Hatena::ブログ(Diary)

しあわせは日々のなか

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2007-09-30 Sun

今月の読了本

  1. 穂村弘 『世界音痴』 小学館
  2. 野村美月 『“文学少女”と穢名の天使』 ファミ通文庫
  3. 大島真寿美 『チョコリエッタ』 角川書店
  4. 三浦しをん 『白いへび眠る島』 角川文庫
  5. 斎藤美奈子 『文壇アイドル論』 文春文庫
  6. 斎藤美奈子編・著 『L文学読本』 マガジンハウス
  7. 橋本治 『いま私たちが考えるべきこと』 新潮文庫
  8. 村上龍 『ダメな女』 光文社

 少ないな……二桁に届かないって二年ぶりくらいじゃなかろうか。

 今月は、なんか「物語」が頭に入ってきにくくて、でも活字分は補給したくて、小説以外ばっかり読んでた覚えが。

2007-09-29 Sat

「ブス」への救い

いま私たちが考えるべきこと (新潮文庫)

いま私たちが考えるべきこと (新潮文庫)

 そして、「個性」というものが「一般的なものからはみ出したもの」であるのなら、「ブス」は個性なのである。しかし、「ブスは個性だ」と言われて喜ぶ女だって、一人もいないだろう。それを言われて安心する女だって。

「ブス」と言われて傷ついた女の子に、「いいじゃないか、それが個性なんだから」と言っても、救いにはならない。「気にするんじゃない」と言っても救いにはならない。「ブス」と言われた女の子は、そのことによって、「ブス」という救いのない一般性の中に放り込まれているだけなのだ。「ブス」と言われて傷ついた女の子には、「どうして?愛嬌のある顔してるのに」とか、「どうして? 意志的なしっかりしたいい顔してるのに」と言ってやらなければ、救いにはならない。それを言われて、女の子は「やっぱり自分は美人じゃないんだ」と思うかもしれない。その点では、やっぱり傷つくかもしれない。しかし、その一方で救われてもいる。「愛嬌のある顔をしている」とか「意志的なしっかりした顔をしている」と言ってくれる相手は、「ブス」と言って拒絶する人ではないからだ。

 それを言う人は、「あなたの顔は、これこれしかじかの顔」と言って、「一般的な女の子の容姿の基準からはみ出した」とされて「ブス」というゴミ箱に投げ捨てられているものを、「そうではない」として、明確に位置づけているのである。だから、「自分は拒絶されてはいない。なんらかの存在理由はある」と思うことによって、ブスと呼ばれた女の子は、「個性」への道を辿る。つまり、「個性の認定」は「ゆるし」なのである。「ゆるし」によって救われるものなのだから、個性とはそもそも「傷」なのである。(P.211-212)

 ああ……納得がいきすぎる……。

 ここを読んだ時、島本理生『ナラタージュ』に出てくる「だけど僕は美人すぎる美人が苦手だから。君みたいに感じの良い顔をしているほうが好きだよ」という台詞を思い出しました。「自分は拒絶されてはいない。なんらかの存在理由はある」と思わせてくれる台詞として、これは最強だと思う。

 ……と書いた後に、『ナラタージュ』は作者が女性だから理想書いてるんだとか現実にそんなこと言う人いないとか言われたら「だから物語で補完してるんだよ!」と返す、というとこまで考えてしまった。被害妄想卑屈根性。

2007-09-28 Fri

明け方 突如 涙腺崩壊

 あー……びっくりした。

2007-09-27 Thu

話す効用

 人に自分から自分の話をするのは苦手です。苦手といっても、できないとかやりたくないというわけではなくて。話したいことがあっても、なんだか相手に自分のことを押し付けているようで、迷惑じゃないかなー嫌われないかなーと心配になってしまうから。

