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2011-09-30

ときどき、本読む虫も好き好き 『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』


まくら

 試しに「世界文学全集」と銘打たれたものに手を出してみようかな、で、まあゆっくり読んでゆこうかなと少し前から思っていた。しかし反面、収録作は全集でなくても文庫などで読めるものが少なくないし、訳もいろいろあるし、あるいはこれが一番の理由なのだけど、しようがないとはいえ、「世界」と言いつつ英・仏をはじめとした「欧米」ばっかりなんだよね…なんて思いあぐねていた。だから、この全集が店頭に並びはじめたときには目に止まったし、それでいながら手を出せずにいた。当時付き合っていた彼女との破局が訪れたのはそんな折だった。

 たしか第6回配本あたりが書店に並んだ頃のようだったように記憶している。月に1冊ほどのペースで読むことにすれば「とりあえず2年間は生きる理由ができる」などと大袈裟に思いなしたおれは酔狂にもこれに手を出し、しかし実のところ「読破してやるぜ!」といった前向きな気概などはなくて、いま思うと、わりと適当なスタートの切り方だったなと思う(余談ですが、第1集もそろそろ終わりという頃になってはじめて池澤夏樹が何者なのか全く知らないことに思い到った)。

 当初は全24巻だったところ、途中で第3集(6冊)が追加されたことに伴い「リハビリ期間」も延びて、なんだかんだと読み終わってみると、足かけ2年9ヶ月。この全集を読んできた作品と時間を池澤夏樹だけに旅路として振り返ってみると、ずいぶんいろいろな読書体験をすることができたし、ちょっとした感慨や達成感、一抹の淋しさ、あるいは物足りなさを覚える。

世界はこんなに広いし、人間の思いはこんなに遠くまで飛翔する。

 飛翔どころか飛べない鳥と化したこともあった。辟易しながらひとり毒づいたこともあった。たしかに読んだはずなのに内容をまったく思い出せないなんて作品まである始末。たとえ後になって笑い話になったとしても、旅とは一様に楽しい思い出ばかりではない。不快だったり、トラブったりして単に疲れ切ってしまった、というのは付き物である。

 しかしそこは、「蓼食う虫」ならぬ「本読む虫も好き好き」の精神でもって乗り越えてゆく。

 事実、今まで体感したことのない世界に夢中になったり、飛翔を超えて吹っ飛ばされたりしたこともあった。おそろしく打ちのめされて呆然としたこともあった。そうした体験は1度や2度ではなかった。他の作品も読んでみようと思える作家に少なからず出会えたこともまた、収穫だった―収められている作品の良し悪しに関係なく読みすすめてゆくという、こうした機会でもなければ、出くわすのがいつになったかわかったものではない作品・作家は少なくないはずだと思う。

 で、この全集については1作読み終えるごとにちょこっと書いていた感想もあるので(多分に自己満だけど)時間が経過した今ある読後感とそれをちゃんぷるーしつつ、ひとまず個人的に「これは絶対再読する」とか「読んで損なしである」と請け合ってみたい作品に絞ってコメントを書いてゆきたい。すべては読まなくともこれからどれか読んでみようかなと考えている、そんな人の参考にでもなれば幸い。

 旅のお土産みたいなものである。お土産というのはしばしば無用の長物であったり始末に困る代物だったりもするけれど、この際気にしないでゆこう。


赤亀セレクション


「楽園への道」 マリオ・バルガス=リョサ

楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)

楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)

