著作権法第38条1項と上演許可(三谷幸喜さんの例:再論)
こんにちは。
このエントリーは、先日の三谷幸喜さんの記事*1の書き直しです。
三谷幸喜さんは、自分が積極的に関わらないところで自身の作品が上演されることを認めていません。
それは、アマチュアの演劇はもちろんですが、上演するのがプロであっても同様です。
三谷さんは、『オケピ!』の「付記」に、次のように書いています*2。
これは、パルコ・プロデュースのミュージカル『オケピ!』の上演台本です。
これを読み、よし自分たちもこれを上演してみよう、と思った方がいたら、出来れば止めてください。これは、あくまで「読み物」であり、そういうことのために活字にしたわけではないのです。
(中略)
僕の知らないところで、僕の知らない人たちによってこの作品が上演されるのを、僕は決して希望しません。
ましてや、僕が一生懸命書いたホンが知らないところで勝手にアレンジされ、自分らのやりやすい形に書き直されて上演されるなんて、考えただけでも、憂鬱になります。以前僕の書いた『笑いの大学』という二人芝居が、僕の知らない間に、登場人物の一方を女性に置き替えて上演されていた、という話を聞き、思わず卒倒しそうになりました。
そういう真似はくれぐれもしないように。考えてもみてください。例えばどんなにあなたが映画『タイタニック』を気に入ったとしても、どこからか台本を手に入れたとしても、そして有り余るほどのお金があったとしても、だからと言って勝手にリメイクをしようとは思わないでしょう。
それと同じことです。
ですから、三谷さんの戯曲はほとんど活字になっておらず、『オケピ』は第45回岸田國士戯曲賞を受賞したこともあって、例外的に出版されているのです。
三谷さんがこういう考えの方だということは、演劇をやる人にはよく知られていると思います。
実際、以前、高校演劇の世界でも、三谷さんの作品を無許諾で上演して問題になったことは有名です。
こうして、三谷さんの戯曲を、三谷さんが関わらない形で、プロがお金をとって上演することできません。
三谷さんが上演許可を出しませんから。
しかし、三谷さんの願いのすべてが叶うわけではありません。
なぜなら、非営利・無料・無報酬での上演であれば、三谷さんに無許諾かつ著作権使用料無料での上演ができるからです。
どうしてそうなるのでしょう。
分からなかったら条文を読んでみる、これが基本でした(その基本を忘れていたのが先日の私です)。
著作権法第38条1項を見てみましょう。
公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。
読んでの通り、著作者がその作品の第三者による上演を望んでいるか否かについて、この条文はまったく触れていません。
ということは、三谷さんがどう思っていようと、公表された著作物である『オケピ!』は、「営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金を受けない場合には、公に上演」することができるのです。
では三谷さんの思いは、まったく受け入れられないのでしょうか。
もちろん、そんなことはありません。
著作権法第50条は「この款の規定は、著作者人格権に影響を及ぼすものと解釈してはならない」と規定しています。
ですから、著作権法第38条1項により、無許諾かつ著作権使用料無料での上演が認められるケースであっても、同一性保持権は生きています。
ですから、三谷さん、次の点については、安心してください。
三谷さんが、「一生懸命書いたホンが知らないところで勝手にアレンジされ、自分らのやりやすい形に書き直されて上演される」ことを、著作権法は禁じています
『笑いの大学』が、三谷さんの知らない間に、登場人物の一方を女性に置き替えて上演されることも、著作権法は禁じています。
こんな感じでどうでしょう?