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2010-08-17

[]13日の金曜日仕事を請けると、碌なことがない。

書評なんて信用できない」と思っている人も多いと思います。

本を指定されての書評を19回くらいしかやったことのない私が言うのも生意気だけど、信用できない書評が世のなかに存在しているのは事実です。

どのへんが信用できないかというと、「おなじみの評者たちが、おなじみの言葉を使って、絶賛する」パターン。こういう書評は「業界内での仕事の回し合い」であり、「ルーティンワーク書評」です。

もちろんそんなんじゃない、ちゃんとした書評を書いてる人たちだって、いるはずです。

ここ2年半ほど、告知しか書いてなかったのですが、きょうは記事を書くことにします。「書評なんて信用できない」と思っている人に読んでいただけると嬉しいです。

大手出版社の某雑誌編集者に、よくわからない目にあった話です。

題して「13日の金曜日仕事を請けると、碌なことがない。」

 

はじまりは2010年8月13日(金)20:08付の、某誌編集部Vさんからのメールでした。

8月23日(月)締切で、ある本の書評2400字を、という依頼でした。人気の高い著者の、300頁ほどの本です(私はまだ読んでいませんでした)。締切まで実質9日とは、ずいぶんとタイトな締切です。しかも金曜の晩、おまけに世間はお盆だというのに。

キツキツなタイミングの依頼があるばあい、どなたか他の書き手に執筆を断られたのだろうと推測するのですが、今回のはそれにしてもキツすぎです。

ちなみに、こういう「第2第3志望的な依頼」って、書く側としては気負いがなくて書きやすかったりします。他の仕事も立て込んでいる時期ではありますが、職場のほうは暇な時期。その著者の本はハズレがないので、読むこと自体が楽しみだなあ。よし、引き受けよう。

承諾のメールを送ったのは送信の4時間後、日付が変わって8月14日(土)0:18でした。

 

きのう、8月16日(月)の午後、べつの媒体編集者との打ち合わせを終えて帰宅。13日に請けた締切の1週間前なので、他の書きものと同時進行で当該書籍を読み始めました。

夕方、メールチェックをすると、15:23付でVさんからメール(以下大意。実際にはもちろん「ですます」のお詫び文体で書かれています)。

 

 先日、急遽お願いした書評だが、じつはもうひとり、千野さんより前に依頼していた評者がいた。

 お盆という連絡のつきにくい時期でもあり、その人から諾否の返信がもらえないままだったので、千野さんに依頼したという経緯だった。

 本日、その人から、引き受けるとの返事をメールで得た。

 先方からの返事を得る前に二重に依頼をしたのは私の責任である。

 申しわけないが、先に依頼した人にお願いすることにする。

 ついては、千野さんに11月号、または12月号で別の作品の書評をお願いできないか。

 

妙なことになったものです。

「他の書き手に執筆を断られたのだろう」と思っていたら、まさか他の書き手が断る前に両面待ち依頼をかけられていたとは。

第1希望の書き手が夏休み海外に行ったりすれば、メールチェックが遅れることもあるでしょう。それはしょうがないことです。

しかし、編集部が第2志望の書き手に両面待ち依頼をした挙句、即答した第2志望の書き手が「やっぱいいです」でお払い箱になるというのは、よくあることなのだろうか。

(本自体を読みはじめたところだったので、幸いにして大した時間を費やしていなかったし、書評自体ももちろん1字も書いていませんでした。また今回は、この仕事のあとで日程的な意味でお断りした別件仕事がなかったのもよかった。スケジュール的には、あってもおかしくない展開でした)

この道4半世紀の先輩ライターに事情を話してみたところ、

「私もいろいろな目にあったが、そういうのはない。ひどい目にあった話は同業者からもよく聞くが、そんな事例は聞いたことがない。初めてだ」

と呆れられました。

 

18:22付で、以下のように返信しました(以下大意)。

・先に依頼されていたかた(以下「Aさん」とする)に編集部が依頼なさった方法(書簡か留守番電話faxか電子メールか)、依頼の発信日時、提示した締切(私への依頼のさいに延ばしている可能性もあるので)を、後学のためご教示いただきたい。

・「本日、その人から、引き受けるとの返事をメールで得た」とのことだが、Aさんからの承諾の返事が明日であったとしても、同じことになったか。明後日ではどうか。締切直前の今週金曜では。月刊誌原稿依頼というものが、書き手によってはどのくらい諾否の返答を延ばせるものなのかに興味がある。

・Aさんに「X日間ご返事いただけなかったので、他のかたに依頼してしまいました」と詫びることより、私に「先に頼んでいた人があとから承諾したので、この話はなかったことに」と言うことのほうが、デメリットが少ないというご判断は、編集長のご判断か。

