ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

海和尚(参考『和漢三才図会』)

 海和尚は人面の亀である。江戸時代の日本で作られた『和漢三才図会』にあり、水木しげる氏が絵にしているのとほぼ同じものの絵が添えられている。

 『和漢…』によれば、海和尚は別名を海坊主と言い、体はすっぽん、人面で頭髪はなく、大きなもので五、六尺(1.5?1.8m)。漁師はこれを見ると縁起が悪いと言う。たまに出会って殺そうとすると、両手を胸の前に組んで涙を流して救いを乞うので「わたしの網に悪さをするな」と言い聞かせると西を向いて天を仰ぐ。これは了承の印であるから、その後に放してやる。中国の『三才図会』に「東洋の大海中に和尚魚というのがいる。すっぽんに似て体は紅赤色、汐にのってやってくる」とあるのと同じものではないかと言う。

 スッポンのようで人面というからおかしなものを想像してしまうが、おそらく海豹(あざらし)の類であろう。手足がひれになっていること、背中がツルンとしているが亀のように固い甲羅ではないことをスッポンにたとえているのである。海豹の顔は海の生き物の中では表情豊かで人面といえるし、頭もつるんとしているので坊主頭に見える。北のほうから海流に乗って迷ってくる海豹の記録であろう。

天児

 天児と書いて「あまがつ」と読む。竹の棒を2本組み合わせてT字を作り、練絹で綿を包んだだけの丸い頭をつけた素朴な人形。これに着物を着せて赤ん坊の枕元におき、赤ん坊にふりかかる悪いものを身代わりに負わせた。古くは平安時代から江戸時代まで高貴な人々の家で子供が生まれると天児を作った。江戸時代には、赤ん坊の新しい着物はまず天児に着せて、次に赤ん坊に着せる。そういうことを五、六歳になるまで行う。男の子は十六歳で元服すると天児を神社やお寺に納めた。女の子は結婚しても婚礼道具とともに天児を連れて行き、お供え物などをして一生涯大事にした。以上はサントリー美術館で開催された「姫君の華麗なる日々」展にて、学芸員の方から聞いた説明。
 似たような起源のものにひな人形があるが、こちらは細工もしっかりしている。天児も長年使うものなのだから、ひな人形のように立派なものがあってもよさそうだが、素朴な作りのまま江戸時代まで伝えられているのが不思議だ。しかしあの素朴な作り(悪く言えば少々気味が悪い)には、潜在意識に訴えかけるような何かがあるのも確か。ひな人形のように立派なものになると、そこに自分ではなく別の人格を見てしまう。自分の分身とするためには、天児のような単純な作りのものでなくてはならないのだろうか。

御伽這子

 おとぎほうこ。単に這子(ほうこ)、御伽(おとぎ)とも。天児と似た使い方をする人形で、頭も胴も練絹に綿を詰めて作る。形は家によって多少違うかもしれない。徳川美術館所蔵のものは着物を着ているので中がどうなっているかよくわからないが、這子というと長方形の練絹の、それぞれの角の部分を半分に折って縫い、これを手足にして、腹から裏返して中に綿を詰めて縫い閉じて、別布で綿を包んで頭を作り、胴体に縫い合わせたのを言うことが多い。飛騨のさるぼぼ人形もこれと同じ作り方をする。

 わたくしの別ブログにさるぼぼ(這子)の作り方をアップしておきました。ごく基本的な作り方ですが、写真付きで解説しています。