 「スカートをはいた扇動者」フローラ・トリスタンは女性と労働者の権利を勝ち取るために、「芸術の反逆者」ポール・ゴーギャンは芸術求めて。共に当時の既成制度・既成概念に対する反逆者だった祖母と孫。
 2人の共通点は、強烈な精力(ときにエゴイズムと)それに裏打ちされた信念と行動力だったように思う。しかし同時に、その代償は本人たちにとって生半可なものではなかった。その臨場感。失うものの多さ。行動力と言い条、「進んでいるのか逃げているのかわからない」。壮絶きわまりない。それでも実現を求め続けたそれぞれの“楽園への道”。2人の物語は、ときに2人称でパラレルに語られてゆくも交わることはない。しかしときに「重なり」、「混ざり合」ってゆく。
 ただ、これ読んでいちばん良かったことは、出だしの『オン・ザ・ロード』に思いのほか乗れなかったおれの「この全集を読みすすめていこう」という気持ちに火をつけてくれたことかもしれない。


「存在の耐えられない軽さ」 ミラン・クンデラ

存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)

存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)

 エロ×哲学。『文学全集を立ちあげる』で丸谷才一曰く、「イギリスの批評を読んでたら、こんな一節があって、うまいなあと思ったの。「昔は何か猥本を読みたくなると、“さて、フランスの小説でも読もうか”と言ったもんだ。今はそういうときに、“さて、チェコの小説でも読もうか”と言わなければならない」という書き出しでクンデラを論じるのね」。ということで、女2人男2人+犬1匹が主要人物である本書は、エロい(思えば第3集にあるチェコ人作家フラバルの『わたしは英国王に給士した』もけっこうエロい)。
 しかし、消費的エロじゃない。古代ギリシャはエレア学派の哲学者パルメニデスは、たとえば、この宇宙で軽いものは積極的、重いものは消極的だと言った。ニーチェはこのような二元論は安直だと退けたが、しかしただ1つ、なにが軽いか重いか、これだけは別だと言った。クンデラは思う、「重―軽の対立が、あらゆる対立のなかでももっとも不思議で、曖昧な対立であることは確実だ」と…それまで「存在の軽さ」を好ましいものと受け止めていたサビナが、ある瞬間に、その「存在の軽さ」を「耐えられない」と悟る。このくだりを読んだときの衝撃の残響はいまも残ってる。


巨匠とマルガリータ」 ミハイル・A・ブルガーコフ

 派手だ。そして底が見えない。「嵐の前の静けさ」さながらにおだやかな公園のベンチで2人の男が会話を交わすところから始まる(この出だしがよい)、ふざけ散らしていて、その実しっかりと構築されている奇想小説。
 春のモスクワに突如、悪魔ヴォランド一味が降臨。黒魔術ショーはじめ、しゃべる黒猫、偽ルーブル紙幣の散布、裸で逃げ惑う女たち…4日間にわたる混乱した狂宴が繰り広げられてゆき、一方で伏流のように語られる、キリスト磔刑時のローマ総督ポンティウス・ピラトゥスの物語。今でも、ピラトゥスかキリストの弟子だかがエルサレムの町・雑踏を歩いていく情景が脳裏に色濃く焼きついているのは…なぜなのか思い出せない。
 ただ、他の作品に比して、エルサレムの情景だけでなくいろいろな場面が鮮明に残っているということは、この作品は非常に映像喚起力があったようだ。狂宴の後、本書も200ページくらいにもなって、やっと、主人公の巨匠とヒロインのマルガリータが登場する。果ては、真っ裸の魔女が豚に乗って夜空を駆け巡る(笑)等々と、かなりファンタスティック。しかい一方で、スターリン時代に執筆されたこの小説は当時、発禁処分になり、著者存命中に日の目を見ることはなかったらしい(ちなみにスターリンは稀代の読書家でもあった)。

「暗夜」 残雪

 なぜかこういうのに惹かれる―おれには安部公房を立て続けに読んでいた時期もあった。と言えばわかるかもしれないけれど、いわば「超現実」的なもの。と言い条残雪は、なんというか、カフカ以上にカフカ…とでも言うのか…いや、全然違うかもしれない。この感覚は残雪でしか味わえない
 6つの短篇のうちどの「私」も、自分の意思とは関係なく、なんとなくおかしな状況に遭遇し、巻き込まれている。しかしそれに対する説明はとくになく、何かが起きているのに、それがなんなのか一向にわからない。周囲は不安と焦燥と悪意と敵意に満ちていて、その理由も原因もわからず、「私」は必死でもあり、どこか坦々としてもいる…個人的には「痕」と「不思議な木の家」が好き。表題作の「暗夜」もよくわからんがなんかよい。


