創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(718)『アメリカのユダヤ人』を読む(4)

8日(日曜)までのGW中は、拙訳『アメリカのユダヤ人』(日本経済新聞社 1972)を分載しています。


このシリーズは、訳者あとがきに書きましたが、東京の広尾にあるジューイッシュ・コミュニティ・センター(シナゴーグ)のラビ・トケイヤー師の指導をいただいた。


ジェイムズ・ヤッフェ氏のブロンクスのママ・シリーズはもちろん、ハリィ・ケメルマン『日曜日ラビは家にいた』から『月曜日……』『火曜日……』『木曜日……』『金曜日……』『土曜日……』と集めて読み、主人公のラビのデイヴィッド・スモールがコンサーヴァティヴ派(保守派)であることを確認した。


女流フェイ・ケラーマン『水の戒律』『聖と俗』……はオーソドックス(正統派)の物語とわかって嬉しかった---ことなどを想いだす


回をすすめるにつれ、ブロンクスのママ・シリーズの紹介をすこしずつ、やっていくつもりである。



拙訳『The American Jews 邦題:アメリカのユダヤ人』―――から(4)

建  設 




肉体と精神 きのうのつづき


 ユダヤ人の議論好きの中でも圧巻はユダヤ人ウェイターである。無愛想
な顔で腕にタオルをかけ、客が注文したいと思うものを注文させまいとし、
喜んで会話に加わり、必ず反対のことを言い、薄気味悪いほどタイミング
よく客がまさに自分のお気に入りの話をしようとする瞬間、スープをもっ
てやってくるといった具合である。ウェイターにまつわる伝説的ジョーク
は、ユダヤ伝承の時期にまでさかのぼる。


  客「ウェイター、いま何時かな?」
  ウェイター「私はあなたの係のウェイターではありません」


  客「ウェイター、外は寒いから窓を閉めてくれないかい」
  ウェイター「私が窓を閉めれば、外が暖かくなるってわけですか?」


 ただの伝説ではなく、いまも現存しているのである。
先年もジョン・スタインベックイスラエルでそんな目にあった。
注文と違う料理を運んできて『二〇日ねずみと人間』の結末にもっとよい
案があると暗示したというのである(注11)。


 これらのウェイターにまつわる古い話は、ユダヤ人の論争好きのもう一
面を示している。
ユダヤ人に質問すると別の質問をしてくる」と古い諺にある。
こういう告発にあうとユダヤ人はしっぺ返しをする。
「私が違う質問で答えるって?」
だが実際、タルムドの思考習慣、人生を質問の連続としてみる癖がユダヤ
の談話に独特なリズムと抑揚を与えている。ユダヤ人が――普通の人だけで
なく知性派までもが――修辞的疑問文で、時には一連の修辞疑問文の羅列で
自分の会話にワサビをきかすのはこのためである。


 ニューヨーク・タイムズを注意深く読んでみると、そこら中にこの独特
の話し方の癖が顔を出している。
ある清浄食品店主は盗みを働いたチンピラにこう言った。 
「命を失うよりサラミを失ったほうがよくないか?」
ある有名なデパートの社長は業界人に対して
「コンピュータを作るより、ボタンをつけるほうが大変だろうか?」
交通ストライキで出社できないと電話したあるニューヨークっ子はこんな質
問を花火のようにポンポン打ちあげた。
「どうして私に行けましょうか? 誰かが車で下町まで連れてってくれても
どうやって帰宅しましょう? どこで寝たらいいのでしょう? バス・オー
ソリティ(中央発着所)ですか?」
彼らはタルムドなど目をとおしたこともないのに「詮索(ピルプル)好き」が
常に心に住んでいるのである。
  