・Aさんに「ご返事いただけないので、締切の関係もありますから、他のライターに依頼します」と連絡せずに、代打を立てて「両面待ち」にするというご決断は、編集長のご意志によるものか。

・「ついては、千野さんに11月号、または12月号で別の作品の書評をお願いできないか」というご決断は、編集長のご意志によるものか。以上、Vさんとしてではなく編集部としてご回答いただきたい。

・今回は編集部自己都合による違約であるため、原稿料は全額いただきます。

11月号であれ12月号であれ、今回の依頼の「代わり」の書評依頼は、お断りいたします。貴誌書評欄が、評者が先にあってあとから本が決まるという、本にとって気の毒な場所であってほしくはありません。今回私が引っかかっているのは、二重発註の件でも違約の件でもなく、この方法で違約の埋め合わせをするという、Vさんあるいは編集部のご判断にたいしてです。

このあと近所に買い物に出ていると、18:59に携帯電話に着信。Vさんからでした。

「あとで『言った言わない』になるのは面倒なので、ほんとうはメールがいいんですが」と私。

しかしお詫びと事情説明をしたいとのことなので、切らないでいると、お詫びはあるけれど事情説明が曖昧で、さっぱり要領を得ません。

それで、私から質問をしてみたのですが、どうしても混乱してしまいます。

なにしろ登場人物が多い話です。Vさん、Aさん、Aさんに依頼した編集者Qさん(これがVさんと別人であることを聞き出すのにも時間がかかった)、私、そして編集長

Vさんは日本語話者に多い、文の主要な要素を省略するタイプの話しかたをするかたのようで、ただ「お願いしたのですが」と言われても、「だれが」「だれに」それを依頼したのかがなかなか見えません。

同じことを聞くのに質問のしかたを何回か変えて、5分くらいかけて気長にインタヴューを試みるうち、とうとう以下のことが判明しました。

 

Vさんがメールで「本日8月16日)、Aさんから、引き受けるとの返事をメールで得た」と書いたのは嘘でした。

別の編集者QさんがAさんに依頼したのは8月9日(月)で、Aさんの承諾の返事はたしかに遅れたけど、8月12日(木)だったというのです。「本日」ではなく「4日前」。

つまりAさんが承諾の返事をした翌日の晩に、Vさんは私に依頼メールを出したのでした。

AさんのOKが取れたことを、QさんはVさんにメールと留守電で伝えたそうですが、Vさんは両方とも見落とした。「本日8月16日)」にそのことに気づいた(か、教えられた)、が正解。

つまり、

Vさんの説明 : Aさんへの依頼→Aさん即答せず→Vさんが千野に依頼(8/13)→千野承諾(8/14)→Aさんのかなり遅い承諾(8/16)→千野クビ

真相 : Aさんへの依頼(8/9)→Aさんのやや遅い承諾(8/12)→把握せぬままVさんが千野に依頼(8/13)→千野承諾(8/14)→Vさん、Aさんの承諾を4日遅れで把握(8/16)→千野クビ

二重発註が発生した原因は、編集長決定ではなく、社内の連絡ミスでした(そういえば私はおととし、べつの版元の、編集部ではなく営業部の「連絡ミス」で痛い目を見て、企業が零細な出入り業者をどう扱うものかを思い知りました)。

午後には「まさか両面待ち依頼をかけられていたとは」と思ってたけど、そうではなくて、私は、他の書き手が承諾したのちに同じ仕事を依頼されたのですから、もともと発註自体が不要でした。結局、Vさんにとって「だけ」両面待ちだったのでした。第1志望の書き手であるAさんが私より先に承諾していたのだから、私が用済みになるのは当然です。

二股かけられてたと思ったら結婚詐欺でしかも詐欺師は法的に既婚者。

 

ミスは起こるものです。私もミスが多いから言うけれど、発生してしまったミスはしかたがない。今後連絡ミスを減らせばいいだけのことです。

問題はミスではなく、発覚後の対応でした。

Vさんは、15:23付のメールで、「本日、その人から、引き受けるとの返事をメールで得た」と書いていました。

自分がメールと留守電を見落としていた」というほんとうのことを書いていなかったのです。

第1志望の書き手Aさんが本来3日で返事したところを、1週間かけて返事した形にして、二重発註の本来の原因であるご自身のチェックミスを、私に報告しなかったのでした。

Aさんがだれだか知らないけど(もちろん、千野より売れてる人に決まってる。プンプン!!)、AさんはVさんのチェックミス濡れ衣を着せられていたわけで、Aさんは怒っていいところです。

 

