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2014-08-01

自分個人の整理方法を 〜「「超」整理法」を読んで考えたこと〜


FlickrIMG_1072 by choiyaki

物はすぐに手に入り、情報は頼んでなくても次々に飛び込んでくる。そんな、情報も物もあふれる環境では、「整理」がものすごく重要な意味合いを持ちます。

日頃から、物も情報もできるだけ選び抜き、自分に必要な物だけを、と思って生活していても、おかまいなしに増えていくもの。かといってすべての情報や物をシャットダウンすることなんてできるわけもなく、さらにはメモや資料など、必要な物はしっかりととっておく必要があるわけです。

考えてみると、必要な物はおいておき、取り出せる状況を保っておくってのは、なかなかに難易度の高いミッションではないか、と思えてきます。さらには、そのミッションにかけることのできる時間も非常に限られています。整理にばかり時間を費やしていくことなどできません。

「整理のための整理法」ではなく、「整理より重要な仕事を持っている人の整理法」が必要なのである。

限られている時間の中でミッションをクリアしていくためにも、整理するための道具_物ではなく知識や技能_を身につけておく必要があると感じます。あとから必要になる、活用したい情報が埋もれていってしまわないように。

脱・分類

「整理」ときくと、「どのように分類すべきか?」を考えるのが常だと思います。でも決して、「整理」=「分類」ではないはず。

資料が乱雑に机の上に散らかっていて、必要なものをなかなかみつけることができない。この状況は、整理されていない状況でしょう。では、分類して、棚に整然と、キレイに資料が並んでいる。これは、整理されている、と言える、のでしょうか。

知的生産の技術」では、整理についてこんなことが書かれています。

整理というのは、ちらばっているものを目ざわりにならないように、きれいにかたづけることではない。それはむしろ整頓というべきであろう。ものごとがよく整理されているというのは、みた目にはともかく、必要なものが必要なときにすぐにとりだせるようになっている、ということだとおもう。

整理されている、とは、必要なものを、必要なときに取り出すことができる状態に整えておくこと。さらに加えると、その整理は、手間をかけずに行うことが望ましいに決まっています。

必要なものが必要なときにすぐにとりだせるような、それでいて整理自体は簡単で、できるだけ手間のないもの。「整理より重要な仕事を持っている人の整理法」こそが、求められる整理法、ということになります。

その一つの解として、本書「「超」整理法」では、「押し出しファイリング」という手法が紹介されています。これは、すごく有名な方法で、ご存知の方も多いのではないでしょうか。実際、本書を読むまえから、ぼくも「押し出しファイリング」については知っていました。

すごーくざっくり言うと、「押し出しファイリング」とは、「まとめて封筒に入れといて、時間順に並べておく」というもの。使った物、新たに加える物は必ず左側、と決めておくことで、最近使った・加わった資料にすぐアクセスすることができるシステムになっています。

少し古い資料に対しても、"時間"という検索軸を利用して、左から順に探していき、目当ての資料を見つけていきます。

分類を、しない。脱・分類。これぞ、「整理より重要な仕事を持っている人の整理法」であり、アクセスまでの時間は多少かかったとしても「必要なものが必要なときにとりだせるようになっている」状況、と言えます。

押し出しファイリングが絶対、ではない

本書では、「押し出しファイリング」の他にも、図書館方式や、百科事典方式など、いくつかの整理法が登場します。それらと「超整理法」である「押し出しファイリング」を比べ、各整理法の得手、不得手を明らかにしていきます。

各整理法の手間や検索スピード、秩序は保たれるのか、など、いくつかの視点から分析されているため、どんな人にはどの整理方法が向いているかがとても明確になっていきます。

ここでは、「だから超整理法が良いんだよ」と主張しているのではなく、「自分に合った方法はどれだろうか?」と問いかけてくれています。しかも、各整理法の得手、不得手を表にまとめ、簡単に把握できるようにしてくれながら。

押し出しファイリングが優れているのは、簡単手間がなく、必要なものが必要なときにとりだせるようになっている。資料を共有したり、という役目には向いていませんが、自分個人のシステムとしては、やはり優れているな、と感じます。

優れていると感じますが、それをそのまま適応できる人の方が、今では少なくなってきているのもまた事実でしょう。本書、「「超」整理法」が出版されたのは、1993年。今はそのころと比べると、情報の量や、情報が乗っかっている媒体が大きく変わってきています。まだ紙ベースの資料はあるとは言え、その多くはデータにとって変わっていっています。一人の人が触れる情報の量も、格段に増えています。現在の状況に見合った整理法を考える必要があります。