 でも、自分の問題を人に「語る」上で、伝わりやすいように言葉を選ぶとか注釈を加えるとかエピソードを取捨選択するとかいうのは、なんていうか、自分の中の気持ちとか煮詰まっているものごととかそういうのの風通しとか見通しをよくするのに有効だなあ、と最近改めて思ったのでした。文章を書くのにもこの種の効用はあるけれど。「ブログに書く」っていうのは誰にも見せない日記につづる文章より「人に話す」に近いかな。わたしの中では、日記(自分しか読まない)に書く→はてダに書く→ゆとダに書くの順で感覚が「人に話す」に近くなってる。

2007-09-26 Wed

送信後悔

 メールは、送信した後になって、言葉が足りなかったかなとかおざなりになっちゃったかなとか後悔することが多いです。補足したいけど続けて送ったらしつこいかなあ、とか考えます。ううむ。

 実際に話しているのなら言い直せるしそれが文字として残ったりしないけれど、ブログなら直したり消したりできるけれど、相手に届いてしまったメールはどうにもできないな、と思ったり。

2007-09-25 Tue

アニメ研究

http://www.icaf.info/

 授業「アニメ研究」で、インター・カレッジ・アニメーション・フェスティバル(ICAF)1日目に上映された作品をいくつか見ました。

酒井駒子 『金曜日の砂糖ちゃん』 偕成社

金曜日の砂糖ちゃん (Luna Park Books)

金曜日の砂糖ちゃん (Luna Park Books)

 小さいサイズ。子どもの世界。かたちごと愛しい。

2007-09-24 Mon

だって自分は可愛くないから

オンナらしさ入門(笑) (よりみちパン!セ 27)

オンナらしさ入門(笑) (よりみちパン!セ 27)

 女の子は、二歳になるともう十分に、「自分」を眺める自分の視線を持っています。

「私は、可愛くなんかない」

「私の身体は、私のものではない」

 女の子は、自分の身体は自分の持ち物なのに、どうしてこんなに居心地が悪いんだろうと、徐々に感じはじめます。自分は自分の身体の王様ではない。自分は、他人の視線の中にある。可愛くない女の子は、大人の愛をいつ撤回されてしまうかわからないという恐怖を内側に抱えはじめます。

 もっとも恐ろしいのは、「あの子の顔は可愛くない」と言われることです。

 可愛いものを「女の子」というらしいのに、可愛くない「自分」というのは、いったいなんなのでしょう。(P.36)

「可愛くなければ女ではない」。

「女の子」は、二歳ですでに大きな強迫と闘っています。強迫とは、自分の意思ではどうしようもないもののことです。(P.37)

 このへん読んだ時にふっと思い出したことがあります。

 マンガやらドラマやらの中で、男の子と女の子が一緒に歩いてて、途中で出会った男の子の方の知り合い・友達らしき別の男の子が、「彼女?可愛いじゃん」というような台詞を発する、という類の場面。十代前半ごろまでかな、これに出くわすたび、やけに悲しかったんですよね。胸が痛んだというか。

 たぶん、そういう場面を見るたび「ああ自分には異性からこうして『可愛い』と評されることは一生無いんだろうなあ」と思って、傷ついてたんだろうなあ、と思います(傷つくと言い立てるには気が引けるほど些細な事柄だけれど)(というか被害妄想激しいな)。

 なまじ「男の子っぽい」と評されることはない外見と性格だっただけに、「それなのに女の子としての価値(=可愛さ)はない」自分に絶望してた気がします。見た目も可愛くなければこんなことぐるぐる考えてる内面もまったくもって可愛くない……!という絶望。


 そしてこれが十代後半になると少々開き直りだし、「いいもん一生恋愛とかできなくても!」「児童文学と結婚してるんだから!(気持ちの上では)」とか言い出すような人間になったわけですね。ははん。

ちゃんと一ヶ月に一度で終わるっていいな……

 一週間おきに来たり三週間続いたりする月経にうんざりしていたのですが、薬のおかげでそこまで不順じゃなくなりました。ばんざい。一ヶ月・一度・一週間できちんと終わる幸せをかみ締めてみたりする。……この物言いは大げさすぎるかな。でも気分的にはそんな感じ。

