Hatena::ブログ(Diary)

今日もおつかれさまでした

2018-06-03

ハロヲタだけど、#おっさんずラブ が素晴らしすぎたので、その魅力を語りたい。

4月から始まったテレビ朝日系土曜ナイトドラマ「おっさんずラブ」が6月2日、ついに最終回を迎えたわけですが、見終わった瞬間「私はとんでもないドラマを見てしまった……」と冗談抜きに震えました。

「おっさんずラブ」なんてタイトルだけで出落ちのようですし、吉田鋼太郎の乙女演技だけが面白い、確かにそう、そうなのですが。
このドラマの魅力って、それだけじゃなかったんだと改めて感じ、思わず明けた本日、1話からすべて見返してしまったくらいです。
(第1話のときに面白そうだと直感で連ドラ予約をしておいて本当に良かった……)

そういうわけで、「ハロヲタだけど、#おっさんずラブ が素晴らしすぎたので、その魅力を語りたい」

第一印象はBLと腐女子受けを狙いすぎているドラマ

まず、このドラマの第一印象なのですが。正直、BLと腐女子受けを狙いすぎているドラマだと思いました。ごめんなさい。
だって、Pixivイラストコンテストを開催する、インスタグラムへの裏アカウント開設等々、狙いに来ている感がありすぎじゃありませんか(私はそういうの嫌いじゃないです。むしろ好きです。ただ、友達にはオススメしにくいな、とは思いますが(笑))。

私は正直、BLというジャンルにはそこまで興味がありません。BLが嫌いではないけれど、BLだから見るという積極的な動機にはなりません。
一般的に「恋」や「愛」は異性にするのもの、なのかもしれないけれど、自分以外の他人に対して、特別に共感する気持ち、あるいは独占したいと思う独占欲は決して異性のみとは限らないと、そう思うからです。
その気持ちを「恋愛」と定義するのか、「友情」と定義するのか、あるいは「上司と部下」「同僚」「先輩後輩」と定義するのかは、その人の考え方と、カテゴリー分け次第。
現在、世間では異性に対しては「恋愛」、同性に対しては「友情」、その他他者に対しては「尊敬」という言葉で定義することが多いかもしれませんが、ただそれだけのこと。
そう、ただそれだけのこと。そう言いきるのは簡単だけど、ただそれだけのことが、各自の考え方と異なるからこそ、私たちはときに大いに悩むのです。
この気持ちは「同性愛」なのか。私は「普通ではない」のか。異性に「恋」できない自分は人間として劣っているのか。

従来の恋愛ドラマでは、必ず各芸能事務所一押しの美男美女が出てきて、その世間で使われている言葉の意味を悩むことなく、当然のような顔をして使っていました。
結末が変わろうが、根本的なところが変わりません。「男と女は恋する」「同性は恋をしない」、その前提に疑問を持つことはない。男と女がいたら、必ず恋に落ちるもの。
だから私は、あまり恋愛ドラマに興味が沸きません。なんていうか、自分のなかでピンとこなかったんですよね。テンプレートのようにしか見えなかった、というのが一番近いでしょうか。

おっさんずラブの面白さ=気持ち従来の型で決めつけない

でも、おっさんずラブの面白さは、男と女だからそれが「恋」で、男と男だから「上司と部下」「友情」「同僚」なのだと、決めつけないところだと思います。

当初はステレオタイプに「俺は巨乳ロリが好きなんだ」と「好き」を語っていた春田が、武川主任と牧が手をつなぐ姿を見て動揺する。
武川さんの家に行くのだと出ていこうとする牧に、行って欲しくないと抱きとめる。
「春田さんなんて好きじゃない」と涙があふれ出す牧を見て、はらはらと流れ出す涙が止まらない。

春田に芽生えたその気持ちが果たして「恋」なのかは分からず、おそらく、春田自身も分かっていません。
でも、その特別な、相手に共感する気持ち、さらには相手を独占したいという気持ちが同性を対象としても存在することを、このドラマは決して否定しません。
そして、その気持ちを茶化したり、変に否定することなく、まっすぐに向き合う。「愛」として。なによりも、その点にキュンとするのだと思います。

そういう気持ちは、多かれ少なかれ、きっと誰にでもあるのではないでしょうか。
幼少時代、「親友」だと誓い合った友達に。青春時代、同じ時間を深く共有した仲間に。
でも、ジェンダー規定の厳しいこの世間で、私たちは意識、無意識関わらずそれを「友情」だとか「憧れ」だとか、誰にでも理解ができて、誰もが(おそらく、何よりも自分自身が)傷つかない言葉に当てはめて生きてきたのです。

でも、このドラマの登場人物たちは、そうではない。その相手への特別な想いを、自分なりの言葉や行動で伝えようとする。その言葉や行動が、仮に世間の規定に当てはまらなかったとしても。

林遣都さん=目と表情で語る

さて、少し話題が変わりますが、私がこのドラマで特に心を揺さぶられた点は主に2つあります。

ひとつは、全編を通しての林遣都さんの演技です。
牧凌太がなぜ春田創一のことを好きになったのかは、牧自身の言葉で語られることはありません。このドラマは、牧と春田の出会いから始まるので、ふたりの関係するエピソードを通して、私たち視聴者はふたりのキャラクターを知り、そして春田と牧の人柄に惚れていく。まるで、登場人物たちがそれぞれ魅かれあうように、私たちも、彼らに魅かれていく。

