郵便ポストの貯金箱

 ポストの貯金箱は、ブタの貯金箱と同様、最も一般的な貯金箱の定番と言えます。
 郵政資料館による、郵便ポストの移り変わりを見ると、明治4年に、脚付の台に四角い箱を載せた木製ポスト、書状集箱が、最初のポストでした。明治5年には、杉板を四角に柱のように組み合わせ、かどに鉄板を張って黒いペンキを塗った黒塗柱箱(黒ポスト)が作られました。

 明治34年、民間人の俵谷高七氏考案によるポスト、赤色鉄製の円筒形で、現状のポストの原型に近い特徴を備えたポストが、試験的に、東京・大阪・京都など、110個が各地に設置されました。上の写真が、そのポストの貯金箱です。

 その後、改良が加えられ、明治45年、差入口に雨除けの庇を付け、内側には、郵便物盗難防止の弁を付けたポストが設置されました。以後、この形のポストは、長く使われることとなりました。上の写真が、そのポストの貯金箱です。

 昭和20年に終戦を迎え、物資の入手が軌道に乗るようになると、昭和24年から新しい鉄製ポストが設置されました。郵便差出箱1号(丸型)です。上の写真、左側です。昭和37年、郵便物の区分作業の効率化と速達速度の向上のために、差入口を2ヶ所設けて、宛先別に郵便物を投入するポストが設置されました。郵便差出箱7号です。上の写真、左側から二つ目です。更に、差入口が、大口タイプに変わり、エクスパックなどの大型の郵便物も、楽に投かん出来るようになりました。郵便差出箱13号です。上の写真、左側から三つ目です。上の写真、右側、最近、よく見かける様になったポストです。これら、いずれも貯金箱になっています。


 上の写真、いずれも古いポストの貯金箱です。左側、壁掛けの貯金箱で、明治45年に設置された、丸型庇付ポストの形をしています。次の二つ、昭和時代前期の貯金箱で、状態が、非常に良いものと思われます。

 上の写真、左側、マルサンのブリキのポスト貯金箱。昭和時代前期のもので、台の部分に、回転式の日付が付いています。右側、青木商会のブリキのポスト貯金箱です。当時の人気貯金箱です。

 上の写真、人面顔の面白貯金箱です。最近のものですが、陶器製で、色もいろいろ、大きさも、高さ30センチ以上のものも有ります。

 上の写真、素材も色も、いろいろのポスト貯金箱が有ります。左側から三つは陶器製、次の二つは、プラスチックです。

蔵の貯金箱

 蔵の貯金箱は、明治時代の代表的な貯金箱です。当時は、大事な財産などを、頑丈で、火災にも強い土蔵に収めていました。たくさんの蔵の数が、その家の豊かさを現わすものでした。これらから、蔵の貯金箱は、庶民の豊かさへの憧れ、象徴としての気持ちが現れている貯金箱だと言われています。








































 上の写真、左側、明治時代に作られた京都伏見の土製貯金箱。高さ31センチ、幅18.5センチ、奥行き18センチです。壁の上部に宝珠と鍵、真ん中に大黒さんが描かれています。右側、明治20年代に作られた土製の京都古伏見貯金箱。高さ11センチ、幅8センチ、奥行き7センチです。いずれも、お金の出し口が無く、明治時代の貯金箱は、「地獄落とし」と呼ばれ、壊さなければ、中のお金は取り出せません。左側の蔵の貯金箱には、何時の時代に入れられたものか、カラコロとお金の触れあう音が聞こえます。
 





















 上の写真、昭和30年代前後の有名ブリキメーカー、マルサン製ブリキ貯金箱で、入口の扉に、金色に輝く大黒様がデザインされ、「大黒様黄金蔵」と言われています。これは、海外のコレクターにも珍重されている様です。また、屋根の上の鬼瓦も、魅力的です。右側の貯金箱は、デザインが違っています。これは、マルサン商会→青真商会→青木商会と作り継がれていたので、いろいろなデザインのものが存在する様です。お金の出し口は、蔵の正面扉で、鍵で開けられる様になっています。



























 上の写真、最近の陶器製蔵の貯金箱です。お金の入れ口は、一寸解りにくいですが、正面真後ろの裏窓に入れ口があります。出し口は、床を動かすと、外れる様になっていて、幾分、カラクリ仕様になっています。頑丈に出来ていて、長持ちしそうです。

