智の木協会活動報告

2016-04-13

智の木協会第8回シンポジウムレポート

| 18:50

・平成27年12月4日(金)17時30分〜18時30分

・於:大阪富国生命ビル4階 (一社)テラプロジェクト Aゾーン

司会:智の木協会 事務局長 小菅喜昭氏


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開会のご挨拶:智の木協会 特別顧問 平井堅治氏

 参加のお礼を述べられた後、ちょうどフランスでCOP21が開催中でもあり、そのことに触れられながら「しかし、それだけでは難しく、植物とか自然の力を借りて補助していくことが必要だと考えます。まさに、これは智の木協会の趣旨そのものです」と話されました。

また、鳩山内閣が「グリーン・イノベーションによる環境エネルギー大国戦略」を閣議決定する4年も前に、小林先生は愛知万博で「植物の潜在能力の活用により、低酸素社会の実現や野外の心地よさを日々の生活に導入することによって、快適な生活圏を作り生活に潤いをもたせることの重要性」について講演されたと説明されました。

そして「温室効果ガスの排出の削減と植物の力・自然の力を活用して、これを両輪とすることにより初めて地球温暖化を防止することができるのではないかと考えていますし、今こそ、智の木協会から日本であるいは世界に情報発信していく時ではないかなと考えています」と結ばれました。


講演:西田律夫氏 京都大学名誉教授


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座長:智の木協会 代表幹事 小林昭雄氏

 講師の西田先生について次のように紹介されました。「長年、智の木協会で講演をお願いしたいなと思っていましたが、4月に学会でお会いし、本日の講演会が実現しました。先生は昆虫がお好きで、先生が22歳、私が27歳の時に西表島で出会いました。私は植物採集、先生はきれいなチョウチョを追い求めておられたという印象でした。」

 「智の木協会は木を守りみどりの環境を保つという趣旨で活動しておりますが、それを食う虫がいるということで『実のなる木を害虫から守る』という観点からお話していただきます」とバトンを西田先生に渡されました。


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講演

 西田先生からご講演タイトルをいただいた際には、ミカンコミバエの名前は初めて目にした虫で、ネットでも調べましたが実感が無く、漠然と12月4日、講演当日を迎えました。しかし、ご講演の最後に奄美大島でミカンコミバエが発見されたというお話がありました。そして、12月15日朝のニュースで「〜〜蔓延防止のため、ポンカンの島外持ち出し禁止、廃棄処分を始めた」と報じました。国内で一度は根絶したミカンコミバエでしたが、奄美大島で幼虫が見つかったということで、あらためて果樹の害虫の大変さを知ると共に、タイムリーなご講演だったと思いました。

 昆虫少年だった先生が学問として果樹と昆虫との関係、農薬使用の軽減を目指す、ひいては地球全体の環境に配慮した果樹栽培に繫がる研究を進めてこられた過程と結果についての分かりやすいお話、また、チョウチョの美しい映像に参加者は引き込まれていきました。

 まず、青森県弘前市のリンゴ畑での体験から、農家の人達は開花から収穫まで、日夜害虫、鳥害、病気の防除等世話が大変なことを実感、また、近くに放置農園があり、そこで駆除・防除等無しでは収穫がほとんど出来ない悲惨な状態になることを目の当たりにされました。

 梨、りんご、桃などの果実の中に食い入るナシヒメシンクイについて説明していただきました。ナシヒメシンクイは果実が大きくなると殺虫剤が浸透せず、どんどん食害していく大害虫です。成虫の蛾は7〜8ミリ位で非常に小さいですが、一匹でも入ると商品価値が無くなり、腐って落ちてしまい被害は大きいそうです。

 西田先生は、この蛾の配偶行動、求愛行動を観察されました。雌と雄が出会うのは、匂いでお互いに交信、つまりフェロモンを体内から体外へ放出し同種の個体を呼んでいるのだそうです。先生は、フェロモンの構造を突き止めていき、それを実際に害虫の防除に役立てられるかどうかという研究をしてこられました。   

 性フェロモンは一般に雌が分泌し、それぞれ蛾の種類によって出す物質が異なり、それを感じて雄の蛾が間違えることなく自分のパートナーの雌を見つけ出すことが出来るのですが、ナシヒメシンクイの場合は雌を見つけるとオスもフェロモンを出すのだそうです。

蛾の行動が分かると、フェロモンを別の原料から多量に合成することができ、それを農業に役立てる研究が進んできました。

 梨畑にフェロモントラップ(フェロモン1〜2mg)をぶら下げてフェロモンによる害虫の発生調査を実施されたところ、一晩でたくさんの雄の蛾が飛び込んできたそうです。人の目では確認できていなくても、害虫はそこかしこに潜んでいるもののようです。雄がトラップされたということは、その果樹園付近に雌も相当数いるはずです。このような捕獲がピークを迎えた数日後には産卵が始まります。蛾の場合は1匹が数百個の卵を産みますので、「フェロモンに集まってくる時期を知ることにより発生のタイミングを知ることができます」と西田先生。色々な種類の蛾、それぞれの蛾がそれぞれ異なる構造のフェロモンを雌が発散し、雄が間違えることなく自分のパートナーを見つけ出すということにより、フェロモンによる害虫の大量誘殺が可能であり、これまで使用されてきているそうです。

 フェロモンによる害虫防除法には、発生予知(Monitoring)、大量誘殺(Mass trapping)、

交信撹乱(Mating disruption)の3種類がありますが、世界中で使われている大量誘殺の方法でさえ、全部を殺すことは難しく、最近世界で脚光を浴びている方法、交信撹乱について説明していただきました。ごく微量で雄は誘引されるため、細いチューブに合成したフェロモンを封入し、果樹数本に1本の割合でぶら下げると果樹園全体にフェロモンが充満し、雄は匂いを嗅いでいますから興奮して雌を探し回り撹乱が起こってしまいます。この方法は、広大な土地での利用が有効で、殺虫剤との併用でかなりの効果があり、ヨーロッパオーストラリア等の果樹園で使われているそうです。信越化学がコンフューザーNという交信撹乱剤を生産・販売しており、この中には複数の蛾のフェロモンを混合して入れてあり、それぞれ発生の時期が異なっても防除できるそうです。殺虫剤散布回数を減らすことができ、環境負荷が少ないということで総合防除という形で使われてきています。


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          アゲハチョウ.ミカン葉に産卵


 次に、チョウの超能力について、説明していただきました。アゲハチョウはミカン科の植物に、キアゲハはセリ科の植物に、アオスジアゲハはクスノキに産卵します。サンショウの葉が丸裸になってしまった経験をお持ちの方、また、パセリの収穫の際に横縞模様の幼虫にびっくりされた方も多いと思います。

先生は、アゲハチョウがたくさんの植物の中からミカン科の植物を、他の害虫も特定の植物を目ざとく見つけることに興味を持たれ、また、その能力の解明がなされていなかったことから、卒論のテーマとして研究されました。アゲハチョウは葉に触れると前足でトントンと叩き、雌の前足は歯ブラシのようになっており雄にはないことから、そこで何かを感じているのではないか、と的を絞って進められました。「その実験にはマニキュアを塗りました」とのお話に、参加者達に笑みがこぼれました。その頃、「モンシロチョウキャベツの葉を前足で感じる」という論文が発表され、前足にレセプターがあることが分かり、遺伝子をブロックすることによって産卵を阻止することができる可能性が出てきました。

ミカン科植物の葉には数百種類の化合物がある中、10種類がエッセンスで必要だということが分かり、その10種類にアゲハチョウは反応するそうです。色紙の模型にその物質を塗布すると、アゲハチョウは産卵するのですが、「野外では1匹も来ないことから、匂いやしなやかさ、艶やかさなども重要だということが分かっています」と西田先生。これらの研究は、まだ応用には至っていませんが、害虫のウイークポイントが分かってくれば防除手段を見つけ出せるのではないか、と研究を続けておられます。

 ミカン農家の方々からするとアゲハチョウなんて可愛らしいもの、ミカン科の害虫数ある中で本当に怖いのはミカンコミバエで、先生のもう一つの研究になっています。トロピカルフルーツの大害虫で、「40年前小林先生と沖縄で出会った頃には、ミカンコミバエがウジャウジャいて、マンゴーもミカンも絶対育てられない状況でした」と、当時の様子を説明されました。その防除方法では、誘引物質メチルオイゲノールに雄がやって来て舐めますので殺虫剤を入れておくと死にます。メチルオイゲノールと少量の殺虫剤をダンボールに染み込ませ、ヘリコプターからばら撒くと効果的で、沖縄では雄特異的誘引剤を用いた大量誘殺によるミカンコミバエの根絶事業(1972〜1986)により、根絶されたはずでした(が、奄美大島で発生)。


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             講演会の様子


 マレーシアフィリピンで研究の続きをされたところ、メチルオイゲノールを発散している植物は多くあり、そこへミバエがやって来てその植物の受粉を手伝い、逆にミバエは貰った香りを蓄えて雌を誘惑する性フェロモンとして利用する、いわゆる虫側と花側とが共進化しているそうです。実際に舐めていくと背中に花粉の詰まった袋(花粉塊)が付き、ミバエは別の花に運んで花粉が授受されるという仕組みになっているとか。ミバエランでは、ミカンコミバエが花の中心にある可動式の唇弁部を舐めた途端にミバエの重みで倒れ込み、その際に雄しべに受粉するそうです。その成分はZingeroneという生姜の成分で、全く新しい誘引物質で、オーストラリアマンゴーのミバエの防除に利用できないかと目下研究がなされています。

 今後も生態系情報化学物質で植物を守る見地から、害虫駆除のヒントがまだまだあるはずと、現場からヒントを得て研究を続けていきたいと話されました。「これまでの方法は、有効に使えば問題はありませんが、タイやマレーシアでは本来ミカンコミバエと仲良くしている植物があり、この虫を駆除してしまったらミバエランは滅びてしまう可能性があり、やっつければよいという訳ではありません」「農業生態系と自然とのせめぎ合い、これをどのように解決していけばよいかにも配慮しながら進めていきたい」と結ばれました。



質疑応答

Q:生物農薬、いわゆる天敵について。

A:本来土着のものをアタックするなどの問題が出てきているようで、一概に評価がプラスだけとはいかないようだ、と聞いたことがあります。一つ一つ慎重にしなければいけないということです。

Q:チョウチョの色はきれいですが、あれを抽出しても色は出ないですね?