牧がなぜ春田のことが好きなのかは、明確に語られることはないけれど、おそらくその「好き」がいわゆる「恋愛」なのだろうということは分かります。それは、牧が春田に対してはっきりとスキンシップを求めるからです。
しかし、それ以上に素晴らしいのは、林遣都さんの目と表情の演技だと思うのです。感情の多くは言葉にしないのに、目と表情が口以上にモノを言う。

牧凌太という存在の説得力は凄まじいものがありました。仕事ができるエリートでありながら、家事も完璧にこなし、(だからこそ、なのかもしれないけども)客観的な「普通」、春田の「普通の幸せ」を意識するあまり、自分の幸せを押し通すことができない。他人から見ればおそらく完璧で、フレッシュで、格好良いのにもかかわらず、どこかほっておけない弱さ、脆さ。
その潤んだ瞳に、すっかりと感情移入してしまう自分がいました。
特に春田と付き合い始めた(「付き合う」という形を手に入れたはずなのに)5話以降の牧の春田への揺れる気持ちの表現には、思わず彼の幸せを願わずにはいられませんでした。

田中圭さん=生きた春田のキャラクター

もうひとつは、最終回の田中圭さんの演技です。

春田創一は巻き込まれ型の主人公。彼自身がきっかけとなって物語が動くのではなく、他のキャラクターたちに巻き込まれながら、またその他のキャラクターをつなげることで、物語は進行していきます。
だからこそ、春田自身の気持ちを自ら表現するシーンが非常に少ないんですよね。
常に、春田は目の前にいる相手の想いを、その人が傷つかないように受け止めようとする。そこに、自分の気持ちはあまりない。
しかし、最終回のチャペルにおいて、神父から誓いのキスを促された瞬間に、我に返ったかのように自分の想いが溢れてきます。
それまで、相手に合わせて、傷つけないようにへらへらと笑っていた春田が、堰を切ったかのようにはらはらと泣き始める。嗚咽が止まらない。
このシーンは、冗談抜きに鳥肌が立ちました。いつもの春田と、表情すら違って見えて。感情が、自分自身がむき出しの春田がそこにはいました。
いつもと全く違う春田の姿。田中圭さんの演技の凄まじさを感じました。

あらためて1話から見返すと、コメディ色で上手く包み込みながら、このふたりの関係性を丁寧に描き込んでいるんですよね。
もちろん、その書き込みだけではなくて、それに当たっては武蔵をはじめとした、きっかけを作りだす、それぞれにそれぞれの想いを抱えたキャラクターがいるわけですが。

自分の気持ちに素直に向き合い、伝える美しさ。そのピュアさ。

そういうのを踏まえたうえで、最後のシーンは、なんでしょうね。あれ。男同士なのに、美しさとか、羨望とか、魅かれるような力とか……強烈に感情を揺さぶるシーンでした。

「普通」を意識しすぎるあまり自分をさらけ出せなかった牧と、自分の中の特別な気持ちに、自分なりに向き合っている春田。
ふたりの抱く気持ちが果たして同じものなのかって分からないと思うんですよね。春田は「結婚」という言葉で表現しましたけども。それは当人同士も分からない。そんなのは、ドラマでも現実でも、きっと誰にも分からないもの。
でも、おそらく春田にとって牧は大切な存在で、牧にとって春田は大好きな存在で、その特別な気持ちをごまかすことなく、茶化すことなく、否定することなく、素直に伝え合えることに、なんだか心をめちゃくちゃ動かされましたね。不思議な話ですけど、自分自身も、大事な人に、大事だと伝えたくなった。あったかい気持ちというか。
おそらく、いつかの自分のなかにもあったであろう、誰かへの大切な気持ち……必ずしも「恋」にはカテゴライズしなかった、もしくはできなかったけど、特別な共感、そういうものがカタルシスとなったような。大げさに言えば、そんなふうにも思いました。

個人的には、あのラストの続きは意外と、春田の方がどうしたらいいのかと、これで正しいのか、これでいいのかと困って、牧の方が苦笑いするような、そんな結末が待っているような気がするんですが(笑)
でも、あのふたりが、そうやってお互いに違うかもしれない、でも大切な、自分たちの気持ちに素直に向き合い続けていく姿を、もう少し見ていたいなと、ふと、そう思いました。

2018-05-08

ビバラポップを見に行って感じた気持ちをなるべくそのまま全部書き残したい

私は正直、道重さゆみさんのことをブログに書くことに対して、すごく緊張します。

このブログは6年前からちょくちょく書いているのだけど、私は一人称での好きという感情を文章に落とし込んでいくことが苦手で、うまいこと書こうとすると、どうしてもやや評論的というか、第三者目線の文章になってしまうんですよね。とはいえ、主観を完全にそぎ落とすことなんて当然できない。どこまでいっても私が書く文章は私目線であり、注釈をつけていなかったとしても、「※私の個人的な意見です」ってやつなんだけども、どうもさもそれが正しいんだ、みたいな振りをする。独善的というか。それで、ファンの方に「それは違う」とご指摘をいただいたことがあるので、実は、いや、本当に、かなり緊張します。
でも、それでも、このブログにちょくちょくさゆの記事があるのは、ことあるごとに、さゆに心を動かされるからだと思う。
だから、うまく書けないかもしれないけども、なるべく一人称の、私個人の好きって気持ちを、思いっきり書いてみようと思います。
感想なんだか、ただの自分語りなんだか、よく分からない。でもなるべく、私が思ったことをそのまま。うまくまとめるのではなくて、そのまま書きたいと、そう思います。