布袋の貯金箱

 布袋の貯金箱は、明治時代の中頃から、七福神の一人として作られ始めました。布袋さんは、開運・良縁・子宝の神様として信仰されています。
 布袋さんは、中国の唐の末期、淅江省に実在し、本名が、釈契此と言う僧であったと言われています。吉凶を占えば、必ず当たると言われる程の凄い能力者であったそうです。常に半裸で、大きな袋を肩に担ぎ、身の回りの物は、すべてその袋に入れていたことから、布袋和尚と呼ばれるようになったと言われています。布袋さんのどの顔も、いつもニコニコ柔和な良い顔をしています。弥勒菩薩の化身とも言われています。
 


 上の写真、形、大きさに多少の違いがあるものの、どれも柔和な良いお顔をしています。大正時代以前に作られたと思われますが、素焼きで、手にずっしりと重みを感じます。後姿も、どっしりとしていて、重みがあります。お金の入れ口も、小気味よくしっかりと作られています。真ん中の布袋さんの高さは、20センチを超え、どれもなかなか状態の良いものです。いずれも、いったんお金を入れたら、壊さない限り出せません。ご覧の通り、底は、穴一つなく奇麗な仕上がりです。
 

上の写真、これも古い素焼きの布袋貯金箱です。大きさも20センチ前後のものです。布袋さんとしては、一寸明るみに欠けた微笑みです。長年に渡り、神棚などに祀られていたものと思われます。勿論、お腹の中には、お金は有りません。背中のお金の入れ口も、しっかりと作られていますが、右側の貯金箱の入れ口が変わっています。もしかすると、入れたお金が出せるかも。こういう貯金箱があるのでしょうか。それとも違う使い道のものなのか。何か意味が有ってのものなのか、現在、私には解りません。

 上の写真、カラフルな布袋貯金箱、高さ10センチ位、戦前のものと思われます。陶器製で、状態は良好です。左側の貯金箱、担いだ袋の表面に、布袋さんを除く六福神が描かれていて、縁起も良く、面白い着想の貯金箱になっています。右側も、一寸変わった布袋貯金箱で、愛嬌が感じられる珍しいものだと思います。カラーの後姿も趣があります。

 上の写真、左、カラフル、右、シンプルな布袋貯金箱。いずれも高さは、35センチ位、インテリアも兼ねた貯金箱です。陶器製で、軽めに出来ています。床の間等の置物として、良く見かけますが、これは貯金箱で、背中にお金の入れ口があり、底から出せる様になっています。戦後の最近のものでしょう。
 

 上の写真、戦後のもの、どれも良いお顔をしています。

恵比寿・大黒の貯金箱


 明治時代中頃から大正時代末期頃まで、縁起もの貯金箱として、恵比寿・大黒の貯金箱が、盛んに作られました。
 恵比寿さまと大黒さまは、共に七福神の一人で、恵比寿さまは、漁の神様、大黒さまは、豊作の神様、二人合わせて招福・商売繁盛の商いの神として民間信仰の対象となり、親しまれています。いつも恵比寿さまは、鯛を左手に抱えており、大黒さまは、米俵の上に乗っています。
 恵比寿さまは、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子供の蛭子尊(ひるこのみこと)が元になっているとされ、足が不自由だった蛭子尊は、幼少時に、親の伊弉諾尊に葦の船に乗せられ、海に捨てられてしまい、漂着した地で、海の神様として祀られました。「蛭子」が、エビスと読めることから、現在の恵比寿さまになったといいます。ただし、恵比寿さまの由来については、この他にも様々な説が伝えられていて、どれが正しいのか分かっていません。
 一方大黒さまは、もともと日本の神様ではなく、古代インドで、人の生死を司る神様として、恐れられる存在でした。それが、最澄の手によって、中国から日本に伝えられると、徐々に優しい福の神として、庶民の間に浸透していきました。
 さて、当館収蔵の恵比寿・大黒の貯金箱を紹介します。

上の恵比寿の貯金箱、古い素焼きの貯金箱です。高さは20センチ弱で、相当重く感じます。穏やかな良いお顔をしています。裏側も、しっかり、どっしりした感じで、お金の入れ口も堂々としたものです。底には、勿論、出し口は無く、割らないとお金は出ません。全く、美術品にも見えます。

