何度も一から考える

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過去のメモを読み返していると、興味深いものがあった。

一つの物事にとらわれると、堂々巡りに陥りがち。そこで、そうならないためにも毎日考えるにあたって注意すべきことは、「毎回一から考える」ということ。一から考えることによって、思考が前と同じ道をたどってるように見えても、微妙に違ってくる。そして、一から考えることで、前考えたときには見えなかったことが見えてきたりする。それは、同じ道を通っても「ここにこんなんあったっけ?」ってなるのと同じ。
これはちょうどぼくが大学院生で、数学の定理について考える日々を送っていた頃のメモだ。ぼくの足りない頭では、数学の定理をすんなりと理解できることはごくごく稀で、いつも「わからんわからん」とうんうん唸りながら勉強していた。わからないと言っても、定理すべてというわけではなく、一部分のつながりがどうしてもわからないということが多かった。そこを2時間も3時間も考えて分からず、次の日に持ち越してまた考えてもわからず、、、というのをくり返して、ようやく理解できる。そんな感じだった。

で、ちょうどそのころに読んでいたのが「思考の整理学」という有名な本。そこには、”見つめるナベは煮えない”という言葉がよく登場する。
外国に、

”見つめるナベは煮えない”

ということわざがある。早く煮えないか、早く煮えないか、とたえずナベのフタをとっていては、いつまでたっても煮えない。あまりに注意しすぎては、かえって、結果がよろしくない。しばらくは放っておく時間が必要だということを教えたものである。

考えるときも同じことが言えそうだ。あまり考えつめては、問題の方がひっこんでしまう。出るべき芽も出られない。一晩寝てからだと、ナベの中はほどよく煮えているというのであろう。枕上の妙、ここにありというわけである。

これを読んで、すごぉーく合点がいったことを記憶している。と同時に、見つめることも必要ではないのかな、という意見を持ったことも覚えている。で、見つめる時に大切なことと思って書いたのが一番上のメモだ。

定理の一部分がわからない、と書いたが、一日経ってまた考える時に、その部分だけをとらえて考えてもなかなか理解に及ばない。これは、どれだけ今分からないことを把握していてちゃんと問題点を書き出すことができていても、そうなんである。その定理を一から考えた方が格段に理解できる確率が高い。何度考えてもなかなかわからないので、その都度何度も何度も一から考えることになるわけだが、毎回微妙に考えていること、思考の通る道は違うんだと思う。何度も何度もはじめから考えることで、違う道が次第に見えてきたり、突然「ハッ!」と気づくことになる。一から考えるからこそ微妙な違いを捉えられることができるんだと思う。

問題点を把握できているなら、その部分について考える方が効率がいい、と思ってしまいがちだが、一から考えて全体像を捉え直すことで違う示唆を得ることができる、というのは、思考するときにはとても重要な教訓ではないのかなと感じて、昔の自分もなかなか捨てたもんじゃないなと思って書いた次第です。

おわりに

最近ライフログ熱が再燃して、今回は過去のログを見返すことに重点を置いて日々を記録することにしている。その一環として、週次レビューを行う時にふと以前のメモを見返していたら、こんな出会いがあった。ログを見返す楽しさというのはこういうものかと感じると同時に、一つの記事が書けちゃったりしていいこと尽くし。こんな良いことがあるなら、ログの見返しはしっかり行っていこうと思います。ほかにも良いこと起こったらえぇのになぁ。

では、お読みいただきありがとうございました。

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