ビバラポップに行きました……の前に、宿命観賞のあと。

たった一回の「SAYUMINGLANDOLL〜宿命〜」観賞のあと、サントラを毎日繰り返し聴きました。毎日、毎日。
あんなに近い距離で踊っていた、(だって横浜アリーナで私はスタンド席で、ほんとにほんとにほんとーに遠くて。それまで武道館でアリーナ4列目だった1回が一番近かった、みたいななかで。)かわいい、かわいいって思わず口から零れたあの日。かわいかった。本当に。きらきらしてた。かわいさに心を動かされて、思わず横浜アリーナに一緒に見に行った、当時付き合っていた男性に「久しぶりに見たさゆがかわいすぎた……」とメールを送ってしまうくらい、「かわいらしさ」というものに、心が動かされました(そういえば去年の「再生」公演のあとも同じように彼に「久しぶりにさゆを見た!かわいすぎた……」とメールしていた。彼くらいしか言える人がいなかったとも言える。笑)。

かわいいのに、それから毎日のように繰り返し聴いた彼女の歌は、いわゆる私が使う「かわいい」からは少し遠い気もして、その「かわいい」という言葉の奥深さを思わず考えてしまう、そんな毎日。
私が思う(私が好きな)「かわいい」って、いわゆる少女趣味なんですよね。サンリオだったらマイメロディシナモロール、時々キキララにやられてしまう(「かっ、かわいすぎ……!むり……!」って胸が苦しくなる。)。そういうもの。
でも、たぶん、道重さゆみさんに対して、大森靖子さんが思っている「かわいい」って、それだけじゃないんだろうな、と思いました。
彼女がさゆに対して感じている気持ちとか、想いって、少女趣味とか、きらきらとか、それだけじゃないって、毎日サントラを聞いていたら感じるものがあって。もっと深くて、もっと面倒くさくて、痛いくらいの自意識がぴりっとしている。道重さゆみ本人を使った2次創作的でありながら、妙なリアル。
確かにさゆって毒舌だったり、女の子だな〜って(良い意味でも悪い意味でも)ところもあって、そう、今でこそ、というよりもあの神格化されたといわれるリーダー時代があったからこそ伝説のアイドル道重さゆみ的な部分もあるけども、元の彼女はそうじゃないのかもしれない。かわいさの多様性。
そんなことを、あの宿命公演のあと、私は毎日考えていました。

リーダー時代……カラフルキャラクターから見ていたけども

私が初めて現場に参戦したのは「モーニング娘。誕生15周年記念コンサートツアー2012秋 カラフルキャラクター」のとき。初めて買ったアルバムは「13カラフルキャラクター」。
まさにさゆがリーダーになって初めての単独ツアーで、初めてのアルバムでした。
だから、私にとってステージ上でリーダーをしている道重さゆみさんの存在は、ある意味では当たり前のものだったんですよね。
リーダーとして語る姿、悩む姿。「ラララのピピピ」を歌うさゆも。
あの曲は、カラフルキャラクターで初めて披露されて、そのあと冬のハロコンでも確か歌う機会があったのかな。
ミチシゲイレブンソウルはアレンジを加えられてオープニング曲となり、その次のCHANCE!でもさゆのソロコーナーで「歩いている〜ラララのピピピ」というメドレーがあった。
カラフルキャラクター新規からすると、「かわいい子は〜〜〜〜さゆみん!」ってコールするのが娘。のツアーって刷り込みされるくらい。いつからそうコールするようになったのだろう。カラフルキャラクターの最初の中野サンプラザでもそうだったのかな。気が付くと、楽しみにしていました。あの時間、すっごく楽しくて。

でも、逆に言えば、それ以上でもそれ以下でもなかったんですよね。

私は道重さゆみさんというアイドルのことを知っているかというと、何も知らない。
そうやって、ステージの上のさゆを見てきたけれど、それ以上に積極的に追いかけることをしなかったから。ラジオを聞くこともなかったし、雑誌の記事をすべて買い集めるなんてこともしなかった。テレビ番組は見ることもあったけれども。
ステージの上で一生懸命歌って踊るモーニング娘。が好きで、カラフルキャラクター以降、各ツアーに2〜3回参戦するようになったけれど、彼女たちにどのようなルーツがあり、その時々でどんなことを考えて、どういう人間関係の元にあって、なにを目指していて。そういうことには正直、あまり興味がなかったのです。
ただモーニング娘。の歌と踊りが好きで。いつも、その一生懸命さに胸をうたれて、何度も何度も繰り返しMVを見て。
世間からしたら「ヲタク」なのかもしれない。だけど、○○のヲタクです、とは言えないな。と自分の中で思っていました。当然、道重さゆみさんのヲタクです、とも。

だから、大森さんの「かわいい」と自分の思う「かわいい」の差は私が知らないからなのかと思った

サントラを毎日のように聞いていて思う、私が感じたのとは違う、そこにある「かわいい」の存在がすごく気になって。
でもそれは、私がいわゆる「さゆヲタ」ではないからこそ思うことなのかもしれないと、思いました。あまりに私がさゆのことを知らなすぎるから新鮮に感じるだけかもしれない。
それとも、大森さんには確かな大森靖子の世界があって、そこに道重さゆみを引き寄せようとしているからこそ見える、新しいさゆなのか。
このときの「かわいい」って一体なんだろうって。いや、私、かわいいって苦手なんだですよね。元々。だから「かわいい」に対する感受性が低いだけなのかもしれない。ステレオタイプの取り方しかできていないのか。
毎日、そんなことをぐるぐると考えていて、その「かわいい」の魅力が知りたくて、いや、これ、絶対大阪公演見に行こう! って思っていたんです。