A:チョウチョは何度か抽出しましたが、あの色だけは抜けないですね。でも、その中の特に目立つ色のカロチノイドだけはスポッと抜けます。

Q:信越化学が売りだしているコンフューザーN、他にこのような撹乱剤を作っている会社は?

A:中国はこれから頑張る可能性があります。ヨーロッパアメリカにもあるとは思いますが、信越化学はかなり安全なものを作っています。

Q:毒を持つ蛾も、食べているものを身体に蓄積するということを聞いたことがありますが・・・

A:実はチョウチョを追いかけた原因はそちらで、沖縄へ行くと毒チョウがたくさんいて、その成分は食草から蓄えていました。未だにチョウチョを追いかけている理由です。


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事業報告:智の木協会 代表幹事 小林昭雄氏

 智の木協会のこの1年間(第7期)の活動について報告されました。

自主事業:

 第8回ワークショップ(平成26年11月、岩本将稔氏、柿渋の話)、第9回ワークショップ(平成27年2月、大阪芸術大学教授 池田光惠氏、錦影絵、お話とデモンストレーション、大阪国際サイエンスクラブと共催)、新年交流会(平成27年1月、日根野文三氏、「数値を実感しよう」)、第17回イーヴニングトーク(10月、信州大学名誉教授 廣田満氏「信州キノコの森を語る」)、創立記念講演会(5月、京都大学教授 平井伸博氏「花粉はなぜ光る」。

グリーンツーリズム

 京町家見学と扇子絵付け体験、京風お弁当を楽しむ一日(6月。扇子のお披露目会、8月)、柿渋工場見学会(9月)。

・後援事業:

(1)平成26年11月19日、「都市未利用空間活用で“みどりの風”を感じる大阪つくりシンポジウム

(2)平成27年7月4日、シンボルグリーン東梅田を起点とした大阪みどりの風つくり

・花壇「フラワーケーキ」完成記念式典

 富国生命保険相互会社、平井常務様にもご臨席いただきました。

シンポジウム

(3)平成27年11月7日、いのちの森のパンバザール

当日の様子がテレビニュースで報道されました。

また、パンノキの粉を使って日本人が作ったレシピが、現地サモアで新聞ニュースとして取り上げられました。

非常に大きな関心を持っていただきました。

「Go Greening!」植育(育てる喜び、収穫する喜び、分かち合う喜び、食する喜び)という言葉を智の木協会から発信しています。これを国際語にしたい!

(4)平成27年11月29日、大阪みどりのサンタ・ラン参加

 大阪あかるクラブ創設者やしきたかじんさんの遺志に「みどり化」があり、みどりのサンタ・ランとして参加のチャンスをいただきました。クリスマスツリーを作ろう!ということで、人工のツリーを、智頭町小国町四万十町から杉・檜の枝を寄付していただき、網に枝を差し込んで5m高のツリー、他に2本、合計3本のツリーを作りました。ツリーには、願いごとを書いてぶら下げていただきました。

 今後の抱負について、“みどり化”に相当する英語がありませんので、「智の木協会の植育と共に、“みどり”を国際語にしたい」また、「智の木協会の活動が市民にまで浸透するよう、事務局として更なる努力をしてまいります」と決意を示されました。


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閉会のご挨拶:智の木協会 副理事長 黒田錦吾氏

 先ず、ご参加のお礼を述べられました。次に、ご子息が中学生になられた時にレモンの木を植えられ、良く育って長い間レモンを100くらい収穫されたそうですが、ある時突如として枯れたこと、また、ビワが実って収穫段階に入った頃に鴉にやられてしまったこと等、実のなる木を育てることの難しさを披露されました。そして、「フェロモンのお話を聞いて、これからは防除の仕方が私共の課題では」と話されました。

 次に智の木協会の活動について、「シンポジウムワークショップ、イーヴニングトーク等、非常に勉強になる話ですので、参画することが楽しみです」「富国生命保険相互会社の平井様からお話がありましたが、フランスで行われているCOP21という国家間の約束もさることながら、草の根として、会を通じてもっと植物に関心を持ってこの輪を広げていくことが大事ではないでしょうか」と結ばれました。


交流会


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                        交流会の様子

2015-04-13 智の木協会第8回シンポジウム レポート

| 18:50

・平成27年12月4日(金)17時30分〜18時30分

・於:大阪富国生命ビル4階 (一社)テラプロジェクト Aゾーン

司会:智の木協会 事務局長 小菅喜昭氏


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開会のご挨拶:智の木協会 特別顧問 平井堅治氏

 参加のお礼を述べられた後、ちょうどフランスでCOP21が開催中でもあり、そのことに触れられながら「しかし、それだけでは難しく、植物とか自然の力を借りて補助していくことが必要だと考えます。まさに、これは智の木協会の趣旨そのものです」と話されました。

また、鳩山内閣が「グリーン・イノベーションによる環境エネルギー大国戦略」を閣議決定する4年も前に、小林先生は愛知万博で「植物の潜在能力の活用により、低酸素社会の実現や野外の心地よさを日々の生活に導入することによって、快適な生活圏を作り生活に潤いをもたせることの重要性」について講演されたと説明されました。

そして「温室効果ガスの排出の削減と植物の力・自然の力を活用して、これを両輪とすることにより初めて地球温暖化を防止することができるのではないかと考えていますし、今こそ、智の木協会から日本であるいは世界に情報発信していく時ではないかなと考えています」と結ばれました。


講演:西田律夫氏 京都大学名誉教授


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座長:智の木協会 代表幹事 小林昭雄氏

 講師の西田先生について次のように紹介されました。「長年、智の木協会で講演をお願いしたいなと思っていましたが、4月に学会でお会いし、本日の講演会が実現しました。先生は昆虫がお好きで、先生が22歳、私が27歳の時に西表島で出会いました。私は植物採集、先生はきれいなチョウチョを追い求めておられたという印象でした。」

 「智の木協会は木を守りみどりの環境を保つという趣旨で活動しておりますが、それを食う虫がいるということで『実のなる木を害虫から守る』という観点からお話していただきます」とバトンを西田先生に渡されました。


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講演

 西田先生からご講演タイトルをいただいた際には、ミカンコミバエの名前は初めて目にした虫で、ネットでも調べましたが実感が無く、漠然と12月4日、講演当日を迎えました。しかし、ご講演の最後に奄美大島でミカンコミバエが発見されたというお話がありました。そして、12月15日朝のニュースで「〜〜蔓延防止のため、ポンカンの島外持ち出し禁止、廃棄処分を始めた」と報じました。国内で一度は根絶したミカンコミバエでしたが、奄美大島で幼虫が見つかったということで、あらためて果樹の害虫の大変さを知ると共に、タイムリーなご講演だったと思いました。

 昆虫少年だった先生が学問として果樹と昆虫との関係、農薬使用の軽減を目指す、ひいては地球全体の環境に配慮した果樹栽培に繫がる研究を進めてこられた過程と結果についての分かりやすいお話、また、チョウチョの美しい映像に参加者は引き込まれていきました。

 まず、青森県弘前市のリンゴ畑での体験から、農家の人達は開花から収穫まで、日夜害虫、鳥害、病気の防除等世話が大変なことを実感、また、近くに放置農園があり、そこで駆除・防除等無しでは収穫がほとんど出来ない悲惨な状態になることを目の当たりにされました。

 梨、りんご、桃などの果実の中に食い入るナシヒメシンクイについて説明していただきました。ナシヒメシンクイは果実が大きくなると殺虫剤が浸透せず、どんどん食害していく大害虫です。成虫の蛾は7〜8ミリ位で非常に小さいですが、一匹でも入ると商品価値が無くなり、腐って落ちてしまい被害は大きいそうです。

 西田先生は、この蛾の配偶行動、求愛行動を観察されました。雌と雄が出会うのは、匂いでお互いに交信、つまりフェロモンを体内から体外へ放出し同種の個体を呼んでいるのだそうです。先生は、フェロモンの構造を突き止めていき、それを実際に害虫の防除に役立てられるかどうかという研究をしてこられました。   

 性フェロモンは一般に雌が分泌し、それぞれ蛾の種類によって出す物質が異なり、それを感じて雄の蛾が間違えることなく自分のパートナーの雌を見つけ出すことが出来るのですが、ナシヒメシンクイの場合は雌を見つけるとオスもフェロモンを出すのだそうです。

蛾の行動が分かると、フェロモンを別の原料から多量に合成することができ、それを農業に役立てる研究が進んできました。

 梨畑にフェロモントラップ(フェロモン1〜2mg)をぶら下げてフェロモンによる害虫の発生調査を実施されたところ、一晩でたくさんの雄の蛾が飛び込んできたそうです。人の目では確認できていなくても、害虫はそこかしこに潜んでいるもののようです。雄がトラップされたということは、その果樹園付近に雌も相当数いるはずです。このような捕獲がピークを迎えた数日後には産卵が始まります。蛾の場合は1匹が数百個の卵を産みますので、「フェロモンに集まってくる時期を知ることにより発生のタイミングを知ることができます」と西田先生。色々な種類の蛾、それぞれの蛾がそれぞれ異なる構造のフェロモンを雌が発散し、雄が間違えることなく自分のパートナーを見つけ出すということにより、フェロモンによる害虫の大量誘殺が可能であり、これまで使用されてきているそうです。

 フェロモンによる害虫防除法には、発生予知(Monitoring)、大量誘殺(Mass trapping)、

交信撹乱(Mating disruption)の3種類がありますが、世界中で使われている大量誘殺の方法でさえ、全部を殺すことは難しく、最近世界で脚光を浴びている方法、交信撹乱について説明していただきました。ごく微量で雄は誘引されるため、細いチューブに合成したフェロモンを封入し、果樹数本に1本の割合でぶら下げると果樹園全体にフェロモンが充満し、雄は匂いを嗅いでいますから興奮して雌を探し回り撹乱が起こってしまいます。この方法は、広大な土地での利用が有効で、殺虫剤との併用でかなりの効果があり、ヨーロッパオーストラリア等の果樹園で使われているそうです。信越化学がコンフューザーNという交信撹乱剤を生産・販売しており、この中には複数の蛾のフェロモンを混合して入れてあり、それぞれ発生の時期が異なっても防除できるそうです。殺虫剤散布回数を減らすことができ、環境負荷が少ないということで総合防除という形で使われてきています。


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          アゲハチョウ.ミカン葉に産卵


 次に、チョウの超能力について、説明していただきました。アゲハチョウはミカン科の植物に、キアゲハはセリ科の植物に、アオスジアゲハはクスノキに産卵します。サンショウの葉が丸裸になってしまった経験をお持ちの方、また、パセリの収穫の際に横縞模様の幼虫にびっくりされた方も多いと思います。