 やはり、上の写真の左側、恵比寿の貯金箱、これも古い素焼き貯金箱で、高さ15センチ、お金の出し口が有りません。ともかく、形が変わっています。一見、ダルマの変形かと見間違います。しかし、良く見ると、大きな魚を抱えています。良く調査しないと、解りませんが、変わった珍しい貯金箱かなと思います。先ずは、紹介し、今後、調査研究に励みたいと思います。写真の真中、大黒の貯金箱、木製で、出し口が有りません。高さ15センチ、軽くて、色が落ちかかっています。穏やかな良い顔をしています。素人作りの感じで、新しいものか、古いものか、良く解りません。でも、素材からしても、大黒の貯金箱としては珍しいものです。写真の右側、恵比寿大黒、ツインの貯金箱です。古い素焼きの貯金箱、高さ20センチ、お金の出し口が有りません。恵比寿・大黒の貯金箱は、ツインで一体化したものが、かなり見られます。二人とも、ふくよかで、良く見る日本人の顔をしています。

 上の写真、これも古い貯金箱、素焼きで、高さ20センチ、良くある形の貯金箱で、大小、いろいろ有ります。色付きです。これは、かなり状態の良いものです。恵比寿・大黒、どれも穏やかな良い顔をしています。

 上の写真、これはかなり新しいもので、昭和時代と思われます。陶器製で、軽く、細部に渡って、丁寧に作られています。一寸、状態が悪いです。

 上の写真、左側、張り子の恵比寿の貯金箱。高さは、20センチ以上あります。新しいものと思いますが、顔も、形も、ユニークで珍しいです。何時、何処の制作かは解りません。真中の写真、最近の恵比寿・大黒貯金箱、いずれも陶器製で、左の恵比寿貯金箱、高さ13センチ、右の恵比寿・大黒貯金箱、高さ18センチです。いずれも今様の明るい華やかな感じの貯金箱です。右側の写真、土人形の恵比寿・大黒貯金箱、高さ20センチ、何時、何処で製作されたものか解りません。色が綺麗に残っていて状態の比較的良いものです。抱えている鯛のピンク色など、目に残ります。

貯金箱の流れ

[日本]

貯金箱のルーツ
 縄文時代に現れた「甕(かめ)」ではないかと言われています。甕は、稲作が始まり、穀物を貯える為に必要とされました。ここから、「貯える・備える」の考えが 始まりました。
 室町時代の「せんべい壺」(伊賀で焼かれた、深さ、28センチ位の壺、銭が入って出土しています。せんべい=銭瓶でしょうか?)は、具体的に名づけられた貯金箱の祖先であると言われています。

江戸時代
 貨幣制度が整えられ、商業活動が盛んになりましたが、金融は、武士、商人や農民の一部などの限られたもので、一般的ではありませんでした。
 貯金箱と呼べるものは、千両箱、商家が使った木製の銭箱、広く庶民の使った竹筒に入れ口を作った銭筒、それに銭壺がある程度です。

 尚、堪忍箱(買い物をした時に、節約して安い物を買い、余ったお金を貯めておく入れ物)と称するもの、また大黒の貯金箱もあったとする説もあります。

明治時代
 欧米に習った、金融の仕組みが出来、銀行制度や郵便貯金制度が整いました。お金の流通が盛んになると共に、開国後の富国強兵や産業振興のため、勤倹節約の思想が高まりました。これらを背景に、貯金箱も、一般の人々を対象としたものが、たくさん現れるようになりました。
 明治時代初期の貯金箱は、「貯金玉」と呼ばれ、持っているとどんな願いごとも叶う"如意の玉"、つまり「宝珠」を形どっています。大きな目的のために、小銭を少しずつ貯める器として、これが選ばれたことは、当を得ていると言えましょう。
 その後、郷土人形や民芸品に穴を開けたものが現れ、特に縁起物の置物は、いち早く貯金箱に変身しました。恵比寿・大黒・布袋・達磨・福助・招き猫などです。

 「蔵の貯金箱」も、明治時代の代表的な貯金箱です。当時は、大事な財産などを、頑丈な土蔵に収めていました。沢山の蔵の数が、その家の豊かさを現わすものでした。蔵の貯金箱は、庶民の豊かさへの憧れの気持ちが現れている貯金箱だと言われています。

