Hatena::ブログ(Diary)

しあわせは日々のなか

2010-08-31 火

[]川端康成「散りぬるを」(『眠れる美女』所収)

眠れる美女 (新潮文庫)

眠れる美女 (新潮文庫)

「ちがいますよ。あんたなんかもね、女流作家になりたいなら、文学なんぞあきらめちゃって、お嫁入りするんですね。文学なんかは、もっと人生でひどいめにあってから、はじめた方がいいですよ。文学にだまされるよりも、男にだまされた方が、よっぽど女流作家ですよ。今のあんたはいかにも女流作家だ。女の作家にはちがいないです。しかしあんたが活字になるような小説が書け出したら、あんたはもう女の作家じゃありゃしない。男の作家の真似をするだけですよ。女でなくなりますよ。女でない、ろくでもない女になりますよ。文学には、女のすることなんかないんですよ。」(p.207)

「悪い文学は美しい感情で作られるということがあるが――あんたから預かった小説を四つ、続けざまにさっき読んだんですよ。皆文学にもなにもなってやしない。人を没我的に愛して、相手からさんざん踏みつけられて、その同じことを幾度くりかえしても、やはりおめでたく愛している、自分がそんな女だという広告文ですよ、どの作もね。男をいい気につけあがらせる恋文みたいなもんですよ。」
(…)
「こんな小説女性すべてのためによくないですよ。女はどんなひどいめにあわせてもいいのだという気を男に起させる。小説なんか書くのお止しなさい。あんたのいいところを、恋人か夫のために、そっとしまっとくんですね。広告なんかしないで。」(p.209)

[]

 こんな文章書いてなんになるんだろ、と思う。誰が得するんだといえば、私なんだけど。書きたいことだけ書いているのだから。
 昔は、私の書いた文章が私以外の誰かに届くことをまだ信じられていたし、実際届いたと思える出来事があると嬉しかった。でも今はなんだかそれも信じられない。

2010-08-30 月

[]川端康成眠れる美女

眠れる美女 (新潮文庫)

眠れる美女 (新潮文庫)

 もう男でなくなった老人だけが、「安心できるお客さま」として迎えられる家。その奥に、深い眠りについた美しい娘がいるのだ(ちなみに全裸)。老人たち、娘のそばで眠る一夜のためにそこへやってくる。
 江口老人は道楽をつづけているおかげで、「安心できるお客さま」ではまだないのだが、老人仲間の話に興味を惹かれ、その家を訪れる。江口は娘の傍らで、「女」にまつわるさまざまな過去を思い出す。

女の乳房を美しくして来たことは、人間歴史のかがやかしい栄光ではないのだろうか。(p.28)

としても、末娘は男友だちにとりかこまれて、陽気で自由でいた、勝気な娘だけに、江口は安心していたようだ。でもことが起こってみると、むしろなんのふしぎもない。末娘だって、世の女たちとからだのつくりがちがっていはしない。男の無理を通されるのだ。(…)末娘のことがよしんば男の愛情火事だったにしても、それをこばみきれない娘のからだのつくりに、江口はいまさら思いあたった。(p.62)

2010-08-27 金

残ったわだかまりをいつまでも覚えているから、人と接するのが苦しい

もっときれいに忘れたい

2010-08-26 木

[]

 だめだな、どんどんひどくなってる
 家族とかもう既に知ってる人はまだ大丈夫だけどそれ以外の男の人と口をきくのが苦痛

 フィクションですら受け付けなくなってる
 高校の時はまだ、ものによっては少年青年群像を楽しめる心の持ち主だったと思うんだけど
 どんどん女の子にばかり傾いている

 それは別にいいんだけど
 現実に男の人と会話が苦手すぎて支障が出ている

 夫以外の男の人と口きく機会があんまりないような時代に生まれたら、もうちょっと生きるの楽だったのにって、ときどき本気で思う(思っても仕方ないのはわかっていてもそう思う)

2010-08-23 月

[]