10年ごとに誰かが「ユダヤ人共同体を統一しよう」とすると知的独自性に
執着するユダヤ人の執念が現われる。
アメリカではそういう試みが幾度もなされた。
ユダヤ人の生活には派閥争いが多すぎると信じた人々によって、1843年
アメリカにユダヤ人が2万5,000人足らずしかいなかった時代)にブネ
イ・ブリス(「神約の子」 中産階級ユダヤ人男性の組織)がつくられた。
1909年改革派ラビのジュダ・マグネスが移民間の貧困・犯罪との戦いに
統一行動がとれるようにユダヤ人ケヒラー(共同体機構)をつくろうとした。
ユダヤ人協議会(コンファレンス)も1940年代初めの
ヒトラーの脅迫に応えて同じことを試みた。
また、社会学者ロパート・マックアイバーの報告を頼りに1951年に全米
共同体交渉諮問協議会(ナショナル・コミュニティ・リレイション・アドバイサリー・カウンシル)が
ユダヤ人の諸機関の「統合組織」をつくるところまでこぎつけたが、ブネイ・
ブリスやユダヤ人委員会など大半が加入を断わってきた。


 最近になって再びこの運動が始まった。政府はイスラエルを支援するから
ユダヤ人もベトナム政策を支援してほしいとジョンソン大統領がユダヤ人在
郷軍入会の会長に言ったという声明が発端となった。
ユダヤ人の諸機関、個人ともに非難ごうごうで、ゴールドバーグ国連大使
非公式調停者として乗り出して諸組織の代表者と会い、大統領はそんなつも
りで言ったのではなかったと弁明した。
するとこんどは、どんな権利があってゴールドバーグ大使はアメリカのユダ
ヤ人の代表として振舞うのかと非難した。
そして、「なぜ特定の団体だけが招かれたのか? アメリカのユダヤ人が統
一されてさえいればこんな騒動は避けられたのではないか?」と騒いだ。
 この運動の結果何も生まれはしなかった。
これからも多分生まれはしないだろう。
独立癖や対立集会をつくる本能があまりにも強すぎるからである。
これはユダヤ人共同体の統一の反対者にも支持者にも言える。
「統一を強く主張する人でさえ、自分がその難業を実行すべき人物とは思っ
ていない」と爛眼の老練な解説者が指摘しているとおりである。
 

 この多様性がユダヤ人統一と必ずしも矛盾しないというのもおもしろい。
ユダヤ人がほとんど同じ感じ方をしている問題――例えば1930年代のヒ
トラーに関連した論争が起きると、完全ではないにしても団結してかなり
効率的に振舞う。
自分の自由意思で行動していると思うとさらに協調しあう。


 ユダヤ人統一が当分できそうもない理由はもう一つある。
誰が成し遂げるのか? 影響力の強い指導者が必要だが、ユダヤ人はそうい
った人物に本能的な疑いを持つ民族である。
偉大で権力のある者への不敬は「汝、何人にも従うことなかれ」という予言
者の戒告の当然の結果である。
反ユダヤ主義に対する恐れも一部関係している。
ユダヤ人は民衆扇動家は簡単に大衆を刺激でき、刺激された大衆はその狂暴
性をユダヤ人に向けるというので恐れているのである。


 だがユダヤ人には生来、風船に穴をあけたり、偶像に粘土製の足を見たい
ともに強力な人物をたたきつぶすたとえ)というつむじ曲
がりの願望があるのだと私は思う。
この前の選挙の時、組合指導者のデビット・ダビンスキーがジョンソン大統
領に衣料工場地区(ユダヤ系が多い)――ルポ・ライター、写真家、警察官、興奮した大衆がうようよしてい
る光景――見せると、初老のユダヤ婦人がダビンスキーのほうに追いやられて
きてこう叫んだ。
「もうカメラが労働者のほうに移っているのだから、カメラ向きの顔をつくる
のはやめなさい!」


 旧約聖書の精神はこの婦人にも生きている。
しかし、これはそんなに単純なことではないのである。
誤った神を崇めることに対する聖書の厳しい戒めは、必然的に独自の反応をつ
くりあげる。
偶像も未来の生活への保証も与えず、盛儀盛宴にふけることも許さない神には、
孤独でぞっとするようなところがある。
祈る対象が「何か」ほしいと思うのはユダヤ教への改宗者だけではない。
このためアメリカのユダヤ人は世界でも最高の著名人崇拝者になっている。