その矢先に知ったのがこの「ビバラポップ」の存在でした。

正直、私は「かわいい」ものが苦手だった。というかよく分からなかった。

ごめんなさい。すっごくどうでもいい自分語りをします。

近頃「かわいい」を考えすぎていてゲシュタルト崩壊を起こしそうだったんですけど、私は随分長い間、「かわいい」が苦手でした。
「かわいい」というとあまりに多義的なのですが、もっと言うと「女の子」「女性」としての自分に、昔から全く自信が持てませんでした。「女の子」であることが、申し訳ないような気すらして、あえてみんなの思う「かわいい」ものにはあまり手を出そうとしなかった。というか出せなかったという方が正しいかもしれない。

私は中途半端に狡い人間なので、中学高校の頃は、やたらスクールカーストを気にして生きていました。
自分の思う「かわいい」もの=やたら少女趣味だったり、要するに「イケてない」ものを素直に愛でてしまうことはスクールカーストを下げる、と思っていたし(そんなに元々高くなかった。高くないと思うからこそ余計気にした。最下層にはなりたくないと。)、かと言ってみんなの思う「かわいい」には手出しができなかった。
みんなの思う「かわいい」がよく分からなかったのです。化粧とか、ブランドとか、全然分からなくて。「女の子」なのに全然興味が持てなかったし、知らなかった。そうすると、そういうことを知っている女の子たちと話せなくなるんですよね。
自分の好きな「かわいい」ものは肯定できない。みんなの「かわいい」には近づくことができない。
どんどん、「女の子」としての自信を失っていきました。

「かわいい」が分からなかった私は、「女の子」の世界で生きることをやめて、男性と肩を並べて、男性と同じように生きていける社会を目指しました。偏差値の高い大学に進学し、いわゆる大企業と言われるような、大きな組織でバリバリ働く。
そのなかでは、あたかも女子らしい振る舞い=かわいいものを愛でる、ことは、生存競争の負けを意味しているような気がしていました。
男性社会の中で、男性に対等に扱ってもらう(なんて幻想なんだけど、当時の若い私はそう思っていた)ためには、彼らに「女子」という庇護対象として見られるのではなく、同じ仲間なのだと思ってもらわないといけない。必要以上に「女性性」を出したら、女の子扱いを求めてしまったら、平等な仲間という関係にはなれない。また、少数の女性コミュニティのなかで、必要以上に「女子らしさ」を出すことは、敵を作ることにもつながりかねないと、そう思っていました。
ただでさえ、「かわいい」ものに苦手意識があったのに、自分が選んだ世界のなかで、さらに自分の首を絞め、どんどん拗らせていく。
痛いまでの、肥大化した承認欲求ですよね……ある意味。
そうやって、「かわいい」ものが分からない時期を経て、自ら遠ざけ……どんどん苦手になっていきました。

だから、なおさら、ほぼ同世代のさゆを見て、さゆの歌を聞いて心が動かされたんだと思います。
きらきらと輝く、多面的なかわいさに。
「かわいい」ってなんだろうって。

ビバラポップを見に行きました

自分語りが長くなってしまったけれど、そんな熱に侵されたような日々があって、この「ビバラポップ」の存在を知り、思わずチケットを買ってしまいました。
もう一回、あの宿命公演で見た、家でサントラを聞きながら感じた「かわいさ」を、もう一回この目で見てみたかったから。

……けど、SSAに着いた瞬間、一瞬後悔しました。笑
というのも、私はフェスというお祭りに行ったことがなかったし、どちらかというと、フェスとかクラブとか、ああいう音が大きいところで、みんなで「ウェ〜イ!」っと盛り上がるのが苦手だからです。笑(コンサートは大丈夫なんだけどなぁ。音が大きすぎるのかなんなのか……)
だから、会場に着いてしまってからしばらく、ちょっと後悔しました。
しまった、私、これ苦手なやつだ……、ハロプロ村から出ちゃダメだったって率直に言うと思いました。笑

なので、しばらくリラックスエリアで座って他のアイドルのステージを見ていたんです。
その日、意外と疲れがたまっていて、ちゃんと見始めたのは「Maison book girl」さんからだったけども、もうどのグループもコンセプトがしっかりしているんですよね。そして、いまはそのコンセプトが細かい。アイドルは細分化してるんだなーって。
どのグループにも、それぞれ濃いファンの人がたくさんいることも、よく分かりました(特に「BiSH」と「欅坂46」は凄かったよね)。

しばらく、会場で座って見ていたら苦手意識はすーっと遠のいて行ったし、それぞれのコンセプトの違いやステージングに興味も持ったんだけど、次に思ったのが、あれ、これ意外とハロヲタいないのかなって。
さゆヲタさんはさゆTを着ているから分かるのですが(これがまたあの会場で見るさゆTはとてもロックでしたね……あれだけ濃いヲタクたちが集う外部でも「道重さゆみ」の世界観が出てて存在感が凄まじかった……)、いや、でもこれBiSHや欅坂46に比べたら全然少ないんじゃないかって。
さゆが一人でSSAのステージに立つ。それって、ハロプロにおいて、モーニング娘。OGとして、とてつもないことだと思う。OG仕事じゃないんだもの。ある意味名前のない「モーニング娘。OG」としてではなく、道重さゆみとして、SSAに立つんだよ。
そこで何を歌うか。絶対「ラララのピピピ」は歌うよね。カラフルキャラクターからずっと見てきた、「ラララのピピピ」。
武道館を、横浜アリーナを「かわいい子は〜〜さゆみん!」という掛け声と、ピンクのサイリウムで埋め尽くしてきたあの歌が。
もしかしたら、もしかしたら、今日はそうならないのかもしれない。