 この頃の貯金箱は、壊さないと一度入れたお金は、取り出せませんでした。その為、「地獄落とし」とも呼ばれたようです。

昭和時代
 昭和時代に入ると、貯金箱=豚というイメージができました。何故、貯金箱と言えば、豚なのでしょうか。それは、イギリスで、使わなかったコインを、台所にあるpiggyと呼ばれる陶器の壺に入れておく習慣があり、Piggy bankと呼んでいました。piggyが、豚を意味するpigを連想させることから、貯金箱には、豚の形を使われることが多くなりました。
 また豚は、スイスでは、運をもたらすものとされています。裕福な農家の象徴とも見なされています。これらから、豚の貯金箱は、19世紀に、様々な貯金箱の中で、もっとも普及しました。
 キャラクター貯金箱の登場、遊びの中から子供たちに、貯蓄の習慣を自覚させる目的で、漫画の主人公やテレビアニメの、キャラクター貯金箱が登場しました。
 昭和時代初期、アメリカ漫画のフェリックスをヒントにした、「のらくろ」、戦後、「鉄腕アトム」、「ウルトラマン」、「ドラえもん」など、数多くの貯金箱が登場しています。以後、貯金箱も、時代を反映する形で、様々な種類のものが出てきています。

 販促品の貯金箱(ノベルティ)の登場、貯金箱を景品として、最初に配った銀行は、三菱銀行です。1961年11月に、「ブーチャン貯金箱」を配布しました。


[外国]

貯金箱のルーツ
 ヨーロッパでは、貨幣の登場(国の刻印が押された鋳造貨幣が誕生したのは、紀元前7世紀から6世紀に、小アジアに存在していたリディア王国だと言われています。)前から使われていた、貴金属の小片などを入れて貰うために、教会に置かれた「献金箱」が、貯金箱のルーツと言われています。
 貨幣を入れる貯金箱としては、アテネオリンピア遺跡から、紀元前300年頃の、テサウロスと呼ばれる粘土製の、宝物寺院型貯金箱が発見されています。
 更に、古代ローマの遺跡からは、3〜4世紀の洋梨型の陶器製貯金箱が数多く見つかっており、当時の人々が、貯金箱と深く関わっていたことが解ります。この貯金箱の型は、女性の乳房を模っているとも言われ、ヨーロッパの貯金箱の伝統的な形として、イタリアなどでは、現在もこの形の貯金箱が使われています。
 アジアでは、今から2100年前、前漢時代のもので、中国の雲南省、てん王一族の墓から出土した、「貯貝器」が、ルーツだろうと考えられています。これは、青銅製で円形筒型をしており、貯貝器は、つまりお金を貯める器と言えるでしょう。ですから、今も財貨に関する漢字には、「貝」という字がくっついているのです。
 中世のヨーロッパでは、鍵付きの鉄製の貯金箱が登場しました。
 19世紀、この時代は、節約することが美徳であり、そのため、貯金箱もたくさんの種類が作られ、また、鉄・真鍮・錫・鉛などが豊富で、容易に手に入ったことから、手工業者の手作りで、数多く作られたのは、金属工芸品の貯金箱でした。それらの貯金箱は、動物・人形・乗物など、子供の玩具を兼ねたものから、技術的にも優れた細工の施された様々なものでした。
 世界の貯金箱のコレクションの大部分を占めるのが、欧米の19世紀の貯金箱です。これらは、アメリカのカラクリ貯金箱が、メカニカル バンクと呼ばれるのに対し、スティル バンクもしくは、ペニー バンクと呼ばれます。
 19世紀後期に、アメリカで登場した貯金箱が、鉄製のバネ仕掛けの貯金箱、カラクリ貯金箱(メカニカル バンク)です。玩具メーカーが、玩具を貯金箱に出来ないかと考えた末に、子供達に夢を与えようとした奇抜な思い付きから生まれました。子供のための貯金箱でしたが、当時の大人たちの、爆発的収集の対象となってしまったそうです。現在のカラクリ貯金箱の原点になった貯金箱です。

 現状の各国の貯金箱は、それぞれの国の特色を生かした、その国らしい貯金箱が主流となっています。


◎ 以上は、先人等、貯金箱の魅力にとりつかれた方々の、研究の成果で、通説となったものなどを纏めてみたものです。





 

宝船の貯金箱

宝船とは、七福神が乗る宝物を積み込んだ帆船、または、その様子を描いた図のことと言われています。また、新年を表す季語とされています。

 七福神とは、「七難即滅、七福即生、万世安楽、帝王歓喜し給う」と言う、[仁王経]の言葉から、室町中期に成立したのが七福神信仰の始まりで、以来、今日まで、人々に福をもたらす7人の神様として崇敬されています。
 七福神は、次の通りです。