いまとなっては、電話でのVさんの返事が曖昧日本語がわかりにくかった理由も、よくわかります。

ご自身のチェックミスを知られることを恐れる以上に、15:23付のメールで嘘を書いたと知られることを恐れて、核心部分を避けて話そうとするものだから、それじゃあしどろもどろになるわけです。

あーあ、最初から「私のミスです」と書いてくれてたら、こんなことにはならなかったのに。

 

Vさんが、編集長にどうしても電話を替わるとおっしゃるので、電話は切りませんでした。

Vさんがメールで嘘を書いてご自身のミスを書き手に転嫁しようとしたとは、会話中で編集長には言ってません(けど、ここに書いてしまいました)。

「ついては、千野さんに11月号、または12月号で別の作品の書評をお願いできないか」というご決断は、編集長のご意志によるものか、と訊きました。

編集長は立場上「すべて私の責任です」と言う。

この件の対策をめぐるVさんとの会話で編集長は、まだ単行本になっていないが本が出たら千野に書評させたいものがたまたまある旨、特定のコンテンツ名を挙げたそうです。

それがVさん語(Vsanese)に変換されて、「ついては、千野さんに11月号、または12月号で別の作品の書評をお願いできないか」になったと推察しました。

(二重発註にたいする詫びメールの文脈で、作品名記述なしで「別の作品」と書けば、「なんでもいい、なんか別の作品」の意味になってしまうのですけれど。)

 

このさきの、編集長との会話は、多くのかたには退屈な業界話になるので省略しますが、私が編集長に言ったことは、つぎのようなことです。

私が本のことを書いた文を売るようになったのは、そこを目ざしていたわけではなく、完全に成り行きです。
とはいえ本が好きなので、本について書くことができるのは、私にはありがたいことです。1冊1冊大事に論じたいと思っています。

そのいっぽうで、多くの読者同様に、書評というものにたいする不信感を私は持っています。
私も自分書評を書いたことがあるくせに、世間の書評のかなりの部分を信用していません。いま書評家というのはぜんぜん信用されてない。
それは、「書評ルーティンワーク的に書かれること」「書評業界内での仕事の回し合いになること」の結果だと思っています。

今回の二重発註を、次号あるいは次々号での起用で埋め合わせるのは、評者が先にあって本が未定、ということであり、それは本にとって幸福なことではありません。
書評は、まだその本を手に取っていない読者のためにあるのですから、埋め合わせなどという「業界内での仕事の回し合い」に貴誌の書評欄を使うのなら、その片棒を担ぐことはお断りいたします。

私自身年に数冊、書籍指定の書評を書く身でありながら、今回はVさんの埋め合わせ提案を読んで、雑誌書評欄なんて「業界内での仕事の回し合い」でしょ、という不信感を深める結果となってしまいました。

私のような辺鄙なところまで「仕事の回し合い」のお鉢が回ってきたのには驚きました。

Vさん、私は書評欄を「業界内での仕事の回し合い」に使うことには反対なんです。

ミスの埋め合わせに別件の書評を発註するというのは、本が好きな人からは出てこない発想です。そういう仕事は、取りあげた本にも読者にも失礼なので、お断りします。

 

考えてみればVさんと私とでは、書評観がまったく違っていました。Vさんは依頼メールに「この作品の魅力を、ぜひ千野さんに綴っていただけたらと思っています」とお書きになっていました。

私が知るかぎり書評というものは、最初から「魅力を綴る」と決めて書くものではありません。本を読んでみて魅力がなければ、その魅力の欠如を書くのが書評だと思ってます。

私は以前、ある文芸雑誌から自社本の書評依頼を受けて、せいぜい頑張ってその本の「いいとこ」を探したけれど「ダメなとこ」も半端なくあったので両方書いたところ、編集部から
「なんとかならないか。字数が必要なら文字数を35%増にするから」
と言われて、書き直したはいいが結局35%増の字数で本を貶すことになった阿呆です。4号に1回程度おつきあいのあったその雑誌からその後、ぱったり依頼がないのが、そのせいかどうかは知りません。

最初から「魅力を綴る」のが目的なら、書評欄を「業界内での仕事の回し合い」に使える、ルーティンワークのうまい評者に依頼するのがよろしいかと思います。

もちろんそんなんじゃない、ちゃんとした書評を書いてる人たちだって、いるはずだと知ってる私ですら、「書評なんてそうそう信用できない」と思っている読者のひとりです。

だからこそ、自分が書くときくらいはルーティンワーク書評でないものにしたいと考えたっていいですよね?

 

ハードボイルドな探偵なら、「13日の金曜日仕事を請けると、碌なことがない」とか言うところでしょうか。