アフリカの日々」 イサク・ディネセン

 とあるデンマーク女性がケニアで農園を営むことになる。平原、丘陵、風、太陽、星々といった「自然」、象、キリン、猿、コウノトリ、あるいはイナゴなど「動物」と様々な「植物」、そして、マサイ族やソマリ族、キクユ族など「土地の人々(黒人)」と入植者である「白人」。それぞれが不必要な区別などなく、溶けるようにゆるやかに一体のものとしてそこにありうるというその情景と、ゆったりとたゆたう時間。
 読んでいて心地よかった。またあそこへ、ふらっと戻っていきたくなる帰国した作者の気持ちもそれは同じだったのかもしれない。そんな想いと彼女の温かい眼差しが、読中でもよく感じられた。ディネセンは『バベットの晩餐会』の作者。
 サリンジャーの『ライ麦』は思いのほかノレなくて途中で投げ出したのだが、ホールデンはこの本を「なかなか良い本だった」と言っていた。あいつはわかってた(笑)


「アブサロム!アブサロム!」 ウィリアム・フォークナー

 田舎町ジェファソンに突如帰ってきた、謎の男サトペン。本人には語らせず、彼の周囲にいた複数人に語らせ、また又聞きはもちろん、又聞きの又聞きまでをも通して、サトペンという人物の人となりやこれまでの経緯を浮かび上がらせてゆく…にしても、とにかく「密度が高い」。噎せるほどに重厚。幾人かの話を何層にも重ねて見えてくる彼の姿はだんだん明確になってゆくものの、結局おれにはつかみきれなかった…修行が足りんかった。
 その証拠というか、はじめのうちこの密度にうまい具合に入り込めず四苦八苦していたおれは、途中で思い切って解説に目を通した(この全集を読むに当たって設けた決まりごとの1つに、解説や月報は読了後1週間ほど時間を置いてから、というのがあった)。でもこのときは読んでおいてよかったかもしれない。
 フォークナーという作家はこれで初めて知ったものだけど、後の影響力は絶大で、とても重要な作家。フォークナーによって生まれた潮流は今も途切れることなく、マルケスピンチョン中上健次等々へ受け継がれていった。ヨクナパトーファ・サーガ…全部読んだとき、そこにはどんな世界がそこがあるのだろうか。気になる。


軽蔑アルベルト・モラヴィア

 あるときラブラブで幸福だった若夫婦のあいだで、にわかに亀裂が生じる。なぜそうなったのか、きっかけに思い当たる節はあるものの、結局のところその原因は明白にはわからず困惑する夫に、ただ確かなことは、その亀裂がどんどんひろがり、深い溝になってゆくということ。いや、気づいたときにはすでにそれがあったということ。
 —というような幸福な仲から不仲が生じるまでのおきまり的な様子は早々に済まされ、夫が妻をなんとか繋ぎとめようする、あるいは何が起きているのか理解しようとする過程が細かなに描かれていくのだけど、これは読んでいて、個人的にとても苦しかった…なぜなら、「まくら」に書いた失恋時を再現されているようだったからだ(涙)あーほんと、「身を切られるようだ」とはあのことだった。それゆえ、というわけではないけれど、あの終わり方は痛いくらい腑に落ちるもので、受け入れ難かった