2007-09-23 Sun

森絵都作品からいろいろ引用

三日にいちどはエッチしたいけど、一週間にいちどは尼寺に入りたくなるの。十日にいちどは新しい服を買って、二十日にいちどはアクセサリーもほしい。牛肉は毎日食べたいし、ほんとうは長生きしたいけど、一日おきに死にたくなるの。

――『カラフル』

あたしはちゃんとした高校生になれるのかな。ちゃんとした大人になれるのかな。ちゃんと生きていけるのかな。

――『つきのふね』


 1年ほど前、これらの森絵都作品を読んだときの気持ちについて、「わたしがどうがんばっても言葉にできなかった気持ちが、的確に文章化されて活字として目の前にあって、共感レベルが高すぎて胸が苦しくなった」と書きました。

 今もその気持ちは変わらない。なんだか不安でもやもやして落ち着かないとき、こういう簡潔な言葉と向き合いたくなる。

2007-09-22 Sat

天才えりちゃん金魚を食べた

天才えりちゃん金魚を食べた (いわさき創作童話)

天才えりちゃん金魚を食べた (いわさき創作童話)

 ブックオフで発見。懐かしくてついつい買ってしまいました。

 1984年生まれの著者が第8回福島正実記念SF大賞を受賞してデビューしたのは、6歳の時。わたしがこれを初めて読んだのは、たぶん小学一年生の時です。

ぼくのお父さんは、九大をでている。

九大というのは、九州大学のことである。

ぼくは、三才のころまで大学というのは、

一大から十大まであると信じていた。

十大、すなわち、東大だとおもっていた。

 「小学生の童話作家」だった彼は、どんな大人になっているんだろう。

2007-09-21 Fri

おおきく振りかぶって 24話

 原作読んでてもどきどきするなー。観ててじわあっと涙がわいてきた。

大島真寿美 『チョコリエッタ』 角川書店

チョコリエッタ

チョコリエッタ

「なんでもいいからずたずたにしたい。そういうことだろ?あんたは自分をずたずたにしたい。おれは、誰かをずたずたにした。いや、したかった」

「殺してよ」

「紙一重なんだろうな、ずたずたにしたいのが自分なのか、自分以外なのか。いや、ごっちゃになってんのかな。世界がぐっちゃぐちゃ。なつかしいなあ」(P.71)

2007-09-20 Thu

 「ぼくらの」を3巻まで読んで、ごすごすへこむ。

2007-09-19 Wed

 夜行バス東京に着いたのが午前5時過ぎ。今から帰っても寮開いてない……ということでせおちゃんに漫画喫茶に連れてってもらいました。

2007-09-18 Tue

ゆと部名古屋オフ 当日編

 作家名のまちがいを間髪いれず訂正するわたし心せまい!

 さして興味のない人名だったら覚え違いがあって当たり前だな、と思っているのに、いざ訂正するとなるときつい口調になって自分でもびびります。こんなときだけモヒカン族な自分が気持ち悪い。

 行きはあんまり眠れずにせおちゃんと話したり携帯でネットしたりしていた夜行バスの中ですが、帰りはぐっすり寝てました。


 楽しかったー。はあ……レポートちゃんとやらなくちゃ(現実に戻る)。

2007-09-17 Mon

ゆと部名古屋オフ 出発編

 せおちゃんとゆと部名古屋オフへ行く旅。夜行バスの乗り場にたどり着くまでがちょっと大変だったりした。道を聞く役目をせおちゃんにばっかりやらせて申し訳なかった。わたし、未だに深呼吸3回くらいしないと知らない人に話しかけられないからなあ……うう。いいかげん内気を卒業したい。


 行きの夜行バスの中では、緊張してるのかなんなのか、なかなか眠くなれなかったです。

2007-09-16 Sun

今日の読書

 久しぶりに「西の善き魔女」シリーズを読みふける。

2007-09-15 Sat

合宿でした!