先生は、アゲハチョウがたくさんの植物の中からミカン科の植物を、他の害虫も特定の植物を目ざとく見つけることに興味を持たれ、また、その能力の解明がなされていなかったことから、卒論のテーマとして研究されました。アゲハチョウは葉に触れると前足でトントンと叩き、雌の前足は歯ブラシのようになっており雄にはないことから、そこで何かを感じているのではないか、と的を絞って進められました。「その実験にはマニキュアを塗りました」とのお話に、参加者達に笑みがこぼれました。その頃、「モンシロチョウキャベツの葉を前足で感じる」という論文が発表され、前足にレセプターがあることが分かり、遺伝子をブロックすることによって産卵を阻止することができる可能性が出てきました。

ミカン科植物の葉には数百種類の化合物がある中、10種類がエッセンスで必要だということが分かり、その10種類にアゲハチョウは反応するそうです。色紙の模型にその物質を塗布すると、アゲハチョウは産卵するのですが、「野外では1匹も来ないことから、匂いやしなやかさ、艶やかさなども重要だということが分かっています」と西田先生。これらの研究は、まだ応用には至っていませんが、害虫のウイークポイントが分かってくれば防除手段を見つけ出せるのではないか、と研究を続けておられます。

 ミカン農家の方々からするとアゲハチョウなんて可愛らしいもの、ミカン科の害虫数ある中で本当に怖いのはミカンコミバエで、先生のもう一つの研究になっています。トロピカルフルーツの大害虫で、「40年前小林先生と沖縄で出会った頃には、ミカンコミバエがウジャウジャいて、マンゴーもミカンも絶対育てられない状況でした」と、当時の様子を説明されました。その防除方法では、誘引物質メチルオイゲノールに雄がやって来て舐めますので殺虫剤を入れておくと死にます。メチルオイゲノールと少量の殺虫剤をダンボールに染み込ませ、ヘリコプターからばら撒くと効果的で、沖縄では雄特異的誘引剤を用いた大量誘殺によるミカンコミバエの根絶事業(1972〜1986)により、根絶されたはずでした(が、奄美大島で発生)。


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             講演会の様子


 マレーシアフィリピンで研究の続きをされたところ、メチルオイゲノールを発散している植物は多くあり、そこへミバエがやって来てその植物の受粉を手伝い、逆にミバエは貰った香りを蓄えて雌を誘惑する性フェロモンとして利用する、いわゆる虫側と花側とが共進化しているそうです。実際に舐めていくと背中に花粉の詰まった袋(花粉塊)が付き、ミバエは別の花に運んで花粉が授受されるという仕組みになっているとか。ミバエランでは、ミカンコミバエが花の中心にある可動式の唇弁部を舐めた途端にミバエの重みで倒れ込み、その際に雄しべに受粉するそうです。その成分はZingeroneという生姜の成分で、全く新しい誘引物質で、オーストラリアマンゴーのミバエの防除に利用できないかと目下研究がなされています。

 今後も生態系情報化学物質で植物を守る見地から、害虫駆除のヒントがまだまだあるはずと、現場からヒントを得て研究を続けていきたいと話されました。「これまでの方法は、有効に使えば問題はありませんが、タイやマレーシアでは本来ミカンコミバエと仲良くしている植物があり、この虫を駆除してしまったらミバエランは滅びてしまう可能性があり、やっつければよいという訳ではありません」「農業生態系と自然とのせめぎ合い、これをどのように解決していけばよいかにも配慮しながら進めていきたい」と結ばれました。



質疑応答

Q:生物農薬、いわゆる天敵について。

A:本来土着のものをアタックするなどの問題が出てきているようで、一概に評価がプラスだけとはいかないようだ、と聞いたことがあります。一つ一つ慎重にしなければいけないということです。

Q:チョウチョの色はきれいですが、あれを抽出しても色は出ないですね?

A:チョウチョは何度か抽出しましたが、あの色だけは抜けないですね。でも、その中の特に目立つ色のカロチノイドだけはスポッと抜けます。

Q:信越化学が売りだしているコンフューザーN、他にこのような撹乱剤を作っている会社は?

A:中国はこれから頑張る可能性があります。ヨーロッパアメリカにもあるとは思いますが、信越化学はかなり安全なものを作っています。

Q:毒を持つ蛾も、食べているものを身体に蓄積するということを聞いたことがありますが・・・

A:実はチョウチョを追いかけた原因はそちらで、沖縄へ行くと毒チョウがたくさんいて、その成分は食草から蓄えていました。未だにチョウチョを追いかけている理由です。


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事業報告:智の木協会 代表幹事 小林昭雄氏

 智の木協会のこの1年間(第7期)の活動について報告されました。

自主事業:

 第8回ワークショップ(平成26年11月、岩本将稔氏、柿渋の話)、第9回ワークショップ(平成27年2月、大阪芸術大学教授 池田光惠氏、錦影絵、お話とデモンストレーション、大阪国際サイエンスクラブと共催)、新年交流会(平成27年1月、日根野文三氏、「数値を実感しよう」)、第17回イーヴニングトーク(10月、信州大学名誉教授 廣田満氏「信州キノコの森を語る」)、創立記念講演会(5月、京都大学教授 平井伸博氏「花粉はなぜ光る」。

グリーンツーリズム

 京町家見学と扇子絵付け体験、京風お弁当を楽しむ一日(6月。扇子のお披露目会、8月)、柿渋工場見学会(9月)。

・後援事業:

(1)平成26年11月19日、「都市未利用空間活用で“みどりの風”を感じる大阪つくりシンポジウム

(2)平成27年7月4日、シンボルグリーン東梅田を起点とした大阪みどりの風つくり

・花壇「フラワーケーキ」完成記念式典

 富国生命保険相互会社、平井常務様にもご臨席いただきました。

シンポジウム

(3)平成27年11月7日、いのちの森のパンバザール

当日の様子がテレビニュースで報道されました。

また、パンノキの粉を使って日本人が作ったレシピが、現地サモアで新聞ニュースとして取り上げられました。

非常に大きな関心を持っていただきました。

「Go Greening!」植育(育てる喜び、収穫する喜び、分かち合う喜び、食する喜び)という言葉を智の木協会から発信しています。これを国際語にしたい!

(4)平成27年11月29日、大阪みどりのサンタ・ラン参加

 大阪あかるクラブ創設者やしきたかじんさんの遺志に「みどり化」があり、みどりのサンタ・ランとして参加のチャンスをいただきました。クリスマスツリーを作ろう!ということで、人工のツリーを、智頭町小国町四万十町から杉・檜の枝を寄付していただき、網に枝を差し込んで5m高のツリー、他に2本、合計3本のツリーを作りました。ツリーには、願いごとを書いてぶら下げていただきました。

 今後の抱負について、“みどり化”に相当する英語がありませんので、「智の木協会の植育と共に、“みどり”を国際語にしたい」また、「智の木協会の活動が市民にまで浸透するよう、事務局として更なる努力をしてまいります」と決意を示されました。


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閉会ご挨拶:智の木協会 副理事長 黒田錦吾氏

 先ず、ご参加のお礼を述べられました。次に、ご子息が中学生になられた時にレモンの木を植えられ、良く育って長い間レモンを100くらい収穫されたそうですが、ある時突如として枯れたこと、また、ビワが実って収穫段階に入った頃に鴉にやられてしまったこと等、実のなる木を育てることの難しさを披露されました。そして、「フェロモンのお話を聞いて、これからは防除の仕方が私共の課題では」と話されました。

 次に智の木協会の活動について、「シンポジウムワークショップ、イーヴニングトーク等、非常に勉強になる話ですので、参画することが楽しみです」「富国生命保険相互会社の平井様からお話がありましたが、フランスで行われているCOP21という国家間の約束もさることながら、草の根として、会を通じてもっと植物に関心を持ってこの輪を広げていくことが大事ではないでしょうか」と結ばれました。


交流会


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                        交流会の様子

2015-01-15

智の木協会 第7回シンポジウム レポート

| 01:55

智の木協会創立5周年記念特別シンポジウム レポート

平成26年7月16日(水)17時00分〜19時00分

於:大阪富国生命ビル4階 【社団】テラプロジェクト Aゾーン

             司会:智の木協会 理事 大塩裕陸氏


開会のご挨拶:智の木協会 特別顧問 平井堅治氏

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 この度より、智の木協会特別顧問山本幹男氏が名誉顧問に就任され、平井堅治氏に特別顧問として智の木協会をご支援いただくことになりました。

 特別顧問として初のご挨拶で、参加のお礼、智の木協会設立の経緯、設立6年目を迎えた智の木協会について「企業、個人のレベルで知恵を持った方々にお集まりいただき、関西を、日本を活性化し、今直面しています高齢化問題など複合化する社会に対峙し解決策を導くために皆様から多様な知恵を授かる組織です」と述べられました。そして、「皆様の夢や要望をプロジェクトに仕立ててもらう仕組みとしての機能を叶えるために、4階の産学連携支援施設の運用をお願いしておりますテラプロジェクトさんに協力を願い、植・食、健康に関する事業展開につきまして幾つかの提案をしてきております」「具体的な企画を企業の方々と進めていく中で、智の木協会はみどりとエモーションを基調とするアカデミックな社交場へと進化してきております」と説明されました。

 平井氏はまた、「富国生命保険相互会社としましても、豊かな長寿社会形成実現に向けて、このビルを21世紀の新たなライフスタイルを情報発信する、都市を1本の木としてイメージいただけるよう位置づけております。また、微力ながらこの地域の災害時の緊急避難ビルの第一号として、低層階を提供させていただいております」と、地域における社会貢献と役割を明言されました。

 本日は昨年の5周年記念シンポジウム後、初の記念すべきシンポジウムで、講師に両備ホールディングス株式会社代表取締役会長の小嶋様をお迎えし、節目の第一歩を踏み出すことの喜びを話されました。「小嶋様は中国地方のみならず、各面でことつくりにアイディアを出され、特に和歌山電鐡の再建はあまりにも有名であり、国内はもとより海外のメディアでも取り上げられております」と詳しくご紹介いただきました。


