openな世界でclosedなコミュニティー

インターネットのいいところは、世界中の人とつながることができることだと言っておきながら、こうした会員制のclosedなものも有益になるという、一見矛盾しているような、しかし興味深い現象。例えば、mixiの日記の方が元々のopenな方に書いていた日記よりも一生懸命とか。

インターネットが優れている点

語り尽くされたことなのだろうけれど。地理的な障壁がなく参加できることは、「マイナー」な話題の同好の士を見つけるのに適している。趣味ではもちろん、病気でもそうだが、インターネットなしで出会える範囲では自分一人であったとしても、そういう人が世の中にはたくさんいるんだ、とわかることがある。
そうした時に、おそらく数多くある、ある特定の話題に関するサイトに対して、どのようにアクセスするかが問題となる。一つはgoogleなどによる検索だが、やはりその分野の人の手によって一つ一つ張られたリンクにかなうものはないだろう。問題は、そのリンク集の質であったり、そのリンク集にどうやってたどり着くのか、またどうやって管理・維持していくのか、という問題がある。

外科医は言葉遣いが悪い

月姫先生が書かれていることとは違うと思うのだけれども、考えるきっかけになったのでリンク。同じ状況で同じセリフを言われた時に、それを受け取る側によって「きつい言葉」になったり、「なんでもないきつさ」であったり、「ためになるありがたい言葉」に変わったりすることがあるように思う。それはまさに外科の病院実習中に感じたのだが、同じ外科医が同じ状況で同じセリフを言ったとしても、言われた学生によって全く受ける印象が違う、ということがある。落ち込んだり、サバサバしていたり、それこそが自分に合っていると思ったり、であるとか。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=335653&log=20050319

(−3)×(−2)=6

6になるのはなぜ? っていう設問もどうかと思うが、適切な具体例を挙げるという問題なのか。−(−3)=+3 になるのも、どう説明するのか知りたいところだ。
http://benesse.jp/toukou/backnumber2.html

尊厳死を認めるかどうか

医療というものが、人の命を左右しうることは間違いない。例えば、痰を自分で出せない状態になった人に対して、痰を吸引するという行為は、それをしなければ窒息してしまう可能性を持ち合わせている。今そうすることで回復が望める状況と、自分の意思でそうした治療を受けないことを選択した状況と、意思表示ができないので周りがそれを推測する状況とで、「痰の吸引」をするかどうかが変わってくる。変わってきていいのだろうか、という疑問もある。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050319k0000e040034000c.html