マキノプロ 順調な映画製作と上がらない収益

 衣笠貞之助が独立したマキノ・プロダクションだったが、昨年デビューした市川右太衛門が「快傑夜叉王」(1926)でスターとなる活躍を見せていた。他にも「影法師捕物帳」「新釈紫頭巾」(1926)などに出演している。「新釈紫頭巾」は、右太衛門の熱演もあり、スリルに満ちたマキノ時代劇の代表作となったという。

 渋さの光る魅力で戦後の東映時代も重厚な脇役として長い人気を得た月形龍之介も、この頃のマキノで二枚目スターとして活躍した。1918年に牧野省三が開設した俳優養成所に入所して同年デビューを果たした月形は、剣道3段の実力の持ち主で、歌舞伎出身者とは違う本格的な重い剣裁きが魅力だったという。この年は「修羅八荒」(1926)などで大きな人気を得た。

 マキノ・プロダクションのボスである牧野省三は、俳優や監督の個性を伸ばすためには個人プロダクション制度が理想と考えていたという。そんな牧野は、松竹から独立した俳優・監督の勝見庸太郎が設立した独立プロの勝見プロダクションと3年契約を結んだ。だが、勝見プロの作品は古いタイプの時代劇で、最初しか当たらなかったという。牧野は、部下を使って勝見プロ作品の脚本に気を配らせたと言われている。また、勝見は猛優といわれ、荒々しい立ち回りでケガ人を多く出したという。

 後に傑作シナリオを多く執筆する山上伊太郎は、当時東亜キネマの宣伝部で働いていたが、自らが書いた脚本が映画化されている。「帰ってきた英雄」(1926)がそれで、シナリオを読んだスターの高木新平が気に入って、自ら主演する形で、東亜キネマで映画化したのだった。この後山上は、脚本を重視する牧野省三マキノ・プロダクションに入社し、活躍を見せていく。

 他にも、マキノ・プロダクションでは、「お洒落狂女」「転落」(1926)などが作られている。「転落」は、独特な話術による話運びのうまさと、歯切れのいい大乱闘捕物を見せ場にした井上金太郎による時代劇である。帰参を条件に悪人を斬って江戸へ出奔した律義者の侍が、長い浪人暮らしを送ることになり・・という内容の作品である。

 独立プロダクションだったマキノ・プロダクションは、東亜キネマを通して配給を行っていた。マキノ映画の興行価値は高かったが、市場が閉ざされていたために収益は上がらなかったと言われる。