映画評「怒苦呂」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]日本  [製作]市川右太衛門プロダクション

[監督]白井戦太郎  [撮影]河上勇喜

[出演]市川右太衛門、高堂国典、新妻律子

 幕府のキリシタン弾圧に業を煮やした人々が教徒軍を結成して、潮霊之助をリーダーに反乱を起こす。しかし、反乱は鎮圧され、潮は逆賊となり、かつての仲間たちからも追われる身となる。

 この頃製作された多くの日本映画の例に漏れず、「怒苦呂」のフィルムは一部が失われている。私が見たのは47分のもので、完全版ではない。そのためもあってか、ストーリーは活弁の力を借りなければ分からなかったことだろう。だが、当時の日本映画の作られ方が、活弁を前提に作られていたためでもある。

 幕府に対抗する教徒軍のリーダーを演じるのが、市川右太衛門である。当時すでにマキノ映画でスターになっていた市川が作った独立プロで作られた作品である。市川が演じるのは、教徒軍のリーダーだ。設定が悲愴感を漂わせる上、戦いが終わってからは、幕府の命によってかつての仲間たちからも命を狙われるという、悲愴に悲愴を重ねる役どころだ。「雄呂血」(1925)に見られるように、このような悲愴感漂うキャラクターの時代劇は、当時多く作られている。

 時代劇と言えば、立ち回りである。この作品では、肺病を抱えた市川演じる潮が、体力を限界まで使っているかのような、躍動感を感じさせる立ち回りを見せる。躍動感といっても、スポーツ選手のような軽やかさとは異なる。持てる力をすべて振り絞った動きといえば言いだろうか?とにかく、生命を感じさせる立ち回りなのだ。

 「怒苦呂」は、有名な作品ではない。しかし、当時多く作られた時代劇の魅力の一端を、しっかりと伝えてくれる作品と言えるだろう。