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『創造と環境』 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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クリエイティブな仕事をしている某組織に入った瞬間から、そのクリエイターは「歩」から「成り金」となって才能を輝かせるが、高給に魅かれてその組織を出た瞬間から「歩」に逆戻りしてしまうのはなぜか…を40年前から何度もニューヨークへ出向き、その組織躰の当事者たちにインタビューしまとめて1969年に上梓したのが表題の著書です。

「クリエイティビティについて、その環境について、語りあいましょう。」

2009-05-13

(454)ボブ・エルゴート氏とのインタヴュー(4)


金子秀之さんが送ってくださった公共広告を集めたCDの中に、『ギブ・ア・ダム』のCMは、幸い、[家主]が収録されていました。一両日のうちに、[家主]をYouTube に。あとは、発見でき次第、追加することにしましょう。(2)の[葬儀]の所在をご存じの方は、お知らせください。


>>『ギブ・ア・ダム』[家主]CMはこちらで見られます


ヤング&ルビカム社 副社長兼アソシエイト・クリエイティブ・ディレクター(1970年当時) 



「ギブ・ア・ダム」の意味


chuukyuu 「『ギブ・ア・ダム』という言葉の裏には、 『ギブ・ア・ダイム』、つまり10セント募金のような意味が隠されているような気もしますが---」


f:id:chuukyuu:20090510031027j:image:rightエルゴート氏「決してそんなことはありません。なぜ『ノー』と答えるかといいますと、まず第一に私は語呂合わせが嫌いだからであり、第二にこのキャンぺーンを通してお金を集めようなどと思ったことは、一度もなかったからです。

私たちは、単に人びとの関心を引くために用いる強い言いまわしをさがしただけなのです。もう一つつけ加えるとすれば、それが標準英語からはずれていものを望んだのです.ところが『ギブ・ア・ダム』を批難する声が耳に入り、怒りを爆発させてからの私たちは、ほかに神聖をも汚す意味を含んだ言葉を望むようになりました。

あなたには信じられないでしょうが、『ダム』では強さに欠けるのではないかと真剣に考えたこともあるのですよ」


以前からY&Rで働きたいと思っていた


chuukyuu 「話題をかえましょうか。Y&R社でのあなたの地位は?」


エルゴート氏 「アソシエイト・クリエイティブ・ディレクターと副社長です。

いまでも暇な時にコピーを書くのが好きなのですが---。

自分で広告やコマーシャルを書いている時とはわけが違って、人が書くのを監督しているとやる気もなくなってしまいますよね」


chuukyuu 「いつ、なぜ、この代理店にお入りになったのですか?」


エルゴート氏 「Y&Rに入ったのは1966年です。以前からY&Rで働いてみたいと思っていたのです。

それはここがニューヨークにある大代理店の中でもクリエイティブ・ワークの真価を認める数少ない代理店の一つだったからです。

この業界で働いている多くの人びとと同様に、私もここがつくったイースタン航空の広告にとくに強い印象を受けたのです」


chuukyuu 「いま担当していらっしゃるアカウントは?」


エルゴート氏 「サンカ・コーヒー、ニューヨーク・テレホン、ノートン・シモン社、ニューヨーク都市連合などを現在扱っています。以前には、イースタン航空、レミントン電気カミソリ、ブレックなどのほか新しい商品を数多く扱っていました」


コピーライターに仕立てられた


chuukyuu 「いつ頃からコピーを書くようになったのですか?」


エルゴート氏 「1959年からです」


chuukyuu 「コピーライターになろうとした動機は?」


エルゴート氏 「私の場合は,コピーライターに仕立てられたといったほうが当たっているようです。

大学を卒業して史学士の資格をもっていましたし、絵の才能もいくらかありました。

そんなわけで、私はテッド・ベイツのアート部で働くようになったのですが、それはちょうど彼らがアナシンやガードル入りのコルゲートやアナヒストのムチンの入ったビーカーを前にして、そうした商品の広告をつくるために頭を悩ませていた頃でした。