講演:小嶋光信氏 両備ホールディングス株式会社 代表取締役会長兼CEO

座長:智の木協会 代表幹事 小林昭雄氏

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 ご多忙なスケジュールの中、講師をお引き受けいただいたことへのお礼を述べられました。講師の小島光信氏について、両備ホールディングスの50を超える事業体の総責任者で、多岐にわたるお仕事に創意工夫を常に取り入れながら企業発展を進めておられる企業家であると同時に、アカデミアの関係でも活躍されていることをご紹介いただきました。岡山大学の理事として大学の発展に企業を代表してアドバイスされ、開かれた大学作りに活躍なさったことを説明されました。

2008年に、小嶋氏は智の木協会副理事長黒田錦吾氏と共に阪大をお訪ねくださり、その際に代表幹事が智の木協会の概要をお話したところ「面白い!」とおっしゃってくださったそうです。「それを心の支えとして智の木協会を設立しました」と小林氏。〔社団〕テラプロジェクト(小林昭雄理事長)は、日本に全くない組織であり、その運用に関して小嶋氏の知恵を授かりたいと、ご多忙の中、岡山で度々面談させていただいているそうです。

 特別顧問の平井氏も岡山ご出身、「ご縁を感じます。これをご縁に智の木協会発展のためにお知恵を授かりたい」と講演への期待感を示されました。


講演

 小林代表幹事との最初の接点は「植物工場」という キーワードだったそうです。小嶋氏が岡大の理事時代、経済産業省から岡山大学で植物工場をやってほしいという話がありましたが、当時の岡大ではハウスがあれば十分という雰囲気の中、小林氏のみが前向きだったそうです。

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 本日の講演について「地域づくりにおけるベース的な考え方、なぜたまちゃんが生まれたのか、なぜ私が地域の倒れた公共交通を再生する、誰もやりたくない仕事をやっているのかなど、地域づくりの話をします」と切り出されました。

 両備ホールディングス(株)の前身は岡山西大寺から後楽園まで走っていた西大寺鐵道(株)であり、企業には運輸・観光関連部門、情報関連部門、生活関連部門の三つのコアがあり、社員数約8,500人、平成22年に100周年を迎えた岡山では中枢の企業です。小嶋氏は「鉄道、バス、フェリー、空輸の一部、観光も含めて旧運輸省のやっていることはほとんどやっている学会みたいな会社ですが、他の私鉄グループとの違いは情報関連部門(両備システムという会社)があること、しかも西日本で一番広い地域をカバーしているソフト会社です」と説明されまた。

 昭和40年代電子計算機と言われた時代に、欧米に負けない電子計算機を作ろうと、現代のスマホよりレベルは低いものの、それを西日本で最初に入れ、医師関連の会計ソフトは全国で4番目くらいだそうです。行政関係、受託事業などは、全国の草分けだとか。偏差値と言う言葉を最初に作ったのは両備さんであり、そのソフトを無料で福武書店(現ベネッセ)に譲ってしまわれたそうです。

 両備さんは「忠怒(ちゅうじょ)」(論語)“まごころからの思いやり”という言葉を会社の根幹として展開されています。「日本の企業は欧米と異なり、いわゆる社会資本によって裏打ちされていることにより経営が成り立っていますし、資本だけでなく、仕事を頑張ってくれる社員達がいて、お客様が我々を信頼してくださり、社会全体仕事ができる仕組みがあるからこそ企業が存在します」と、小嶋氏はこれまで耳にしたことが無かった理論を展開されました。

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 両備グループさんは、三つの経営方針を打ち出しておられます。まず、“社会正義”。安全な社会に対しての対価、事業が収益を上げて税金を支払うこと、社会に貢献していく“社会正義”をこだわりをもって提唱されています。コンプライアンスという言葉は、使いたくありませんと小嶋氏。日本の法律は明治時代にでき、戦前・戦後一部改正されたとは言え変わっていない、日本では議論をしても結論が出ない、実際に法律が変わるのは事件が起きてからです、と日本の社会の仕組みの構造的な欠陥に触れられました。「両備グループでは、社会悪と分かった瞬間に儲かっている事業でもその時点で止める、自分の企業を続けたければ悪いことをしてはいけない」と常々話しておられるそうです。

 経営方針その二“お客様第一”。「社員には現状で最高のものをお客様に提供し、お客様第一だと思ってやってくださいと言っています」「大事なことは、皆その方向に向いて仕事をしているかどうか、ということです」と小嶋氏。

 経営方針その三“社員の幸せ”(社員への思いやり)。これを出したら「労使交渉ができない、ベースアップ3,000円、それが社員の幸せです」と社員に大反対された小嶋氏、社員の幸せとは賃金、労働条件の話ではないことを社員に説明されました。小嶋氏考案の幸せの方程式、「健康×能力×やるき=社員の幸せ」、何と分かりやすい数学でしょう。この方程式は子育てにも通用するのではないでしょうか。「1×1×1=1」、しかし3つのうちの1つでも“0”だと、全て0になります。小嶋氏は、「人間は健康であれば、どんな条件下でも生きていけるんです!」と、健康づくりセンターを作り、3年間の改善計画を立て、健康教育を実施されました。また、能力開発については「両備大学、両備大学院」を設置しました。大企業に負けないキャリアを積んでもらい、健康とモチベーションを上げることによって自分で自分の幸せを掴むたくましい社員を育てることが一番、と力説されました。幸せとは人から貰うものではなく、自分で掴み取るものなのです。

 大企業と地方の企業では色々な面で対応が異なることを話されました。基本的に利益優先は地方企業ではできないとのこと。

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 小嶋氏は14年前両備グループの代表に就任された時、東京と岡山の違いについて調べられ、その結果、学歴、能力・・・特に大きな違いはないのに岡山の方が遅れている原因は「スピード」だということを突き止められました。そこで作られた規範が「知行合一(ちこうごういつ)」、「すぐやる・必ずやる・出来るまでやる」で、かなりスピードアップしたそうです。

 忠恕という言葉、忠はまごころ、恕は思いやりであり、これは先代の松田与三郎氏の戒名(天海院忠恕一貫居士)の中に見つけたと述べられました。本来は院殿と付けられる戒名でありながら、ご自分で戒名を付けられたので、殿はありません。意味は「空よりも高く、海よりも深く、まごころからの思いやりを一生貫いた男です」であり、小嶋氏は「忠恕」を100周年が終わった次の100年の計を立てられる際に理念に据えられました。「トップは、社員の首切りをする前に、まず自分の首を切れよ、ということです。それがまごころからの思いやりだったのです」と説明されました。

 「景気が悪くなると余剰社員が増えます。その社員の働く場所を作るために多角化を行ってきました」「一番景気の悪い時に会社を作るため、それ以上悪くならず、必ずよくなります」と小嶋氏。58社中黒字が57社だそうです。「不景気の時にリストラをすると、今のようなアベノミックスになると人手不足になります」「人集めをしても3年くらいは使い物にならないのです。私共は景気の悪い時も皆で我慢して、景気が良くなったら全員が仕事につけるよう、心がけています」と言及されました。小嶋氏の乗り切り方に大きな拍手が寄せられました。

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 小嶋氏の再生着手を後押しするきっかけになった人物、元禄時代に岡山にいた英傑、津田永忠の話をされました。津田永忠は、「豊かな岡山、教育県岡山」と言われる基礎を築いた人物であり、2千数百町歩の干拓、日本三大名園後楽園、閑谷学校、倉安川吉井閘門(現存するパナマ式運河で世界で2番目に古い)を造った岡山の英傑です。岡山藩の財政と干拓による大洪水の予測により、陽明学者 熊沢蕃山が干拓に大反対した際に永忠は、藩のお金ではなく以前の藩の借金を全て返済し信用を得ている堺の商人から自分が借りて干拓工事を行うと宣言したそうです。大洪水の心配は「新しい土木技術―満潮時には閘門を閉めて水が上がってくるのを防ぎ、大水尾(おおみお)を造って水を貯め、干潮時に閘門を開いて排水する」ことにより防ぐことができる、そうすれば洪水は50年に一度に抑えることが出来ると言ったそうです。49年間食糧を生産して1年間分を蓄えておけば、洪水を乗り越えることができる、まさに保険の大先生ですね、と小嶋氏は当時を振り返られました。

 小嶋氏が両備グループのトップに就任された14年前、マイカー時代の流れで日本政府は「規制緩和」を行い、潰れるところは潰れても仕方が無いという方向へ向かい、地方の鉄道会社、バス会社共に赤字が当たり前の事業になりました。小嶋氏は、ヨーロッパと日本との比較を行い、地方の公共交通を守るには「公設民営」しか生き残る手段はないことを明言されました。

 相談がまず三重県津市から舞い込み、小嶋氏の助言が生きて公設民営を実証実験成功例となりました。次に、南海電鉄貴志川線の廃止が決まり、地元の人たちが「貴志川線の未来を作る会」を結成、手弁当で駅の清掃やイベントをして「乗って残そう貴志川線」というキャッチでローカル線を残す運動を展開し、小嶋氏のところへ相談に来られたそうです。地元の人たちの熱意に押された形で再建にゴーサインが出され、2006年開業時に出向かれた小嶋氏は、正直10年もてばいいと考えていた住民達の前で「私は和歌山電鐵貴志川線の10年間の再建に来たわけではありません。20年後、30年後の地域鉄道を守るためにやって来たのです」と話されました。小嶋氏は、貴志川線の一つ一つの駅周辺を歩いて問題点を洗い出しておられたのです。その時に実は、貴志川線の再建のメドはたっていたそうです。貴志川線沿いには三社参りで有名な「竈山(かまやま)神社」「伊太祁曽神社」「日前・國懸(ひのくま・くにかかす)神宮」があり、観光資源が豊かだったのです。そして、日本全国に木を植えた神様は「伊太祁曽」であり、智の木協会の神様は「伊太祁曽神社」の神様ですよと教えていただきました。また一方で、給与体系を見直されました。貴志川線が忙しいのは朝夕2時間ずつ、残りの4時間は暇なのでその時間に他の仕事を入れていく、つまり「縦に横の仕事を入れていく」ということを実行に移され、結果、赤字の解消ができ再生のモデルになり鉄道のみ「公有民営法」ができたそうです。

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またある時、年間12回のストライキを行う労働組合を擁し、ついに倒産した中国バスの再建を依頼されました。ここで小嶋氏は徹底的に分析された結果、経営努力が補助金獲得に向かっていることを突き止められました。

 バス車体の値段は両備さんより1,000万円、燃料はリッター当たり10円高く、部品は3倍、赤字会社でありながら、賃金も両備さんよりも高かったそうです。要するにコストを下げると補助金が減る、それに乗じた労働組合がストライキをする、客が逃げても補助金がくるという悪循環。補助金制度から公設民営へと移行している最中に「地域公共交通活性化再生法」ができたそうです。

