創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(447)『トミ・アンゲラー絵本の世界』(第3回)


まるで、淡彩のような色づかいです。というのは、ストラスブールからニューヨークへ転がりこんできた、自信ありげな青年だけど、出版社としては、冒険すぎることはできない、というので、墨のほかには、グリーンと赤づかいという制限つきで描かせたのが、この『クリクター』だったのです。


<<『クリクター』(上)

『クリクター』(下)


パスカルは、フランス人気質として、繊細さと明析さ、それに合理性をあげています。
しかし、これとはまるで違う、ゴーロア気質というのもあります。
紀元前五世紀どろからアルザス地方に住みついたゴーロア人のそれを受けついだものです。
ジュリアス・シーザーのこの地の征服によって生まれた混血文化……ガルロローマンの時代を経ながらもゴーロア気質はアルザス人気質として残っている……と、この地の人たちは主張します。


ゴーロア気質とは、パスカルのいう繊細、明析、合理性と反対のもの、言葉にしてみると鈍重、感情的、執念深さ……ということでしょうか。


トミ・アンゲラーは、自分の中にこのアルザス人気質が多分に残っていると誇らしげに話してくれました。
私には、トミのどの部分がアルザス人らしいのかよくはわかりません。
たとえば、都会を捨てるといったん決めたら、カナダの無人島にさっさと移住してしまう決断力もそうなのでしょうか。


アルザス人気質をいうトミですが、『蛇のクリクター』には、そういう鈍重な感じはありません。むしろ、さらさらした印象です。


クリクターという新しい同居者を得て、それまでは静かに暮らしていたバドおばあさんの生活は、にわかに忙しくなっていました。


アフリカらしさを演出するために買った椋呂の鉢植に、三日おきに水をやるやら……。


寒い日のために、セーターも編んでやらなければなりません。
細くて、長ぁい長いセーターです。
横縞模様を編みこむために、め数をきちんと計算しなければなりません。


クリクターのべッドだってたいへんです。なにしろ、身長4mのクリクターです。
幅は半分でいいのですが、長さが倍。特別注文で用意しましたが、そのベッドにあったベッド・パッド、シーツ、毛布、ベッド・カバー……いやはや、バドおばあさんの忙しさといったら。


もっとも、目ざまし時計は屋根裏にしまってあった息子の目ざましに油をさして間に合わせました。



冬がきて、その町はすっぽり雪で覆われました。
バドおばあさんに編んでもらったセーターを着こんで雪の中をはい回るのが、クリクターは大好きでした。
生まれ故郷のアフリカでは雪を見たことがなかったものですから……。


さて、バドおばあさんは小学校の教師をしていましたので、ある日、学校ヘクリクターを連れて行くことにしました。


トミが25歳で『クリクター』を出版した年、彼はストラスブールで知り合った米国女性ととに、ニューヨークヘたどりついたのでした。


トミは私にこう話しました。


「その時、私はひどい病気にかかってました。そして、おカネがなく、働かなければならなかった。ある出版社のオフィスで、倒れそうになりました。彼らはとても親切で、名もない私に五〇〇ドルの仕事をくれました。子供のための本の仕事です。この本は賞をとりました」


その時に受賞したのは『クリクター』ではなく別の童話です。
『クリクター』は受賞後にいそいで描かれたものです。

トミは『クリクター』をひと晩で描いたそうです。


ひと晩で描かれたにしては、『クリクター』は実に楽しい童話です。
当時のトミはまだ無名のイラストレーターだったから、出版社はたくさんの色を使うような冒険を避け、墨とグリーンの淡いレッドの3色だけで描くようにトミに注文をつけました。


そこで、グリーンは棕櫚の葉っぱやクリクターの縞模様に添え、淡いレッドはバドおばあさんのコートとか本の表紙のアクセントとして効果的に。


バドおばあさんに連れられ学校へ行ったクリクターは、その細長い体を使って、授業のお手伝いをしました。
バドおばあさんが、子供たちに「二本の手の2」と教えると、クリクターは体を曲げて算用数字の2の字になります。


「三匹の子ブタの3」というと、3の字になります。



校庭でも、クリクターは体を上手に使ってすべり台になってやったり、なわとびのなわになってやったり……。


子供たちもクリクターと遊ぶのが楽しくて仕方がありません。


ですから、時には、ボーイ・スカウトの綱の結び方までやってみせて、結び目がとけなくなって大汗をかいたことがありました。
ヨガをやった時みたいに、あとでクリクターは体の節ぶしが痛くて弱ったそうです。


ある晩、バドおばあさんの家に泥棒が押し入ってきました。その物音に目をさましたクリクターは、いそいでおばあさんの部屋へ行って泥棒にまきつきました。


バドおばあさんはすでに猿ぐつわをかまされ、椅子にしばりつけられてしまっていました。
危機一髪でした。


泥棒にまきついたクリクターが、ぐいぐいと力を入れてしめていくと、泥棒はたまらず、ギャッと悲鳴をあげたのです。


その声でお巡りさんがやってきて泥棒はつかまりました。



警察署長が民間(?)協力勲章をクリクターに贈って、めでたし、めでたし。


クリクターは蛇ですから、人間と違って、受勲を喜ぶのです。


>>『ゼラルダと人喰い鬼』

朝日ジャーナル』1981.12.4号の「500字紹介」


トミ・アンゲラーに、肩書をつけることはむずかしい。
この一風変わった”世界の奇人″はイラストレーターであり、マンガ家、デザイナーといっても通用する。
彼のイラストレーションは機械文明に押しつぷされる人間の情感やセックスを、あるときはシニカルに、あるときは残酷なまでに追求している。


本書はトミ・アンゲラーと親交がある筆者が、NHK-FM放送「絵のない絵本」のスクリプトに加筆したもので、アンゲラーの絵本の紹介だが、彼が主張する「現代の毒」の残酷と恐怖が子どものための絵本にまで、いみじくも投影されていることが理解できる。


絵本の魅力を話しことばで表現することは、困難と危険をともなう作業であり、また話しことばを活字にするのも同様だ。
この二つのむずかしい作業を可能にしたのは、筆者が持つアンゲラーヘの深い愛情である。


筆者は、世界の有名品について濫蓄を傾けているひとだが、それも品物について愛情がなければうまくいかない作業だろう。
筆者は品物だけでなく、人間へも鋭い洞察とあたたかい愛情を持っていることがわかる。
ただ、読者によっては、オマージュも絵本と同様に、残酷なまでの反発をあわせもつことが、ままあることを指摘しておきたい。(重)


>>『ゼラルダと人喰い鬼』