それから、信じていただけないかもしれませんが、プリバレーション・Hの仕事をしていたのもあの頃でした。

そこでいくつかのストリー・ボードをつくり、クリエイティブ・ディレクターのオフィスに持っていきました。

私の提出したアイデアは細かい点まで気を配ったものではなかったのですが、それでも彼は気に入ってくれたようでした。というのは、間もなく私はコピー部に配属が晩まったことを知らされたのですから。

長い間テッド・ベイツにいたわけではないのですが、それ以来私はコピーを書くようになってしまったのです」


chuukyuu 「コピーライタ-になるために、どんなトレーニングを受けましたか?」


エルゴート氏 「これと決まった形のトレーニングを受けたことはまったくありません。

実際にコピーを書くことが主な勉強でした。それから、当時すでに古典となっていた広告やコマーシャルを研究することも忘れませんでしたし、才能ある人びととともに働くことも大いに勉強になりました。

こうしていると、コピーライティングについていろんなことを教えてくれた何人かのスーパパイザーやライターやアートディレクターのことを思い出すことができます。


新聞関係の人が出入りするバーの息子


chuukyuu 「お生まれになったのは?」


エルゴート氏 「1935年3月25日にニューヨーク市で生まれました」


chuukyuu 「当時あなたのお父さんは何をしていらっしゃったのですか?」


エルゴート氏 「旧マジソン・スクウェア・ガーデンのはずれでバーをやっていました。

この店に通ってきたのは、かつて多くのフアンをわかせたジャックンプシーやバーニー・ロスをはじめ,もとニューヨーク・レインジャーのチームの仲間たちが大半を占めていました。

このほかに、かつてのデイリー・ミラー社のウォルター・ウインチェルやニューヨーク・サン社のH・アレン・スミスやデイモン・ラニアンなど、多くの新聞関係の人びとも頻繁にこの店にきていました。

たしか父は、ラニアンがブロードウェイのために書いた作品の中の一つ、『ハリーという名の馬』のモデルは自分であるといっているのですが---」(笑)


chuukyuu 「あなたは小さかった頃、書くことはお好きでしたか?」


エルゴート氏 「あまり好きではありませんでした。この仕事を始めるまでは、ほとんどものを書くということをしませんでした」


chuukyuu 「その頃はどんなことをするのがお好きでした?」


エルゴート氏 「絵を描くのが好きでした。絵の素質はあったようです。そのほかに音楽や読書も好きでしたが、当時私の最大の関心事はスポーツでした」


chuukyuu 「どんなスポーツがお好きだったのですか?」


エルゴート氏 「野球やソフトボールやバスケットボールなどです。近所の子どもたちとローヤルズというチームをつくってよく野球をしていました。この仲間の何人かはとても野球が上手で、後にマイナー・リーグの契約を結んだ者もいたんです」


chuukyuu 「あなたが守っていたポジションは?」


エルゴート氏 「外野です。第二のジョー ・ディマジオになって、ヤンキーズのセンターを守ってみたいとあの頃は考えていたんですよ」(笑)


>>(了)

An interview with Mr.Robert Elgort(4)


Young & Rubicam, Inc. Vice-President, Associate Creative Director(1970)



chuukyuu I wonder if you were trying to pun the phrase "Give a damn" on "Give a dime."


f:id:chuukyuu:20090510031027j:image:rightMr.Elgort Definitely not. For one thing I hate puns.

And for another, we really weren't trying to raise any money with this campaign.

We were just looking for a very strong way to ask people to care.

We also wanted a line that was part of the language. And since we were angry, we wanted something with a little profanity in it. You might find this hard to believe, but at the time, we wondered if the word "damn" was strong enough.


chuukyuu Now, let's change the subject. What is your position at Young & Rubicam?


Mr.Elgort I am an Associate Creative Director and Vice President. But I still like to write when I can.

You don't get the same kick out of supervising somebody else's work as you do writing your own ads and commercials.


chuukyuu When and why did you join the agency?