 節約するとインセンティブという画期的な補助金制度の導入を促しましたが、自民党が負けて民主党になり、今度は高速道路料金を無料にするという話になり、小嶋氏は公共交通の終わりではと危惧され、実態を岡山県選出の3人の衆議院議員に説明されました。「高速道路料金無料にして2兆5千億円費やしてそれが国民目線ですか?日本の地域公共交通を全部タダにしても7千億円ですよ。どちらが国民目線ですか?」と。すぐに国土交通省の三日月氏(現滋賀県知事)が飛んで来られたそうです。

 ところが今度は地元岡山県の西半分を営業していた井笠鉄道が倒産、小嶋氏が以前著書に記しておられた通りのことが起きてしまったとか。「公設民営」もうまくいかず、小嶋氏の造語「公設民託」でいくしかないことを話されました。

 この件で、審議に当たった議員達は超法規的措置をとり、井笠鉄道は存続できたのだそうです。その時の代議士が、当時の内閣官房副長官 岡山県選出の加藤勝信氏。平成19年10月に「地域公共交通活性化法」が成立。その後も国土交通省で抜本的改革の必要性を陳述してこられましたが、政権交代による廃案など紆余曲折、平成25年11月12日開催の国土交通委員会で参考人として陳述なさり、ついに11月27日、「交通政策基本法」が成立しました。この法律をつくるために奔走しておられ、それが南海電鉄貴志川線再生に繋がったと話され、「公共交通は今後、国・地方公共団体・事業者・市民が一体となって守っていく必要があります」と結ばれました。

 参加者は全員「たまちゃん」の話を伺わずして帰るわけにはいきません。小嶋氏によりますと、三毛猫のたまちゃんは貴志駅の隣の売店で飼われていましたが、猫舎が公道にあり撤去を命ぜられ、飼い主が何とか駅においてくださいと小嶋氏に頼んだそうです。「うちの三毛猫は女の子だけど100万はする」と飼い主に言われ、血統書付きの紀州犬(天然記念物)を飼っておられる小嶋氏としては

「何と!」と。また、当時ブラウン管に登場していた動物は、白い犬、チワワのみ。100万円もすると言われたたまちゃんに会いに行かれ、そこで目が合った途端「この子は駅長だ」と直感されたそうです。駅長就任式を企画しホームページに流したところ、当日(2007年1月5日)は黒山の人だかり、テレビカメラ6局、大手新聞全てが取材に来ており、その中にNHK本社からも。取材に対して小嶋氏は「この鉄道はお客様が少なくて廃線の憂き目に遭いました。従って、たま駅長の主たる業務は客招きです」と答えられたそうです。その答えにキャスターが大笑い、カメラマンも大笑い、周りの300人くらいの人たちも大笑い、その瞬間の映像が5分間、NHKの夜の9時のニュースで流れ、大ブレイクに繋がったそうです。小嶋氏は猫が仕事をするなどとは毛頭思っておられず、たまちゃんを駅におくことを周知徹底するために「駅長」に仕立て上げたのでしたが、実際にたまちゃんの仕事ぶりがネットでドンドン紹介され、和歌山県で11億円の観光収入が見込まれることになりました。たまちゃんの仕事ぶりとは、朝5時から帽子を被って改札台で乗客を見送り、夕方5時には帰宅者をお迎え、暇な時はホームの見回りをするという人間顔まけの働きぶりでした。今やたまちゃんは社長代理です。

 小嶋氏は、「公共交通の法律ができた裏には、たまちゃん達のすばらしい働きがあったこと、市民・行政の方々の応援があってこそ」と話され、「力を合わせれば国までも動かすことができるんです」と結論づけられました。

 

閉会のご挨拶:智の木協会 企業正会員

株式会社フジキン 島田和男氏

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 ご参加の皆様にお礼を、小嶋氏へ「企業家はカク有り

なん!と思われますご講演を賜り、私共企業にとりましても参考にさせていただくことが多々ございました」と感想とお礼を述べられました。

 冒頭、特別顧問の平井様から智の木協会の位置づけについてお話いただきましたが「智の木協会が社会

先導の重要な役割を担う組織として活動していく、まさに、知をもった方々が大樹の下に集い、天下国家を語る組織へと発展させていきたいとの思いで、協力さ

せていただきたいと思っておりますので、ますますの皆様方のご協力・ご支援を賜りたい」とお願いされました。

また、次回のワークショップを11月に開催予定であることを報告され、シン

ポジウムを閉めくくられました。 

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 シンポジウムには80名を超える方々、交流会には50名を超える方々にご参加いただき、大盛会でした。

 月桂冠株式会社様より乾杯酒「笠置屋」をいただきました。

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2014-04-12

智の木協会創立5周年記念特別シンポジウム レポート

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智の木協会創立5周年記念特別シンポジウム レポート

平成25年11月18日(月)15時00分〜17時00分

於:大阪富国生命ビル4階 【社団】テラプロジェクト Aゾーン

             司会:智の木協会 事務局長 小菅喜昭氏




開会のご挨拶:智の木協会 特別顧問 山本幹男氏

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 参加のお礼を述べられた後、智の木協会設立の経過を説明されました。原点は、2005年開催された愛知万博市民パビリオンで、小林代表幹事の「植物を活用した生活づくり」に関する講義であり、その理念を基にしてこの活動がスタートし、2008年5月4日みどりの日に智の木協会は設立されました。理事長の豊田先生、小林代表幹事を中心とする大阪大学の先生方、コクヨ(株)、月桂冠(株)、富国生命保険相互会社の3企業とでスタートし、その後、多くの方々の賛同を得て、現在は25社、約280名の個人会員に広がっていることを説明されました。

 また、鳥取県智頭町大阪市北区の地方公共団体はじめ様々な分野の方々の賛同を得て参加していただき、智の木協会の裾野が広がってきた形で設立5周年を迎えられたことへの感謝の意を表されました。

 続いて智の木協会が、地球温暖化が懸念されている中、緑豊かで和やかな生活空間や都市環境作り、植物の持つ多様化機能を生かした活動を展開することを目指しており、その思いのもと、これまでシンポジウムを5回、ワークショップを7回、ほぼ毎月イーヴニングトークを開催、グリーンツーリズムも過去4回実施していることを説明されました。

 植物を生かした子どもたちの豊かな人間形成を育てる「植育」が出前植物科学教室の形で、箕面市彩都の丘学園、茨木市彩都西中学校で行われたこと、また、豊中文化幼稚園でクリスマスツリーの製作支援を行ったことを報告されました。植物を育てることの喜び、活用、鑑賞の楽しさを子どもの頃から体験することが新たな社会性作りの一助になればと期待を込めて話されました。

 〔社団〕テラプロジェクト(理事長:小林昭雄氏)についても次のように紹介されました。「植・食、健康をテーマに市民参加型産学連携活動を進め、現在8社が賛同して情報発信、新商品開発などを行っています。智の木協会と一緒にご利用いただき、ご意見・ご感想をいただきたい。そのことにより新たな情報が生まれ、発展につながり“智のサイクル”をまわすことができるようになります。」

 最後に、「智の木協会の活動が会員の皆様方のお役に立ち、地域社会に貢献できますよう今後も努力していきたい」と抱負を述べられました。



智の木協会のあゆみとこれから:智の木協会代表幹事 小林昭雄氏

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 これを機会に過去5年間を振り返り、また、これから5年、10年先新しいあゆみの布石になればと、設立までの経緯、パンフレット、HPの紹介、智の木協会の組織など、詳細にわたり熱意を込めて話していただきました。

 パンフレットに謳ってある「取り組む事例」の中では、この5年間でかなりの部分を実行してきていることを報告されました。その他の事例についても、徐々に達成できつつある状況を説明され、今後、智の木の基に知恵者が集まって語り合う「智の木クラブ」的な要素が高まるのではないか、と展望を話されました。



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講演機|劼量協会 理事長 豊田政男氏

座長:智の木協会 理事 川戸章嗣氏

 講師、智の木協会理事長豊田政男氏について「大阪大学名誉教授、現在、(独)科学技術振興機構 科学技術システム改革事業のプログラム主管を務めておられます。ご専門は溶接力学でありますが、本日は美について、人工美やものづくりについてもお話いただきます」とご紹介いただきました。


講演:「強さと美しさ:技術者の熱意ー未来を拓くのは意志・意欲ある若者ー」

 「材料には大きく2種類、自然に存在する石・木、抽出したもの、金属があり、つくるという立場から“美しい”という話をさせていただきます」と切り出されました。ものづくりに携わってこられた立場から「材料を活かして人工物という形にして社会に物を売り出すためには、生きた智が必要だということ、人工物の中にも美しい物が多くあり、そのことからものづくりについても話したい」と続けられました。

智の木協会については「安らぎのネットワーク、心の安寧、遊び心、知らなかったものを知る、自然との対話などの意味合いのもと集っていただければ」と話されました。

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 設計による美しさと強さを求めたものの代表的な建物の一つとして「大阪富国生命ビル」を挙げられました。大阪富国生命ビルは、ドミニク・ペロー氏の設計によるものですが、小林代表幹事掲げる「グローイング ビル」のイメージにぴったりのものです。

 豊田先生のご専門は溶接であり、溶接とは過渡現象で定常でないということで、「異」を認めるということでもあり、そのことは「和」の原点であるとも話されました。小林代表幹事が“みどり”や“環境づくり”について工学的な見地から取り組んでいきたいとの理念を掲げた時、豊田先生に賛同していただいた根底には、先生が「自然や花が大好き」との思いをお持ちだったからだと感じました。

 「美しいものはたくさんありますが、見方にもよりますし、花として美しいの、集まって美しいもの、形として美しいものなどいろいろあります」と具体的なお話になりました。往々にして人は「美」とは、選ばれているもの、世界中の雄大な風景、自然こそ美しいと感じがちですが、先生はその事実も認められながらも人が造る美しさもあるのでは、と続けられました。

 「人工物の美しさについて、同じように物を造っても美しいかどうか、それは全体のバランスがとれているかどうかによるのではないだろうか。智の木協会で目指す“植育”とは全体とのバランスを目指しているものでは」と述べられました。外国では、街中に“色”や“憩いの物”を造ってあることを具体的に示されました。日本にはそのような例や考え方がないそうです。

