軍艦島への思い


いよいよ五島へ出発するまであと1週間となりました。
先日ネットで注文してあった本が届きました。
その本は…『軍艦島』の写真集です。
 

軍艦島…と聞いてすぐに分かった人はかなり「通」ではないでしょうか。
長崎県にある昔炭鉱だった無人島で、周囲1キロ程しかない小さな島ですが
炭鉱の最盛期には5000人もの人が住んでいたそうで、島には高層の
コンクリートのアパートが立ち並び、島の暮らしは豊かで非常に栄えていたの
ですが、エネルギーが石炭から石油に代わり、炭鉱は閉山。そしてその後、
昭和49年に全島民が離島。島は無人島となり、荒れ果てて今に至ります。


私が軍艦島の事を知るきっかけは、子供の頃…公共広告機構(現AC)の
制作した「人影なし」の雑誌広告を見た事です。
その時のインパクトが忘れられず、当時小学生だった私は社会科の
地図帳で「長崎の軍艦島」を探しましたが見つかりませんでした。
それもそのはず、軍艦島というのは俗称で、正式名称は「端島」だったのです。
しかしそんな事は子供の私にはわからず、まして今の様にネットがある訳でもなく
長崎の軍艦島は私の中では「幻の島」となって心の中に残ったのでした。


そんな私ですが、どんなきっかけかは忘れましたが軍艦島端島であることを知り、
何とかして写真でも何でもいいから今、この島を見てみたいと図書館に行ったり、
自分なりに調べましたがあまり有力なものは見つからず。ますます私は軍艦島
恋い焦がれるようになりました。そんな時、あるドラマの予告編で「軍艦島」という
台詞を耳にしました。そのドラマ、「水曜グランドロマン」(確かそんな名前)
という2時間ドラマで、タイトルは「別れてのちの恋歌」(高橋治さん原作
私はこの後、この原作の小説も手に入れて読みまくりました)。
予告では大竹しのぶさんと堤真一さんが共演しているようでした。
そして予告でちらりとですが映った島は…まぎれもなく、
長い年月恋い焦がれていた軍艦島に相違ありませんでした。狂喜乱舞した私は
そのドラマの放映日、テレビ画面を食い入るように見つめ、やはり登場した
軍艦島の姿に我を忘れてしまいました。そして、映像で軍艦島を見た私が次に
思ったのは、「いつか軍艦島をこの目で見てみたい」でした。


しかし…ドラマで見た日(調べたら1991年5月だったようです)から
20年以上が経過してなお、その夢は達成できず…。ドラマ放映直後、
長崎港から軍艦島の周りを周遊する「軍艦島クルーズ」の事を知り、
いっとき本気で長崎へ行こうかと計画まで立てましたが、何故か実現せず。
そして世界遺産登録を目指している事、数年前からはついに上陸ツアーが
組まれるようになった事などを知り、「いつかは軍艦島を…」の思いばかりが
空回りしていました。いつかいつかと言い続け、行けないのかな…


が! 私は決心しました。今回のトライアスロンツアーの最終日に軍艦島
上陸ツアーを組み込もうと。そして3社ほどあるツアー会社の中から、
検索した時一番上に表示された「軍艦島コンシェルジュ」を選び、
ツアー最終日の25日の午前便を予約したのでした。
それが1か月前。今は出発まで1週間となり、テンションは高まるばかり。
そんな中、写真集が届き、それを見てますます思いが強まりました。


しかし、1つだけ心配なのは「天候」です。どこのツアー会社も同じなのですが
条件次第では上陸が不可能な事があるらしく、上陸可能な日は年間100日程
だそうで、つまり単純計算で3日に1日しか上陸できないと…。
どうか、25日は上陸できますように…それが無理ならせめて船が出ますように…。
私の30年に及ぶ願いは叶うのでしょうか…。

軍艦島 全景

軍艦島 全景