 真正正統派ではそれが宗教的行為になっている。
神と信者の仲立ちをする畏れ多く霊感的で半分神学者的人物レベ(ラビの愛称
を中心にしているのが真正正統派である。
シュテットルの直正正統派教徒はレベの「謁見場」へ出席して聖なる言葉を聞く
ために何マイルも旅をした。
この派の偉大なラビたちはナチスが東欧を荒らしまわった時に殺されてしまった
が、辛くも逃れた二人の重鎮がブルックリンにいる。
サットマー・レベとルバピッチャー・レベである。
彼らの弟子は前にもまして熱心である。


 政治的分野に神を見出しているユダヤ人もいる。
10年ごとにユダヤアメリカ人に人気を博する政治的人物が登場する。
時には論理をまるで無視した理由からのこともあるが……。
フランクリン・ルーズベルトは20年間もユダヤ人に不当な振舞いをし
ないと思われていた。


 ユダヤ人がルーズベルトを好む理由を尋ねられると、必ずまことしや
かな理由をあげたものである。
「反ヒトラーだから」「パレスチナユダヤ人は好意的だから」
実際ルーズベルトは、周囲の事情がさし迫るまでは、ナチスに対しては
かなり慎重で寛容ともいえる態度を示していたが、パレスチナユダヤ
国家建国案にははっきり冷たい姿勢をとっていたといわれる。
にもかかわらずユダヤ人は彼を好み、彼ら自身の感情、意見をルーズベ
ルトのうえに投影していた。
ルーズベルトが死ぬとエレノア・ルーズベルトがしばらく――アンドレ
スチーブンソンが現われるまで――ユダヤ人の英雄としての場つなぎを
していた。
スチーブンソンはその後、ジョン・ケネディにとってかわられた。


 この場合もケネディの性格よりも彼のアピールのほうが大切だったの
である。シオニスト文化団体のヘルツル出版社は『イスラエル、シオニ
ズムとユダヤ人論争に関する……ジョン・ケネディ』と題する本を出版
した。
豪華な写真の間にケネディ上院議員や大統領として述べたイスラエル
に関する声明から極度に修辞的なものが引用されている声明はたしかに
親愛的なものではあるが、取り立てていうほどのことはないものである。
アメリカの他の政治家と比べるとかなり穏やかなことは確かだが……。
ハリー・トルーマンは大統領時代にケネディよりもずっと親イスラエル
活動を行なっていた。
だがヘルッル社はトルーマンの豪華な写真集は出しそうにもない。
トルーマンアメリカのユダヤ人には魔力がなかっただけのことである。


 しかしこの著名人に対する飽くことをしらない食欲は、10年ごとに
一人の大英雄の出現では満足しない。
そこで、金を調達し好印象をつくろうとするユダヤ人の諸団体によって
常に小英雄の定食が出されることになる。
有名人製造はたいてい分相応な晩餐会で行なわれる。
各団体には独自の名誉賞やブロンズ楯などがあり、その年の際立った重
要人物に与えることになっている。
そして賞牌はコーヒーが出るころになると宴会場に飾られる。
もちろん有名人は単なるツマにすぎない。
さもなくばある広報関係者が私に言ったように「どんな著名人も私たちから
見たらファアン・ダンサー」なのである。


 リゾート・ホテルはこの民族性をよく理解していて巧みに利用する。
だからキャッツキルの有名な清浄食品提供ホテル、クロッシンジャーでは、
同ホテルを訪れた有名人の署名入り写真を壁に並べたてている。
ヨギ・ベラ(野球選手)の右隣りにチャイム・ワイズマン(イスラエル大統領)がいる
し、ゲイボー姉妹(女優)の間にはジョナス・ソーク(科学者)゛
がいる。
われわれが週末にグロッシンジャーでこれらの有名人に会うチャンスはな
いとしても、その根性はわれわれのうえに舞っていそうである。


 しかし、この下には偉大なもの、権力あるものに対するあのひそかな不
敬が消えることなく存在している。
時にはそれが思いがけないところで現われる。
数年前、サットマー・レベの弟子たちが夫人の寝室の鏡を割った。
レベの妻が容貌を気にするのはふさわしくないと敬愛する師に伝えるため
であった(注12)。


