荒む心と、澄ます心

荒む心は、美しいものを見ると直るのではないだろうか。
心が荒むのは美しいもの、優しいものを見ていないからではないだろうか。
過去を後悔する人、将来を不安に思う人、人にとって「後悔」と「不安」と、どちらがその人の現在に影響を与えるのだろう。
現在を「過去」と「未来」に影響されて良いのだろうか。
悔やんでも、不安に思っても、変化のない現在は変えられないのだが。
未来は受け取るしかなく、過去は取り返せないのだが。
変化する心を澄ますとどうなるのだろう。

体は歳を取るが、心は歳を取らない

ダライダマの侍従医の本を読んだ。その本によると、
人間の健康は心にあるとのこと。まったく同感する。
喜怒哀楽人生とは高校の時に友人が言っていた事だが今だに憶えている。
いい言葉だと思う。何も起こらないことがわかりながらも、
何かが起こるかと期待しつつ町に徘徊に出かける。
高校生の時もそうだったが、大人になった今でも、
心が空虚な時はその行動を繰り返している。
自分自身と向き合うことは難しいことだと今でも思う。
何もすることが無く一人でいると何かを求めている。
つまり、自分自身と向き合うことを回避しているのだ。
禅の坊さんは座禅などで自分と向き合っているようだが、
本当にそうだろうか?没社会で一人でいるわけでは無い。
お寺では同輩先輩後輩種々な人がいる。一寺では檀家ありである。
東京砂漠とは昔の歌だが、あれだけの人がいる中で言葉交わす相手がいないことだ。
前後裁断、無一物、素敵な言葉だと思う。
「過去にとらわれず、今をくよくよ思わず、未来を思い煩わず、
現在を落ち着いて受け入れる。
自分を誇らず、貶めず。
後で後悔するようなことをしないで前向きの境地で今を過ごす。
・・・中村元ブッダの言葉新潮社講演テープより」
人は人の助けが必要だとつくづく思う。2500年前の釈迦の言葉を現在によみがえらせ
今、私はその言葉を中村元を通して聴いている。人が人を助けている事実だ。
2500年前の人が現在の人を通して現在の人を助けている。
人間の精神は進歩せず2500年前も今も欲に行動が支配されている。
人間の寿命が200年であれば今よりよい社会になると思う。
200年の寿命時間で淘汰された価値観が欲に支配される行動を修正するような気がする。
今の年寄りが感じている生きているうえで最も大切な価値は「人に優しくすることだ」
という事を聞いてもよくわかる。体は歳を取るが心は歳を取らない事実を。
生臭い人生のひと時を過ごした年寄りが異口同音に言うのは、体を傷つけることはするな、人を傷つけることはするな、人に優しくあれである。これが何十年も生きてきた人間の言葉である。つまり、生きてきた約100年後に到達した価値観である。
残念なことは150年200年生きた人の価値観が聞けないことである。どのような価値観になっているのだろう。

地球の速度

何かによると、1分間で500mだそうだ。地上にいると気づかないが、時間とは、そのように早いものらしい。
体感時間は楽しければ長く、面白くなければ長い。思考の速度は地球の速度より速いのだろう。何年も何十年も前のことが瞬時に思いだされ、そのときに浸ることができる、良くも悪くも。楽しい記憶、辛い記憶。
人は過去と現在とを行き来して現在を過ごしている。時々未来に浸ることもあるが、それは危険なこともある。「前後裁断」未来を思わず過去を思わず唯今に在るとは難しいことだが大切なことのようだ。
最近3D(立体映像)が話題だが、現実が2次元にしか写っていないことに気づいて、意識して3次元で見るよう努力したら少しは見えるようになった。物の影があると、そのように見えやすいことも気づいた。絵や美術をやっている人は、きっといつでも3次元に見えているのだろう。3次元で見る現実はある意味(特に運転中)、脅威であったが美しかった。

望むと自立せずか

心の中で、何かに救いを求めたりしたら自立できないのだろうか。
時折、心の中で救いのようなものを叫ぶ時がある。
現状の解決が見えない時など。「僥倖」を望むような自分の奥底の弱さを。

そんな時、フト心をよぎるものがあった。
叫ばずに自分で向き合い解決に取り組まなくては、真の意味で自立できないのではないかと。

希望は大切であり、希望は自分の進路を決める方向であり、ハンドルでもある。
希望が無ければ、方向を失い、刹那に生きてしまう。

希望があるから現実に課題が発生する。希望と課題は同義語か。
救いを求めるのは何だろう。求めなければ得られないこともあるのだが。

あけまして、おめでとうございます。

新年です。今年は結果を出すよう邁進します。
心静かに、落ち着いて、見し
(体勢・実勢また自己を静観・把握に努め)、
おもむろに着手します。
正しければ焦らず、間違いは直ちに認め仕切りなおす。

善悪ではなく、完全と不完全、完成と未完成

良い悪いではなく、欠点を直す。所詮、完全にはならないが完全を目指し努力する。
自分でも気づかない欠点を発見し修正する。スポーツ選手がフォームを直すように。
欠点とは自分に欠けているものを補うこと。補い自分をより良くするするための努力。
その努力が大切。善でもなく悪でもなく不完全を完全に近づける。未完成を完成に近づける。