そんなことを思っていたら、なんでしょうね、急になんだか妙に不安な気持ちになるものですよね。
一人参戦だからなおさらなのかもしれないですが、いつもは感じたことのないような孤独感に襲われました。
でも、いや、いやいやいや、それ、イチ観客の私が不安に思う要素じゃないでしょう。
この環境で、誰よりも不安な人がいるとしたら、それは間違いなく道重さゆみさん、ご本人に決まっている。
絶対に安全安心が確立された、ある程度観客の反応の予想の付くハロプロ村。仮にファンではなかったとしても、ハロプロ村の人たちは、みんな道重さゆみのパフォーマンスを分かってくれるし、受け止めてくれる。
でも、そういうあったかい世界から出て、一人で、アウェイの中で初めてのことに挑戦しようとしている。
そんなことを考えていたら。
さゆが、モーニング娘。のひとりとしてではなく、「道重さゆみ」としてSSAに立とうとしている。不安に思わなかったらいいな。彼女が今日のこの初めてを、楽しかったと思ってくれたらいいな。

……私の中に、そんな気持ちが芽生えました。

アイドルを応援している方々からしたら、こんなことを思うのは、特別なことではないことなのかもしれません。
自分の好きなアイドルの思いに寄り添って、彼女が楽しかったらそれでいいなと思うのは、きっと改めてブログに書くようなことではないと思います。
でも、私にとっては当たり前じゃなかったんです。彼女の卒業コンサートでも心を動かされたけれど、でもそれは当事者としてというよりも、さゆとさゆのファンの皆さんの優しさに感動したものだったから。
アイドルの内面に気持ちを寄せたくなるほど、心を動かされたことが初めてで。さゆTも持っていない。ピンクのサイリウムを振ることすらできない。でも、ここにも楽しんでいるファンがいるってことを伝えたいと思ってしまったのです。

そして、さゆのステージ

やっぱり私は何度も何度も「かわいい……」って口を押さえて、でもそこから気持ちが零れ落ちました。
「15年間やってきたけど、フェスに出るのは初めてで……」
その「フェス」という言葉への慣れていなさ、拙さに、普段のコンサートでほとんど声なんて出さないのに、サイリウムも持っていないのに、思わず手を挙げて声を出してしまった自分がいました。私自身がどうこうというよりも、ファンがいるということを知って欲しいって、そんな気持ちになりました。

サブステージ側で見ていましたが、さゆも愛ちゃんも何度も前に出てきてくれて、アリーナとスタンドと、そして後ろの方まで視線を投げかけてくれて、みんなのことを気にしてくれて……素直に嬉しいって思いました。このあたりの優しさや配慮が、15年間積み重ねてきた、まさにプロのアイドルのパフォーマンスなんですね。

セクシーキャットの演説では、上擦る(しゃくりって言えばいいのかな)さゆの歌い方だとこんなにもリズムが跳ねるんだなぁって思ったり。
私、この曲のリズムも歌詞も大好きなんですけど、「本気で挑めば勝てるのよ」ってさゆが歌ってくれることほんと嬉しくて。すごい説得力!

「ラララのピピピ」でみんなと一緒に「かわいい子は〜〜さゆみん!」とスタンディングで言えることが(個人的にはそれこそ卒業公演以来でしたが)やっぱりとても楽しくて、楽しいと思ってもらえたら良いなぁ、と思っている自分がいたりしたのでした。

アイドルを好きになることって、もしかしたら、こういう気持ちなのでしょうか。
カラフルキャラクターに参戦してからもうすぐ丸6年が経ちますが、遠い遠いステージの上の彼女へ、届かなくても思いを寄せたくなってしまう。
私の存在に気が付いて欲しいわけではないし、本名○○××という私自身をアピールしたいわけでもない。
遠い存在だけど、人生が直接交わることはないけれど、そんな彼女の気持ちに寄り添いたくなってしまう。楽しんで欲しいと、笑っていて欲しいと思ってしまう。かなわぬ恋のような、いや、大切にとっておきたい、遠くから眺めているだけで幸せだった初恋のような(って30にもなる大人が言うのも恥ずかしいものですが)、なんともむず痒い気持ちなのだなぁと、初めてそんなことを思いました。

あんなにも遠い相手なのに「共感」させていただいて……なんだか、とても素敵な気持ちを、あの瞬間もらいました。

大森靖子さん、さゆをSSAに連れてきてくれて本当にありがとうございました。

上にも書いたとおり、私は道重さゆみさんのルーツだとか、彼女の内面的なエピソードというものをほとんど知りません。
大森さんが道重さんのことを尊敬していることはなんとなく知っているけども、大森さんと道重さんの関係性がどれほど強く深いものなのか、詳しくは存じ上げてはおりません。
そんな私が、感想を書くのはおこがましい気もするけども、でも自分が感じたものをそのまま残しておきたいので、私の気持ちを書かせてください。

私はさゆの人柄が分からないけど、でも、今までずっとハロプロ、モーニング娘。という世界にいて、2年の休業を挟み、「再生」「宿命」とソロ公演をしてきたとはいっても、SSAに道重さゆみとして立つことは本当に緊張したと思うのです。あれだけひとりでバラエティの仕事をしてきても、なんとなく、さゆはそこでSSAが楽しみ! 外部の仕事で自分の歌を歌えることが楽しみ! と(もちろんそういう気持ちはたくさんあるだろうけども)一辺倒に喜べるような、そういう考えの人ではないという気がします。