 ユダヤ人は楽天主義者とも悲観主義者とも言われる。
両方とも正しい。
ユダヤ人の独特の気質が未来に対する二重の姿勢をつくり出すからで
ある。
一生を通じて希望と絶望の間を行きつ戻りつする。


 例によってこのパラドックスもモーゼ五書とタルムドに原典を見るこ
とができる。
神は神に対するわれわれの愛を満たしわれわれの人生の悪と苦悩を正当
化すると説く。
同時に人類の未来は定まっておらずわれわれはまだ救われてはいないと
も説く。
キリスト教徒をいぶからせ時として激怒させる救世主に対するユダヤ
の態度はこれで説明がつく(キリスト教徒にとっての救世主はキリスト)。
ユダヤ人は救世主が来ると信じている。
救世主は常にこれから来るもので、救世主はいまだかつて来たことのな
いものなのだと。


 こういった考えは明らかにユダヤ人の生活様式に感動的な色どりをそ
えている。
ユダヤ教儀式、特に宗教祭日にはっきり現われている。
厳粛な贖罪日の次は、楽しい仮庵祭(スコート)が来る。
ピューリム祭(3月1日)の馬鹿さわぎが終わらないうちに、
楽しい過越祭の準備を始めなければならない。
各祭りはとりわけ陽気あるいは陰気といった性格が強調され、しかも常
に複雑な感情も混じる。
ピューリム祭の序幕は断食日(これを憶えているのはかなり敬虔な人に限
られるが)で、環罪日の断食の終幕が、チョップ・レバー、マツオ・ボー
ル・スープ、ピクルス、コールド・ミートといった家族パーティのチャン
スともなる饗宴である。
断食と饗宴との交替−断食の儀式がまだ続行中であっても、すでに饗宴の
雰囲気がもれ出ているという光景――はユダヤ人気質にしみこんでいる。


 それは運命についての独特の反対感情が両立するもとにもなっている。
ユダヤ人は楽観主義者であるがゆえに運命に屈服することを信じない。
自分は向上し前進することができ、気に染まなければ、その運命を受ける
ことを拒んでもいいと信ずる。
ユダヤ人が子供の教育に熱心なのも、社会的政治的改良案を強く支持する
のもこのためである。
未来は変わり得るという信念なくしてはこれらの価値観は存在しない。
同時にユダヤ人はこういう信念を持っているものの完璧な信念ではない。
心のどこかに何かが計画をくつがえすのではないかという恐れを捨てきれ
ないでいる。
人生を通じて大なり小なり不安状態にあるわけである。


 奇妙なことに、性格の楽観的な面が最も強く現われるのは事態が最悪の
時である。
イディッシュ語で幸運という意味の語は悲惨な事態が起きた時に唱えられ
ることが多い。
しかし事態がすこしでも好転するや――簡単に言えば楽観的になる理由が
少しでも見つかるが早いか――ユダヤ人の悲観主義が現われる。
在郷軍人病院で数年前で行なわれた調査でもこういう結果が出ていた(注13)。
負傷したユダヤ人とイタリア人を比べたものである。
両者とも苦痛を大声で訴えたが、鎮静剤によって苦痛がとれた後の反応
はまるで違っていた。
イタリア人は満足気によりかかり元気さを楽しむ意欲が見えたが、ユダ
ヤ人はすぐに将来のことが心配になり医者に矢つぎ早に質問をあびせた。
「何を飲まされたんですか、先生?」
「良くなるんでしょうか?」
ユダヤ人患者が多い著名なユダヤ人精神病学者の言葉を借りると、
ユダヤ人は自分自身あるいは他人に対して、破目をはずすということ
がないだけのことです」


 この楽観的悲観主義――あるいは悲観的楽観主義――は、不恰好でトゲ
が多くしかもユダヤ人のユーモアとして知られるエキゾチックな植物の真
髄である。
多くはユダヤ人によって何度も分析されてきたが、多くの異なった理論が
ある。
例えばアイザック・ローゼンフェルドは、大望とそれが達成できない不調
和からきたものであると言っているし(注14)、アービング・クリストル
は条理の「循環性」ゆえに人を笑わせるという(注15)。