 人工物の美しさの例として、石造物、木造建築、金属物、それぞれのものづくりの技術の高さについて説明していただきました。石の切り出し方、運搬方法、積み上げ方、つなぎ方など全てに先人たちの知恵と工夫があることを、ギリシャ建築を例にとって教えていただきました。ドーム建築の例としては、ビザンティン建築を示されました。「ものづくりは材料を活かすこと」として、木造建築とりわけ神社建築について構造を説明していただき、20年ごとに式年遷宮を迎える伊勢神宮、塔の例として興福寺五重塔など、柱は縦の繊維で収縮が小さく、壁は収縮して横を支えるなど計算し尽された建築方法を知りました。柱と壁では収縮率が約10倍程度異なるそうです。

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 しかし、「五重の塔の心柱が実は地面に接しておらず吊り下げられています」というお話に、日本の木造建築技術の奥深さを知り「材料の特性を知り尽くし、計算されたすばらしい技術」と感心しました。

 金属物では大仏が紹介されました。奈良の大仏は銅が95パーセントと純度が高いので金メッキされ、鎌倉の大仏は純度が低い(銅が65パーセント)ため金箔を貼ったそうです。青銅器には鋳掛技術が使われており、様々な加工には材料の特性の影響が大きいことを学びました。

 最近、先人たちが色々工夫してきたことやものづくりが魅力と感じられない風潮になってきていることへの警鐘をならすべく、お話を続けられました。わが国のものづくりが活きるために、「三本の矢」の成長戦略では、実体経済を支える製造業を最初に強化しなければならない、と述べられました。製造業こそ金融グローバリズムからわが国経済を守る産業基盤になりえると。「今、100年に一度の産業構造の転換期であり、大事なことは組織の老化を避けることですが、会社の組織の老化は避けられず、以下の5項目が組織の老化をもたらす要因になっています」と話されました。

 ・大食:何でもかんでも、大きく資源を求める。

 ・おしゃべり:成果、成果で、累積的乱発。

 ・肥満:切捨てをしない(組織を新しく作る時、自然淘汰を待つしかない。なかなか淘汰できない)。

 ・生成能力の低下:新たなものが生まれない。

 ・硬化:硬直化、従来方式へのこだわり。


 今求められるのは、世界をリードするイノベーションによる人類社会への責任であり、

 ・「智」(特に暗黙智)を持つ人

 ・智を拓く意欲のある人

 ・成し遂げようとする意志のある人

 ・「あこがれ」を持つ人

 ・感動し、感受性豊かな人

 ・美しさを求める人

 以上の6項目を有する人、つまり、智の木協会に入ろうという意欲のある人こそイノベーションをもたらしてくれるだろう、こういう人に期待したいと述べられました。「智は力なり」ともおっしゃり、「私がやりますと手を挙げる」こういう人があれば、まだまだ日本は大丈夫と話され、結果、トップリーダーは「意欲ある人が力を発揮する環境を創ること」と結論づけられました。

そういう意味では、智の木協会は会員同士自由に学び交流していただく場であり、お互いに刺激しあい目的に向かって前進しようという意欲ある方々の集まりです。今後も高い智の基に多くの智を持つ方々に集結していただきたいと思います。

質疑応答:座長 川戸章嗣氏

Q.産学連携で若い人の意欲を削がないように心がけていますが、アドバイスをお願いします。

A.「相互浸透型」がいいと思います。企業側に何か問題が起こり、それについて大学へ相談に見え、問題を丸投げされた場合、簡単に答えを求められる場合はほとんどうまくいっていません。そういう意味でマッチングが大事です。

これからは私たちも「相互浸透型」を心がけたいと思います。




講演供…纂荼智頭町 町長 寺谷誠一郎氏

 

座長:智の木協会 理事 吉田茂男氏

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 鳥取県智頭町長寺谷誠一郎氏は吉田先生と同世代で、若くして事業をなさっていましたが、「町長就任後は“みどりの風が吹く疎開のまち”をキャッチフレーズに、ダイナミックに取り組んでおられます」と紹介されました。

 吉田先生ご自身も6月、智の木協会主催の「森林セラピー体験ツアー」に参加され、そのご感想を次のように述べられました。「当日は雨でしたが、かえってしっとりとした美しい森林を醸し出して、強い印象を受けて帰りました。」

 そして、「あのバックグラウンドを利用して、智頭町に昔からある文化との調和を図りながら新しい活動を進めておられますので、これまでの経緯あるいは新しいお考えをお聴き出来ると思います」と講演者へバトンタッチされました。


講演:「お待たせしました!いよい田舎の出番です☆」

f:id:chinoki1:20140412163609j:image:left 田舎でお年寄りを相手に話をしているので、豊田先生のような高いレベルの話はできないと謙虚な口調で始められましたが、そこに智頭町全体を包み込むような寺谷氏の温かい人間性を感じました。

政治への関わり

 政治の世界には縁が無かったとおっしゃっていますが、平成9年、町長選挙が行われた際に、第三者的な立場でありながら町の将来を考えているうちに抜けられなくなり立候補されたそうです。結果、奥様のアドバイス、励まし、熱心なご支援があり、当選されました。「政策も何も無いのに当選してしまい、えらいことになりました」と当時を振り返られました。

智頭町の現状

 「町の93パーセントが山。昔、林業が良い時代だった頃は自分の山を見て自慢し合っていた町民でしたが、木材の自由化で外材が入るようになり、50年生の木で大根1本の値段になってしまい、やる気の無い町になってしまいました」と、閉鎖的になってしまった現状を説明されました。

智頭町の宝、石谷家住宅

 寺谷氏は智頭町にのみ存在する財産に目を向けられました。智頭町には山林王と呼ばれた石谷家の立派なお屋敷「石谷家住宅」(智頭町指定文化財、国指定重要文化財)があります。都会のビルの真似をすることよりも、智頭町にしかない宝、このお屋敷をテーマにして観光からやろうと宣言された寺谷氏は当主に直談判されました。初めは断られながらも「町民は誰も住宅のことを知らない。せめて5日間くらい一般公開していただければ」と請われたところ、奥様は寺谷氏の頑張りを認めておられ、当主に話を通してくださり了解を得られたそうです。思いは伝わりました。寺谷氏は「私はいつも困った時には女性が助けてくれます。1回目は家内、2回目は石谷家の奥様です」と簡単に話されましたが、やはり一生懸命現状打破の努力をなさっている姿が映っていたのではないでしょうか。

 一般公開の当日、小さな町に京阪神ナンバーの車が走り回り、行列ができ入館は2〜3時間待ち、中には不満で帰ってしまう人もあったそうですが、5日間で約15,000人が智頭町を訪れました。

 結果、現状を理解された当主が、7つある蔵のうち2つを残してあとは町に寄付してくださったのですが、町の職員達は及び腰、その上、財団を作るには基になる基金がなく、銀行へ相談に行っても「素人ですね」と断られた寺谷氏でした。そこに救いの神、当時の片山総務大臣夫妻の来町があったそうです。次の日、片山さんが総務省で知事に会い、これ以後観光というテーマで走り始め、町民の方々も同調して進んでいかれることになりました。

本物のリーダーを目指して

 最近では「自分が全責任をとるから、思い切ってやりなさい」と断言するリーダーが随分少なくなりました。寺谷氏は敢えて「本物の町長を追及していく」と職員に宣言されました。鷹の目になって高い所から遠くを見る、「これからは恐らく風は田舎に吹いてくる。」トンボの複眼で周りをキョロキョロ見ることによって「風が吹いてきた時に、どういうものをセッティングし、キャッチすべきか」が分かると続けられました。そして蟻になれば隅々まで見ることができるので、最終的には蟻にならなければと87全集落巡りを敢行されました。長年の町民の役場に対する不満を耳にしながらも、寺谷氏は今後「要求型」は認めず「提案型、協力型」に切り替えていく方針を打ち出されました。

まさに「行政に何をしてもらうかではなく、自分が何をできるか」の考え方です。スピードアップも図られました。

表札は「みどりの風が吹く疎開のまち」

 「疎開」という言葉からのイメージで、当初は町民から大反対を受けたと話される寺谷氏ですが、「私のイメージする疎開とは、大都会、ストレス社会からエスケープできる町、深呼吸できる町です」と現代社会の谷間をカバーするシステムを構築されました。東日本大震災が起こり、限界集落と呼ばれている、住民の大多数を高齢者が占める地域に若い家族が3組やって来て、まさに「疎開の風」が吹き始め、高齢者の方々も子ども達の声を聞いて「目が覚めた!」そうです。智頭町が活気を取り戻すきっかけになったのです。

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新しい事業の応援

 寺谷氏は疎開者の1人から「この地域で栽培されていた大麻を復活させたい」と相談を受けられました。大麻と言えば「栽培禁止植物」です。しかし、限界集落の高齢者の方々にとっては、繊維から洋服を作ったりした身近な植物だったのです。寺谷氏は人の真似ではない、「皆さんが忘れて置いていってしまった物全部かき集めて、それに光を当て他所に無いものを育てあげる」独自の政策を展開していこうとされている立場上、頭から反対はできず、大麻について学習されるなど奔走されることになりました。

 認可の権限は知事が持っており、結果認可され、60年ぶりに麻を蒸す桶ができ、その見学に全国から約200人集まり、製薬会社や企業からの問い合わせ等があり、地元の銀行も興味を持ち出したそうです。彼には「起業しなさい、町も絶対応援するから従業員を抱えるくらいになりなさい」と伝えておられるそうです。高いハードルを乗り越えた時にはインパクトがあります、放っておいても人が来る、銀行が動く、と寺谷氏。ストーリーが出来たということです。

 若者が移住してきて限界集落に住み、草茫々の耕作放棄地で老人から聞いた話を再現してみようと乗り出し、栽培し、実も採れたので、今後どんどん広げることを町として応援していっておられます。注目が集まり、NHK全国版で放映していくと約束されているようです。「若者のために、勇気ある若者を理解してやることが大切」と寺谷氏。

町民の知恵を借りる「百人委員会」

 為政者は「お金が無いからできない」と住民に言い、住民も仕方が無いと変に納得していることが多い現状に対して、寺谷氏は住民から知恵を借りることを考えられました。無いものは借りる。「この町は私のものではなく、皆さんのものですよ。だから、林業、農業、教育、福祉何でも興味があることに1年間喧々諤々色んな意見を出してまとめてほしい。その後、ヒアリングを行う」と提案されました。結果、すばらしいアイディアが出されました。いきなり予算をつけようとして、議会から反発もされたそうです。

森のようちえん 誕生

 東京から母子が智頭町にやって来て住むことになり、お母さんの発した一言「こんな緑に囲まれた町で子育てできるなんて最高だわ」から寺谷氏は大きなヒントを得たとのこと。町民が“山林”と言っているのに対してお母さんは“森”と言ったことが心に残ったそうです。

 その後、園舎が無く、天候に関係なく森の中で子ども達が自由に伸び伸びと過ごす「ようちえん」が誕生することになりました。一般の幼稚園にはつきものの「〜〜してはいけない」という言葉がなく、泥んこになり、川遊びもオッケー、この様子をテレビ局が2年間撮り続けて放映したところ、大反響だったそうです。怪我をさせてはいけない、保護者の目が気になる、等々、自ずと禁止事項が増えるものですが、森のようちえんでは自然の中で自分で判断できる能力を身に付けていき、たくましく育つことを願って運営されています。東京、大阪など県外からの賛同者も増え、寄付をいただきながらの運営ですが、NHKが英語版で130カ国に60回放映したことによって、教育の原点がそこにはあるとセンセーショナルな話題になったそうです。

みんなで胸をはろう!