 13日から今日まで、子ども文学研究会の合宿に参加してました。

2007-09-11 Tue

児童文学 文庫化の謎 その2

 時系列で考えるとおもしろい傾向が見えてきますね。さすが角川書店は先見の明があったというところでしょうか。角川文庫ではほかに川島誠作品もこのジャンルに入れられると思います。2002年6月の「800」から始まり、立て続けに数冊刊行されています。

 他の文庫に目を向けると、新潮文庫も重要な役割を果たしています。1994年3月の「夏の庭」(湯本香樹実)、2000年12月の「裏庭」(梨木香歩)、2001年7月の「西の魔女が死んだ」(梨木香歩)なんかは、もう夏休みの読書感想文の定番になっています。

 あとは新興のピュアフル文庫あたりをフォローしておけば、ここ10年くらいのYA作品の文庫化の流れを概観できると思います。

 返信ありがとうございます。さらにいろいろ気づかされました。

 佐藤さとる講談社文庫背表紙は緑色でした。あちゃあ。昨日のまちがいをおわびして訂正いたします。

 角川が文庫化した児童文学といえば、川島誠を忘れちゃいけないですね。


 ……初出の時は児童書扱いだったはずの作品をおさめた『セカンド・ショット』や『夏のこどもたち』も、あんまり「元々は児童書だった」ということを明確に打ち出された売られ方はしていないような気がします。あさのあつこバッテリー』が「これは本当に児童書なのか!?」と、森絵都『つきのふね』が「YA文学金字塔!」と宣伝されていたことに比べると、ですが。

 ええと、あと、近年新潮文庫になった児童文学として、ぱっと思いつくものを列挙してみる。


笹生陽子作品文庫化リスト


 昨日、講談社児童文学文庫化は2006年4月の梨屋アリエ『でりばりぃAge』や風野潮『ビート・キッズ』あたりから始まったのではないかと書きましたが、それより1年以上前(2005年2月)に笹生陽子文庫化されてたんですね(うう……昨日えらそうに書いてしまって恥ずかしい……)。調査不足で先走ってすみませんでした。

 でも、笹生陽子の二作品が出てから約1年間、YA作品の文庫化はなされてないようです(とか言って、また見落としてる作品があったりして)。そのあいだに元は講談社から出ていた森絵都『アーモンド入りチョコレートワルツ』『つきのふね』が角川文庫になってますね。

 それにしても、『楽園のつくりかた』だけ講談社角川文庫なのはどうしてだろう……。


講談社文庫背表紙の色

f:id:sagara17:20070911114919j:image

 2006年以降に文庫化された、たつみや章魚住直子風野潮梨屋アリエ草野たきルイス・サッカー『穴』などは、背表紙の色がほぼ同じだと昨日書きました。

 坂元純・片川優子笹生陽子も同じ色でした。

 国内の作家に関しては、やっぱり講談社児童文学新人賞出身者(受賞者一覧はこちら)がこの色で統一されているようです。(坂元純と片川優子は佳作、笹生陽子は入選……だったはず)

 ちなみに、写真にもうつってますが、あさのあつこ『NO.6』は違いました。高里椎奈と同じ色ですね。はやみねかおるは水色でした。

 これらをふまえると、(笹生陽子作品の文庫化は2005年なので)「2005年以降に文庫化された講談社児童文学新人賞出身作家の作品」の背表紙がベージュで統一されていると言えそうです。

 国内のものに関しては、「講談社文庫背表紙の色は著者が選ぶ」とはてダキーワードにもありますが(昨日mixiメッセージでもこのことを教えていただきました。この情報のソースは、2003年頃の週刊文春ホリイのずんずん調査」らしいです。ありがとうございます)、YA作品に関してはあてはまらないのだろうか。

 海外は……ええと、わたしの知る限り、『穴』の他にゲイリー・シュミット『最高の子』などが背表紙ベージュなのですが……他の海外作家の講談社文庫は青がほとんどなので、これはやっぱりYAとして区別されているのだろうか。自信ないですが;;

