スター・ウォーズ/フォースの覚醒

スターウォーズ/フォースの覚醒



見ました。ユナイテッドシネマズとしまえんにて、12月19日午前9時の回を、IMAX3D版で。






スターウォーズと私、みたいなスタンス紹介は面倒くさいので書きません。






オープニング、あっけらかんとした字幕で背景を説明するスターウォーズ文体は相変わらず。エピソード4-6の主人公ルークが失踪、帝国軍やレイア(将軍でありルークの妹)たちが彼の行方を追っている状況だそうな。レイアは一人の優秀なパイロットをとある惑星に送り込んだ、と。



夜の惑星で老人からペンダントのような物を受け取る男。すごく大事なアイテムらしい。同じ星に降下船に乗ったストームトルーパー(白いアーマーを着た雑魚兵士)が大量に押し寄せる。その中で一際目立つ黒いアーマーの男。



ペンダントを受け取ったのがレイアの使者であるポー・ダメロン。黒いアーマーを着ているのがカイロ・レン。



カイロレン率いる帝国軍部隊は村人を虐殺してポーを炙り出そうとする。ポーは球体型ドロイドBB-8にペンダントを託して「遠くへ行け!」と命じる。カイロ・レンは圧倒的なフォースの力を見せつけてポーを捕らえる。



…という流れ、子供でも分かるシンプルなカット割りで描かれていきます。



(個人の感想→)僕がスターウォーズを見てて一番違和感があるのはストームトルーパーが兵士に見えないところなんですよ。チンタラ歩いて馬鹿みたいに光線銃をバラまいて、テキトーに死んでいく。相手が戦闘能力の無い民間人であったとしても、人間が戦ってるように見えない。



そんな無機質なストームトルーパーなんですけど、1人だけやたらと大袈裟な芝居で人間味を強調する奴が登場するんですね。民間人を撃つことに躊躇したり、仲間の返り血に狼狽えたり。



このストームトルーパーは予告編でヘルメットを脱いでいた黒人キャラ(フィンという名前を付けられる)なんですが。アーマーを着たフィンの感情表現って、戦場の緊張感の無さとストームトルーパーに対する演出不足が下敷きにあるからこそ成立してる(理解できる)ものなんです(断言)。



率直に書くと、ストーリー展開がスターウォーズ的なゆるいリアリティと古い世界観の範疇でしか動かないから面白さを実感できないんですよ。なんで?と指摘し始めたらキリがない。



一種の幼稚さを受け入れるのが大人なんでしょうけど、世界観以外にもこの作品のシナリオに弱点が多いからノリきれないし燃えきれないんです。(←個人の感想です)



ポー・ダメロンはカイロ・レンのフォースの前に成す術がなく、帝国軍の捕虜となります。



物語は謎のペンダントを託されたBB-8の行方にフォーカスしていきます。



ポーやカイロ・レンが立ち回りを見せたのと同じ星でスカベンジャー(廃品集め)として生活している少女・レイ。砂漠のど真ん中で沈黙しているスターデストロイヤー(巨大戦艦)からパーツを取り外して業者に買い叩かれる日々。家族はいないらしい。



砂漠ですれ違った人物(異形のエイリアン)がBB-8を網に入れて引きずって歩いてるのを見て「放しなさい!」と言い、開放させます。



…他人が持ってるドロイドを勝手に奪うのは普通の事なの? そりゃまあ観客としては(可愛い上に大事なアイテムを持ってるBB-8を引きずって歩くなんて非道い!)と思ってるだろうからレイの行動は間違ってないんでしょうけど、雑魚キャラには雑魚キャラなりに行動原理が欲しい。レイとBB-8の出会いがこんなにアッサリ(たまたまというか運が良かっただけ)で良いのかな?と思いました。



カイロ・レンはポーをフォースで拷問し、ペンダントを隠したドロイドの存在を吐かせます。このフォース拷問描写はフリになってる上に新鮮だったんじゃないでしょうか。



レイが再びジャンク屋に赴くと、店主から「そのドロイドならこれだけ(大金)を払うぞ」と提示されます。レイは悩まし気な顔をBBに向けて「悪いわね」とつぶやきます。



そして「売りものじゃないわ」と続けて大金を諦めます。ここの緊張→緩和演出は見事でした。



ストームトルーパーの黒人ボーイは相変わらず苦悩していて帝国軍兵士としての意義を見出だせないままで、特に決定的なきっかけが無いままに裏切りを決意。



黒人ボーイが新兵のくせに単独行動とか、捕虜と一対一で行動できるとか、相変わらずリアリティに欠ける状況が展開。ポー・ダメロンを逃がしてタイファイターに乗って逃走する流れもスリルが無さすぎて納得できません。帝国軍の警備はどこもかしこもゆるすぎ



あとは主要キャラを簡単にくっつけてしまう感じが面白みに欠ける。くっつける(出会う)のは構わないけど、もっとタメがいるでしょ(←個人の感想です)。



ポーと黒人ボーイ(FN-XXXXという固定番号を由来にフィンと名付けられる)は、あと一歩のところでカイロ・レンの乗る戦闘機に撃墜され、ジャクーに不時着。フィンは自分が乗っていた機体に駆け寄るが、ポーの姿を見付けられず、彼のジャケットを形見に砂漠を彷徨う。



惑星ジャクーを再び襲撃する帝国軍。レイはBB-8を奪われまいと両手持ちの棒(鉄パイプ的な)で戦う。その光景を見ていたフィンは間に割って入り、レイを救おうとする。レイの棒さばきは見ててフレッシュだったんですけど、特に伏線にならなかったから残念でした。



ジャクーにはなぜか宇宙船が沢山駐められているのでレイとフィンはそれを目指してダッシュ



「あの船は?」「あんなオンボロ船ダメよ!」「じゃああっちの船!」



目の前で船が大爆発(CMでも見れるやつ)



オンボロ(ミレニアムファルコン)に乗るしかない!



という流れ。工夫が無いとは言わないけど、主人公たちと「ミレニアム・ファルコンという象徴」があまりにもあっけなく結合するのに違和感。「出会い」までの「タメ、流れ」が存在しない。乗ってみればオンボロでもなんでもないし…



レイとフィンはジャクーから逃げられたわけですが、すぐに中型のドック船(なんて表現すればいいのかわからない)に捕縛されてしまう。そこにいたのはハン・ソロとチューバッカ。



「なぜ俺の船に乗ってるんだ」「帝国軍から逃げてきただけ!」「チューイ…家に帰ってきたぞ」「おおおおおん!」



などというやりとりがあるんですけどね。



これも「簡単にくっつく」典型で。つまり、旧シリーズファンが待ってる要素(いっぱいある)を作中に配置しようとすると、要素と要素の距離感がせまくなって、いかに作りこむかという部分に工夫を盛り込めない。本当に上手い脚本になり得ないのも致し方ないってことなのかもしれません。残念。



ハン・ソロが取り戻したかったであろう船はジャクーのジャンク屋のそばに放置されてて誰でも乗れる状態だった。意に反して船を奪われていたハン・ソロはなぜミレニアム・ファルコンを手放したままだったのか? この辺のロジックがよくわかりません。



「出会った」レイ、フィン、ハン・ソロの元に借金取り傭兵軍団がやってきて、テンヤワンヤ。ここで『ザ・レイド』に出演していたインドネシア人俳優、イコ・ウワイスとヤヤン・ルヒアンが登場。スターウォーズファンがハリソン・フォードの登場に興奮したように、私はこの2人の登場に大興奮。



しかし2人の超絶アクションは不発のままで、巨大モンスターにあっけなく食べられてました…残念すぎる。(でも後半でトンファーを使った格闘アクションが出てくるので、そこはイコ・ウワイスが振り付けしたシーンなんじゃないかとにらんでます。)



2人の扱いはともかく、巨大モンスターで大混乱に陥るこのシーンはスター・ウォーズらしい派手さがあって良かったと思います。あとはチューバッカの感情表現が良かったですね。「ジョージ・ルーカルは人物の演出がまったく出来なかった」というのも納得しちゃうほど、チューバッカというキャラが旧シリーズより魅力的になってます。



主人公たちはハン・ソロの導きで安全と思われる星へ移動。酒場を牛耳る新キャラ(眼鏡っ子)が登場。ハン・ソロの旧友だそうな。



『フォースの覚醒』は「レイがBB-8を堂々と連れ回すから帝国軍にすぐ居場所バレるんだよ」とツッコみたくなりますね。この場面でも帝国軍と通じてるチンピラがBB-8の姿を見て通報するんですよね。「うかつ」「不用意」「緊張感がない」行動をあまりにも連発されると、萎える。個人的にすごく嫌いな要素。



この酒場にはなぜかルークのライトセーバーが安置されてます。ハン・ソロが関わってる場所にそのライトセーバーが保管されてるのは、ありえなくもないので納得。このライトセーバーはキーアイテムとしてどう転がっていくのかが分からなくなったり、タメを効かせた使われ方にもなってるから面白かった部分です。



レイはライトセーバーに触れた瞬間に幻視を目撃し、ショックを受けます。この時点でレイは「横暴に立ち向かう勇気」とか「帝国軍への憎しみ」も持っていないフラットな存在。故郷に戻って、家族を待つという初期衝動に回帰するところが意外性ありました。



そしてフィンも帝国軍から逃げようとするだけのヘタレ野郎。「簡単に出会ってくっついた」レイとフィンが別れるという展開は面白かったです。だからこそ出会いにツイスト(ひねり)が欲しかったなあ。



2人が別れた直後に帝国軍が襲来。レイとカイロ・レンが対峙することになります。



そこにレイア率いるレジスタンス軍が助けに来るものの間に合わず、レイは帝国軍にとらわれてしまいます。ポーの操縦する戦闘機が暴れまわる姿は素直にカッコ良いなあ!すげえ!と思いました。



この辺りでレイアやC-3POR2-D2などが登場。おばさんと化したレイア、おじさんと化したハン・ソロが再会する場面は、問答無用、理屈抜きでジーンと来ます。どうしても役者としての人生の重みと壮大な時間の流れを感じさせられる場面なので。



挙動で笑わせてきたBB-8に加えて、しゃべるコメディリリーフとしてのC-3POが登場することで映画全体が締まります。一方でR2-D2は「ルークがいなくなってから動かなくなった」という設定を与えられています。どういうタイミングで動き出すんだろう?と好奇心を刺激してくれる設定。



さらにはカイロ・レン(仮名)がハン・ソロとレイアの息子であること、ルークがカイロ・レンをジェダイとして鍛えていたけどドロップアウトしてダークサイドに堕ちてしまったこと。などが情報として提示されます。



映画は「父親になりきれないのハン・ソロが息子ともう一度向き合う物語」になっていきます。30代男性な自分としては、この物語に心を奪われていきます。今回のレビュー、あれこれ苦言を呈してますが、自分はこの映画を見ながらトータル10回くらい泣いてますからね。



レイアがハン・ソロに向けて「ルークはジェダイ。でもあなたは父親よ」(だから自信を持って!)というセリフは超感動しました!!



カイロ・レンがレイを拷問する場面。カイロレンのフォース(意思の操作)がレイに通じない! 苦痛に耐えながらもフォースをはねのけてみせるレイの姿はめちゃめちゃカッコ良いし、改めて「うわ、この女優さんめちゃ綺麗」とか思いました。前半で見せていたポー・ダメロンの拷問との違いが、レイのキャラクターを引き立ててましたね。



レイア率いるレジスタンスはレイを救うべく球体型の帝国軍基地スター・キラーへの進撃を決定。スター・キラーってのはデス・スターの焼き直し以外の何物でもないし、ちょっとしたスキを突かれるとモロすぎるという構造的な弱点はエピソード4とまったく同じ。帝国軍ってのは過去の敗戦から何も学んでないのかな? 馬鹿なのかな?