 田舎というだけでコンプレックスを持ち下を向いている町民に対して、東京や大阪にはない「木」が智頭町にはたくさんある、これがきれいな水を作る、93パーセントの山林はダイヤモンドの原石、原石は磨けば磨くほど光輝く、と寺谷氏は「もっと胸をはろう!」と語りかけておられます。

森林セラピー

 森を歩くだけでもストレスフリーになって健康を取り戻せる気がしますが、「セラピー」では、専門家から説明を受けたり心の鬱憤を吐き出したり瞑想したりすることにより、免疫力もアップすることが証明されています。セラピーロードは歩きやすく整備されていて、雨天でも森林セラピーは行われています。歩きながら身近で見る様々な植物にも癒されます。

智頭町まるごと民泊

 3年間で40軒が登録した民泊。「セラピーで山歩きも楽しかったけど、民泊もいい」とリピーターが増えている現状を話されました。家族と同居していながら、なかなか会話の輪に入っていけない人が、民泊では同じ内容の話でも宿泊する家がかわれば新鮮な話として聞いてもらえるのです。泊まる人泊める側双方に刺激があるのではないでしょうか。

責任は全て自分がもつ覚悟が大事

 「全ての責任は自分がとるから、と職員に話しています。智頭町の職員は積極的に外に出て積極的に動いてくれています。だから小林先生とも話ができるきっかけができたんです。これからは“田舎の出番”だと信じています。このような場所で話ができることを誇りに思います」と結ばれました。

 町長寺谷氏と職員の方々とはしっかり信頼関係ができていることを感じました。これからも智頭町はこの信頼関係に基づき、ますますの発展が期待できます。私たちも見守り、応援し続けていきたいと思います。

質疑応答:座長 吉田茂男氏

 「痛快なお話」としてお礼を述べられました。また、麻に関しては「学位を持っている研究者2人を世話することになり、警察に届ける必要が生じ大変でした」と話され、麻栽培で2人を紹介できることを伝えられました。


閉会のご挨拶:智の木協会 副理事長 黒田錦吾氏

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 参加者、講演者の方々に智の木協会シンポジウムワークショップ、イーヴニングトーク、グリーンツーリズムなど色々な活動ができ、5周年を迎え大きな集まりになったのは、日頃からのご支援の賜とお礼を述べられました。知恵のある方々に機会ある毎に色々な話をしていただいてきましたので「我々、結構知恵がついたのでは。この知恵を今後どう生かしていくべきか」これまでの知恵の蓄積が5周年という一区切りの後の活動の糧になるのでは、とこれまでの活動に一定の評価をいただきました。

 また、「経験」「知識」「思考力」を掛け合わせたものが最終的に知恵になり、その知恵を出していくことが智の木協会の更なる発展につながると話されました。単なる知識の場ではなく、今後はストックの場として(植えるだけでなく手入れをしていくこと)皆さんのお力をいただきながら発展していくことが次の事業の一端を担うことにつながっていくと今後の指針を示されました。



シンポジウム終了後、交流会を開催しました。


智の木協会理事・大塩裕陸氏に交流会開会のご挨拶と乾杯の音頭を取っていただきました。

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また、智頭町を代表して、山村再生課・山中章弘氏にご挨拶をいただきました。当日は智頭町産の野菜やきのこの料理が提供されました。その他、みずひらたけのガーリック炒め蕪の含め煮も準備されました。

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いずれも参加者に大好評でした。

最後に智の木協会専門委員である豊田桃介氏に閉会のご挨拶をしていただきました。

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創立5周年お祝いコチョウランをいただきました。有難うございます。

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2013-10-10

第5回 智の木協会シンポジウムレポート

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第5回 智の木協会シンポジウムレポート

平成25年3月8日(金)16時30分〜17時30分

於:大阪富国生命ビル4階 【社団】テラプロジェクト Aゾーン

             司会:智の木協会 事務主幹 川上茂樹氏


開会のご挨拶:智の木協会 名誉顧問 山本幹男氏            

 皆様にご参加のお礼を述べられた後、月桂冠株式会社専務取締役川戸章嗣氏によります「伏見の酒造りと歴史」―米・水・酒造りーに大変興味がありますと話され、今後はお酒好きの方々の会話にも入っていけるのではないかと期待感を示されました。

 智の木協会設立経緯については「大阪大学の諸先生方が中心になり、最近クローズアップされている地球温暖化・CO2 削減問題・バイオマス利用に代表される、植物の持つ多様な機能を活かしていく活動を推進することを目指して2008年5月4日に発足しました」と説明されました。その後、設立の趣旨に大変多くの方々にご賛同をいただき、企業会員26社、個人会員等120名に達している状況をお伝えになりました。特に地方公共団体、鳥取県智頭町大阪市北区のご参加は、官民問わず様々な分野の方々に関心をいただいていることを示しており、当協会の活動が地道ではありますが広がりを見せていることと受け止め、大変嬉しいと話されました。

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 シンポジウムワークショップの定期的開催の目的については、植物の持つ素晴らしさに触れることによって豊かな人間形成が培われること、植物の社会的活用の広がりなどを挙げられました。

 ご自身は2月に伊勢神宮に参拝する機会がおありで、伊勢神宮が20年毎に(式年遷宮)約1万本のヒノキを使って改築されている様子を目の当たりにされ、植物との関わり方が日本人にしか無い感性であると実感されたとか。このような感じ方も、ワークショップ等で諸先生方のお話を伺って培われてきた結果かなとお話になりました。

 最近では新たに、小林先生・川上先生による箕面市彩都の丘学園への出前講座「植物科学教室」、豊中文化幼稚園でのクリスマスツリー製作支援活動等、年代的にも幅広い層に植物に触れていただく様々な活動を積極的に進めている状況を説明されました。

 また、「HP上に企業会員、個人会員の方々の樹や花、それに対する思い等を掲載していますのでご覧いただきたい」「今後も智の木協会を磐石にし、会員の皆様や地域社会に貢献できる活動を展開していきたい」と結ばれました。


事務局報告:智の木協会 事務局長 小菅喜昭氏

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 「智の木協会は、大阪大学、月桂冠様、コクヨ様のお力を得て設立し、順調に会員が増えています。ひとえに皆様方のお力添えがあったからこそ」と挨拶された後、これまで開催されたシンポジウムワークショップ、2011年11月から開催のイーヴニングトークについて紹介されました。特にイーヴニングトークは、「ほぼ毎月開催し、講師陣も素晴らしく、気楽に参加できる上にその後の交流の会も楽しいと評判です」と説明されました。


講演:月桂冠株式会社 専務取締役 川戸章嗣 氏

   

座長:智の木協会 代表幹事 小林昭雄氏

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 「酒と言えば米、酒は日本を代表する食芸術の一員といえるのでは」と切り出され、発酵、醸成という言葉について言及されました。醸成とは大変奥行きのある言葉、日本の文化も縄文文化に始まり、海外から諸々の文化が日本に入り、多様な文化が醸成された、その結果が日本の歴史、日本人の根本的なところではないか」と醸造への導入を話されました。

 「食を価値あるところまで作り上げる分野で、農芸化学ご卒業です。食を科学的に解析しそれを活かした最高のものつくり、醸成ということでお話いただきけるものと思います」と講師の川戸氏をご紹介いただきました。


講演:「伏見の酒造りと歴史」―米・水・酒造りー  

 川戸氏が月桂冠(株)に入社されたのは、昭和49年日本の高度成長時代の頃。当時の酒の売り上げは現在の2.5倍程度あり、この40年で業界全体として約三分の一に減ったそうです。アルコール飲料中の日本酒のシェアーは6〜7%であり、「国酒である日本酒を見直し飲んでいただければ」と話されました。

 これまでフランス料理、地中海料理、メキシコ料理がユネスコの世界無形文化遺産として登録されており、和食についても「日本の伝統的な発酵文化を支える和食」という形で登録申請されました。平成25年12月にはユネスコでの審査を経て決定される予定となっています。「旨み」の原点は「発酵文化である酒、味噌、醤油などできめ細かい食生活を培ってきた日本の食文化にあります」と語られ、うなずきました。

 日本酒を見直す動きについて、京都では今年「京都市清酒の普及の促進に関する条例」いわゆる乾杯条例ができ、乾杯は必ず日本酒で、また大使館での宴会では日本酒を勧めようというプロジェクトと、国を挙げて世界に紹介しようという国酒プロジェクトが進んでいるそうです。

日本酒メーカーは約1600社、実際に造っているところは約1300社と聞き、多種多様なお酒が造られていることを実感しました。現在は、その土地の料理と酒がマッチする形で進んでいるそうです。地酒も見直されています。

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 月桂冠さんは1637年、今から376年前に伏見の地で「笠置屋」として創業、酒銘は「玉の泉」でした。歴史を感じますね。台湾では酒は国が管理する専売制で、公売局で販売を続け、約二十年前に輸入自由化を前に販売攻勢をかけた結果、月桂冠さんが独占状態となったそうです。酒造業界に追い風・向かい風色々なことに直面されながらも、月桂冠さんは研究開発・技術革新を進めて今日に至っておられます。

 先ず、酒造りの最も重要な原料の一つである水についてですが、昔から京都盆地の地下には豊富で上質な地下水があり、水ガメのようになっており、その量は約211億トン、琵琶湖の水が約275億トンですので、その量がいかに豊富か予想できます。現在でも30m位井戸を掘ると水を得ることができるそうです。いちばん深いところが城陽で岩盤まで約800m、出口は天王山と男山の間の1ヶ所しかなく、地下水を豊富に蓄える地形となっており、このことが伏見で酒造が盛んになった要因の一つです。