ステージの下から見ていたら、BiSHと欅坂46と、あれだけ熱狂的なファンのいる、組織的なアイドルのあとに一人で立つこと。とんでもなく緊張し、不安になるだろうなと思いました。
同じステージの上に、自分のことを絶対に好きでいてくれる存在がいることが、どんなに心強いことだっただろうと思います。
さゆヲタさんたちは、きっと前方ステージの前で、さゆの登場を温かく迎える準備が万全だったと思うのだけれど、歌で、そしてパフォーマンスで、さゆをあの場所に受け入れる大森さんの愛がとても濃厚で、私は(ごめんなさい。ミッドナイト清純異性交遊も、名前は知っていたけども初めてあの場でちゃんと聞いた、本当にそのレベルの人間なのだけど)これはまるでラブレターだ、と思いました。大森さんから道重さんへのラブレター。大森さん自身から。ハロプロの外の世界から。アーティストの世界から。それが、どこからどこまでなのかは、分からないけど。
道重さんが楽しめるために、タイムテーブルをああいう順番にしていたのだとしたら。とてつもなく大きくて濃い愛を感じました(語彙が少なくてごめんなさい。褒め言葉です。)。

大森さんと交わる道重さんは、宿命公演のサントラを聞いていても思ったけれども、新しい道重さゆみの世界が見えるようでドキッとします。
宿命公演の「さゆみ」じゃないけれど、まさに「職業:かわいい」そのものです。あれだけ多様な「かわいい」を表現できる人、なかなかいません。
かわいいの幅が広がる気がして、わくわくします。すごいです。かわいいって元来、もっとシンプルで、稚拙な言葉なように思うのに、さゆのかわいいはきらきらしていて、大森さんはそのきらきらの違う角度を見せてくれます。あるいは、裏側を。
ハロプロに、モーニング娘。に(私が言うとすればワンフォーに、でしょうか)こんなさゆはいなかったなぁ、っていうのを見つけるたびに、どきどきします。背徳感、耽美さ。でも、高貴。
前にも書いたけども、覗いてはいけないものを覗いてしまうような、そんな後ろめたいドキドキがあります。笑
ビバラポップのコラボステージも、あんなに叫ぶさゆを見たのは初めてで、また新しいさゆだ! と新しい「かわいい」に触れてわくわくしてしまいました。

それでも、さゆはさゆで、きっと大森さんが「ありえない遊園地」や「EIGAをみてよ」を歌ったらまた全く違う世界が見えるんだろうけど、さゆが歌うからこそ世界があって、それが凄いなと思うのです。あんなに濃い大森さんの世界の中で、大森さんに飲み込まれてしまったら、大森さんの世界にさゆが染まってしまったら、それはそれですっごく寂しい! と思うのに(なんの立場なんでしょうね、私。笑)、でも、良い意味でさゆはさゆなんですね。だからこそ、コラボレーションがあんなにも素敵なんだろうな。

モーニング娘。という愛。グループへの愛。メンバーへの、メンバーからの愛。そしてなにより、ファンの皆さんとの愛。
それを受け取り、あるいは育ててきたさゆが、今度はひとりで、自らそれを大きくしていく。あるいは、今度は自分自身の愛を発信していく。
今、見ているのはそういう瞬間なのかな、と思うときがあります。
なんだっけ、こういうお話あったなぁと考えて思い当たったのが、カードキャプターさくらで、さくらちゃんがクロウカードをすべて集めたあと、今度は自らの力でそれを自分のカードにしていくさくらカード編でした。語彙がないから、説明がへたくそだけど、まさに、今のさゆから感じるのは、そういう自らの世界を広げていくような、そんな期待感です。

さゆをそんな素敵な場所に連れ出してくれて、本当にありがとうございました。
(フェスが苦手……だと思っていた私も、さゆがフェスに出てくれたからこうして色々なアイドルと大森さんを近くで拝見する機会ができたのだと思うと、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。私を新しい世界に連れ出してくれて、「かわいい」にこんなにもわくわくさせてくれて、希望を持たせてくれて、大森靖子さん、そして何よりも道重さゆみさん、本当にありがとうございました。)

2018-04-24

SAYUMINGLANDOLL〜宿命〜のサウンドトラックが素晴らしすぎるのでこの感動を共有したい

先日、「宿命」を見に行った

コットンクラブという箱は、本当に素晴らしいと思う。
あの横浜アリーナでずっと遠くにいたさゆが、すぐ目の前で踊り歌っている姿は、いつ見ても感動する。
昨年の「再生」公演のときもそうだったけど、公演中は口を両手で押さえて「か、かわいい……!」って声を殺すのが精いっぱい。
たぶん何回か殺せきれなくて漏れていたと思うけれどしょうがない。だって本当にかわいいんだもの。

私、道重さゆみさんとほぼ同世代なんですよ。I am ギリ昭、ガキカメ世代。さゆはひとつ年下。
だから、彼女があのかわいさを保っていることがどんなに凄いことか、すっごく分かる。
綺麗だし、大人っぽさもある(横浜アリーナで買った日替わり写真と去年買ったもの、そして今年買った3枚を並べると、さゆは大人の女性になったなぁ、と思う。)。でも、なによりもかわいい。あんなにかわいい28歳はいないと思う。
そして、これは昨今のハロプロ全般の良いところだと思うけど、真面目だからこその品があるんですよね。おとなっぽいと言っても、トークに下ネタを挟んできても、それが下品ではない。その場を取り繕うような適当なものではなくて、向き合い方がとても誠実なんですよね。