ディズニーに「SWファンは旧シリーズと同じ事を繰り返していれば喜ぶ」って思われるのは損だと思うんですけどね。何十年後にエピソード10が4・7と同じことやってたら笑いますね。



レイはレジスタンスが自分を助けに来てくれていると知らず自力で脱出を試みます。しかし、拘束されている状態からフォースを使って抜け出すところは…「今まで見たことがない」ものではあるけど、もうちょっと演出をしっかりしていれば「すげえ!」感を掘り下げられたはず。甘いぞJJ。



スター・キラーを覆うシールドは割と簡単にOFFることができ、ハン・ソロやフィン達は敵の基地内部へ。レイが逃走した事を知ったカイロ・レンは激怒して「早く探せ!」などと暴走。



艦内に監視カメラとかまったく無いのかな? 馬鹿なのかな? と思っちゃいます。カメラが無いのは良いけど、一度も見つからないままにフィンとあっさり合流したのは「なんじゃそら」と思いました。シールドの除去もレイの逃走にまつわるスリルも、制作陣は「そこ」に面白みを見出だしていないから演出が質素すぎ。



結局ハン・ソロとカイロ・レン(本名はベン)が対峙して対話するシーンに集中しすぎて、前後のシーンでいかに面白い(熱い)ことを出来るかには気持ちが向いてないとしか思えないゆるさ。(←個人の感想です)



息子と対面したハン・ソロは説得を試みます。ベン=カイロ・レンは父親の説得の言葉に涙を浮かべますが(え、そういうキャラなの)、ライトセーバーで父の腹部を一突き。



まあこの場面も、「おまえらが個人的なトークしてる間に周りの状況はヤバいことになってるはずなのに物語としては停滞しちゃってますよ」問題が発生してます。テンポが悪い。



ポー・ダメロンがスター・キラーのコアを破壊したものの、全体が瞬時に爆発するわけではなくゆっくり崩壊していく。地割れが起きる地表でカイロ・レンとレイがタイマン。



このタイマンバトルではライトセーバーを駆使するカイロ・レンに対し、レイは棒で対抗。棒が折れたところで、レイが「まだ戦える!」って感じの意地を見せてほしかったですね。二刀流みたいな。



劣勢だったレイが奮起して反撃するのはプロレス的な展開としても当然なんですけど、レイの力を引き出すきっかけ(トリガー)がカイロ・レンが口にした「フォース」という単語なんですよね。



レイの反応を見る限り、「フォース」という単語を耳にしただけで彼女の中の才能が覚醒したように感じられる演出になってる。この演出は思いっきり肩透かし食らいました。ハッキリと「だっせーな」と思いました。呆れました。



その直後、ルークの形見ライトセーバーをカイロ・レンがフォースで手元に引き寄せようとするところで、彼を上回るフォースでレイが対抗するところは、燃えたし泣きました。中盤の伏線が効いてた。



しかし問題はカイロ・レンが弱いところ! レイやフィンと戦っても彼の強さが全然見えない。旧シリーズのダースベイダーのような存在感のあるヴィランにはなりそうにないな、という半端さに終始。今作を見た多くのSWファンは「なぜカイロ・レンは弱いのか」という疑問に対しての答えを探しているみたいですけど、原因の多くは「監督の演出に力が無いから」だと思います。



タイマンは地割れによって不透明決着。これはこれでアリだと思います。取り残されたレイの元に、チューバッカが操縦するミレニアム・ファルコンが現れて、スターキラー壊滅。イェーイ。



レジスタンスの本拠地にやってきたレイはレイアと無言の抱擁。下手なセリフを排除したところは非常に良かったですね。泣きました。



R2-D2がこのタイミングで、なんとなーく起動したように見えるのはすごく残念。ストーリーの都合とか色んな事情で、脚本家がよきタイミングで起こしたようにしか見えない。これも演出不足!! BB-8が近くに来たのを感じての起動とかなら理解できるけど、タイミングを待ってただけにしか見えないから萌えない。



R2-D2がプロジェクターとなって投影した2Dの宇宙地図に、BB-8がピースをはめる。「なるほどルークはここにいるのか!」って展開なんですけど。「BB-8の地図だけでも分かりそうじゃない?」と思いました。こういう細かい部分の詰めが甘いから子供向けだなーと。



ラストシーン、待ちに待ったルーク・スカイウォーカー再登場。断崖でレイと対面するルークはエピソード4のオビ=ワン・ケノービを思わせる歳のとり方。ルークは真のジェダイを育てられるのか? この2人は赤の他人なのか? それとも…



この想像力をかきたてるラストシーンは良かったですね。



トータルで振り返ると。ストーリーのポイントからポイントへ移行していく間の演出が弱いし、燃える展開をもっと盛り込めたはず。流れは悪くないけど、演出が弱い。天下のスターウォーズがこの程度の甘いシナリオ/演出で良いんかな?と思いました。



「新キャラクターが良い!」と言われてますけど、カイロ・レンは無駄にメンタル弱いし戦闘力も中途半端で、エピソード8で軌道修正しないとヤバいでしょ。フィンは凡人っぷりしか伝わってきてないから感情移入しやすいキャラとして使われるんでしょうけど、分かりやすい長所が無いとキビしい。



ダークサイドの大ボス・スノークアンディ・サーキスが演じている)はルックス的にガーディアンズ・オブ・ギャラクシーとかぶってるけど残忍な性格とかの押し出し方では明らかに個性不足。



しかしデイジー・リドリーさん演じるレイは最高! 綺麗で可愛くて強い! 今作の時点で彼女のバックボーンはまったく謎で、それでいて最高なのに…「実はルークの娘でした」とか後付けの設定で「なぜ強いのか」という部分に理由づけしていくのはすごく無粋だと思う。そこが心配です。



エピソード8の監督はライアン・ジョンソン。『BRICK』と『LOOPER』という傑作サスペンスを生み出した実力派映画作家なので、JJエイブラムスに欠けていた部分をちゃんと補強した上でスキの無いSFにしてほしいです。



色々と文句を書きましたが、10回くらい泣いた『フォースの覚醒』でした。以上。

ベテラン

ベテラン


を見ました。2015年12月12日、新宿シネマートにて。


http://veteran-movie.jp/


アクションに定評のあるリュ・スンワン監督が撮った『ベルリンファイル』以来の新作。主人公は暑苦しさと爽やかさを兼ね備えた国民的兄貴分ファン・ジョンミン。





最初に書きますけどこの映画、2015年のマイベストムービーになりました。100点満点でいえば100点でした。最高でした。


最高でした!


ベテランを楽しむためにリュ・スンワン監督作品をレンタルDVDで見ておさらいしたわけですが、結局のところ『ベルリンファイル』の完成度が突出していて、それ以前の作品は荒削りだったり稚拙さが目立っていたりで。


つまりリュ・スンワン監督は自分にとって重要な存在ではなかったのです。勧善懲悪とか痛快といったキャッチフレーズにどことなく不安を覚えてもいたのに。


それでもなお、今年ベストの感動を与えてもらえるなんて。想像を大きく超える大傑作でした。なので皆さん観に行ってくださーい!


と言われて素直に見る気になる人は少ないと思うので、おさらいしていきます。


『新しき世界』から飛び出してきたかのような派手な白スーツ姿で高級車を物色する男(ファンジョンミン)。その隣にはサングラスをかけた馬鹿っぽい女。


1台のベンツに目を付けてお買い上げ。男は車内の要所要所に目を光らせながら成金バカップルの芝居を続ける。


ベンツを買って即発進、女は茶髪のカツラを脱ぎ捨てる。2人は警察の捜査の一環として身分を隠していたらしい。一方、車を販売していた業者はベンツに付けていたGPS装置を起動させる。


怪しい風体の男2人組が、ドチョル刑事(ファンジョンミン)が買ったベンツを駐車場で発見し、そのまま盗み出す。ベンツは工場に持ち込まれ、車体番号プレートを交換されたり走行距離をリセットされたりする。組織的なクルマ泥棒(G.T.A.)である。


窃盗団がトランクを開けると中からドチョルが飛び出してくる。工場の片隅で小便を放出。戸惑う窃盗団に手錠を放り投げる。「ほら、それをはめてろ」


素直に従うはずもなく肉弾戦へ雪崩れ込むわけですが、やっぱりリュ・スンワン作品のアクションは素晴らしい! 笑える瞬間の数々、スピード感、色んなアイテムを駆使するジャッキーチェン的な発想力、アクションの中に垣間見える主人公のキャラクター。ファン・ジョンミンも現在45歳とは思えない元気さでバリバリ動いてます。


綿密すぎるくらいに完璧にデザインされたアクションシーンを終えて、窃盗団を尋問。


非アクションシーンにおいても笑いとサスペンス性が同居していて非常に密度が高いんだよなー。


さらには伏線の張り方が巧妙でわざとらしくないから、無駄な情報がほとんど存在しない。圧倒されました。


国内の窃盗団を締め上げて取引相手のロシア人の情報を得たドチョルは、そのまま取引現場で待ち構えて逮捕を狙う。カラッと明るいアクションシーン第二弾。


物語が本題に入る前にアクションシーンを2発。バランスとしては少しイビツなんですけど、アクションに対する誠意がヒシヒシと感じられるし、アクションのためのアクションじゃなくてキャラクターの掘り下げとか伏線とか、すごく有意義なんですよね。



本題というべき「巨悪が引き起こす事件」なんですが、その全容を終盤まで明かさないところがサスペンスとして上手いですね。最初は「自殺の原因が悪役にあることを立証する」という目的だったのが、変容していく。



本題の事件が起きた時に「警察はこの事件をどうやって立証するんだろう?」と思ったのですが、解決に至るまでの紆余曲折が丁寧に描かれていきます。



友人の不遇の死、取り残されてしまった小さな息子。被害者の背景描写も的確。主人公が自分の子供を溺愛する様を前のシーンで描いているから、友人の子供が放っておけないし、ただの義理だけで事件に挑むわけではないという事が分かる。



加害者側の描き込みは本当に見事。韓国映画の悪役は遠慮がない!まだ20代のユ・アインが演じた「財閥のボンボン」テオは、登場した瞬間から最後までイヤな奴としての深みを増し続けます。同情の余地なし!どこから見ても非道。



一方で主人公ドチョルは単独捜査で所轄の刑事から情報を得ようとするも、突き返されます。この、「主人公が様々な壁にぶち当たる」という展開の前後から既に「クライマックス超感動するんだろうな」という予感がビンビンに感じられるんですね。



悪役テオはドチョルの妻に接触し、夫が捜査に介入しないよう働きかけることを要求。主人公に家族がいて、それに対抗する悪役の取る手段として予測できる範囲の展開なのですが、ここでドチョルの妻が見せるリアクションが…たまらん!



こういうベタなシーンでも、セリフだったり行動とリアクションがものすごーく新鮮だからこの映画は凄い!!



「あの男と結婚した事を後悔してる。これ以上後悔する事はないわ!」



と、場所が場所なら拍手喝采が起きそうなセリフを言い放ってくれます。でもその直後のシーンで、妻はドチョルに発破をかけるんですよね。「あの男に買収されそうになって何が恥ずかしかったと思う? 札束見た時に心が揺らいだ事よ!」と、人間味を感じさせる描写を盛り込みながら、ドチョルの気持ちに作用するような展開を取り入れていく。上手すぎる。



妻への買収提案を知ったドチョルは怒りのあまり、外国人との会食を楽しんでいる途中のテオに宣戦布告。



「警察官がこんな事をしたら韓国のイメージはどうなると思う!」

「ガタ落ちだろうな(それでも俺はおまえを捕まえてみせる)」



このやりとりは最高!!リュ・スンワンはベタで熱い作品も数多く残してる人ですが、元々持っていた熱い魂にシナリオの技量が追いついた感じがして、いよいよこのレベルまで達してしまったのか!と感慨深いものがありました。



単独行動が多かったドチョルが、とある人物に聞き込もうとする辺りから刑事側のチーム感が一気に濃厚になってきてこれまた最高にアガる展開。



そして『ベテラン』の凄いところは、警察側のチーム感が2段階になっているところ。



ドチョルが所属する班はオ・ダルスをチーム長とした5人組。彼らは一心同体の強い絆で結ばれているのですが、ドチョルの直情スタイルは上司になかなか理解されません。主人公の熱意に対してカウンターな存在であるのが組織全体の空気、というのは刑事ものとしてよくある構図。



しかし聞き込みの際にドチョルの後輩が刃物で刺されたところから、ドチョル達を抑圧していた上司が一気に態度を変えて「テオ許すまじ!」モードに変わるのです!!