そんなときに、考えるヒントとなってくれるのが、紙なのか、データであるのかにかかわらず、整理する際の問題となってくるところ。本書に登場する、「こうもり問題」や「君の名はシンドローム」と言った、分類の際に必ず超えなければいけない問題は、これからの整理法を考える際にも、参考になることと思います。

おわりに

Evernoteは、データの情報に対して、本書で登場する「ポケットひとつの原則」を満たしてくれる存在といえます。なので、本書内の整理に対する考え方は、Evernoteを利用している方には大いに参考になるのではないか、と感じました。

ぼく自身もその一人です。Evernoteに蓄積されている、膨大な量の情報をどう整理し、あとから活用できる状態を保つのか、それを、どう手間を少なく続けていくのか、考えていきたいな、と思います。

では、お読みいただきありがとうございました。


FlickrIMG_3499 by choiyaki

2014-07-26

Evernoteのノートブックについて考え、試し続けるために


FlickrIMG_1071 by choiyaki

Evernoteを利用し始めて、かれこれ、、、どんくらい経ったかわかりませんが、いろいろと試行錯誤しながらもノートを貯め続け、ノート数もなかなかに膨大になってきました。

こうなると、はじめの頃何度か行った、ノートブックの大改革ができなくなります。やろうと思っても、膨大な時間を要するので。

じゃああきらめるのか、というと、それは嫌なわけです。

分類を目的とするなら、うまく分類できないアイテム(項目)の出現は、厄介もの以外の何ものでもない。しかし、分類はあくまで手段である。目的は知的アウトプットにある。そして、よりよき知的アウトプットのためには、そういうアイテムの出現に触発されて、思考の枠組そのものを考え直してみるほうがはるかに役立つのである。

・・・

ここまでくると、分類はすでに知的生産行為である。

「「知」のソフトウェア」という本からの抜粋です。このような分類の捉え方に、すごく共感したわけです。となると、やはりEvernoteのノートブックも、あれこれ考えながら、うまく分類できないアイテムに対してどう組み替えていくか考えながら、いろいろ試していきたいと強く思いました。

一年ごとに、ノートブックを考える

いろいろ試したいわけですが、すべてのノートを相手にノートブックをあれこれ変えるのは、時間がかかりすぎて実質無理なわけです。ノート数は3万を越えていますし、ちょっとした変更のたびに時間がとられます。

そこで、ノートブックをあれこれいじるのは、その年に作成されたノートのみを対象にしよう、と決めました。実はこれまで、一年ごとに区切って、ノートブックたちをスタックでまとめる、という運用をしていたので、ちょうどよかったんです。


Flickrスクリーンショット 2014-07-25 6.22.48 by choiyaki

今は2014年度に作成されたノートに対して、その分類をあれこれ考えながらノートブックをいろいろと試しています。すべてのノートに対して、あれこれ変更を加えるのはなかなか難しいんですが、年度ごとに区切ると、量的には扱いやすくなる。ガチガチに固められて、変更しにくい分類よりも、あえて扱うノート数を減らして、分類という知的生産を楽しむ。

で、一年間、分類を模索し続けて、次の年になれば、またその年のノートたちに対して、分類を考えながらノートブックを作成していく。過去のノートブックは、年度ごとにスタックでまとめておく。そんな感じでいこうかな、と。

おわりに

Evernoteにどんな情報を託してるのかは、人それぞれかなりちがっていると思います。また、自分のノートブックやノートを見ても、過去の分類と今の分類ではかなりちがっていますし、託している情報の種類・質も大きく変わっています。大きく変わっていくものなので、ずっと固定された分類に縛られるのはよくないように感じます。

どんどんどんどん大きくなっていくEvernote。大きくなればなるほど、大掛かりな変更がしにくくなるので、一年ごとに区切って考えていくってのは、なかなか楽しそうで、いろいろやってくのが楽しみです。

では、お読みいただきありがとうございました。

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2014-07-23

自分の考えがぎゅっとまとまった一枚の紙。それをどんどん増やしていくという行為


FlickrIMG_1070 by choiyaki

前回、こんなのを書きました。

育て、ふくらませて、凝縮する - iPhoneと本と数学となんやかんやと

その中で、「知的生産」について、こんな風に書きました。

自分の考えがぎゅっとまとまった一枚の紙。それをどんどん増やしていくという行為が、いわゆる知的生産ではないかな、と考えています。

自分で書いたことなんですが、なかなかに気に入ってまして。自分の中の「知的生産」の捉え方を、よく表現できたな、と感じています。

ブログを書く、ということも、まさにこの「自分の考えがぎゅっとまとまった一枚の紙。それをどんどん増やしていくという行為」そのものです。

誰かに発表する・しないに限らず、「自分の考えがぎゅっとまとまった一枚の紙。それをどんどん増やしていくという行為」こそが、知的生産だなと思うんです。


知的生産と言えば、「知的生産の技術」です。「知的生産の技術」では、「知的生産」というものについて、こんなふうに書かれています。

かんたんにいえば、知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら—情報—を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ

この提出先は、いったいどこなのか、ということなんです。

ブログでは、不特定多数の方々に、頭をはたらかせて考えたことを提出することになります。企画案なら、会社の会議に出席する人たち。レポートであれば、大学の教授。友だちと話している中でも、自分の考えたことを話すことはあるでしょう。提出先は、いろんなところが考えられます。

そこに、自分を含めてもいいと思うんです。


自分の考えがぎゅっとまとまった一枚の紙。それをどんどん増やしていくという行為が、いわゆる知的生産ではないかな、と考えています。

「一枚の紙」という書き方をしていますが、紙である必要はありません。テキストデータでも、音声でも。文章である必要もありません。図や絵でも、考えがぎゅっとまとまっていれば、なんでもいいんです。

その、「自分の考えがぎゅっとまとまった」ものの提出先は、どこだっていい。自分を含めちゃってもいい。そう思っています。だからぼくは、せっせとEvernoteに、自分の考えたことを溜め込んでいっているわけです。Evernoteにためている情報の提出先は、自分です。未来の自分です。

自分というものは、一日ごとにはびっくりするくらい何も変わりませんが、長いスパンで見るとびっくりするくらい変わるもの。今とはちがう自分に対して、今の自分の考えがぎゅっとまとまったものを提出するのも、いいのかなと。だから、自分の考えがぎゅっとまとまった一枚の紙。それをどんどん増やしていくという行為が、いわゆる知的生産ではないかな、と考えているわけです。

おわりに

ただ単に、思いつきをポイポイと残していくのではなく、一度立ち止まって考え、ぎゅっとまとめたものを、どんどん増やしていきたいものです。一生涯かけて。

では、お読みいただきありがとうございました。

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あれやこれやの数学講義

2014-07-22

育て、ふくらませて、凝縮する


FlickrIMG_3432 by choiyaki

メモには幾つかの種類があります。何かしら思いついて、それを書きとめた「着想」、やることを思い出して、あるいは依頼されて、忘れないように書いておいた「タスク」、忘れちゃいけないことを書き記しておいた「記録」、、、などなど、分類しようとおもえば、幾種類にも分類していくことができます。

そんなメモの数々を、ぼくはもっぱら5×3情報カードで、あるいはiPhoneの「Textwell」を利用し、「Daedalus Touch」に保管しています。

着想メモ置き場に「Daedalus Touch」 カードっぽさがいい感じ

その幾種類ものメモのうち、「着想」についてどうしていこうかな、というお話です。

利用するかどうか、はっきりしない「着想」メモ

「タスク」を書いたメモは、実行日に見返すようにしておく必要があります。「記録」の書かれたメモも、「あれ、なんやったけなぁ」というときに参照されます。では、「着想」メモはどうなのか。「こういうときに見返す必要がある!」ってときが、「こんな風に利用されなければいけない」って場合があるでしょうか。

「着想」メモは、その瞬間に思いついたアイデアの種みたいなものです。でもそれは、ほかのメモと違い、あとあとどう利用されるのかが不確かなメモ、と言えます。ほかのメモは、見返す必要性があるからこそメモするわけですが、「着想」メモは書きっぱなしでも問題ない、見返さなくてもどうってことないメモである、という点で、他とは大きく違っています。

見返す必要がないので、こっちから見返す機会をもうけなければ、埋れていくばかり、ということになります。

アイデアの種である「着想」は、見返す機会をもうけておき、その種を育てていかなければ。利用するかどうか、はっきりしない「着想」メモは、「利用してやろう!」と思って、育てていかなければ、あまり意味を持ちません。

育て、ふくらませる

「着想」メモに関しては、最低でも一週間に一度は、見返すようにしています。書き溜めた着想のなかで、「お!これについてもっと考えてみたいなぁ」と思ったものに関して、実際にじっくり考えていくことにしています。メタノート的な運用と言えるでしょうか。

着想メモを育てるのは、A4またはそれ以上の大きめの紙の上です。あれこれ考えるときは、大きい、スペースの広い、紙を使うのが、ぼくにとっては一番です。

思いつくことをじゃんじゃん書き足していき、関連を矢印でつないだり、大事そうなところはぐるぐるとまるで囲んだりしながら、着想を育て、ふくらませていきます。この時間は、なかなか楽しい時間です。ときには、A4の大きさではおさまらず、2枚も3枚も書くときもあったりします。