「見えない都市」 イタロ・カルヴィーノ

 夢遊的紀行小説。読む前に主要人物がフビライマルコ・ポーロだとわかっていたから急いでその辺の歴史を復習した。が、その必要はまったくなかったという…(笑)
 マルコの見聞は比喩に満ちており、幻想的。おそろしく高い竹馬の上に築かれているという空中都市とか、まんま迷路と化した都市とか。もはや時代を完全に無視して飛行機やレーダーなんてものまで登場してくる。彼が語る55の都市は、どれも存在しているが存在していない都市であったり、それぞれ別の都市でありながら同一の都市でもあったりするのかもしれない。おそらく読む人によって、あるいは年齢によって、都市の様相は異なってくるものかと思う。フビライがさりげなく口にする見聞の感想も見逃せない。
 見聞の一つひとつが短いので、寝る前に1日1篇ずつ読んでいったのだけど、なかなかに乙だった。


精霊たちの家」 イサベル・アジェンデ

 余計な雑念が介入する余地がまったくなかったと言ってよいほど、ひたすら夢中になって読んだ。会話文が多いわけでもなく、むしろ1ページに字がびっしり犇いているほどなのに、ぐんぐん読み進めていった。純粋に読書の愉悦に浸り、堪能できて、読後は幸福感で呆けた。
 池澤夏樹の言葉を借りれば、「入り口がマジック・リアリズムで、出口はポリティカル・スリラー」
 クラーラとブランカアルバ、母娘3世代に亘る物語。あるいはクラーラの夫であり、ひいてはブランカの父・アルバの祖父であるエステーバン・トゥルエバという男の一代記としても読める。いずれにしても、およそ100年にわたる一大サーガ。幽霊や精霊、魔術が当たり前だった時代から、時代が下るにつれて徐々に幻想が薄れてゆき、殺伐とした軍事独裁政権が支配するリアリズムの世界へ。


パタゴニアブルースチャトウィン

 「現代の旅にはすでに本来的な意味での未知は存在しない」けれど、そんな中、チャトウィンの旅はとても魅力的だ。旅先は言うまでもなくパタゴニア―アルゼンチンとチリにまたがる南米大陸の下端部分。
 語り手が(流れとしては)北はブエノスアイレスから南はプンタアレナスへだんだん移動してゆくなかで、端々で喚起され語られるエピソードたちが、旅先で出会う人々や土地といった「今」につながり、ときにエピソード同士が絡み合う。また「if」を紛れ込ませたりすることで、エピソード中に登場する人物たちもいつの間にか独立に動き出し、語り手と同様どこかに移動しては、途中でひょっこり再登場してきたりする(たとえばブッチ・キャシディとサンダンス・キッド)。
 「今」と「記憶」と「土地」と「歴史」が混ざり合ってつながりあって、チャトウィンの歩くパタゴニアが繁茂してゆく


「ヴァインランド」 トマス・ピンチョン

 だってピンチョンて…申し訳ないけど、軽やかでいてどこか間の抜けた名前だなーなんて思ったし、読中は「名前に騙された!」などと内心叫んだものである。で、これも計算済みのペンネームかと思っていたらそんなんじゃなくて本名だし、だけでなく、由緒ある家系だなんて…。ちなみに覆面作家
 とにもかくにも、ひたすら度肝抜かれっぱなしだった。「こんなのもありなんか」と何度もうめき、こんなに“ぶっと飛んだ”小説がありうるなんて…と、実際に読んでいるのにかかわらずにわかには信じられなかった。語り手や場面、登場人物、時間層などが、無秩序かと思うほどに目まぐるしい展開と、止めどのない大衆文化とイメージの濁流に弄ばれ、読み終わったときはへろへろ。まるで巨大渦潮に巻き込まれ弾き飛ばされ、また巻き込まれては…と何度も繰り返した挙句、気がついたら波打ち際に打ち上げられていた。みたいだった。
 ところが本作は、ピンチョン作品の中では比較的読みやすい(わかりやすい)部類らしく、ピンチョン初心者にはうってつけだとか(…これで!?)。ピンチョン、おそろしや。おそろしいと言えば、「くの一」忍法「震える掌」…これがまた恐ろしい!