ドチョルにズームしながら



「よーしこれで形勢逆転だ!」



と言うカットを見た瞬間の高まりは…自分の中でとんでもないレベルになってました。多分この時点でボロボロ泣いてましたね。



テオ側は圧力と買収がうまく機能せず、テオの右腕的存在の(ユ・ヘジン演じる)チェ常務を自主させて事件の沈静化を図ろうとします。この事をきっかけに、なんだかんだでドチョルチームは解散の危機に陥ります。



さらに上司の態度がまた消極的モードになって。ドチョル(と観客)がストレスを感じる展開になるんですけど。



ここで序盤から「どうでもいい事件」の象徴としてちまちま描写されてきた「賭博団」を伏線として回収、『ベテラン』という映画はまたもや一気にボルテージを上げてくれるのです!!!



この展開も「休暇をやるってことは勝手に捜査してこいって意味だよバカヤロー!」という、日本のサスペンスでもよく見られそうな「ベタ」ネタなんですけど、タイミングと密度とテンポが素晴らしいから心が異常に高揚してしまうんですね。



終盤以降はリュ・スンワンの創作性を見せつけられて号泣しっぱなしでした。



後はクライマックスらしいクライマックスに突入して、ちょっとしたひねり展開もあるにはあるんですが、派手なカーチェイスからのアクションシーンへ。



個人的に残したメモはこの辺りで終わってるんですけど、積み上げてきた期待を一気に解消してくれるような、とにかく熱すぎるアクションにただただ圧倒されるばかり。サービス精神と新しさに満ちた見事なアクションに酔いしれました。



勧善懲悪でベタでハッピーエンド。2014-2015年の映画にしては時代遅れとも見られそうな刑事ものなんですけど、リュ・スンワンの技巧と熱意がたっぷり詰まった傑作映画!超オススメでございまーす!!



物語としてはストレートなんだけど、シナリオ技術に魅了される、という意味では『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を連想しました。ドチョル達はさしずめ、韓国社会を守る正義の守護者。ガーディアンズ・オブ・コリアなのです!

グリーン・インフェルノ

グリーン・インフェルノ



を見ました。



http://green-inferno.jp/



意識高いアメリカ人学生がトラブルでペルー奥地のジャングルで遭難。食人の風習を受け継ぐ部族に拉致されて食べられてしまう話です。



脚本監督はイーライ・ロス。2005年のゴアスリラー映画『ホステル』で一気に注目された悪趣味全開の映画作家です。役者としても活躍しており、自身の監督作や、クエンティン・タランティーノイングロリアス・バスターズ』などに出演。








イーライ・ロスが目をつけた題材はモンド映画。世界に衝撃を与えた『食人族』を現代風に再構築してみせた今作は、彼にとって2007年『ホステル2』以来6年ぶりの長編監督作品となりました。



構想期間が長かっただけあって、The Green Infernoは本当に素晴らしい映画でした。ハードコアでエクストリームでブラックユーモアに満ちているようなエグい映画なんですけど、シナリオ構成の醍醐味が凝縮しているかのような見事な出来栄えに感動しまくり。思い出すと涙が出そうになります。



どんなに素晴らしいのかを、順を追って読み解いていきたいと思います。ネタバレ注意!!



ジャングルをそろりそろりと歩く足音、フェードインする人間の素足。そのリズムだけで既に緊張感が漂うのですが、その人物は老人と子供。緊張の緩和。フェードインしてくる機械音に二人が目を凝らすと、その先にはパワーショベルで森林をなぎ倒す白人男。



空撮で映された広大なジャングル風景をバックにタイトルロール。THE GREEN INFERNO



ベッドで目覚める若い女性。カーテンを開けて外を見ると、30人ほどの集団がデモ(ハンスト)で環境破壊へ抗議の声を上げている。もう一つのベッドで眠っていた別の女性が目覚めて不機嫌さを表明。「ハンガーストライキ?そのまま餓死してくれればいいのに」



主人公ジャスティンは大学へ向かう途中でもデモ集団を目にする。ギターを弾く男と一瞬目が合うが、ルームメイトのケイシーは彼らへの差別意識を露骨に表す。しかしジャスティンの中にはデモへの共感が生まれつつあった。



こういう脇役を的確に配置する事で主人公への感情移入を誘導するところが巧み。しかし差別表現もリアリティから逸脱していない、ふとしたきっかけで同調に心が傾いたり、あるいは自分の価値観を疑うようになる、そんなバランスの問題に切り込んでいるからこの映画は凄い。



大学の講義でジャスティンはアフリカや中東で行われる女性の割礼習慣について学ぶ。(女性器切除でググろう)



日本で生まれ育った自分としては酷い風習だと思うし同情を喚起させられる描写なんですが、本質を理解せずに安易に批判・糾弾するのはナンセンスなんだと思います。



当事者の女性たちは「国連さん介入してくれよ、こんな風習撲滅してくれよ」って思ってるかもしれませんけどね。



この講義シーンではジャスティンの背景がひとつ明かされます。キャラクターの描き込みも流れに沿った形で提示されるからナチュラル。伏線としても強調しすぎていない。



ジャスティンはデモ隊の一員に誘われて集会に参加するものの、何気ない一言でリーダー・アレハンドロの機嫌を損ねて退席を命じられる。拒絶されたことによって、ジャスティンは自分がデモ隊への参加を熱望していることに気付く。



好意的なデブキャラ・ジョナの口寄せもあってジャスティンはアレハンドロが主導するペルーでの森林破壊抗議デモに参加することに。



企業による圧制の現場でスマホ片手にライブストリーム配信するのが現代的デモ活動。「とにかくカメラを向けて恥だと思わせろ」とアレハンドロは傲慢さが透けて見える姿勢を露呈する。



アメリカを飛び立ってペルー入り。現地でアレハンドロ一行を歓迎するチャラ男・カルロス。彼の用意した小型機で現地へ出発する直前にジョナがジャスティンとツーショット自撮りして浮かれてるカットとか笑えます。



スラムに近い町に到着した一行はレストランで方針を確認。「この先には傭兵が銃構えてるけど、スマホで撮ってやればこっちのもんだから」とか言い始めるアレハンドロ。スマホは銃よりも強し、とでもいうような滑稽な理論を持ち出します。



「え、傭兵この辺にもいるの?」「そんな説明なかったじゃないか」と漏れる不満に対して「帰ってもいいぜ? 最初から強制はしてないからな」と言い放つアレハンドロ。一行を取り囲む空気が一気に重くなる。



物語の流れを作りつつも、各キャラクターの掘り下げを丹念に施していくイーライロス演出。それが後々伏線としてしっかり回収され、うわあ…という胸糞悪い展開を生み出す。素晴らしい。なのであらゆる情報を見逃さないように。



ショボいモーターがついたボートで河を上っていく一行。途中でジャスティンとラーズがトイレに行きたいと言い出す展開は全体の流れや伏線としてはあまり機能していないんだけど、ギャグとしては最高。ホステル2でも観客を驚かせたあのモノが登場します。



伐採の現場に到着すると一行は木々や重機に自分の体を縛り付け仮面を装着。全員がスマホカメラで動画撮影しながらのライブ配信を開始。傭兵たちは銃を突きつけるものの、手が出せない。



ところがジャスティンに配られた南京錠は機能せず、彼女は傭兵に捕らえられます。ただのデモ活動だったはずが異国の地で味わう死の実感。



そこでリーダー・アレハンドロがビシッと一言!「彼女の父親は国連職員だぞ!」「こいつらは国連に銃を向けてるぞ!」



ジャスティンはアレハンドロの言葉に愕然とします。アレハンドロが自分を勧誘したのは、個人の資質を見抜いたからではなく父親の肩書きを利用するためだったからなのです。



地元警察に拘留された後で即座に釈放されるデモ隊。飛行機で強制送還されます。アレハンドロの切り札が功を奏した形で、動画配信への反響は爆発的。「CNNがリツイートしたぞ!」などと喜ぶデモ隊連中。



その中でジャスティンは喪失感とアレハンドロへの恨みで沈痛の表情を浮かべている。アレハンドロは悪びれる事もなく勝利の歓喜に浸っている。



しかし彼らの乗っている飛行機のエンジン部分から発火し、大混乱の最中で見事に墜落。この墜落描写の中だけでも色んな死に方を見せてくれるイーライロス、信頼できる男です。



生き残った面々は全身にカラーペインティングを施した謎の部族によってあっという間に捕縛され、部落へと連行されていきます。大人も子供もジジババも大喜び。見方によっては大歓迎されているようにも見えるところが面白い。



こういった少数民族を保護するためのデモを行ってきたはずの一行とはいえ、言葉がまったく通じない相手にはどんな理屈も通じない。



ニワトリや豚と同じオリにぶちこまれる一行ですが、衰弱状態のジョナだけはオリに入れられない。彼は部族が差し出す液体を飲み干す。「Thank you...Thank you...」



台に乗せられて両手両足を子供たちによって拘束されたジョナ。恐怖に狼狽する彼の元に近付く隻眼の老婆(族長)。指先でジョナの眼球をほじくりだし、そのまま自分の口に放り込みます。



この瞬間、観客はこの部族が人食いの習慣を持っていることを知ると同時にグリーンインフェルノが「そういう映画」なんだという事実に直面するのです。実際のところ観客の95%は「この瞬間」を見に来ているとはいえ。



族長は特権である目玉食いを2度行った後でジョナの処分をスキンヘッドの男に任せる。まだ死なせてもらえないジョナは生きたままナタで右腕を切断される。



続いて右脚、左脚、左腕とぶった斬られていくうちにジョナは絶命。最後は首を落とされ、雑な解体ショーが完了。



それを見ていたジャスティンたちは絶叫の大合唱。アレハンドロは絶句しています。



解体の前後(どっちだっけ)に、族長が「神からの恵み物だ!」と快哉の雄叫びを上げるのですが、この映画で部族が話す言葉に字幕テロップを入れる必要は無かったと思います。最後まで何言ってるかわからない(けどなんとなく分かるから怖い)という体裁を保ってほしかった。



ジョナの肉体はテキパキと解体され完全に食材として扱われます。胴体からは内臓が取り出され、土釜でロースト。腕や脚には下味として塩が塗り込まれていきます。



ジャスティン達の視点から見ると「自分達を食べようとしている非道い奴ら」なんですけど、部族民の表情はあくまでもピュアで、狂人じみた演出はまったく為されていません。



調理してる姿や人肉を食らう様子からは、神の恵みをありがたくいただこうという感謝の気持ちすら伝わってくるのです。この辺りが単なるホラー映画の枠を超えた凄みや誠実さを今作に感じるゆえんです。



ジャスティン達の生き残りは5人。なんとか脱出しようと策を巡らせるわけですが、アレハンドロは無気力。



アレハンドロが諦めモードになるにはちゃんとロジックがあって、結果的に色んな意味でのクズ野郎に変貌するところがマジで最高!!



仲間全員から三行半を付きつけられてもなお魅力を放ち続けるこのキャラクターは素晴らしいです。是非皆さんも映画館で彼のクズっぷりを堪能してください。想像を絶するクズです!



