地方で働くということ

一晩に救急車が10台来て、歩いてくる人が50人来て、寝る暇なく働いたという表現をすれば、それは大変だったのかもしれないと理解してもらえるが、それぞれ1台、5人であれば、つらさが10分の1になったような印象を与えてしまうため、それなら当直する回数を10倍にすれば同じ負担になるだろうと考えてしまうのが机上の計算である。10台50人月に2回に耐えられる医者ならば、1台5人月に20回も耐えられるのではないか、同じ労働負荷と考えるあたりから誤解は始まる。前者の方がはるかに楽だ。
休みの日であったとしても、病院から30分以内のところに常にいて、緊急手術だと言えばかけつけ、電話は常にとれるようにしておいて、出かけた先でも知り合いばかりで、たまたま今日は会わなかったと思っても、翌日には「先生昨日はどこそこにいたでしょ」と病院スタッフから声をかけられる、そんな環境に身を置き続けて、平気な人もいるだろうし、閉塞感に耐えきれない人もいるだろう。書いてみて、一日たりとも「休みの日」などというのはなかったことに気づいた。休みがdayの単位であるような生活がそこでできるわけがないし、週に1回あるかどうかのhourの単位の休みだって、電話一本で一気に吹いて飛んでしまう。
アルバイトで当直をしに来てくれる医者に対しては、感謝の気持ちでいっぱいになる。お金のことには関わらなくていい病院だったが、10万払ってでも一晩自分が働かないという選択ができたら、なんて、真顔で思ってしまう自分に気づき、かなり精神状態が病んでいるのに気づく。来てくれる先生が、一泊でどれだけの数の患者を診るのかではなく、そこで伸びきったゴムのように働いている医者に休みを与えるということが最大のポイントであり、これしか働いてなくて申し訳ない、なんて言われても、そういうことじゃないんです。
地方へ強制配置なんて主張する人たちがいるけれど、確実に医者の精神を病むことは、これまでそれを選んでこなかった多くの先輩医師たちがきちんと証明していることだ。証明ではなく個人の体験だけれども、自分も病んだし、自分の身近な人もやはり病んだ。id:doctake先生も病んだようだ。医者がわがままだから地方は医師不足なんだ、という印象でいられるならば、そこから静かに去るのみだ。口だけであっても、医者も人間だから、仕事を離れる時間を、休みの時間を作ってあげるようにしないとダメだ、などと言っていたあの町長は、まだ評価できる。
幸い自分が関わった地域においては、医療を受ける側のモラルの問題だというわけでもないし、単純に保険診療の点数が間違っているからだというわけでもなかった。わかることは病院が黒字を出しても、そこから医者にお金を出すことができても、だからといって医者が継続して働くことはできないということだった。医者の数が不足する限りは、過重労働により、悪循環が続いていく。たまに助けに行こうとは思うけれど、心が折れる要素がいっぱいのところに、ずっといようとはとても思えない、と感じて、勤務を終えた。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20090104#p1