ブリキの太鼓ギュンター・グラス

ブリキの太鼓 (池澤夏樹=個人編集世界文学全集2)

ブリキの太鼓 (池澤夏樹=個人編集世界文学全集2)

 3歳で大人になることをやめた(変化することを拒否した)オスカル。身体的成長をその時点で止めた94cmの彼は「テーブル下の戯れ」を目にできる立場となり、また巧みな撥さばきで人の心を操り、叫ぶことでガラスを粉々に砕く「クリスタルの声」もときに発動させる。
 時は1920年代後半から30年間、所はダンツィヒ。そんな3歳児の目線(下もしくは斜め)から見る市井の人々の姿や、変化の様子は、一見“普通”でありながらもその実、グロテクスだったり猥雑だったり…というのは、異変や異様がいかに普通に“普通”になっていくのか、オスカル目線だと、その過程をまじまじと眺めることができる。読中は文字通り「3歳児の目線」で情景や寓話を見ていたなと読後になって気づいた。ところで、ためしに映画も観てみたところ…オスカル役の子が演技が神懸ってる!
 訳が個人的にはちょっと苦手だった。


「黒檀」 R・カプシチンスキ

 「一流の人類学者は、<アフリカ文化>や<アフリカ宗教>という言い方をけっしてしない。そんなものは実在せず、アフリカの本質とは、無限の多様性だと知っているからだ」(著者)。アフリカの色は黒一色なんかじゃない
 この本を読む前のおれにとって、アフリカは2つの意味で「暗黒地帯」だった。第1に、そのイメージ。飢餓貧困、紛争、軍事独裁、難民子ども兵士、疫病、過酷な環境、スラム…もし自分がそこに生まれていたらあっけなく死んでいただろうと思わせる世界。第2に、アフリカの地で起きている諸問題の原因やその経緯、歴史をほとんど知らないという意味で。これは「空白」と呼ぶべきなのかもしれないけど、第1に挙げたイメージもあいまって、その空白が、踏み込みがたい暗闇に思えた。
 「文学的コラージュ」によって、衛星写真で夜の地球を撮ったときに電気の灯りで各地の輪郭がわかるようになる、ちょうどあんなふうにアフリカが浮かび上がってくるこの一冊は、「暗黒地帯」に、鋭くもあたたかい光を射し込んでくれる。


「苦界浄土石牟礼道子

苦海浄土 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

苦海浄土 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

 うたう、毒書。それまでは巻立ての順でこの全集を読みすすめていたところを、第3集に際しては2つの短篇アンソロジーを例外的な読み方にしたので、つまりこの『苦界浄土』が最後の1冊、感動のフィナーレになる!…と思っていたのは甘すぎる見込みで、まさか最後にこんなおそろしい本を読むことになるとは…ちょっと尋常じゃないくらいに打ちのめされて、実は今も立ち直れていない。
 水俣病の話である。学校で習って水俣病という名前は知っていても、それは知らないに等しい。これは他のどこでもなく日本の話であり、その上に今の日本があり、今はまた、新たな「水俣病」が現れるかもしれない。
 この作品は3つの文体で書かれている。少し時間が経ち、他の人の感想などを拝見したりして今思うのは、その3つの内の1つ、方言のもつ魅力を最大限に引き出したと言ってよい文体は、読み手に対してある選択、もしくは認識を迫っているよう。どういうことかと言うと、その方言文体を読みづらいと思った瞬間に、読み手は「標準語の世界」―チッソや国の側(いわば虐げる側)に立っているということを突きつけられているらしい(読み手は倫理観を問われる)。これはもう避けられないことだろうけど、とりあえず、方言文体に対しては「耳で読む」という意識をもつとよいかもしれない。
 日本に生まれ日本に育ち、日本に暮らす人においては、まずもって読まれるべき本だと思う。が同時に、おいそれとオススメもできない。