このままじゃ全員食われるぞどうする?というシチュエーションからどのような展開を盛り込むのか。最後までテンポが良く無駄のない構成には本当に感動。イーライロス6年ぶりの監督作ともなれば気合いが違う!



飛行機事故というアクシデントによってもたらされた惨事というのはちょっとズルい気がしていたものの、そこに関しても理由がちゃんと提示されるところが本当に見事。そこをクリアしてるとこの映画は本気でスキがない。



オリに入れられたデモ隊連中を見張ってるのがたった一人のおっさん(吹き矢持ち)というところは緊迫感を殺いでいる感あるけど、それを相殺する結果を用意してるからバランス感覚も秀逸。



書き方が急にぼんやりとしてきたのは、この先の展開をこういう場に書きたくないからです!



序盤のネタフリがどういう形で結実するかをしっかりと見届けてほしい!言うなれば「誰が、どんな死に方をするのか」を見てイーライロスの感性と向き合ってほしい!内容は悪趣味ですけど、とにかく脚本が緻密。



一人くらい○○する奴が出てもおかしくないけどどうなるかなー?と予測していたら、その期待にきっちり応えた上でこちらが及ぶべくもない創造性に満ちた展開を見せてくれるのです。感服ですよ。



あのキャラクターが味わった「食われるかもしれない」以上に深い絶望の描写や、とあるアイディアで危機を乗り越えようとした結果示される「バチが当たった」感。



ただの露悪趣味だけでは描けないレベルのキャラクター造形に深く感動しました。



異国で大地震に巻き込まれたら人はここまで追い込まれる、という題材のパニック映画『アフターショック』もイーライロスらしい技巧がてんこ盛りの脚本だったのですが、グリーンインフェルノはアフターショックを凌駕する完成度だと思います。



うわあ…と思わず口にしてしまうような胸糞悪い展開が続くグリーンインフェルノですけど、嫌悪感をより深めるためにイーライロスが見せる手腕は文句なしに一級品。まだまだ、もっともっと胸糞悪い映画を世界に放出し続けてほしい! この映画マジでオススメ!!

007/スペクター

007/スペクター



を先行上映の初日に見てきたのですが。前作スカイフォール同様に「なんだこれ?ひどいシナリオだな」と思ったので頭から振り返ってみます。



http://www.007.com/spectre/?lang=ja



オープニングシーン。前作同様、ジェームスボンドはどんな目的を持っているのかも提示されずにメキシコにいます(アクション映画ではよくある事)。

「死者の日」という祭日のために街は人でいっぱい。 今まで見た映画の中で最大規模の「死者の日」シーン。モブの人数が多すぎ。しかも全員が仮装している。すごいスケール。

しかもメキシコの1stカットで2分はあろうかという長回し。「おっ、いいじゃない」と想いました。まあ、芝居らしい芝居もないしアクションするわけでもないんですけどね。

ホテルのバルコニーから出てビルの屋上を歩いていくボンド。向かいのビルにいる男たちの会話が聴こえてくる。いつ盗聴器を仕掛けたのか、その男たちは誰なのか、そういう些細(じゃなくてけっこう大事)な情報は全部すっ飛ばすのがこの映画。

「スタジアム爆破計画の情報を得る」「キーパーソンである『ペイルキング』の名前が出る」と、ボンドは向かいのビルの屋上(とても目立つ場所)から室内の人間を射殺。なんで殺したんですかね。悪い奴だからか。

流れ弾がブリーフケースに当たったからか、男たちのいた部屋で大爆発が発生。テロとしか思えないレベルの爆発なんですけど原因を描こうとしない。誰かが意図的に起こした爆発なのかも分からない。そういうのはサム・メンデス監督にとってどうでもいい情報に分類されるみたいですよ。派手な画が見れればいいじゃんそれで、ってスタンス。

崩壊したビルを避けたボンドは部屋にいた白スーツの男(あの大爆発を生き残ったんだね!)を追いかけます。白スーツは仲間がよこしたヘリコプターに乗って逃げようとするのですがボンドが追いついて飛行中のヘリ内で格闘開始。

このヘリ内アクションはヤバいです。良い意味で。いつ落ちるか分からないスリルがスパイスになっていてかなりのスリル。パイロットにも攻撃を仕掛けるボンドのせいでヘリは上下逆さまになったりして、メキシコ市街の大群衆を恐怖に陥れるのですが、なんだかんだでボンドが生き残ります。

このヘリ内アクションでボンドは白スーツ男が付けていた指輪を奪い取ります。この指輪は世界で暗躍する闇組織スペクターに所属していることを示す重要アイテムなのですが…なぜボンドが指輪に目をつけて格闘の最中に奪い取ったのか、まったく理由が分からない。

もちろんこの格闘シーンも、ボンドが何を目的にしているのか分からないので、ひたすら逃げている相手を追いかけて殺そうとしている狂人にしか見えない。相手の素性も分からないから爽快感もない。

後のシーンで「前作で死んだMから『殺して』と頼まれていたから」という理由が提示されるのですが、物語のきっかけを前作で死んだキャラクターに押し付けるのはズルいし、ダサい。Mってそんなキャラ(ボンドに人殺しを頼むババア)なの? そんなテキトーな遺言でホイホイ人殺しに行くボンドって人間としてどうなの?

最初のアクションが落ち着いたところでオープニングタイトルがスタートするのですが、これが異様な美的センスに満ちた奇妙な代物で! ボンドが奪った指輪にはスペクター(SPECTRE=幽霊の意味)のロゴマークが刻印されているのですが、このロゴがタコ(蛸)に見えなくもないということで、巨大なタコをモチーフにしたイメージ映像なのです。

裸のダニエル・クレイグ(笑える)、その周りを取り囲む女たち、過去作に登場した数々のキャラクターたち。それらをまとめあげるタコ! 集大成を思わせるような構成なのですが思い入れがないのでピンと来ません。作中の流れの中で伏線回収できないからって、目配せ程度のイメージを見せてれば007ファンは納得するんですかね。

メキシコで騒ぎを起こしたボンドは停職処分に。停職だろうがクビだろうがテキトーに世界を周遊してるボンドにとっては痛くも痒くもないように見えます。仲間たちが不遇を背負わされようが常にクール。なぜなら彼は007シリーズ主人公であり、必ず勝利するから。

停職になったボンドはテクノロジー担当というかガジェット全般を担当するQという眼鏡ギークキャラに会いに行きます。

ここで後の展開に登場する様々なアイテムが提示されるんですけど、伏線を張る作業としては至極ヘタクソで快楽につながり得ない。クライマックスで爆弾になる腕時計なんか「それ、アラーム音が大きいからね」とか説明していて、バレバレで白ける。予測させておいた上で裏切るならまだしもそのまんまですからね…

ボンドが体内にナノマシンを注射され、世界の何処にいても居場所がトレースされる状態になるくだりもしょうもない。Qもボンドも当たり前のように施行してるから「君たちナノテクで自由奪われるのに抵抗感ないの?」って思う。思うよね普通?

そのナノテク追跡機能を逆手に取る展開とか、この段階では予想してなかった驚異的デメリットにボンドが苦しめられる展開とかまったく無い。GPS機能がついた携帯電話で済むような要素をわざわざ取り入れる意味がない。

Qの元から盗み出した秘密兵器つきスポーツカーでイタリアのローマを疾走するボンド。なぜボンドがローマにいるのか、これまた分かりません。

とにかくこの映画、ボンドが何を考えているのか、何を目的に行動してるのかが分からない時間が長すぎる。

ローマでは葬儀に出席中の未亡人に接触をはかるのですが、近付いて拒否される。でも戦闘能力を示してから甘い言葉をささやけば女はすぐ落ちます。なぜなら彼はボンド…ジェームスボンド!

そもそも、この未亡人に接触するために見張りを当たり前のように殺しまくるんですけど、人の命を奪う事への抵抗が全く感じられないのが…やっぱり違和感あります。銃を撃てばほぼ必中。敵の銃は絶対に当たらない。なぜこれほど強いのかというと生誕50年を迎える人気シリーズの主人公だから。

こういった「主人公だから、ボンドだから、負けないし強いしモテる」っていう基本設定に脚本家が最初から最後まで甘えてるんですよ。まったく感情移入できない。こんな姿勢でシナリオ書いてたら50年の歴史を重ねてきたこのシリーズも若い世代に見限られますよ。

未亡人(オープニングの白スーツの妻)とのセックスで情報を得たボンドは、未亡人をやり捨て。謎の組織スペクターの会議場へ。どうやって潜入するのかと思ったらスペクター指輪を見せるだけで入場を許可されます。

場内ではスペクター所属の会員たちが実行してきた悪だくみを発表し合ってるのですが、この内容も幼稚でくだらない。ちょっと世相を操作して金儲けしました、程度のスケール小さい奴らばっかり。

ここで今作のラスボスであるクリストフ・ヴァルツが登場するのですが、彼のキャラクターを立てるアプローチがぬるい!

「声を上げずに側近の耳元で囁くことで自分の意思を表示する」という演出は、俺が『新宿オニごっこ』でやったやつ!つまりダサい!ささやきによって展開につなげたりキャラ掘り下げるならまだしも、特に意味ないからくだらない。(新宿オニごっこはちゃんと展開考えてるよ!)

ヴァルツが演じるオーベルハイザーは、昔の事故で死んでいたと見なされていた人物だそうですが、今作で初登場したキャラクター(過去作に出てた?知らんけど)が死んでいたとか実は生きていたとか、本当にどうでもいい話。掘り下げるべき背景はそういうところじゃないだろ!

オーベルハイザーは会議場にボンドがいる事に気付き(正面突破すりゃバレてるの当たり前だ)、気付かれたボンドはヤベえ!と逃げる事に。

やはりこの場面でも、ボンドには慎重さもないし恐怖もないから緊張感がない。つまらない。逃走アクションも乗れない。主人公だから絶対逃げ切れる。

ここでボンドを追うのは元プロレスラーのバティスタ(バウティスタ)。スペクター内で唐突に頭角を現したキャラクターなのですが、登場シーンからしてダサい。この映画はキャラを立てるというアプローチがどれもこれもセンスない。ひどい。

ボンドとバティスタの1対1カーチェイスが行われるのですが、アイディアに乏しくて引きがない。ボンドは新型車に搭載されたオプション機能を駆使して逃げ切る事に成功するんですけど、そのオプションというのが後方への火炎放射と飛行機に付いているようなパラシュート式の脱出機能

なにこの平凡な機能…つまんねえ。ギャグにすらなってない。アホらしい。過去作へのオマージュなのかもしれないけど、くだらないよそういうの。

カーチェイスしながらボンドはQに電話して話を進展させます(あれこれについて調べておいてね、みたいな命令)。これは良いなと思いました。

しかし気ままなボンドに引っ張り回されるQやマニーペニーの狼狽っぷりがまったく伝わってこないのが駄目。彼らを含める元MI-6組が社内闘争に巻き込まれて子供じみた不満を上げてるだけにしか見えない。ましてやボンドと別行動してるから生き死にとは無縁の立場に立ち続けているから「それ単なる権力争いじゃん」って。

ボンドの居場所が上にバレたらヤバいぞ!?という(バレるかバレないか)サスペンス性も皆無だからぬるぬる。

ボンドの次なる旅行先はどこだっけ? またも(ボンドさん何しに来たの?)状態なのは一緒。

よくわかりませんが白髪の老人(過去作のキャラっぽい)と会ったボンド。ボンドが次の旅行先へ行く前に知るべき情報をすべて吐き出した老人は拳銃で自殺。緊迫感ないし、じいさんに拳銃を持たせたボンドには罪悪感ないし。平坦。

このタイミングで「ボンドの暴走をいさめていた上司(M)がボンドを擁護する場面があって、「定番の展開だけど良いなあ」なんて思ったんですけど、フリも何もないから唐突さは否めない。同じようなジャンル、同じようなシチュエーションでもっと燃える描写いっぱい見てきたでしょあなたたち!

