起因するとの上奏文を朝廷に送る。時の権力者左大臣橘諸兄はこれを謀反と受け取った。
真備と玄纊の起用を進めたのは諸兄であり、疫病により被害を受けた民心安定策を批判するなど、その内実は諸兄その人への批判であることは明白であった。
聖武天皇はこれに対して広嗣の召喚の勅を出す。
広嗣は勅に従わず、天平12年、弟の綱手とともに反乱を起こした。しかし大野東人を大将軍とする追討軍に敗走。
最後は肥前国松浦郡で捕らえられ、同国唐津にて処刑された。
これによって多くの式家関係者が処分を受け、後世における式家の不振を招く要因の一つになった。
その後、広嗣の怨霊を鎮めるため、唐津に広嗣を祀る鏡神社が創建された。
薬師寺の西隣に鎮座する鏡神社はその勧請を受けたものである。



早良親王は映画『陰陽師』でも大きく取り上げられていました。
かなり強烈な怨霊で、桓武天皇の近親者が次々と亡くなったそうですね。
一説には食事が与えられずに餓死させられたとも言われています。
相当怨みが深いですね…。



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