グーグーだって猫である


吉祥寺の日曜午後だったので激混みでした。


グーグーだって猫である


脚本・監督:犬童一心
原作:大島弓子グーグーだって猫である角川書店
出演:小泉今日子上野樹里加瀬亮
音楽:細野晴臣


(以下多少ネタバレあり)

天才漫画家、麻子さん&ぐるぐる巻き模様の猫グーグー、一人と一匹のニャンダフルライフが始まる!
毎日がちょっぴり楽しくなる、明日はきっと幸せになる。

少女漫画界の巨星、大島弓子が、飼い猫たちとの愛しい日々を綴った自伝的人気エッセイ漫画「グーグーだって猫である」。
人も動物も、みんな対等に、この地球で生きている。そんな純粋な想いがあふれた原作を、小泉今日子上野樹里加瀬亮のオールスターキャストで完全映画化。
緑あふれる、吉祥寺を舞台に描かれるのは、想い合う一人と一匹の幸せいっぱいの毎日。ふと気づくと、いつの間にか肩の力が抜け、生きるのが少し楽になる。
今までに味わったことのない、幸せな感動をお届けいたします。

みんな対等に、この地球で生きている

本作の舞台となるのは、吉祥寺。緑深い井の頭公園、デパートが並ぶにぎやかな駅前、静かな住宅街、新しいエネルギーを放ちながらも、どこか懐かしい街。ここに住む登場人物たちは個性的だけど温かく、公園や路地を闊歩する猫たちは、自由気侭ながら、世界をどこか優しいまなざしで見つめている。異種である一人と一匹はそんな世界に住んでいる。
強い絆で結ばれた麻子さんとグーグー。彼らを中心に、映画は人と猫、猫と街、街と人、そのどこまでも心地よい空気、独特のゆったりとしたリズムを創り出す。人と動物と街、まるで異質なものが、お互いを支え合って存在しているかのような不思議な感覚。
そんな、一見ファンタジーともいえる幸せな世界に潜む、厳しい現実。ファンタジーと現実、その境界をすっと行き来する、究極の犬童マジック。それらが見事に融合し、最後に見えてくる何か・・・。
「人は一人では生きられない。でもだからこそ、世界は素晴らしい」。いつの間にか、元気づけられ、少しだけ勇気がもらえる。新鮮な感動が涙を誘う、愛の映画が誕生した。


映画自体は、当たり障りのないかんじ。
吉祥寺と猫とキョンキョン細野晴臣のどれかにアンテナがはられてる人間はとりあえずモトはとれるかなと。


この映画のキーワードは、「ペットロス」。
亡くなったペットへの想いがずっと残っており、クライマックスでそのペット(人間の状態)と意思疎通を交わすシーンが訪れます。


「で、結局(飼われて)幸せだったのか?」とペットに問い掛けるあたりは、ペットロスの経験者はかなりグッときてしまうとおもいます。


僕は東京にでてきてから、実家(名古屋)で飼ってた犬が死んだという状況した。なので死んだ頃にはすでにあまり時間を共有していなかったことから、それほどきついペットロスではなかったですけど。
でもやっぱり改めて考えると、上記の問い掛けは心の中でしてしまっていた気がします。


ペットを飼うという行為自体、言ってしまえば自分よがりなものなので、落ち着いて考えてみれば相手(ペット)がどう考えてるのか、わかるはずもないからこそ余計にわかりたくなるものです。


うちの犬は幸せだったのかなあ、と日曜から考えてしまってるのです。


↑うちの子。親父のねこだましにあってます(1994年くらい撮影)