今度のボンドはオーストリアへ移動してモダン()な建物に入っていきます。そこにいる女性医師に馴れ馴れしく近づくボンド。チャラい態度で問診を受けます。

あ、なるほど。どのシーンもボンドがニヤニヤしてるからムカつくんだ!物語後半だぞ?

女性医師=はちょっと前にボンドの前で自殺したじいさんの娘だそうです。言動が不穏当なボンドを追い返した女性医師でしたが、直後にバティスタが彼女を誘拐。その姿を見たボンドは追いかけます。

このアクションシーンのきっかけになる流れもカッコ悪いよなあ。ボンドが常に余裕ぶってるのは結構だけど、自分の不注意(なめた姿勢)で周囲に危機を何度も呼びこんでるのに一向に反省しない。成長しない。ずっと馬鹿。でも主人公パワーで負けない。くだらない。

車で逃げたバティスタを大きめのプロペラ機で追うボンド。決定的なアイディアもないままなんとなーく追いかけて、救出成功。印象の薄い、冴えないチェイスシーン。なんのためにさらおうとしたのかも分からない。しいて言えば「女医をボンドに近づけるため」なんでしょうね。くだらない。

ツンツンしてた女を救ってやるとすぐなつく、という使い古されたパターンに乗っかってボンドに同行するようになる女医のセドゥさん。「すぐなつく」というのはちょっと誇張か。しばらくはボンドを信用しないスタンスをキープしてましたけど、ね。

セドゥは父親との思い出の地にボンドを案内し、そこで次の目的地を知ります。移動して情報得て移動して情報得て移動して…これの繰り返しに、金かけたアクションシーンを折り込むだけの単調さ下手と言わずしてなんと言おう? ボンドは主人公の威光で常に正面突破するだけだしなあ…

列車で移動中のボンド&セドゥ。セドゥさんってば、ちょっと派手めのドレスを着た直後から急にニッコニコの女の子モードになるのがワケわからなすぎて困惑しました。ツンからデレになるならきっかけ描かないとダメですよね? そんなの日本のC級ラノベ作家でも踏まえてるセオリーですよ。

2人がちょっといい雰囲気になったところにバティスタが乱入。スペクター側に常に居場所がバレてる事に対して危機感抱いたらどうなのボンドさん? バレてるなら裏かいて反撃するとかさあ…愚直さは時に魅力だけど、諜報機関の凄腕エージェントとしてのスマートさはまったく感じられない。キャラクター性が貧弱!

ボンド&セドゥはちょっとしたコンビネーションでしつこい襲撃者バティスタを列車から追放してホッと一息。バティスタの首に荷物をくくりつけて突き落としただけなので後でもう1度出てくるんだろうなと思ったのですが。この半端な描写でバティスタはお役御免。出番終わり。映画見終わった時に「え、あの時にバティスタ死んだんだ」って気付いてビックリしましたよ。

バティスタを振り切ったボンドはいよいよスペクターの大物(ラスボスなの?)であるオーベルハウザーの居場所へ辿り着きます。場所は砂漠のど真ん中にある使途不明のプラント。石油精製用なの?よくわかんねえけど。

オーベルハウザーさんは「すべて私が仕組んだ!」とか楽しそうに語ってるんですが、悪としてのスケール感を感じさせるような論理性が無い。異常さを際立たせるようなバックグラウンドストーリーもない。作り手サイドがそういう背景や世界観の深みをまったく必要としていないんだろうなあ。ビジュアルもチンケだし。

セドゥが父親の死亡シーンを無理やり見せられそうになると途端に狼狽するボンド。ほれた女が傷つくのは我慢できないってか? どうも作中における整合性に欠ける気がする。主人公ジェームス・ボンド人間性という部分に置いてさえも、ブレブレに見えるんだよね。

しかもここでボンドがうろたえるのも、スキを作って背後から殴打されて気絶させるための雑なフリに思えるし。そもそも、ジェームス・ボンドともあろう男が無名キャラに背後から殴られただけで気絶すんなよ! スタンガンとか使えば? ディテールを掘り下げる余地が無限にある映画。

ボンドが気絶から目覚めると両手両足はおろか頭部まで固定された拘束チェアに座らされている。脳のどこぞを傷つけると他者の顔を認知できなくなる(こわーい!)って話なんですけど、見た感じ地味すぎる。『カイジ』では内耳から脳まで貫く針でスリルを演出してたけど、脳にドリルを刺されたボンドのリアクションは普通の傷めつける拷問との差が見えない。幻覚描写とか、ビジュアル面で遊べばいいのに。

腕時計爆弾で窮地を脱したボンドはセドゥと逃走。そんなに必死に逃げるくらいならもっと早い段階から慎重に行動すればいいんじゃないのボンドさん!? 逃げる直前、両手を結んでいた拘束バンドを力づくで引きちぎる描写には逆にフレッシュさを感じました。

プラントから脱出したボンド(安っぽくて緊張感のない銃撃戦あった)。映画史上最大規模の爆破シーンってのがここで披露されるんですけど、とにかく盛り上がりに欠けるから「だから何?」ですね。

ボンドたちを追い込んでいた「MI-6がMI-5に吸収されちゃう問題」ですが、「ボンドたちの力を奪い取る全世界的監視システムの完成が迫る!」という分かりやすいピンチに置き換えられます。最初から最後まで危機の具体性が無いところもこの映画のダメなところ。実質的に組織として機能してない(ボンド個人に振り回されてるだけの)MI-6なんだから、体制維持に必死になる意味も分からないんだよね。

MI-5が企んでいたシステムは、眼鏡ギークのQが頑張って阻止。敵が予想し得なかった斬新な方法でシステムを攻める、とかじゃないんです。「Qは優秀だから」、国家レベルのシステムにも侵入できるし、破壊できる。前作でも見られた「ハッキングできるやつはなんでも出来る」という万能感が相変わらずだっせえ。MI-5側も、MI-6の動向を監視しているくせに抵抗されることを予想してないところがバカだなーと感じる。

順序を無視して書くと、監視システム完成の背景として「9ヵ国の同意を得られたから」という展開があるんです。9ヵ国のうち南アフリカだけが国家間での情報共有に反対してたんですよ。しかしこのアフリカが賛成に転ずる流れに一切の論理性が無い。時間が経ったらなぜか賛成してた。国家を動かすような得体の知れない圧力をスペクター側が生み出した結果として・・・なら分かるんですけどそういう流れ一切なし。くだらねーなーと思いました。

なんだかんだで最終決戦の場はロンドンのMI-6本部ビル。前作で爆破テロの標的になって崩壊しかかっています。

ボンドがラストバトルに挑む直前、セドゥが唐突に「私は行けない」とか言い出します。戦闘力が低い女子なんで「そりゃまあそうだよね」とか思うんですけど、これまで危険に付き合ってきたので不自然なのは間違いない。ボンドが「君は来るな」とか言うべきでしょ普通。

しかもこのセドゥ、オーベルハウザーに拉致されてボンドのピンチを招くんです。なんだそのくだらない展開。「護衛つけてなかったの?」って当然の疑問が浮かぶんですけど、アホばっかり出てくる映画だから護衛も付けてなかったような気がしますね。

なんかもう・・・全ての展開が行き当たりばったりにしか見えないって! 敵の行動を予測したり、その裏をかいたりする駆け引きが皆無。頭を使うキャラがどこにもいないんだ。

プラント大爆発を生き延びたオーベルハウザーさんは顔面に裂傷を負い、片目を失ってます。(このビジュアルもセンスねえわ・・・)

ボンドをおびき寄せ、「女をさらってやったぜ」「このビルあと3分で爆発するから!」とドヤ顔。ボンドはビルからの脱出とセドゥ救出ミッションに挑みます。まあ、ミッション成功するんですけどね。こういう場面でもリスクに挑む勇気を描くとか、二者択一の選択を迫られるとか、もっと盛り上げる方法はいくらでもあるはずなんだけど工夫がさっぱり感じられない。

セドゥをお姫様だっこして階下へダイブするとそこにはなぜかネットが張られていて無事に着地。どういうカラクリ? MI-6の構造を知ってるからそういう無茶が出来るのかもしれないけど、9割がた「運が良かっただけ」だよね!? もっとカッコ良い救出描写を演出してくれよ。

ラスボスであるはずのオーベルハウザーは自分が爆破を生き延びたくせに、ボンドが爆破で生き残る可能性を考慮していないんですよ。こういう部分が本当に本当にダサいし、キャラクターとして浅すぎる。バカ。アホ。魅力ねえんだよ!

ボンドはオーベルハウザーが乗ってるヘリに向かって拳銃を発射。何度か撃ってるとヘリの急所に命中して撃墜



なんじゃそら!!!



その拳銃がいかに特別なのかをあらかじめ語っておくとか、ヘリ自体がいわくつきとか、Qがプロデュースした秘密兵器が残ってた!とか、とにかく拳銃でヘリを撃ち落とす事に説得力を持たせろよ!!!

百歩譲ってヘリが落ちてもいいんだけどさ、事態が思い通りに行かなかった事に対するオーベルハウザーの反応がラスボス感ゼロの単なる小物キャラの範疇に収まっていて。ボンドの反撃をまったく予想してないアホっぷりにもムカつくし、ヘリから這い出てくる姿のカッコ悪さにもムカつくし、そんなキャラをクリストフ・ヴァルツに演じさせている事にもムカつくし。

ラスボスなのに、爆弾セットして逃げただけ。ボンドを殺したいのか殺したくないのかも分からないし。自身は戦闘能力皆無だしどこに魅力を感じればいいのか。

オーベルハウザーに拳銃をつきつけるボンドですが、「弾切れだ」と言ってヒロインの元へ。オーベルハウザーへのお仕置きを期待する観客を裏切ってクライマックスは終わり。メタ的なハズシというよりも、やるべきことをやろうとしない無気力演出にしか見えないですね。

ちなみにボンドとは別のところでMがMI-5のトップ・デンビを追い詰めていたのですが、こちらの死にっぷりもあっけないそっけない味気ない。とことん、カタルシスの無い勝利でした。

最後はボンドが愛車アストンマーチンに乗って走り去るという伏線回収を済ませて終わり。どうっでもいい伏線ですけどね。MI-6再興するのかな? まあ知ったこっちゃないですけど。

スタッフとキャストは膨大な制作費で世界各地で派手なロケできて楽しかったんでしょうね。制作費に見合ったスキのない脚本を書いていただきたいものです。ここまで書いてきた内容、私怨から生じたイチャモンに見えますか?

映画秘宝に寄稿した青井邦夫と中野貴雄によれば「『ミッションインポッシブルがファストフードで、007は銀座に本店があるようなレストラン」「一級の大人のエンターテインメント」だそうですよ。

・・・マジで言ってんすか!?

サササッと短時間で作られた(けどめちゃめちゃ美味しい)ローグネイションと、じっくり手間ひまかけて作り上げた(けど味付けが下手すぎてくっそまずい)スペクターなら、俺は前者を食べ続けますよ。

こんなに稚拙でテキトーで、人間もドラマもアクションも描こうとしていない脚本なのに「クレイグボンド最高傑作」とか言ってる大人がいっぱいいるので、私は二度と007シリーズを見ることはないと思います。世界で一番映画をなめてる人間、それこそが007監督のサム・メンデスだよ!

キングスマン

キングスマン

(Kingsman: The Secret Service)』




を観ました。



9月12日TOHOシネマズ渋谷にて。



http://kingsman-movie.jp/






この映画の原作者はマーク・ミラー。超不謹慎アクション・コメディ『キック・アス』を世に放ち、それ以前にはボンクラ覚醒型アサシン映画『ウォンテッド』も手がけたヒットメイカー。個人的に、どちらも大好きな作品です。





(以下ネタバレ注意!)