*1:2005年2月発行の青い鳥文庫版『ぼくらのサイテーの夏』には『きのう、火星に行った』も収録されている

2007-09-10 Mon

児童文学 文庫化の謎

 現在「バッテリー」は書店の角川文庫の平台に必ず置かれていますし、漫画版も角川の雑誌で連載されています。もうすっかり角川になじんでいますが、もとはといえば児童書専門の出版社教育画劇が育てたシリーズです。

 このところ児童文学の一般文芸界への流出が話題になっていますが、もとの出版社にどれだけ恩恵がいっているのかが気がかりです。おいしいところだけ大手出版社にひっさわれているのだとしたら児童書の出版社が報われません。理論社のロングセラー「カラフル」(森絵都)もとうとう文春文庫に落ちましたし、この流れは気になるところです。

 森絵都作品の文庫化については、ずっと気になっていることがあります。


森絵都作品文庫化リスト


 児童書として出版され、文庫化された主な森絵都作品を並べてみました。青い鳥文庫やフォア文庫は児童書レーベルなので、「一般文芸に進出した」と見なされるのは『アーモンド入りチョコレートワルツ』『つきのふね』『カラフル』『DIVE!!』の4作品だと思われます(最初から「一般向け」として出版された『永遠の出口』以降を除くと)。

 出版事情に明るくない一読者からすると、講談社から出た『アーモンド入りチョコレートワルツ』『つきのふね』『DIVE!!』がなぜ角川文庫に落ちたのかちょっと不思議です。たつみや章魚住直子風野潮梨屋アリエ草野たきといった講談社児童文学新人賞出身者*1の作品は、ぞくぞくと講談社文庫になっているのに。*2

 でも、講談社児童文学文庫化しだしたのはけっこう最近のことだったような……と思い、先ほど名前をあげた5人の作家の作品の中で、いちばん最初に文庫化されたのはどれかなーと調べてみると、梨屋アリエ『でりばりぃAge』と風野潮『ビート・キッズ』でした。2006年4月のことです。講談社児童文学作品文庫化ラッシュが始まったのは、このへんからだと思われます。


 『アーモンド入りチョコレートワルツ』や『つきのふね』が2005年に文庫化されているのを考えると、角川の方が早くからヤングアダルトと呼ばれる作品の文庫化に熱心だったのかな。(ちなみに『バッテリー』1巻が文庫化されたのは2003年12月)。


講談社文庫背表紙の色

 2006年以降に文庫化された、たつみや章魚住直子風野潮梨屋アリエ草野たき、それから福永令三クレヨン王国の十二か月』やルイス・サッカー『穴』などは、背表紙の色*3がほぼ同じですよね(チェックしきれてないと思うので、もれがあったら指摘してください)。児童文学はこれで統一されるのだろうか。*4

 あ、でも、あさのあつこの「NO.6」はたしかその色じゃなかったはず……はやみねかおるも違った気がするけれど、どうだったっけ。背表紙ベージュは講談社児童文学新人賞受賞作家か海外YAに限られるんだろうか……。明日本屋さん行って調べてこよう……

*1:参考:e-hon 講談社児童文学新人賞受賞作紹介

*2:もしかしたら、同じく講談社児童文学新人賞受賞作品の『リズム』は、これから講談社文庫になる可能性があるのかもしれないけれど

*3:何色って言えば適切なんだろう……すすき色?ベージュ?

*4:……ぱっと浮かんだものでは、佐藤さとる『だれも知らない小さな国』は1973年に、松谷みよ子『ちいさいモモちゃん』は1987年に、ひこ・田中『お引越し』は1995年に文庫化されているけれど、これらは絶版。もちろん背表紙の色は違いました。『だれも知らない小さな国』は水色緑色、『ちいさいモモちゃん』はピンク色、『お引越し』は黄色でした