Mr.Elgort I came to Young & Rubicam in 1966. I had always wanted to get a job at Y & R because it's one of the few big agencies in New York City that appreciates good creative work. Like a lot of people in the business, I was particularly impressed by their work on Eastern Airlines.


chuukyuu What accounts do you handle now?


Mr.Elgort Right now, Sanka Coffee, New York Telephone, Norton Simon, Inc. and the New York Urban Coalition. In the past, I've worked on Eastern Airlines, Remington Electric Shavers, Breck and a number of new products.


chuukyuu When did you start writing copy?


Mr.Elgort In 1959.


chuukyuu What motivated you to pursue this career?


Mr.Elgort You might say I backed into the business. I graduated college with a B.A. in history and a talent for drawing.

So I got a job in the Art Department at Ted Bates.

Those were the days when they were doing the hammers in the head for Anacin and the gardol shield for Colgate and beakers filled with mucous for Super Anahist and things you wouldn't even believe for Preparation H. And they were always on the lookout for new selling ideas. So I worked up a few storyboards of my own and took them into the Creative Director's office.

Even though my ideas were pretty rough, he must have liked them. Because the next thing I knew 1 was in the Copy Department.

And although I didn't stay at Bates long, I've been writing copy ever since.


chuukyuu What kind of training did you get to be a copywriter?


Mr.Elgort I had no formal training. I learned mostly by writing. And by studying ads and commercials that were well written. I also learned by working wirh good people. I can think of a couple of Supervisors, writers and art directors who taught me a lot about copywriting.


chuukyuu Where and when were you born?


Mr.Elgort I was born in New York City on March 25, 1935.


chuukyuu What was your father doing then?


Mr.Elgort My father owned a bar around the corner from the old Madison Square Garden. A lot of his cutomers were ex-fighters like Jack Dempsey, Barney Ross and a number of the old New York Rangers. He also got a lot of newspapermen liek Walter Winchell, of the old Daily Mirror. H. Allen Smith of the New York Sun and Damon Runyon.

In fact, my father claims that Runyon used him as the model for one of his Broadway characters, Harry the Horse.


chuukyuu When you were small, were you fond of writing?


Mr.Elgort Not really. I did very little writing before I got into the business.


chuukyuu In those days, what were your hobbies?


Mr.Elgort I loved to draw and had some talent for it. I also liked music and reading, but my big interest was sports.


chuukyuu What kind of sports?


Mr.Elgort Mostly baseball, softball and basketball. In those days I played for a neighborhood team called the Royals. A few of our guys were so good, they later signed contracts to play minor league baseball.


chuukyuu What position did you play?


Mr.Elgort The outfield. I had hopes of succeeding Joe Dimaggio as the center fielder for the Yankees. But when Mantle came along, I retired.



>>(5)

イタリア・ジノリ窯のグロテスク人形への道


クリエイティブ・センス・アップ・ミーティング


G.W.あけの水曜日。始業9時50分からの10分間ミーティングのサブジェクトは、イタリアの製磁ブランド、ジノリ窯のグロテスク人形への道。


マイセンの錬金術師ベトガーがカオリン(磁土(石))を発見するに至るまでの試焼記録の精密さ。

発見を国家秘密にしたアウグスト強王。スタイル(様式)が輸出の目玉であった時代。


f:id:chuukyuu:20090513144906j:image:left(メダルは、マイセン窯380周年だかに創られたベトガー像)


待遇の悪さからマイセンを逃亡した陶工たちを受け入れたジノリ公爵が開いたのがジノリ窯。

クラシック像(マイセンはバロックからロココへ苦難の移行)様式から一歩すすめたジノリが創案したグロテスクな道化人形(8体、実物展示)。

f:id:chuukyuu:20090513144904j:image:left(左:吝嗇老婆 右:骨董商)


f:id:chuukyuu:20090513144905j:image:left(左):大酒呑み 中:召使 右:淑女


スタイル(シェイプとパターン)は、輸出物。