主人公(若い男性)が自分を変えるため、自分を取り巻く環境を変えるためにヒーロー的存在になろうとする物語。



その構図はウォンテッド、キック・アスキングスマンの3作品に共通していると言えます。巻き込まれる性質の強いウォンテッドは違うという見方もあるでしょうけど。



キングスマン』の導入部は…母子家庭に育ったイギリスの青年が、ピンチに陥ったところをスーツ姿の紳士に救われ、そのままスパイ組織にスカウトされます。派手なつかみで客の心をつかみつつも、主人公の背景と心の動きを丁寧に描いていく手腕は見事。



中盤では常識ハズレの特訓シーンを描きながら、同時に世界に迫る大いなる危機を描いていく。面白い。面白いよー!



しかし、続いての展開=起承転結でいうところの転、これを突きつけられた瞬間に「んー、それは新鮮さが無いよー」と思ってしまったのです。



ウォンテッドでは、アンジェリーナ・ジョリー演じるフォックス(超強い)が、自分のやってきた行為の意味を知って組織のメンバーたちと無理心中します。



キック・アスでは、ニコラス・ケイジ演じるビッグダディ(超強い)が、マフィアに不覚を取ってつかまり、拷問の末に殺されます。



キングスマンでは…コリン・ファース演じるハリー(超強い)が、(描き方、緩急の付け方などの味付けは丁寧かつ大胆で見事とはいえ、)死にます。



過去作で見せつけられてきたのと同じツイスト展開をテコにしてストーリーを推し進めようとするマーク・ミラー最新作キングスマン。チルは結局そこが気になってしまい、ノりきれませんでした。



アクションのアイディアも超斬新でアガるんですけど、カメラワークもスピード感を出すのに尽力しすぎていて、「え、なになに」「そこまで面倒くさい撮り方しなくても良くない?」と感じる部分が多くて、キック・アスの時のような興奮には至らず。



起承転結の結であるクライマックスも、惜しいところが多かった。サミュエルLジャクソン演じる最大の悪役の死にっぷりも伏線張ってないからカタルシス薄めで普通。タイムリミットが迫ってる!というベタな盛り上げ方も、2度目3度目の観賞までテンションを保てるかというと微妙な感じ。



バイオレンス大好きっぷりが伝わってくるのは良いんだけどちょっと露骨すぎたかな。こういうシーンが見せたい!という思いが先行して、フックきいてない気がしました。



アクション映画の新時代を切り開いた作品だけに必見とは思うんですが、個人的な評価はあまり伸びませんでした。とにかく惜しいよ!

MAD MAX FURY ROAD

マッド・マックス

怒りのデス・ロード



MAD MAX FURY ROAD!



見てきたぜフォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!



公開初日の6月20日ユナイテッド・シネマとしまえんにてIMAX3D版を、6月22日にイオンシネマ板橋にて2D版を、8月3日に立川シネマツーで2D極上爆音上映版を見ました。ぜんぶ字幕。



http://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuryroad/









1人の映画作家の中から湧き出るレベルとは思えないような、確実に世界を揺るがすであろう衝動。誰も見たことがなかった、それでいて誰にも生み出し得なかった世界がここにある!!!



呆れるほどに膨大なイマジネーションとそこから構築された世界観の完成度、リスク度外視でデザインされたぶっ飛んだアクション描写、自分の命を全うせんとするキャラクターたちのバイタリティ、クライマックスが次々と襲いかかるセオリー無視のストーリー構成。



『マッド・マックス』という神話が2015年に再降臨!! 今年で70歳の大ベテランが世に解き放った異形の怪物に、俺達は魂を喰らい尽くされる!!



なんのために映画を見るかって、やっぱり最終的には「巨大なまでに膨れ上がった個人の情念が限りなくダイレクトに投影された作品に触れたいから」なんだと思わせてくれる、そんな、アクション映画史上に燦然と輝くクラシック、それがこの映画なのです。



こんな時代にこんな映画を作り上げてくれたジョージ・ミラー。あなたこそIMMORTAL(不死)な映画作家だ!



とりあえずこんな感じで更新します。内容に関してはこれからチマチマ書いて、そのたびにアップロードします。



この映画、男もしくは女にとって必見です!







冒頭にナレーションとして主人公マックスの言葉を聞かせるのですが、「文明が崩壊して石油資源を巡る殺し合いが起こった」というマッドマックス的なディストピア世界観を端的に説明し、これ以降は説明っぽいセリフを一切排除しています。



Wastelandと呼ばれる、ひたすら荒野が広がる世界に一人立つ男、マックス。足下に這いまわる双頭トカゲを踏みつけ、手づかみで口に放り込んでムシャムシャ。



何かに気付き、荷物をピックアップすると愛車インターセプターに乗り込んで走り去るマックス。数瞬遅れて画面に登場するいかついフォルムの暴走車数台。



十台を超える暴走車集団に追われるインターセプター。ロングショットでゆったりとした画のチェイスシーンが数秒描かれた後に、先頭を走っていたインターセプターが突然爆破で吹き飛びクラッシュ。



1度目ではよくわからなかったものの(地雷を踏んだのかと思った)、2回目の観賞ではインターセプターのクラッシュが槍爆弾によるものと分かりました。



主人公マックスは謎の暴徒たちに捕まり、鎖で吊り下げられて長い頭髪をバッサリ刈られます。さらには背中全面に入れ墨で「O型、ハイオク」などといったデータを彫られていきます。



なんなんだ?どういう意味なんだ?こいつら何者なんだ?



…と思い、少なからずマックスと同調していた観客ですが、マックスはそんな同調に構わず焼き印を押される直前に逃走!!



狭い建物の中を逃げ回り、天井にしがみつき、水の中に引きずり込まれたりしながら外に通じるドアを開けると、そこは地上数十メートルの高さ。



巨大な岩盤を活かした構造物の間にかけられたリフトのフック(説明が難しいので予告編で見てね)に飛び移るマックスですが、そこから何ができるわけでもなく再び捕まります!



この逃走描写の異常なハイテンポ感、その中に凝縮されたイメージの数々。すぐ捕まってしまうようなマックスの「無駄なあがき」さえも全力で描いてみせる、製作陣の姿勢に早くも呆気にとられるわけです。



そして主人公が開始5分で自由を奪われた傍観者に転ずるという意味での構成的な斬新さ。心を揺さぶられずにはいられない。



アヴァンタイトルからタイトル表示を経ると、そこで一旦マックスの視点は消失し、今作の世界観が改めて「説明」されていきます。



イモータン・ジョーと呼ばれる男と、それを崇めて従う者達が構成する小さな社会。一括で管理された水源を支配するジョー、その体制に不満を抱くこともなく「お恵み」を待ちわびる家畜的な人々。



そんなジョーの独裁を支えるのが全身白塗りで顔にスカル風のペイントを施したウォーボーイズなる兵隊たち。ジョーを神と信じて疑わず、シンボルとして乗用車のハンドルを大事にしている連中です。



カリスマとしての支配者と、被支配者層。そこには軋轢も人権蹂躙も存在しないように見えます。それはマッドマックス2や、マッドマックス サンダードームでも描かれてきた「現代とは違う価値観によって保たれている秩序」なわけですが、今作の凄さはそういった世界観のディテールの深み/描き込みがとてつもなく壮大なスケールであることと、それを表現する語り口が潔くて作品全体のテンポを乱していないこと。



ジョーの右腕である女の幹部フュリオサが、取り引きのため重装備のタンクローリー"War Rig(日本語版ウォータンク)"に乗って、ジョーとは別の集落の要所へ向かうのですが、途中で進路を変更。ジョーの命令に背くところからこの映画における物語らしい物語が始まります。



ジョーを補佐するfreakな息子がフュリオサの進路変更を発見し、それを知ったジョーがうろたえ、自分の5人の妻の失踪を知って激怒、総員態勢でフュリオサを追跡することになるのですが。



ここのジョー&ウォーボーイズ出撃シーンで、徹底的に練り込まれた世界観が次々に観客へ提示されていくわけですが、その勢いの凄さに我々は圧倒されるしかないのです。



乳房につながった搾乳器で乳牛のように母乳を吸引されているふくよかな女性たち、その前で満足げなジョーとその手下たち。そこに説明らしいセリフは皆無で、瓶に貯まった母乳を飲んで納得げな表情を浮かべるだけだったり。ここで母乳を飲んでいる一際背の高いマッチョ野郎はジョーの息子という設定なのですが、そういう背景は全く説明されません。でもそれでいいのです。



フュリオサが進路を外れたと知ったジョーは狼狽し、砦内を移動。そこでのうろたえっぷりからは大物らしい威厳は感じられず、カリスマの正体が普通の人間であることをファニーに表現しています。



この流れの中でも、母乳工場→植物栽培プラント→銀行の金庫のような巨大な扉で封印された部屋(妾を住まわせていた場所)と、キャラクターの背景としての描写だけで綿密な世界観の一端を見せつけています。



ジョーの出撃シーンの中で登場するのがNUX(発音はナックス。日本語字幕ではニュークスと表記)というキャラクター。彼は、高い位置に吊るされた鳥かご状のオリの中にいるマックスからダイレクトに輸血を受けている状態で、その輸血が無いとそのうち死んでしまう…らしい。



ニュークスは相棒がハンドルを手に出撃しようとするのを止めて「それは俺のだ!俺が運転する!」と主張。おまえはもう長く持たないから待ってろとなだめられるのですが、「こんなところで死ぬのは御免だ!どうせ死ぬならデスロードで死なせろ!」と食い下がります。



そして「輸血袋も一緒に連れていく! 車にくくりつければ文句ないだろ!」と言って相棒を納得させるのです。



字面で説明しても伝わらないですよね。映像で見てても理解できないんです。状況説明のためのセリフを極力カットしているから何がなんだか解らなくて当然なんですね。



ジョーが追跡を開始するまでの流れと同様に、NUXの芝居も「その世界におけるリアリティ」を徹底したがゆえの無駄のない言葉に終始しているのです。



どうやらNUXは病気らしい、輸血によって生き延びている(という意味ではヴァンパイアに近い)状態らしい、マックスはいつの間にか輸血袋(英語でbrood bag)扱いされて人権を無視されている、そういった情報が次々と観客の目に飛び込んでくるのです。



ゆえに初回は全てを理解しようとせずにテンポに身を任せて観賞するのがベターです。2回目には全てに合点が行く作りになっています。



観客の戸惑いは自由を奪われて発言も許されないマックスの戸惑いでもあるのです。この関係性が生み出す没入感を監督ジョージミラーはどこまで意図的に行っているのか…計りしれません。



フュリオサがジョーに反旗を翻した理由もこの時点では不明なのですが、長い長いカーチェイスがここから始まります。



まずは、フュリオサが運転するWar Rigとそれをサポートする数台のビークルが、ヤマアラシと評される「尖った金属を大量にくくりつけた車に乗っている連中」と交戦します。



ここでフュリオサの部下たちが使う武器こそが、アヴァンタイトルでも一瞬お目見えした槍爆弾です。細長い槍を敵車両に投げつけると、命中した途端に爆発! こんな武器、これまで見たことありますか? チルはありません。未来的な発想ではなく、超原始的な武器に爆発というアクセントを付与しただけ。それがこんなに新鮮な描写になるなんて。歯噛みした映画人は多いはず。



こういう武器についても「見りゃわかるだろ」とばかりに説明はありません。既に戦いが始まっているのに、慣れ親しんだ武器についてわざわざ説明する間抜けキャラはいないのです。槍爆弾の公式な名称はThundersticksだそうですよ。



Thundersticksのインパクトに驚いたままハイスピードの集団カーチェイスを呆然と眺めていると、煙の中からヤマアラシ軍団のボス(であろう人間)が乗っている(であろう)ヤマアラシ型にカスタムされたでかいトラックが登場!Thundersticksを食らってもビクともしない重厚感に早くも大興奮!