 ユダヤ人のジョークがなぜおもしろいかということ以上に興味深いのが、
ユダヤ人はなぜそういうジョークをとばさないではいられないかという点
である。
この強迫観念の存在にはユダヤ人以上に非ユダヤ人のほうがよく気がつく。
ある財団の幹部で非ユダヤ人の中西部人がこう言った。
「私がこの仕事を手がけることになった時、ユダヤ人との意思疎通法を学
ばなければならないことに気づきました。
最初は混乱しました。
重要会議をしていた時です、著名な学者で科学者でもあるユダヤ人委員の
一人が理解困難で複雑な問題についてかなり高度な話をしていて突然、こ
んなことを言いだしたのです。
『古いユダヤの話を使って私の見解を述べてみます』 私はまるで異教徒
になったように彼の言わんとすることが途中までわかりませんでした!」


 すべてのユダヤ人が自分にもあると卒直に認めるこの特性は、楽観主義
悲観主義の混在の表われである。
水爆の製造に関するものであれジッパー製造に関するものであれ複合心
理におびやかされて絶望的になることもある。
そういった問題は日常の会話の中にもでていて、おかしがられているにち
がいない。
ユダヤ史の典籍にはこの種のトリックが必ず現われる。
涙の中に微笑をもらすといったたとえというより、暗闇で口笛を吹く(こわがらない
といった類いのものである。
ジョークの端々に不穏さが現われることが多い。複雑な問題を笑いとばし
てくれるようなところもあるが、笑いが終わると一層不安になっていると
いった具合である。
それはユダヤ人が一方では、その人生の苦難と無力さの慰めを望んではい
るが、反面望んではいないとも思っているからである。
ユダヤ人には現実逃避の熱望と、現実に直面したいという渇望がある。
この二つの願望がジョークをつくらせる。


 ユダヤ人のユーモアは断然リアリステイックである。
まばたきもしないでその主人公の愚かさ、弱点、無節操さを刺す。
それでいて読者に主人公の愚かさだけでなく、愛情や称賛さえ感じさせ
る。
欠点があるがゆえにそういう気持ちを感じさせるのである。
その好例がショーロム・アレイシェムが書いた有名な乞食の話である。
乞食は、ロシアのカスリレフカという小さな町のシュテットルを出てパ
リヘ行って偉大なロスチャイルドを訪れ、金をくれたら永久に生き続け
る方法を教えるという。
ロスチャイルドはおもしろがって金を与えた。
すると乞食は、
ロスチャイルドさん、カスリレフカヘいらっしゃい。あの町では金持
ちがいまだかつて死んだことはありません」(注16


 最初われわれは、乞食のずる賢さに笑いを誘われる。
次にカスリレフカではなんと悲惨な生活を送っているのかと思う。
最後には、心の奥底で己れの悲惨な境遇をもじって一時的な勝利をつか
みとる乞食の能力に感嘆する。


 もっと古い話を読んでもやはり同じように複雑な感情が起きてくる。
貧しくみすぼらしい服を着たシュテットルの二人のヘブライ語の教師た
ちの話である。


 A教師「ロスチャイルド並みの金を手にしたら、彼よりも金持ちにな
    ってみせる」
 B教師「馬鹿な/ ロスチャイルド並みの金を手にして、どうやって
    彼よりも金持ちになれるというのだ?」
 A教師「教壇にも立つからさ」


 この話も前のと同様、アービング・クリストルの言う条理の循環性を
用いているが、ユダヤ人の古典的ユーモアはタルムド的な詮索ぶりから
きているといえる。
ユダヤ人の心的特性の一部として既述した、偉大なもの、権力
のあるものに対する不敬も現われている。ロスチャイルドはシュテット
ルでの何百という話の題材として扱われており、人気の点では神に次ぐ
存在だった。
今日でもどんな神聖な施設もどんなに威厳のある人物もユダヤ人の鋭い
ウイットから逃れることができないのと同じである。
しかし結局、このジョークの効果はその不敬さ、突飛な理論によるもの
ではなく、登場人物に対して感じさせる読者の同情、不承不承ながらの
称賛によるものである。