 伏見は7〜8世紀、万葉集には「俯見」と書かれていました。伏見という地名は橘俊綱(藤原頼道の子:1069〜1074)が詠んだ「後拾遺集」の中に出て来て、一般的には平安時代になってからと言われていると、史実に基づいて解説してくださいました。

 5世紀、須須許里(すすこり)の末裔の秦一族(酒造りの技術に長けていた)が伏見稲荷にお酒を献上したのが伏見酒の始まりではないかと言われているそうですが、明確ではありません。

 毎年、宮中儀式の中で一番大きい行事が11月23日に執り行われる新嘗祭で、その際、お酒を献上されるのが月桂冠さん。11月初めに宮内庁へ出向き、48都道府県のお米を30堋いただかれ、20日位で完成させて献上するということをずっと続けておられるそうです。儀式とお酒との関係が大変深いことが伺えますし、それを月桂冠さんがずっと続けておられることに敬意を表したいと思います。

 

 室町時代には洛中洛外に酒屋が多くあり、当時は腐りやすい夏でも盛んに酒が造られていました。その当時、特に奈良菩提山正歴寺で僧侶たちが造った銘酒菩提泉があり、その技術が伏見に伝えられたことにより、伏見のお酒は品質が高く美味しいという記述が残されています。

実際に伏見酒の起源は、秀吉が伏見城をつくった時に始まると言えるのでは、と川戸氏。御香宮神社の辺りで良い清水が涌き出たことが古くから知られていたことから、秀吉が伏見城をつくることにより、大きな城下町ができ、大きな消費が見込まれるために、多くの酒屋が伏見へ来たと言われています。

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 伏見には石井(いわい、御香宮)を含め、白菊井、苔清水、春日井、竹中清水、常盤井、田中清水の7つの名水井戸が全国的に知られていますし、月桂冠大倉記念館の“さかみず”も名水として名を連ねています。

月桂冠さんの社屋は秀吉の時代の武家屋敷で、紀伊徳川屋敷、尾張徳川屋敷、薩摩屋敷などがそうです。それらの蔵は伏見の中でも風情のある場所になっていますと川戸氏。

事実、歴史的な建物である寺田屋、月桂冠大倉記念館、その裏から発着する十国舟、名水の涌き出る御香宮と街歩きの材料には事欠きません。

 

 1657年に酒屋を保証する制度“酒株”が出来上がった頃には、伏見には83軒の酒屋があり、15,000石(1石=180ℓ)とすごい量のお酒を造っていたそうです。

 

 酒のもう一つの重要な材料の米について、江戸時代は米は経済の中心であり、当然のことながら米の豊作・不作が酒造りに影響を与えたようです。実際、伏見では「造ってはいけない」というお触れが60回以上も出され、現在は30万石販売しておられる月桂冠さんも江戸末期・明治初期には、わずか500石に減り、その頃から生き残っている酒屋は、月桂冠さんと北川本家「富翁」さんの2社のみだそうです。

 

 伏見よりも遅れて灘でも酒が造られるようになり、京都の近衛家が伊丹の酒を入れ、京都で伊丹・灘の酒が飲まれるようになるとその噂が江戸へ伝わり、灘の酒は酒専用の樽廻船で江戸へと運ばれ、船の寄港地は大変繁栄したようです。明治中期になって汽車が走るようになっても、灘は基本的に船で酒を運び、伏見の酒は汽車で東京へ運ばれました。

 11代目当主の大倉恒吉氏は、技術的に灘に劣っていることを認識、灘で酒造りの勉強をなさった後、月桂冠を採用して大倉酒造研究所を設立、酒造りに科学技術を導入されました。

 当時の桶は木製で木目に菌が入ってしまうと洗浄・殺菌ができず、酒が腐ってしまうことから、月桂冠さんは樽詰め全盛期にビン詰め酒に変更、しかもドイツでビールにサルチル酸を加えていた時代に殺菌温度を研究、1911年業界初となる防腐剤無しの酒造りに成功されました。ブラウンの1升びんを発売、明治屋さん(現三菱商事)を通して莫大な売り上げ成功に繋がったそうです。画期的な開発により、より安全でおいしいお酒が流通するようになった瞬間です。

 紀州徳川藩の伏見屋敷だったところに昭和2年建てられた昭和蔵で、昭和天皇即位の際にここでお酒を造り宮内庁へ献上されたそうです。

 「当時は、生もとや山廃もとと言われる方法で天然の微生物を利用して醸造酵母を培養して酒を造っていました。冬の農閑期に季節労務者である杜氏が来て酒を造るというパターンでしたが、昭和30年頃からは年間を通してお酒を造る四季醸造システムを確立し、サラリーマンでもできるようになりました」と川戸氏は月桂冠さんの研究の成果を話されました。

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 「基本的に清酒とは、水と米と米麹を用いて発酵温度を適切にコントロールすることで出来上がるということです。水については、地球上には淡水は3%しか無く、淡水のの約29%が地下水であり、その地下水をうまく利用しています。しかし地下水が存在する場合、地震の際には液状化が起きる可能性があり、細心の注意を払わなくていけませんという話もしています」と川戸氏。

 下水道工事の際にも「地下水を守ろう」という観点から、「京都市は通常使用する鉄製の管ではなくステンレス製を使用してくれました」と埋めた鉄管から鉄が溶出するとお酒が黄色くなって商品にならないという話を説明され、行政も地下水を守り、伏見の歴史ある産業で、日本の文化でもある「日本酒造り」を後押ししてくれている実態を感じとりました。

 かつて日本酒の飲み方は、「熱燗」だったように記憶していますが、最近は大吟醸酒など冷酒が主流なのでしょうか、おいしい日本酒がたくさん造られるようになったと感じています。適量の日本酒は人の心を和らげ、場を和ませ、人と人との懸け橋にもなり得ます。月桂冠さんは社風が「研究と技術革新」ですので、これからも新しいタイプの日本酒をどんどん開発してくださることと期待しています。

座長:

 「我々、お酒のことを知っているようであまり深く知らないということが分かりました。今回は水の項を省いてしまわれたので、また次回お願いします」と代表幹事。

質問コーナー

Q:僧侶が酒を造っていたというお話、我々からすると酒とお坊さんとは建前としては別のような気がしますが。

A: どんな宗派でも高学の人がお坊さんになっていたのではないかと思います。黄檗山など、大学のような感じに捉えられており、他に公卿や武士もいましたが、最高の知識や技術を学んだのはお寺ではないかと言われています。

   乳酸菌をベースに酒母を作るのは非常に難しく、発酵の元である酵母をうまく育種することは大変で、20日から30日、長ければ40日位はかかりました。当時は、足踏み精米で、米を10%くらい(今の飯米程度)しか削ることができませんでしたが、その後水車精米になり、明治以降は20%削れるようになりました。昭和5年以降高度精米機ができるまでは、水車に何回もかけて細かく、柔らかく精米しました。

Q:アルコール度について。

A:低いもので7%、平均的には経済種(月桂冠「月」13%、月桂冠「上撰」や高級酒で16〜7%、20%くらいのもあります。麹や特別な酵母を用いたり発酵のバランスを工夫することにより、高濃度のアルコール製品ができます。発酵でそこまでできるのは日本酒しかありません。

Q:にごり酒はいつ頃から清酒になったのですか?

A: 平安時代の頃、浄酒(すみさけ)というものがありました。たまたま炭を作って酒の中に入れたら濁りが澄んだということです。三段仕込みは室町時代で完成したのは江戸中期になってからです。

Q:日本酒の起源について教えてください。

A: 中国から入ってきたと思います。日本では白米を蒸して、それにアスペルギルス・オリゼー(黄麹菌)の胞子を振って「麹」をつくります。この麹のことを「ばら麹」と言います。これを用いて日本酒を造ります。中国や東アジアでも元々はこの「ばら麹」を利用していましたが、麦や雑穀類を粉にして食べるようになり、そのため酒造りの麹も穀類を蒸さないで生のまま粉砕し、それを練り固めて「餅麹」にする方法に変わりました。中国の酒である紹興酒はこの「餅麹」を使って酒を造ります。この「餅麹」に使われる菌はリゾプス属(クモノスカビ)でこの菌は生の澱粉にしか生えませんが、日本で使われるアスペルギルス・オリゼー(黄麹菌)は蒸した澱粉にしか生えません。中国から伝わった醸造技術は日本の湿潤な気候でうまく順応できるアスペルギルス・オリゼー菌が日本の麹造りに使われたと考えられています。神話の世界で知られています八岐大蛇(やまたのおろち)を退治する時に須佐之男命(すさのおのみこと)が飲ませた酒、八塩折の酒(やしおりのさけ)は今でいう貴醸酒という酒に似ており、お酒を仕込水代わりに使って造った酒と言われています。

Q:吟醸酒を絞る際、柿渋を上手に扱っているなと昔思いました。あの辺りの技は何処から来たのでしょうか?

A: 今でも柿渋は使っています。タンパクや濁りを凝集して沈殿させる時に、柿渋とゼラチンを併せて使うと清澄したきれいな酒になります。狂牛病問題でゼラチンは問題があるということになりましたが、柿渋単独ではきれいに沈殿しないので他の素材を探しました。各社各様で色々な使われ方をしていて、一時期月桂冠は柿渋は使わないことがありましたが、現在では柿渋を使っています。

座長:智の木協会としては、月桂冠さんのツアーに行かせていただきたい。柿渋の説明もお願いしたいと思います。

閉会のご挨拶:智の木協会 副理事長 黒田錦吾氏

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 先ずお集まりの皆さんにお礼を述べられました。「川戸専務のお話が面白くて、あっと言う間に時間が過ぎてしまいました。年齢的にも日本食と日本酒が大好きで、嗜む以上にいただきます」と黒田氏。

 日本食と日本酒は対のもので、また、季節毎に素材も器も異なるというような文化がありながら、日本酒の出荷高が減っていることを残念に思います、と話されました。

 この冬は家では鍋物が結構多かったのですが、いよいよ桜が咲く頃になり、桜を見ながら酒を〜〜これもまた一つの日本の文化ではないかと。同じ飲むならがぶがぶ飲むのではなくて、薀蓄を語りながらということを、今年はぜひともやってみたいなあと考えています、と語られました。

以上

【交流会の写真】

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 講演終了後、交流会を開きました。月桂冠さんの秘蔵酒「大吟醸 笠置屋」で乾杯。

智の木協会名誉顧問、小清水弘一氏のご挨拶をいただきました。

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