そのタイミングでイモータンジョーとその軍勢がWar Rigのすぐそばに迫ります。NUXの運転する車のフロントにくくりつけられたマックス。視界の邪魔になるという発想はNUXにありません。



ジョーの車両(馬鹿でかい)と並走しながらジョーに話しかけるNUXの姿は、アイドルから必死にレスをもらうヲタクを連想せざるを得ません。「今俺のこと見た!マジ見た!イモータンジョーが俺見た!」と大喜び。「輸血袋を見ただけだよ!」などとNUXを否定する相棒も微笑ましい。



血気盛んなNUXの車が先頭を切って乱戦に合流。自分を取り囲む死の可能性を実感したNUXは



「What a day! What a lovely day!」



の名台詞を口走ります。ウォーボーイズにとっては戦死こそが名誉。その先には魂の救済地としてのヴァルハラが待っている…と洗脳されているわけです。



フュリオサ、ジョーとその部下たち、ヤマアラシ。それぞれの思惑が交差する乱戦シーンに関してはアクションの密度が高すぎてディテールに触れることすら無意味に思えてくるわけですが、Thundersticksを両手に持って敵車両にダイブ&自爆する描写なんて、当たり前に描いてますけどカッコいいっすよ。



ヤマアラシ軍団のボス車がやられるところのアプローチは意外すぎて「えっ、それで終わるんだ?」と笑いました。押し引きと寄り引きの使い方がどこもかしこもフレッシュ。



ヤマアラシ軍団を振り切ったフュリオサは、巨大なスケールの砂嵐に突っ込んでジョーの軍勢を撒こうとするのですが、NUXをはじめとするウォーボーイズたちは名誉の死しか眼中になく、おかまいなしで砂嵐突入。



輸血袋としてのマックスは拘束を解かれた隙にNUXの相方を蹴落とし自由を得ます。しかし砂嵐の中で逃げ出すわけにもいかず、ひたすら車にしがみつくしかない。



NUXは仲間の車が嵐の中で飛散して爆発炎上する姿(この情景は本気で美しい)を見て感極まり、車内にガソリンを撒き散らして発煙筒で爆死しようとします。



それを見たマックスがルーフから発煙筒をつかみ、もみくちゃになりながらなんとか自爆を食い止めることに成功。車の後方に投げ出される発煙筒を描いたカットの美しさと、ようやく訪れる静けさをもって、怒濤の第一幕が終了したことを観客は理解するのです。



この瞬間に映画館に広がる「うわあ…まだこの映画前半だよな!?」と感じながらの疲労感がたまらないわけですよ。まさにいきなりクライマックス。



夜が明けて砂に埋もれた状態で目覚めたマックスですが、腕には血液を送るためのチューブと手枷と鎖がつながったままで、その先には車に乗ったまま気を失ったNUX。



この映画の優れた点はキャラクター間の関係性がとめどなく連なるアクションシーンの連続の中で絶えず変化し続けるところ。第一幕を終えて、マックスがいよいよ主体性を持つことになり、映画がさらに加速していきます。



マックスは手枷を外すために色々と頑張ってみるのですが、最終手段も失敗に終わり(笑える描写)、諦めてNUXを肩に担いで移動することに。その際に車のドアも一緒に引きずっていくところが男らしさに満ちていてシビれますね。



マックスが歩く先にいたのは停車したWar Rigとフュリオサ、5人の美女。第一幕の乱戦の中でイモータンジョーの妾(子産み女と称される存在)たちです。



マックスは銃でフュリオサたちを威嚇し、まずは腕につながれた鎖を外そうとするのですが、隙をついたフュリオサにタックルされてダウン。そこから格闘アクションへなだれ込みます。



この格闘アクションのデザイン/創造性がこれまた綿密で。鎖でつながれたマックスの腕、車のドア、砂漠という地形、War Rigから伸びたホース、5人の女たち、気絶から目覚めるNUXなど、様々なファクターをアクションに組み込んで、すさまじいテンポで見せつけてくるのです。



キャラクターに宿る強い意志と生命力が画面からあふれでてくるようでこれまた圧倒されます。



製作開始から10年を経て完成した異例の作品だから(シーンの完成度か高くなる)というだけでなく、ジョージミラーが天才的なセンスとデザイン性を発揮したからこその作品なんだということが明らか。見ていて楽しくなります。



小競り合いの末、フュリオサの逃避行にマックスが同行する形に。まだお互いを信頼するには程遠いものの、そこへ追っ手が迫ってくることによって共闘せざるを得なくなる。キャラクター間の距離感(ドラマの根元)が常に変化し続けていくシナリオ。



マックスは顔面にハメられた金属製の拘束具を外すため、鉄ヤスリで頭の後ろをガリガリと引っ掻きながらWar Rigの上を渡り歩き、戦うのですが、このガリガリ時間が異様に長いのがすごくリアルで、なおかつファニー。ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ



このじれったさがあるからこそ、すべての束縛から解放されたマックスの強さが引き立つ!…にしてもガリガリガリガリはギャグとしても秀逸でした。



死に損なったNUXはWar Rigにちゃっかり乗っていてフュリオサたちにちょっかいを出すのですが、反撃されてWar Rigから放り出されます。基本的には殺し合いなのでカーチェイスから放り出されたら死ぬんですけど、NUXは生存。そういう意味でのグロ描写ゴア描写はこの映画にほとんどありません。「どんな風に殺したか/どう死んでいったか」を描くより「どう生きたか」をしっかり描いているのがこの映画なのです。



フュリオサは他の部族が支配する関所のような「谷」を通過するため、War Rigに積んでいる燃料や水を渡そうとするのですが、そこにジョー軍団が迫ってきます。交渉はうやむやになってチェイス再開。フュリオサvsジョーvs谷軍団。



ここまで来るとマックスとフュリオサの連携もしっかりしてきて共依存的になっています。



爆破による崩落で道を塞がれ、それを乗り越えたジョー軍団にNUXが合流。逃走中の女が身に付けていたレース生地を手にしていたがゆえの抜擢なわけですが、ジョーはNUXに対して「おまえの魂はヴァルハラが迎えてくれる。さあ死んでこい」的な叱咤激励を飛ばし、拳銃を託すのです。



そしてそれと同時に、NUXの口元に銀色のスプレーを吹きかけます。



この銀色スプレー、この映画でも一番インパクトのあるアイテムなんですが、なんのためなのか、どんな効果があるのかはまったく説明されません。ドラッグほど目に見える効能はないのですが、銀のスプレーを浴びる(吸引?)ことは、どうやらウォーボーイズにとって大きな意味のある行為らしい。



物語を動かすような意味はないし、伏線ですらない。しかしこういったアイテムによって厚みを増す世界観は唯一無二の仕上がりになっていくわけですね。つっこみどころというより「愛しどころ」なんですよ。



自分が神と崇めるジョーからスプレーのご褒美をもらえたNUXは今にも昇天しかねない表情を浮かべたあとでWar Rigに飛びかかっていくのです。そんな単純な思考回路で生きているNUXが可愛すぎるし、そんな彼の若さに、同じくらい馬鹿だった過去の自分が重なりあうのです。



テンション最高潮のNUXはWar Rigに飛び乗った瞬間足をすべらせてあやうく転落しかけます。拳銃も落としてしまいます。



それを見たジョーたちは「アチャー」と渋い顔。



ここの流れ(緊張からの緩和)の面白さはカメラワーク的にもっと強調して膨らませていいと思うのですが、超あっさりで映画のスピード感を維持しているのも方法論としては間違ってません。



谷越え後のチェイスもハードコアなアクションの乱れうち。運転席にヤリ(モリ)が打ち込まれてWar Rigのハンドルが奪われるのなんか超斬新。ハンドルがない車を運転する映画なんて見た事ありませんよ!?



そしてその危機的状況を、フュリオサが自らの義手をハンドル代わりに使って切り抜ける。こういうアイディアの豊富さは他に類を見ない。次々と敵の攻撃を受け、まさに一進一退のスリルに満ちたチェイスシーン。



嫁のうちの一人であるスプレンディッドがWar Rigから落下しそうになり、ギリギリで助かった後に見せる口下手マックスの不器用なサムズアップ(b)はこの映画の中でも最高の描写のうちの1つなのですが、その直後にスプレンディッドは落下。押し引きが凄い。



目の前に落下してきたスプレンディッドをイモータンジョーは急ハンドルで回避しようとして大クラッシュ。ただの派手なクラッシュシーンの中にイモータンジョーのキャラクターを盛り込んでいるところが本当に凄い。ジョーの「優しさ」によってヒリヒリのバトルが終結するからカッコいいのです。ラスボスの悪さを強調しないところが秀逸。



既に映画2本分の超クライマックスが描かれたこの映画ですがまだまだ続きます。





潜入を志願したNUXですが飛び乗りに失敗、その後にはイモータンジョーが大クラッシュしてしまったために責任を感じて腑抜け状態に陥ります。(クラッシュを目撃しているカットがちゃんとある)



War Rigの後部座席で死んだように横たわっているところをジョー嫁軍団の1人に見つかるNUX。「ヴァルハラの門は3度も開いたのに俺は死ねなかった…」と凹むNUX。ジョーによってインセプションされた歪んだ宗教観によって、彼は生き続けている自分を憎んでいます。



しかし赤髪のケイパブルによって慰められ、自分が知らなかった価値観を提示されて再び立ち直るのです。こういった物語性を帯びたNUXというキャラクター、感情移入したくなるんですよ!



くだらない事に熱を上げて、それだけが自分の人生を捧げるべきものだと信じきって、でも様々な壁にぶち当たって、傷つき、それまでの価値観が崩壊する。そこから再起して新たな一歩を踏み出す。大人になっていく。



そんなキャラクターがハードコアすぎるアクション映画の中で完璧に描かれている事、これはやっぱりとんでもない偉業です。



夜になり、War Rigがぬかるみにハマって停車。なんとか再発進しようと苦労する場面。ここに関しては、後方から迫る追っ手との距離感の描き方がかなり雑。マックスが地雷をWar Rigのすぐ後ろにセットしてるのに、War Rigが走る描写がないまま追っ手が地雷で爆死するなど、正直わかりにくいです。3度観賞したからこそ気になる部分でした。



停車してちょっと走って、でも止まって、そんな流れを繰り返す中でNUXが運転席に座ってアクセルをふかします。ウォーボーイズは車のエキスパートなのでフュリオサたちにとってNUXは心強い味方なのです。



「あのでっぱりにウインチを括り付ければ走れるよ!」と、Tree(木)という単語さえも知らないという萌え表現&世界観(木というものがほとんど存在しない)の深みを感じさせるNUXの名台詞が飛び出すのもこの場面。



チェイスの凄さというより、後ろから迫る追っ手が銃を乱射し続けるイカレキャラで、追いつかれる前に発進しなきゃ!という、スリルを感じさせるシーンでもあります。この映画の中でも異例。



後方から迫るBullet Farmerに対して長距離用狙撃ライフルで対抗するマックス。撃てる弾丸は3発。2発を外したところでフュリオサにライフルを渡し、フュリオサのための補助台として肩を貸すという、主人公らしからぬ消極性を見せるんですね。



しかしそれによって逃走者チームの連帯感がしっかり強調されるんですよ! 強い女・フュリオサも改めて描かれるし。



さらにはこの場面の後、マックスが「ちょっと行ってくる。少し先で停めててくれ」と言ってWar Rigの後方へ歩いていく。しばらく経ってもやの向こうで爆発。Bullet Farmerをぶちのめしてきたと思われる描写。マックスの強さを表現するのに省略パターンをも駆使する、ジョージ・ミラーの手腕にシビれますね。