A4の紙を用いて、着想を育て、ふくらませたらそれでおしまいか、というと、そこからもう一手間をかけるように心がけています。

凝縮する

文章を書くときの作法として、よく挙げられるのが、はじめは書いて書いて書きまくって、あとから読み返し、そぎ落としていったほうが、表現の洗練された文章ができあがる、ということ。

書いて書いてふくらませて、削ぎ落としていく。これと同じことを、育てた着想に対しても行うわけです。育てた着想をまた見返し、不必要な部分を削ぎ落とし、要点をしぼりだし、ぎゅっと凝縮していくわけです。

着想を育てる際は、大きな紙の上であれこれ書き付けていったわけですが、凝縮する際は、今度は小さな紙にぎゅっとまとめていきます。ぼくは、A6の情報カードを利用しています。小さな紙にぎゅっとまとまっているほうが、育てたアイデアはあとから利用しやすくなっていると思うんです。より、人にわかる形で提出しやすくなっていると思うんです。

自分の考えがぎゅっとまとまった一枚の紙。それをどんどん増やしていくという行為が、いわゆる知的生産ではないかな、と考えています。

おわりに

あれこれ考える、という行為は、なんともいえない楽しさがあります。このブログも、あれこれ考えながら書き進めています。考えていると、自分でも思いもよらなかった結論に至ったり、考えが浮かんできたりで、それが楽しいんですね。

脳みそというのは、なんのきっかけもなしに、勝手にじっくり考えてくれるもんではありません。「考える時間」というのは、意識的にとっていかないと。

なかなかに楽しい考えるという行為ですが、脳みそを使うのは同時に疲れもします。でも、その疲れは、大きな充実感も伴うこともまた事実。できるだけ多くの時間を、あれこれ考える時間に費やしていきたいものだな、と思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

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2014-07-18

夏場のランニングとの付き合い方


FlickrIMG_1069 by choiyaki

夏はランニングをするにあたっては、過酷な季節です。汗はたらふくかきますし、暑さで体力の消耗も激しい。寒い冬や、涼しい春・秋と同じようにランニングをしていたら、ぶっ倒れてしまいます。

でも、ランニングを習慣にするのであれば、夏場も続けていきたいもの。

続けていくために、どういったことに注意すべきか考えてみました。

十分な水分補給

汗をたらふくかくので、水分補給は必須です。補給しないとぶっ倒れます。

走ってる最中も必要ですし、走る前にも十分水分を補給しておかないと、へろへろになっちゃいます。

気をつけたいのは、走る直前に補給しちゃうと、走り出して脇腹が痛くなってしまう、ということ。走る直前ではなく、走る10〜15分前には補給し、身体に吸収してもらっておくことが大切です。

ペースはゆっくり

冬場と夏場では、走るペースは格段にちがってきます。冬場に1km5分で走っていても、夏場に同じペースで走っちゃうととたんにバテて、へろへろになってしまいます。ぶっ倒れること間違いなし。

冬のペースよりも、1kmあたり30秒〜1分くらいゆっくりなペースで十分ではないかな、と感じます。少しゆっくりすぎるかな、くらいがちょうどいいでしょう。

早朝に走る

できるだけ涼しい時間帯をねらって走るのも効果的です。気温が高いのに加えて、日が照っているなか走るのは、さらに体力を消耗します。

日中の日が照っている中走るのは、夏場は到底おすすめできません。走るなら、早朝がおすすめ。まだ日が照っていない、5〜6時頃が適しています。とはいえ、気温は25度を越えるほどになっているので、汗はダラダラかきます。繰り返しますが、水分の補給には十分に気をつけておかなければいけません。

短い距離でもいい、と割り切る

夏場は暑くて、体力の消耗も激しいので、長い距離を無理して走る必要はないでしょう。無理をして走ってヘロヘロになって次の日もう走るの嫌ってなるくらいなら、短い距離と割り切って、日々ランニングに取り組むほうが格段に良い選択です。

夏場はランニングに向かない季節なのですから、走る距離が短くなっても気にせず、継続的にランニングに取り組むことを目標にすべきです。

おわりに

夏場は、ほんとうにランニングはキツイです。少し走るだけで尋常じゃないくらい汗が出てきますし、自分でペースや走る距離をコントロールしておかないと、すぐヘロヘロになってしまいます。走れなくてもいいんじゃないか、とも思います。ランニング以外のトレーニングしておけばいいのではないか、と。

ただ、夏場を乗り切ることができれば、あとの季節はお茶の子さいさい、継続することも易しくなります。きつい夏を乗り越えて、ランニングの習慣を強固なものにしてやろう、と考えています。

では、お読みいただきありがとうございました。

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