ドイツ ウーファの経営危機とアルフレート・フーゲンベルク

 当時のドイツでは、ハリウッド映画が流行していた。1927年の最初の4ヶ月の間に163本の映画が公開されたが、そのうち71本がアメリカ映画でドイツ映画は59本だった。

 一方で、ドイツ映画界で最大の映画会社ウーファは、財政危機に陥っていた。1925年にアメリカのパラマウントとMGMと結んだパルファメット協定の影響で、有能な監督や人気スターがアメリカへ渡ってしまう一方で、国内の映画館はパラマウントとMGMに提供する必要があったからだ。

 このウーファの財政危機を救ったのは、実業家で右翼政治家でもあったアルフレート・フーゲンベルクだった。フーゲンベルクは、配下のルドウィッヒ・クリッチュをウーファの社長に送り込んだ。その結果、1927年のドイツ映画は、過去最高の製作本数242本を記録している。