フュリオサは自分のルーツである「鉄馬の女」の元に帰還。当初の目的を果たすわけですが、そこにあったのは「再会」だけ。Green Place(緑の地)と呼ばれていたかつての故郷は、水の腐敗によって何も実らない場所に成り果てていた。フュリオサは一人慟哭する。



同じ部族に再会する瞬間には単なるハグでなく独特の動作で喜びを表し、フュリオサの母親の死に対しても独特の仕草で追悼の意を表明する。(フュリオサは追悼の仕草については記憶が曖昧でおっかなびっくり) こういう部分の作り込みも凄い。



ゴールだと信じていたものが蜃気楼だったと気付いてしまったフュリオサ。信じていたものの価値を見失ったという意味ではNUXもフュリオサも同じなんですよね。もちろん、第一作目で妻と子を失ったマックスも同様で、挫折や絶望を乗り越えていない人間は本当の自分に出会えないというようなジョージミラーの人生観が見えてきます。



フュリオサは、最果ての見えない「塩の湖」を越えることを選び、ここまで付いてきたマックスと別れることになるのですが、一人になったマックスが「少女の幻にタッチされて」、フュリオサと再合流。水も緑も豊富なシタデル(ジョーが収めていた地域)に戻る事を提案。



フュリオサはジョーの元から逃げることを選んだものの、本当に選ぶべき道はクーデターだったのかもしれない。でもそれじゃあマッドマックスという映画が成立しないので笑



フュリオサは来た道を引き返してシタデルの奪還を決意。新たな目標に掲げます。



「フュリオサも嫁もみーんな行っちゃった…」と、ションボリ落ち込んでるジョー、そこに戻ってきたフュリオサ達。



シタデルにも帰らないで待ちぼうけ状態のジョーっておかしいといえばおかしいんですけど、その緊張感の無さとハードコアなビジュアルのギャップが面白くて許せちゃうんですね。「だってそっちの方が映画として面白いじゃん」理論。



ここからいよいよ最後のチェイスシーンに突入。この映画の本当のクライマックスがここなんですけど、この場面を見るだけでも映画1本分以上の価値があると思います。



どのキャラクターがどこにいて、どういう意図を持って動くのかが綿密に設計されている。あるキャラクターの行動に対して敵はどういうリアクションをするのか。敵も味方も能動的に行動しているからすごく面白い。



ウォーボーイズの新ネタとして、4〜5メートルの長さを持つポールの先にしがみついてグイングインしならせながら高いところから攻撃するパターンを出してきます。高い位置からのThunderstick、さらには急降下して近付いての人さらい。



合理性よりもエンタメ性を優先する彼らの戦いっぷりは、彼らが戦ってきた相手がただの獲物だったからかな、なんて思ったり。(ヤマアラシ軍団とも戦ってきたか)



さすがにクライマックスの流れをすべて追うのは無理なんですけど、マックスがWar Rigから落ちそうになったのをフュリオサがキャッチし、そのマックスをNUXが蹴ってPeople Eaterの車まで弾き飛ばす場面は珠玉のクオリティ。



その前後も含めて連綿と続く一連の流れが見事にデザインされている。見せたいアクションと見せたいアクションをつなぐ点と点の連続ではなく、シークエンス全体が線として機能している。その中でキャラごとの個性や意思もちゃんと見せてくれるし、とにかく凄まじい密度。



フュリオサがジョーを倒す瞬間は、年齢制限を避けるためか、パパパッと切り替わるカット割りで描かれているので何が起きたのかよくわかりません。ジョーが装着している呼吸器にフュリオサが鎗状のものを突き刺し、その鎗をタイヤに巻き込んで呼吸器を引っぺがす。その瞬間ジョーは死んだっぽい。呼吸器をはがした瞬間に血が飛び散るのもよくわからない。



ラスボスであるジョーを倒す瞬間がこういう終わり方をする点に関しては個人的に擁護しきれない部分。もう少し丁寧に描くべきだし、たとえそれがマッドマックスシリーズにおけるお約束だったとしても、納得しきれない部分でした。



そしてクライマックスを〆るのはNUXのアクション。ここまでほとんど使われてこなかったスローモーションを、NUXの見せ場できっちり使ってくれます。無意味な死を望んでいた彼が見つけたレーゾンデートル! 泣けます。



フュリオサが瀕死になり、それを救うために一匹狼のマックスが輸血する。そこでマックスはフュリオサに対して初めて自分の名前を明かします。こういう不器用さを表現する事に関してトム・ハーディという役者は最適。自分らしいキャラクターに引き寄せてみせた彼の魅力こそがこの映画全体に影響を与えているのかも。



そんなわけでダラダラチマチマと書き続けてきたレビューもこの辺で終わりです。



歴史に残る超アクション映画。この映画について語ろうとするたび、自分の無力さを痛感させられます。どれだけ言葉を並べても語り尽くせない、凄まじい濃度の体験がここにある! 迷わず映画館でご覧ください。マジで!

最後まで行く

最後まで行く、見ました。



2015年5月21日、新宿シネマカリテにて。カリテ・ファンタスティックシネマコレクション!2015の上映作品です。



http://www.albatros-film.com/movie/saigomadeiku/











この映画、すんげえ面白いのでストーリーの予習は出来るだけしないで行った方がいいです。



過去の作品に例えにくい、独特の感性に満ちた作品。ブラックな笑いに満ちたコメディと、シリアスなサスペンス性の同居。うまさに唸ったという意味だけで言えばチェ・ドンフンのデビュー作『ビッグ・スウィンドル!』の感動に近いかなあ。





あらすじ追っていきます。



雨の降る夜道を車で走っている男=主人公。運転しながら携帯電話で話している。自分の母親の納棺が迫っているにも関わらず、葬儀場にいない。



路上で犬を轢きそうになって避けた直後、人をはねてしまう。はねられた男は血を流してすでに事切れている。



思考停止に陥る主人公。死体を路肩に寄せてパトカーをやり過ごした後で、自分の車のトランクに死体を載せてその場を去る。そこには首輪の付いた犬が取り残される。



飲酒検問につかまり、自分は刑事だと主張するが身分を証明できない。車から降ろされ警察官5人に囲まれる主人公。



トランクの中を調べられそうになった瞬間、警察無線から「身元が確認できた。○○署のイ・ゴンス刑事だ」と聴こえてくる。ゴンスは警察官たちを整列させて説教。鬱憤を晴らす。



トランクの死体をどうすることも出来ないまま葬儀場へ辿り着くゴンス。仏前で呆然としていると妹の娘がじゃれてくる。ゴンスの妹は納棺に遅れた兄を叱責。



母親の死を哀しむ余裕もないまま納棺。(韓国では土葬がポピュラーみたいです。)母の遺体が納まった棺桶を木の杭で閉じていく。



安置室から廊下に出たゴンスの目に排気ダクトが目に入る。ゴンスの頭に「母親が納められた棺にあの男の死体を隠す」というアイディアが降りてくる。



この無茶な作戦を必死に実現しようとするゴンス。やってることは刑事による死体隠匿なんですが、後ろ暗さを感じさせないよう笑いが満載で面白い。自然な流れでそこに存在する様々なアイテムを駆使して、自分の罪を隠しきろうとする男の滑稽さ。母親の死を悼むどころか罰当たりまくり。



なんとか死体を棺に納め、埋蔵までこぎ着けるゴンス。そこに至るまでも様々な伏線が張られているのですが、些細な情報がいつ爆発してゴンスを追い詰めるのかをうっすら予想しながら見守る展開がひたすら面白い。



ゴンスの妹が「母さんって恋人がいたのかしら? 占い師さんが『母さんのそばにぴったり寄り添ってる男の人が見える』って言うのよ」とのたまうところ…笑うしかない。ブラックすぎる。



とんでもない1日(A Hard Day)を切り抜けたゴンスは刑事としての職務に復帰。タレコミ情報を元に1人の指名手配犯を追うことに。その男こそ、自分が轢き殺した相手だった。



指名手配犯の自宅を捜索するも、そこに男が居ないことは分かっている。緊張している同僚と、弛緩している主人公。そのギャップで生み出す笑い。



男のアジトから少し歩くと自分が事故を起こした道路のすぐそばである事が分かる。改めて状況を把握しているとそこにパトカーに乗った警察官がやってきて、「ひき逃げ事件の目撃証言がありまして、犯人は被害者を連れ去ったそうです」と言う。



現場に落ちているガラス片を拾い集める警官。ゴンスの同僚は高い位置に付けられた監視カメラに気付く。「あのカメラの映像で何か分かるだろう。早速調べてみろ」と警官に命じる。



焦るゴンス。自分の罪が露見してしまうのではないかという恐怖。まさにサスペンスです。



証拠隠滅に奔走しているとゴンスの元に電話がかかってくる。「おまえが殺した男の事を俺は知っている」「死体をこちらに渡せ。さもないとひき逃げの件を暴露するぞ」



ゴンスの運命を支配しようとする存在がここで登場し、この映画がスリラーになっていきます。



電話の主が何者なのか。その目的は何なのか。恐怖による支配を逃れようともがきながら、ゴンスは解決法を探す孤独な戦いを強いられます。



受話器の向こうから聴こえてきた「敬礼!」という掛け声をヒントに、電話の相手が自分のいる警察署のすぐ近くにいると判断したゴンスは電話ボックスから出たコート姿の男を追います。



男はタクシーに乗り、ゴンスも車で追いますが(迫力あるカーチェイス有)、交差点で立ち止まったタクシーを前に接近することが出来ない。このまま接触してもいいのか? 姿を見せてしまっていいのか? ジレンマ。



ゴンスが車を降りて駆け寄った瞬間にタクシーを発車させる電話男。



この後、この電話男の正体を観客に向けてあっけなくバラす展開がとても斬新。



男は警察署に入っていくと、ロッカールームで制服に着替えます。ゴンスの敵は自分と同じ警察官! 『高地戦』や『ファイ 悪魔に育てられた少年』で幅広い演技を見せてきたチョ・ジヌンが超悪徳刑事チャンミンを演じています。



チャンミンはゴンスに対して死体を返却しろと要求。ゴンスは母親の棺を掘り返して指名手配犯の死体と再び対面。体に残っている弾痕と、男の所有していた携帯電話を発見。一方的に脅迫を受けるだけだったゴンスが反撃体勢に。



この辺から始まるゴンスとチャンミンの駆け引きが見事な深み。裏をかこうとするゴンス、ヤクザの組織力を背景につぶそうとするチャンミン。スリラーの構図に収まらないバチバチな戦い。ふとした瞬間に顔を見せるチャンミンの純粋悪としての資質。



チャンミンがどのような人物なのかが明らかになっていく過程もスリリング。警察官であるチャンミンが○○を着服する手法は今まで見たことがない斬新さです。



終盤になると展開をメモる余裕もないくらい没頭しちゃったわけですが、序盤の何気ない伏線をしっかり生かして上手に駆使してくる手腕は見事。その生かし方がクライマックスのアクションやエンディングの余韻、ストーリー上の整合性につながっていく様は圧巻!



具体的に言えば「壊れたシャワー」を期待通り回収してくれて大喜びでした。



警察官を主人公にしたクライム・サスペンスだけに落とし方も気になるところなんですが、青天の霹靂とも言えるオチを用意していて心底驚愕。しかしそこに至る伏線もちゃんと描いてるから強引とは映らないんですね。



ゴンスの行動を見張っていたチャンミンなのに、なぜ○○しなかったのか?という疑問がいくつか残るものの、技巧に満ちたシナリオにはただただ感服! 爽快な気持ちで映画館を出ました。



犯罪がらみのサスペンスものが好きな方は絶対にチェックしてほしい作品です。都内では5月29日で上映終了、その後大阪でも上映するみたいですが、見逃しちゃった方はDVDでどうぞ!