「短篇コレクション2」

短篇コレクションI (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

短篇コレクションI (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

 文字通り、珠玉の短篇アンソロジー。『短篇コレクション1』がヨーロッパの作家で構成されているの対して、こちらはいわゆる「周辺」―アジア南北アメリカ、アフリカ、アラビア(中東)の作家でもって編まれている(こう書くと語頭が「ア」ばっか。ところでアメリカって文学的には「周辺」に入るのだね。ちょっと違和感)。ハズレなしと言ってよいほど良作揃いのラインナップ。短編の威力に打たれた。
 この1冊は1日1篇ずつ読んでいったのだけど、毎日読むのが嬉しくて、次が楽しみで仕方なかった。とりわけ気にいったのを挙げてみると、コルタサル南部高速道路』、マクラウド『冬の犬』、目取真俊『面影と連れて』。この3人に関してはこれを読了後、すぐさま他の作品にも手を出したところ、これまたアタリ揃いでうれしい驚き。


ワースト3

 あとついでに、これはもう確実に読むことはないだろうとか、べつに読まなくてもよかったのではないか(読まなきゃよかった…というわけではないけれど)と思った作品を3つ挙げておく。

▼「悲しみよ こんちには」 フランソワーズ・サガン
→ 19歳でこれを書いたのはすごい。しかし、はっきり言おう。つまんなすぎる!そのつまんなさはこの全集の中で群を抜いている。

▼「アルトゥーロの島」 エルサ・モランテ
→読んでいて全然興味を覚えなかった。終始「ふーん」って感じだった。

▼「賜物」 ウラジミール・ナボコフ
→ これは作品の出来がどうこうでなく、「一般の日本人」があえて読む必要も意味もないように思う。訳者の労力と精力が偲ばれるけれど、ロシア人やロシア文学の学者、もしくはナボコフファンだけ読めばよいんじゃない?(っていうとナボコフに嘲笑されているような気がするのはこの際無視する。)


世界文学の経

 この全集はどちらかというと、世界文学の経(たていと)というより(よこいと)を意識したラインナップになっている。副読本みたいに31巻目とも言える『世界文学リミックス 完全版』も公刊されていて、連載時の媒体(夕刊フジ)を鑑みてか、羊毛のような文体でもって平易な筆運びのおもしろい読み物になっていた。

 ただ、内容はウェブメルマガでも読めることは読めるし、(たていと)に興味がある場合、池澤夏樹の著書で選ぶと『世界文学を読みほどく』という本もよい。スタンダールからピンチョンまで、文学の変容を経(たていと)にたどり、文学のおおまかな流れが概観できる(ただし「池澤夏樹から見て」の流れである)。

世界文学を読みほどく (新潮選書)

世界文学を読みほどく (新潮選書)

