ジャン・コクトー

 「ときどき思うのだが、どうして日本の画家や映画製作者たちは、天然色の漫画映画を作らないのだろう」「君、ウォルト・ディズニーの波を見たまえ。あれは(葛飾北斎の波だよ」。
 フランスの詩人ジャン・コクトーは、二・二六事件の余燼(よじん)くすぶる戦前の日本を訪れている。西川正也氏の「コクトー、1936年の日本を歩く」(中央公論新社)に引かれた冒頭の言葉は、日本訪問から十七年後に語られたものだという。
 案内役を務めた詩人の堀口大学は、「コクトオという人間は一束の神経だ」と回想している。和製アニメの現在を見わたせば、昭和の二十年代にこの隆盛を予言した「一束の神経」には脱帽するほかない。
 先日封切られた宮崎駿監督の新作アニメ「ハウルの動く城」は約五十か国で公開の予定という。前作の「千と千尋の神隠し」は、米国アカデミー賞の長編アニメ映画賞など数々の栄冠を手にした。日本のアニメは世界に通じる独自の表現領域を確立している。
 コクトーの日本滞在は一週間ほどにすぎない。「僕の精神は一日滞在しただけで、普通の人が五日も七日も滞在したのと同じほどのものを見る…」。詩人はおのが身に備わる研ぎ澄まされた感性を、傲慢(ごうまん)とも無邪気とも聞こえる語り口で堀口に告げた。
 泉下で、「ね」と微笑しているような気がする。
(編集手帳)