2007-09-09 Sun

退院おめでとうございます

これらは、

2007年11月25日刊行予定の中公C★NOVELS・25周年記念本

「C★N25」に載る原稿です。

大きさはノベルス判型で、厚さは5cmあるアンソロジー本だそうな。

6月に行った森博嗣氏との対談も、ここに載る予定です。

 対談のようすも気になるけれど、西魔女番外編が読みたくて仕方ない。

2007-09-08 Sat

穂村弘 『もうおうちへかえりましょう』 小学館

もうおうちへかえりましょう

もうおうちへかえりましょう

「体だけでなく、心も自由にした方が楽しいから」

 私の答えの非道さに、女性陣からはあきれかえったようなブーイングが起こったが、吉野さんだけは、ふっと笑ってこう云った。

「最初からそう云えばいいんだよ」

 私はがくっとうなだれた。このひとは知っているのだ。俺が、いや、人間がそういう「とんでもないもの」だということを。(中略)

 今回文庫化された『恋愛的瞬間』は、そんな吉野さんの凄みが充分に感じられる秀作である。恋愛における恐怖体験が満載。「とんでもないもの」同士が当事者になる恋愛とは、どんなことでも起こりうる、裏返しのホラーであることを改めて思い知らされる。(P.29-30)

精霊の守り人 二十二話

  • 雪山の風景がいちいち綺麗で見とれてしまう
  • ナージの歌ー!歌詞つきー!一話でもちょこっと出てきたけどこれがどんな風に生かされるのか楽しみ
  • 原作のガカイは嫌いですがアニメのガカイは好きです

 「おれが薬だと思えないんなら……」あわわわわ!原作の大好き場面がおおむねそのまま再現されて狂喜乱舞した私がいた。

 原作だと「もう、骨の髄まで戦うことがしみついてしまって、穏やかな日々がずっと続くような生活を、想像することさえできなくなってしまっている。こうして冬の日々を過ごしながらも、ときおり、燃えたつような戦いへの衝動を感じていたのだ。――これでは闘鶏の鶏とおなじだ(文庫版P.233)」と説明されているところにあたる、バルサの表情の変化を食い入るように見てしまいました。

精霊の守り人 二十三話

  • ガカイの「行きたまえ」という台詞がたいへん「上司」っぽくてよかったです
  • アニメのガカイ大好きだ……!
  • ガカイの体が心配だ
  • 火はいつつけるの?松明だと時間かかるよね?とはらはらしていましたが、火炎放射器のような武器をお持ちでした

2007-09-07 Fri

今日の読書

私、世の中がどんなに進歩しても、ベッドサイドの本と状差しの中の手紙は失くならないと思っているの。機能的な方向に進めば進むほど、いとおしくなる種類のものたちね。

 山田詠美 『A2Z』 講談社文庫 P.24


 なぜか新しい「お話」が頭に入ってこない状態だったので、すっかり筋書きを覚えている本を読み返してみた。

2007-09-06 Thu

補足

やおいとは、おもに少年まんがやアニメの登場人物だけを借用し、美少年同士の妖しい同性愛的な物語に書き換える趣味のことである。男のオタクアニメマニア)がアニメの物語世界の「読み解き」に血道をあげているのに対し、女のオタクアニメマニア)が物語の「書き換え」に向かうこと。男のオタクが少年アニメと少女アニメも等しく愛好するのに対し、女のオタクが、少女アニメには見向きもしないこと。これは、彼女たちが与えられた物語に充足していない証拠かもしれない。彼女たちが美少年に固執する理由は、いろいろ取りざたされているが、彼女たちが「禁断の愛」に固執するのも、アニメの国で「健全な愛(と大人の男が思っているもの)」を過剰に押しつけられた反動かもしれない。なお、「やおい」の少女たちが例外的に認めた(?)少女アニメは『セーラームーン』である。彼女らが『セーラームーン』をレズビアンの物語として「書き換え」た経緯については、藤本由香里の秀逸な少女まんが論『私の居場所はどこにあるの?』(学陽書房・1998年)を参照のこと。