採り上げられている10作品は以下の通り(収録順+一言コメント)。

◆「パルム僧院」 スタンダール
→ 大人のためのフェアリーテイル(つまり安心して読める)。

◆「アンナ・カレーニナトルストイ
→ 未読。トルストイは個人的に「なぜか食指の伸びない3大文豪」のうちの1人。あと2人は、バルザックヘミングウェイ

◆「カラマーゾフの兄弟ドストエフスキー
→ 言わずもがなの傑作。読んだことない人は、いますぐでなくてもいい、でもいつか必ず読んだほうがいい。

◆「白鯨メルヴィル
→ 凄まじい(一方で、悲劇とされているけれど、イシュメールの口調は妙洒脱、自分の解釈や感想を自由闊達に語る様はむしろ楽しい)。

◆「ユリシーズジョイス
→ 言うまでもなく未読。

◆「魔の山」 マン
→ 20才前後で抱くような疑問や葛藤が軒並み詰め込まれているように思った。ちなみにタイトルの「魔」は「魔法」ほどの意味とのこと。

◆「アブサロム!アブサロム!」 フォークナー
→ 前述の通り。

◆「ハックルベリー・フィンの冒険」 トウェイン
→ トム・ソーヤーが出てくるまではおもしろい。トム・ソーヤーが出てくると途端につまらなくなる。

◆「百年の孤独ガルシア=マルケス
→ まさかの未読。

◆「競売ナンバー49の叫び」 ピンチョン
→ 未読。ピンチョンについては『V.』か『逆光』をまず読みたい。

 ちなみに、プルースト失われた時を求めて』(未読)は「実はところどころを拾い読みしたことはあるが通読したことはない」と以前何かで彼はぶっちゃけていた。『ドン・キホーテ』を入れてほしかった。

 ほどよく読書欲をくすぐってくる、読書案内としても使える1冊。


おわりに

 世界文学とは「≒翻訳文学」である。この全集における翻訳者は以下の方々(訳書収録順)。

青山南/田村さとこ/西永良成/田中倫郎/清水徹朝吹登水子水野忠夫近藤直子/井川一久/吉田健一横山貞子/土屋哲/篠田一士小野正嗣/北代美和子/くぼたのぞみ/中山エツコ/須賀敦子鴻巣友季子/小沢瑞穂/池内紀/中込啓子/住谷春也/大久保照男/中野恵津子/山崎佳代子/米川良夫/木村榮一/芹沢真理子/安藤哲行榊原晃三/中地義和/沼野充義/佐藤良明/阿部賢一工藤幸雄/阿部優子/武井摩利柴田元幸野谷文昭杉山晃
垂水千恵/奴田原睦明/浅倉久志/菅啓次郎/志村正雄/篠森ゆりこ/藤本和子岡真理
村上春樹/岸本佐和子/飯塚容/岩本和久/小林惺/西成彦/塩塚秀一郎/堀江敏幸
河島英昭/松永美穂山田稔/岩淵達治/大羅志保子/安岡治子/池田栄一/寺門泰彦/
野崎歓/および池澤夏樹

 英語でさえろくに勉強していない(というか、しようとしない)おれとしては、いずれの収録作も翻訳されなかったら読めなかったものばかり。中には「空気のようでありたい」「裏方に徹したい」と考えている方もいらっしゃるかもしれませんが、それぞれの作品および全集に携われた方々を代表してもらい、この場を借りて感謝申しあげます。ありがとうございました。

YumeoYumeo 2011/10/01 18:13 全巻読破とはすごいですね。こちら、『世界文学リミックス 完全版』は読みました(苦笑)。本編を読むときに赤亀さんのセレクション、ブックマークしておいて参考にしますね。

野火野火 2011/10/02 20:31 こんにちわ。コメントもスターも毎度毎度ありがとうございます・・・!!!こちらはお邪魔することも少なく申し訳ないかぎりで・・・恐れ多いです。
何だかんだで初コメントなのではないでしょうか。

あんまり世界の名作を読んでいない私ですが、読みたいものは多いなあ・・・と。
未だに「魔の山」にお目にかかれず。「カラマーゾフの兄弟」と「白鯨」なんかは一度手をつけたいと思いつつ。「老人と海」とかにもチャレンジしたいのですが中々・・・。

本題とは関係ないやもなのですが、本に生きる気力といいますか、糧を求める・・・というのもおかしいですが、そんな風に本が人生と生きる力の根底にあって密着しているって、すごいなあ・・・と個人的には。
自分もそういう風になれたらいいのですが、なれるかしらん。いや、なれないんじゃないかな、という感じです。

missourifevermissourifever 2011/10/08 11:21 いただいたコメントは非公開のままにしてあるのでこちらの方で。
『苦海浄土』ますます手を出しにくくなってしまった(苦笑)。
今のこの空気の中で抑圧というものに意識的な読書をするというのが辛いかもしれないなあと考えてしまったり。バランスが戻ったら、ということにしたいと思います。:-)

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