 本当のユダヤ人のユーモアは、感傷的になりすぎることも、残忍すぎ
るこもない。

クラッカー・ジャック
演じているのは、ユダヤ系コメディアン

『屋根裏』(1970)

※音声がとても小さいです。

サム・レブンソン(コメディアン)とハリー・ゴールデン(作家)には
健全な特徴がたくさんあるが、彼らのユーモアにはソフトさ、感傷的ノ
スタルジアはほとんど見られず、目にした恐ろしさを回避しようとする
ことも少ない。
彼らの作品にはいわゆるユダヤ人型ユーモアと呼べるような辛辣さもそ
れほどない。
しっぺ返し的ユーモアあるいは「病的」ユーモアはユダヤ人的でない。
「収容所」には何らユダヤ人的なものはない。
ユダヤ人少女とは何?」「赤ん坊のユダヤ式名づけ法」「私の息子は
ねえ、フォーク歌手よ」といった趣味のよくないパロディにみられる基
礎的ジョークはユダヤ人らしさ自体が滑稽だといっているものでしかな
い。
 しかし、真の伝統は保持されている。
ショーロム・アレイシェムによって運ばれた灯はマルクス兄弟に引きわ
たされた。
横柄な敵の意気をそぐためだったのに、結局自分たちを困惑させるだけ
でしかなくなった彼らの絶望的でひょうきんな侮蔑ほどユダヤ人的なも
のはない。
そして、現在メル・ブルックスコメディアン)、日常生活をくつ
がえそうと当意即妙の言葉を用いたニール・サイモン(テレビ作家)、
そしてとりわけユダヤ人的不安詩人ブルース・ジェイ・フリードマンのよ
うな男たちの有能な手の中で灯が持たれている。
もちろん、作者不明のユダヤ人ジョークの泉は相変わらず惜しみなくほと
ばしり出ている。

 
 こんなことで驚いてはならない。
結局のところ、ユダヤ人のユーモアはユダヤ人の性格にある矛盾を表わし
たもので、環境が変わりこそすれこういった矛盾は存続してゆくのである。
単なる理論でそれに匹敵することはできない。


註1  Quoted by Martin Buber, Hasidism, New York,. Philosophical Library, 1948.
2 Sports Illustrated, March 5, 1962.
3 Ben B. Seligman, "Some Aspects of Jewish Demography," in The' Jews: Social Patterns of an American Group, edited by   Marshall Sklare, New York, The Free Press, 1958.
4 Alfred G. Kinsey, Sexual Behavior in the Human Male, Philadelphia, W. B. Saunders, 1948.
5 Quoted by Leonard Lyons in the New York Post, February 27, 1966.
6 In her obituary in the New York Post, February 10, 1966.
7 In an interview with Zero Mostel in the New York Post, March 20, 1966.
8 The Essex County Jewish News, April 7, 1967.
9 Irving Howe, "The Lower East Side: Symbol and Fact," Midstream, August-September, 1966.
10 W. Lloyd Warner and Leo Strole, "Assimilation or Survival: A Crisis in the Jewish Community of Yankee City," in The   Jews: Social Pauerns of an Americaan Group, edited by Marshall Sklare, New\ York, The Free Press, 1958.
11 The New York Times, Febl'uary 17, 1967.
12 The story is told in Charles Liebman's extraordinary study, "Orthodoxy in American Jewish Life," The American Jewish   Yearbook, 1965.
13 Mark Zborm'\'ski, "Cultural Components in Response to Pain," Journal of Social Science, 1952.
14 Born an essay on Sholom Aleichem in Age of Enormity, edited by Tneodore Solotaroff, Cleveland, The World Publishing   Company, 1962.
15 Irving Kristol, "Is Jewish Humor Dead?" Midcentury, 1955.
16 "The Town of the Little People," in The Old Country, a collection of short pieces by Sholom.. Aleichem, translated by   Julius and Frances Butwin,. New York, Crown Publishers, 1946.

この項、了