influence of books
最近、けっこう以前に読んだ本を読み返したり、はじめに読んだとき気になって付せんをつけてあったところをinbookに記録したりしているときに、「あれ、このことってこんなところに書いてあったんだ」と思うことが何度かあった。
「このこと」というのは単純な情報という意味ではなくて、自分が意識的にか無意識的にか心がけようとしていることとか、いつの間にかそういうふうに考えるようになっていたやり方とか、そういうもののこと(“ハビトゥス”と呼んでもよいかどうか)。
例えば村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』にこういう文章がある。
ぼくは確か9年前くらいにこの本を読んで、この部分に付せんをつけたのだけど、ここにこういうことが書いてあるのはその後まったく忘れていた。
でも、去年の8月に書いた記事(flow of books)にあるような「読む本の決め方」は、特に「それまでの流れに合った本にする」という部分では、上に引用した言葉をほぼそのまま実践しているような形になっている。
次に読む最後のその一冊に絞り込むには、
自分の中にある「流れ」を読まないといけない。
(…)
そうやって自分のことを自分に聞きながら、
その流れに沿いながら、毎日を過ごしている。
ぼくは別に村上春樹を意識してそういうやり方を志向したわけではないし、『ダンス・ダンス・ダンス』は特別好きな本というわけでもなかったのだけれど(現にもう手放してしまっている)、影響を受けていることは否めないと思う*1。
ここのところ村上春樹の本に限らずこういうことに気付くことが数回あって、あらためて、本を読むと書いてあることに影響される、しかもわりと深いところで、ということを思い知った。
もちろん影響を受けるというのは良し悪しだし、どの本のどの部分が誰にどういう影響を与えるか(与えないか)は全く個人的な要素に左右されるのだとは思うけど。