 斉藤美奈子『紅一点論』(ちくま文庫・2001年)P.226より引用。

 昨日のエントリで使った「書き換える」という言葉はここからきてます、と補足しておきます。

2007-09-05 Wed

ホモが嫌いな女子もいるんです

戦を放棄した女たちは性欲をどのように処理するか。答え。同性愛という名の異性愛の覗き魔になるのである。少年と少年、青年と青年、少年と青年が愛し合う物語に耽溺する。そこには、裸体がある、肉欲がある、嫉妬がある、羞恥がある。そこには閨房がありながら、自分は閨房に入れない性別にあることで、自分が閨房を獲得するレースの、不戦敗者であることを「見ずにすむ」。

 姫野カオルコ『ツ、イ、ラ、ク』角川文庫 P.305


 いろんなケースがあって、「同性愛という名の異性愛」を楽しむ女性たちみんながみんな「自分が閨房を獲得するレースの不戦敗者」ってことはないと思うのだけれど、引用部を読んだとき、これは的を射た答えの一つなのだろうなあ、とも思ったのです。

 わたしは「レースの不戦敗者」という条件にわりと当てはまっていると思うのですが、不思議なことにどうしても「同性愛という名の異性愛」を楽しむ人間にはなれないのでした。

 フィクションの中の男の子キャラ同士の関係にときめく心性(「あーもーかわいーなーこいつらー」ってな感じの)なら持ち合わせているけれど、それはあくまで「友情」の範囲だった場合なんですね。それを「恋愛」に改変して楽しむジャンルがあることは知っているけれど、彼らの関係が「恋愛」になってしまったとたんに、わたしが彼らに感じている魅力は失せてしまうので、どうしてもそういう風に「書き換える」人の気持ちがわからない。

 わからない、といってもそれを否定しているわけではなくて……フィクションの中の男の子同士の関係を、恋愛に「書き換えたい」という欲求があって、そこから生まれてくる二次創作がたくさんある中で、自分がそういう二次創作を楽しむ人間、「書き換えたい」という欲求を持つ人間になれないのはどうしてだろう、そうなるきっかけならたくさんあったはずなのに、という疑問を持ち続けているんですね。

 好みじゃない、どうしても肌に合わない、と言って片付けてしまえばそれまでだけれど、もう少し突き詰めて考えてみたいのでした。

2007-09-04 Tue

ひぐちアサ 『ヤサシイワタシ』

ヤサシイワタシ(1) (アフタヌーンKC)

ヤサシイワタシ(1) (アフタヌーンKC)

ヤサシイワタシ(2)<完> (アフタヌーンKC)

ヤサシイワタシ(2)<完> (アフタヌーンKC)

 読みました。ずきずきする話でした。

 裏表紙に抜粋してある台詞の数々を見て、「これたぶんツボだな」「わたしこういうの好きだろうな」「でもずきずきぐさぐさ来て痛いだろうな」と予想はできた。でも予想以上にぐさぐさ来た。

2007-09-03 Mon

集中講義「マンガ研究」

 宮本先生(id:hrhtm1970)の講義です。

 今の大学に入学が決定した高校3年生の頃に、先生がはてなにいらっしゃることを知って、はてダ就職活動にまつわる怖い話を読んで怯えたり、授業「マンガ研究」に関する記述を読んで入学したらこの講義とりたいなあ……と思ったりしていたのでした。

 ……上記のことを、こっそりリアクションペーパーの裏にでも書いておこうかと思ったのですが、その勇気が無かったので、さらにこっそりとここに書いてみました。

授業メモ

正チャンの冒険

正チャンの冒険

  • 体の弱い健気なボウフラ、ブンチャン(後に蚊となる)が、仲間の死骸を見て発狂してしまう『ハーモニカ』が忘れられそうに無い。
  • ブンチャンってヒロインかな?と友達が言っていた。ああ、それを聞くまでブンチャンの性別考えてなかったけど、ヒロインとも言えるのかな

2007-09-02 Sun

東京に戻ってきました

 バスの座席から立ち上がろうとしたらスカートが肘掛にひっかかったり、荷物を運ぶ際にまごついて寮のエレベーターのドアにはさまれかけたりしましたが、なんとか無事にたどりつきました。ふう。

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