 川端康成眠れる美女』を読んでたら、あまりのいやらしさにむずむずして、読むのを中断してしまった。
 いや、読むのが嫌になったわけじゃないんだけど。続きは読みたいんだけど。「乳房」「乳かさ」「乳首」「きむすめ」といった語の頻出っぷりにくらくらしてしまったから、ちょっと、一気読みはきつい! 休憩とりたい! ……という気持ちになってしまった……。

 

2010-08-22 日

[]

@nori_k99 荻原さんはRDGを出す頃に勤めは辞めたとブログに書かれていた気がします。通勤電車の中が一番アイデアが浮かぶ、とどこかで書かれていたので、辞められたのがとっても意外だった覚えが。


posted at 21:27:24

 ……と、発言してから、勤めを辞めたという記述があったのは、正確にはいつだったっけ、と思って、探しました。
 RDGが出る頃、より数ヶ月前でした。新作のタイトルは『RDG レッドデータガール』だと、発表された月。

http://andante-d.way-nifty.com/blog/2008/04/post_46c4.html

 ここに、「昨年の3月で、わたしは勤めを辞めました」という記述があったのでした。
 おお、ちょっと記憶違いしてたか……すみません

2010-08-16 月

[]

 なんにも言いたくない
 「言いたい」って状態にもなりたくない

 もうなんかぜんぶこわい

2010-08-12 木

[]別のところに書いたもの

 記憶捏造じゃなければ小学校にあがる前から、自分なんか死んじゃえばいい、この世にいなければいいと日常的に思っていた。
 なんで、と訊かれてもよくわからない。動作がゆるやかで集団行動に遅れがちな子どもだったから、「みんなについていけない自分ダメな子」って思うようになったのだ、と言ってしまえばそれらしいけど。そういう出来事は、死にたい気持ちを強める要因の一つではあったけど、そういう気持ちが生まれる原因じゃなかった気がする。生まれつきそういう傾向があって、それがいくつかの出来事によって強まった、という方が自分としてはしっくりくる。

 自分がしょっちゅう「ああ死にたいな」「生きるのやだ」って思うものだから、人もそうだと思い込んでいて、小学校低学年のとき友達にそれを喋ったらびっくりされて、みんながみんな「死にたい」って気持ちを常に抱きながら生きてるわけじゃないんだー、と気づいて、びっくりしたものだった。

 「生きるのつらい死にたい」と「そんなこと思っちゃいけない」はずっと1セットだったからか、そのうちつらいのと、つらくないのの境目がわからなくなった。後から振り返れば「あの時ほんとつらかったんだろうなー」って思うけど、さなかにいる時は自分がつらいってことをわかっていない。わかってないのかわかってない振りをしているのかもわかってない。区別がつかない。

 子どものうちの、「自分ダメな子だから、要らない子だから、生きてちゃいけなんだ」って思いこみというか絶望は、今思い出してもぞっとする。それがあるから、子どものうちはよかったとか子ども時代に戻りたいなんてこれっぽっちも思わない。絶対戻りたくない。

 大人になればこんなことなくなると思ってたけどそうでもなくて、大学卒業してから「生きるのつらい、死にたい」の勢力は増した。先月後半は特にひどくて、苦手なこととかできないことが多すぎて生きていくのが怖い、って気持ちがどんどんふくらんで息苦しくて、寝るのも起きるのもごはん食べるのも動くのもつらくなった。でももし誰かに「つらい」って言って「そんなの甘え」って言われたらほんとに生きていけなくなる気がして怖くて、言葉にして吐き出すのも躊躇した。

 まだやりたいことがあるから、会いたい人がいるからといった気持ちより、死にたい気持ちが前に出てきた。死にたいのと、実際に死ぬための行動をすることの間の高い壁を、越えようとはしたことはないけれど。

2010-08-11 水

[]うわごとに傷つかない

つれづれノート〈2〉 (角川文庫)

つれづれノート〈2〉 (角川文庫)

この世の中、うわごとのようにくりかえされることばが多いですよね。気持ちはなく、ことばだけがつい口からでるという。たとえば、「たいへんだねー」とか「いいねー」とかいうこと。あと、もっと具体的にいろいろとさ。

うわごとに対しては、びんかんでいよう。あっ! これは、うわごとだと気づいたら、そのように対しよう。うわごとに傷つけられないようにしよう。(p.123)