恵比寿七福神のうち、ただ1人の日本の神様で、夷三郎とも言われます。(でも、やはり外国人という説もあります。)航海、漁業、商売繁盛の神様として、広く信仰されています。
大黒天:大きな袋を肩に掛けた大黒様は、糧食の神様、開運招福、五穀豊穣の神様として、恵比寿様と共に、七福神の中でも特に親しまれています。
布袋:立っても、坐しても、横になっても、厚い胸と大きなお腹を出して大笑いする円満な姿で、世の中の清濁を全て呑む大度量を示しています。堪忍や和合を司る神様として崇められています。また、弥勒菩薩の化身とも言われています。
福禄寿:頭が長い福禄寿は、人望と知恵を授ける神様です。枕に経巻を結び、鶴を伴う姿もあり、中国では、古来、南極星の化身とも言われています。
寿老人:長寿を授ける神様で、寿老人に従うものは、千年を超えた青鹿と五百年を過ぎた玄鹿で、我々の長寿福徳を祈ると言われています。
毘沙門天:仏教四天王の1人で、多聞天とも言われています。念怒の形相で、左手に宝塔、右手に宝棒を持ち、仏法守護、福徳授与の神様として崇められています。
弁財天七福神のなかで、唯一の女性の神様です。芸能・財宝の神様と言われ、奏でる琵琶の妙音は、全ての者に幸福をもたらすと言われています。
  

 上は、昭和時代の宝船の貯金箱、高さ10センチに満たない小さな物で、七福神の判別も定かで無いが、今だ色鮮やかで゜、見応えが有ります。
      
近年の宝船貯金箱のいろいろを紹介します。

 当館収蔵の一番大きな宝船貯金箱です。高さが50センチ、幅60センチ有ります。強化プラスチック製で、かなり重いものです。細部まで、良く造作されています。
  

 上の写真、今様の賑やかな宝船貯金箱、インテリアとしても重宝されています。
  

 左写真、招き猫を中心に、ダブル縁起物宝船貯金箱です。右側は、招き猫による七福神の変形宝船貯金箱、いろいろ有ります。
     
下は、平成15年 ミントセット(敬老貨幣セット)です。毎年、造幣局より、硬貨製造技術を知らしめる為、販売されているもので、七福神の宝船が採用されています。




 

戦時中の貯金箱


 貯金箱の形や表示には、時代を色濃く反映したものが多く見られます。特に戦時中には、戦時色の強い貯金箱が、数多く残されています。


日本の兵隊さん

 上段、左側から、陸兵と軍用犬、陸兵の将校、海兵の将校、海兵です。
 下段は、その裏側と底です。
 一般的に小型で貯金の用には適さず、お金を出す時には、壊さざるを得ません。実用的よりも、諸々の宣伝に重点が置かれた様です。


戦車・砲弾類

 左から戦車2台、砲弾2個、水雷です。
 右から二番目の砲弾には、「愛国貯金」、一番右の鉄製の水雷には、「貯蓄報国」、裏側には、「備えあれば、恐れなし」と標語が書かれています。戦争という時代背景を色濃く映し出している貯金箱です。
 その他に、「一銭報国」「銃後貯金箱、一石のお米も一粒より、一億のお金も一銭から」「貯蓄報国」堅忍持久」「勤倹貯蓄」「我等の一銭、御国の力」等の標語が有ります。
 戦時中は、積極的に貯蓄することを、盛んに宣伝しており、資源の少ない国土ならではの行動と言えるでしょう。


その他の戦時中の貯金箱

 上の写真、左側から、ダルマ、飯ごう、子供の貯金箱です。子供の貯金箱は、出征兵士を見送る姿でしょうか。子供に預金(戦費に転用)を勧める目的があったのでしょう。
 ダルマの裏側には、「一億一心」と書かれています。


「幻の陶貨」??

左の写真、余談になりますが、「未発行一銭陶貨」です。戦時中、金属は、ほぼ軍需用に使用されていたため、貨幣を瀬戸の焼き物で製作することが考案されました。しかし、流通前日に終戦となり、結局、世の中に出回ることのなくなった「幻の陶貨」となってしまいました。
 随分、昔のこととは言え、ここまで来るとは、なんともやり切れない結末で、時の風に流されてはいけない、大きな教訓です。 実物の一銭陶貨は、本当に小さな、粗末なものです。とても貨幣としての使用には、耐えられそうも有りません。