さゆのかわいらしさは、キャラクター的だとも思う。誤解を恐れずに言えば、サンリオキャラクターのよう。
妥協のない、細部までこだわったかわいらしさ。期待を裏切らないキャラクター性。
「SAYUMINLANDOLL」の世界は、サンリオでいえばピューロランド。コットンクラブに入った瞬間からワクワクするし、見ているだけですごく楽しい。たとえ、知らない曲だったとしても、私の五感は満足している。むしろ、最初はそのかわいらしさで満たされているから、別のことを考える余裕なんてまったくないし、曲を細かく知らない方が良いくらいなのかもしれない。

だから、私、本当に薄っぺらい感想だと思うんですけど、宿命公演を見ている間、ほぼほぼ「かわいい」しか思っていなかったんですよ。
「かわいい」、たまに、さゆの表情の作り方に感嘆して。でも、ほとんどそれは「かわいい」という言葉に帰結されて。

それがね、家に帰って印象が変わりましたね。サントラを聞いて。

このサントラ素晴らしすぎやしませんか

聴けば聴くほど意味を考えるし、もう一回宿命公演を見たいという気持ちがどんどん沸き上がってくる。
私、何が感動したかというと、「かわいい」にはこんなにも重層的な意味があるんだということ。
そして道重さゆみさんというひとは、その「かわいい」の多重的な世界を、あのコットンクラブの舞台で、この曲たちを通して表現していたってこと。

初見の私は、さゆのビジュアルの魅力(きらきらした瞳、整った顔立ち、くるくる変わる表情、出てくるたびにかわる髪型、すらっとしたスタイル)に圧倒されていたわけだけど、違う、「かわいい」ってそれも確かに一部だけど、それだけじゃない。

1曲1曲の力を借りて、さゆは色々な「かわいい」の表情を見せてくれる。

※ 以下、特に気になった曲を中心に。

・SAYUMINGLANDOLLオープニングテーマ〜キラキラは1日にして成らず!〜

さゆにこのイントロ(やや外してくるこのサウンド)を持ってくるのはつんくさんしかいないよね。
上にも書いたけれど、真面目さや努力、誠実な向き合い方という仕事人としてのさゆを見てきたつんくさんだからこその曲なんだろうなぁ、と思う。
私はつんくさんがその泥臭い努力の世界観が好きです。ただ、これがハロプロに漂うダサさのひとつだとは思う。スマートじゃない。本当に仕事ができる人間じゃない。
いや、こういう人が長期的にみると、真に仕事ができる人間だと思う。
でも、世の中は短期的に見ると、こういう人ほど報われないし、努力が気付かれない。一言でいうと上手くない。要領がよくない。
だけど、何よりも信頼できる人だと思う。本当にやってないふりする人は「やってないふりして」とは言わないから。
つんくさんの作る世界の主人公に、さゆはぴったりとはまる。

・自分に向かって、ウインクひとつ

大久保さんのサウンド作りは新鮮でいて心地よい。この曲は歌詞もいいんだけど、なによりもまずメロディ、構成、サウンド、リズム。
アニメのキャラクターソングみたい、っていうのが第一印象。歌詞世界には隙がなく(だから聴いていて心地よい)、作りこまれたアイドル・道重さゆみと、今回の物語をうまく繋げてくれる曲だと思う。

・ありえない遊園地

つんくさんの描く「かわいらしさ」が真面目さであり、努力であるとするならば、大森さんの描く「かわいらしさ」は、そんなさゆの裏側を見透かそうとしているよう。
聴けば聴くほど、ドキッとする。触れてはいけないもの、見てはいけないものを、覗き見ているような興奮すら感じる。言葉を選ばないとするとエロさというのか。いや、耽美さって言った方がいいですかね。笑
ありえない遊園地は、さゆの歌い方のクセがとても魅力的に生える曲。
「可愛くないこと言えないルールに甘えないで」の「可愛くない(↗)こと言えないルー(↗)ルに甘えないで(↗)」と少し上擦る歌い方の生かし方が抜群すぎて。「ルール」という言葉がこんなにかわいく聞えるということを初めて知った。

・EIGAをみてよ

間違いなく今回の見せ場のひとつですよね。コットンクラブでも衝撃を受けたのですが。あの表現力。あの視線。でも、それがどう凄いのかを語る言葉を、あのときの私は持ち合わせていなかった。「かわいい」だけではないからか。あの睨みつけるような視線、さゆの表現力を間近で感じたからか。
いや、それもある。それもあるけども、それだけじゃない。

あれだけかわいらしい人に、舞台の上でも様々な人から散々「かわいいさゆみ」と言われる彼女に。
映画ではなく自分を見てくる男の子を「邪魔」と言わせる。「かわいい」と言われてきた人に「この映画を見てよ。わたしがすこしわかるから」と言わせる。「直でわたしをみないで」と言わせる。

もう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、このめんどくささ!

でも、「面倒くさい」だけではない。分かる。痛い。痛いけど、痛いほど分かる。

私のことを分かって欲しい。全部分かって欲しい。私が何を考えているか、私がどんな思考回路をしているのか。
表面的に、にこにこしている私を見て「かわいい」って。一体私の何を知っているの。「本当の私」を知っているの。知りたいと思わないの。

この痛さ、女なら誰だって一度は経験があるのではないでしょうか。自分のことを分かって欲しくて欲しくてたまらない、過剰なまでの自意識。
それをさゆが歌うんですよ……
それはフィクションのようで、でもそこにある、妙なまでのリアル。

大森さんから見た道重さゆみってどんな存在なんだろう、って。いや、大森さんだけじゃない。道重さんに向けられた「かわいい」にはどれだけ重層的な意味があるんだろう。
「かわいい」と口にする人たち、それぞれの胸のうちは、実はまったく異なっているんじゃないだろうか。
私が使う「かわいい」と、あの人が、また別のあの人が、もしくはまた別のあの人が使う「かわいい」はどれだけ意味が重なっているのだろうか。
そしてそれは、どこまで「リアル」でどこから「フィクション」なんだろう。

聴くたびにそんなことを考えさせられて、正直ドキッとさせられる。
そして、さゆはそのうちの、「大森靖子から見た道重さゆみ」のかわいらしさをこの曲にしっかり込めている。
だからこそ、一気にまくしたてるセリフに、そして最後の「わたしの人生に触ってよ」に心が揺さぶられる。それがあまりにリアルだから。
そして、その瞬間にピタッと重なる私の気持ち。それがまた、あまりに思い当たる節がありすぎるから。

宿命公演では最初と最後の字幕に「職業:可愛い」と書いてある。確かにさゆは、去年の再生公演の囲み取材でそんなことを言っていたな、って思ったんだけど。
このサントラを聞いていて、特に大森さん作詞作曲の2曲を聞いて、その言葉が、決して嘘や冗談じゃないことをまざまざと感じた。

「かわいい」ってある意味すごく軽い言葉だと思う。下手したら外国人だって「kawaii」って使うくらい。女の子は二言目には「かわいい!」っていう。反射的な言葉。
でも、だからこそ、実は多義的で、ハイコンテキストな言葉でもあると思う。「かわいい」の奥には、使う人の数だけその意味がある。
そして、さゆはその「かわいい」の深さ、多様性を表現する。この宿命公演で。この様々な曲を通して。

でも、私は先日の観劇でその一端にしか気が付けなかった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。私はそこまで捉えきれていなかった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

だから、もう1回見に行きたいです、宿命公演。今度はもっと色々な「かわいい」に気が付きたい。

2016-01-12

2015-01-20

いくら言葉を尽くしてもその一片だって掬いとることは出来ない

ヲタがさ、いくら言葉を尽くしたって、その一片だって掬いとることって出来ないんですよ。
でもそれでもヲタだから、何も掬えないって分かっていても、どうにかして何かこう言葉に残したいなと思うんですよね。
そこに、何が残るか分からないんだけれども。

誕生日カウントダウンは妹とコタツでテレビ見てました

23時くらいかな〜
よっすぃ〜からお誕生日おめでとう!ってメールが着てね。笑
フライングじゃんって妹と話してたら立て続けに
はやとちりし過ぎた
忘れててくれって(笑)

そうしたら0時過ぎに改めておめでとうメッセージとともに写真が何枚も何枚も送られてきて…
何の写真だ?って思いながら開いてみると…
懐かしい写真ばかり…
出会ってから今ままでの15年間の写真を送ってくれました!

わたし、シラフだったのに、涙がポロポロ出てきた。

誕生日をちゃんと覚えててくれて
しかも思い出の写真をいっぱい送ってくれるなんて…
嬉しすぎました

よっすぃ〜とはモーニング娘。の同期で、卒業してからもユニット組んだりずっと一緒に突っ走ってきました。
そんな仲間からのハートのこもったメッセージと写真。
そりゃあ涙でますよ!
歳を重ねると涙もろくなるっていいますよね。
それってただ感情がもろくなるんじゃなくて、一年、一年、しっかり歩んできたから、色んな思いをしてきたからなのかなって。
よっすぃ〜ありがとう

「カウントダウン  石川梨華オフィシャルブログ」


凄いなと思うのは……その行動の裏にある、様々なところを想像してしまうからで。
吉澤さん、0時にちょうどにメールを送ろうとして、なぜだか22時? 23時? 一度間違えて送ってしまったということは、少なくともそれくらいの時間からずっと準備をしていたということですよね。
ふたりで撮った写真を見返して、パソコンの前で15年間を思い返して。
これがいいのか、あれがいいのか、思い出を振り返りながら選んでいたんだなと思うと……

この時点でなんだろうな……なんでそこまで出来るんだろうと思ってしまいますよね。

好きないしよしのエピソードってたくさんあるんですけども、いつもそうで。
表面的に現れるその裏にある行動が思いやりに凄く溢れていて。温かくて、優しくて。
こんなに前向きに、仲間って良いなと、誰かとまっすぐ向き合えるってすごく素敵なことだなと思わせてくれるんですよね。
それを形に表すと、どうしても画像になってしまうんですけど、毎回とてもあたたかい気持ちを、大切にとっておきたくなるような、それこそ一番綺麗な箱に入れてとっておきたくなるような、そんな想いをもらいますね。まるで子どもの頃の、宝物のようですね。

ボキャブラリーが無いので、うまく言葉に取っておけないんですよ。
一番凡庸な言葉で表せば、それは「凄い」で、素直に出てきた意外と価値観を含んでいるなと思ったのは「尊い」で(笑)
最終的に落ち着いたのは「尊敬」かなと思いました。

15年も一緒に、それも仕事でともに歩んできているのに、なんでこんなに丁寧に、お互いのことを諦めたりすることなく、きちんと向き合えるんでしょうね。
人としてそれは当たり前のことかもしれないけれど、実際はなかなか難しい。
何よりお互いにお互いがきちんと向き合って大切にしていることを、分かっているんでしょうね。
そういうところ全部ひっくるめて、人として尊敬しますね。凄く大事なことだと思う。

このいつももらう、綺麗な箱にきちんと並べておきたいような、そんなあったかいもの。
掬って取っておきたいけれど、どうしたってそれは形には残らないから、画像になるのか、こうして日記になるのか、あるいは時に創作物になったりするのかもしれないですね。