『白い家の少女』 セルジュ・ブールギニョン監督 原作:レアード・コーニグ (1976年) 主演・ジョディ・フォスター

cinema-chouchou2009-08-20

『白い家の少女』これまでの纏め
白い家の少女/THE LITTLE GIRL WHO LIVES DOWN THE LANE
1976年 カナダ/フランス/アメリカ合作映画
監督:セルジュ・ブールギニョン 
製作:ゼヴ・ブラウン、ドニ・エロー
原作・脚本:レアード・コーニッグ(レアード・コーニグ)  
撮影:ルネ・ヴェルジェル
音楽:クリスチャン・ゴベール
出演:ジョディ・フォスター/マーティン・シーン/アレクシス・スミス/スコット・ジャコビー/モルトシューマン

丘の上の白い家に少女リンは一人で住んでいた。詩人の父は既に入水自殺を遂げ、何冊かの詩集と銀行預金、そして毒薬の包みを娘に預けていた。父はリンに「離婚した母が訪ねてきて、もし、わがままを言ったらこれを飲ませなさい。」と言い残していた。リンはまだ父が生きているように取り繕っていた。しかし、不審に思う家主のハレット夫人とその息子フランクが詮索しだし、恐ろしいことが始まっていく・・・。

★『白い家の少女(路地の奥に住む少女)』の作者レアード・コーニグが自ら脚本も書いた、正しく天才子役(否、この頃から素晴らしいアクトレスだったと思う!)ジョディ・フォスターが13歳の頃の、初主演作品。この作者は「レッド・サン」「華麗なる相続人」などでも有名なレアード・コーニグ。私がジョディが好きなのはもうこの頃から変わらない涼しい眼差し。ここでも少女なのに大人のように振舞ったり、でも時折見せる笑顔はあどけない。この狭間がたまらない。クールな視線と綺麗なブロンドの髪。お部屋の中の暖炉やテーブル、紅茶セットやアーモンドクッキー。変質者の男性にマーティン・シーンが扮している。足の不自由な優しい少年マリオとの恋。ショパンのピアノの調べ、霧と小雨にけぶる美しい映像...大好きな作品なのです。ジョディは今も好きな女優さま。彼女は自分の本当の父親の顔を知らない。でも、この映画の中では父との生活、父のことが大好きで父の言葉は神聖なものだったのだと思う。少女リンは、孤独と死の翳りを傍らにマリオ少年への愛を見出す。かなり強度なファザー・コンプレックスのリンの思春期の一ページが静かなサスペンス仕立てで描かれた秀作!あの少年ぽい、歩き方にもとてもキュンとなってしまうのです。
2006.6.23.

<エミリー・ディキンソン(EMILY DICKINSON)と『白い家の少女』の少女リン>

最近予定外の事柄に対応するため慌しく過ごしていたけれど、これも人生のお勉強だと想う。ようやく少し落ち着きかけているというところ。平穏な気持ちでいたいのである詩集を読んでいた。19世紀末のアメリカの女性詩人エミリー・ディキンソン。久しぶりに取り出してみた。元々好きな詩人なのだけれど、読んでいるとふと、ジョディ・フォスターの初めての主演映画『白い家の少女』が浮かんだ。その13歳の少女リン・ジェイコブズ(ジョディ・フォスター)は父を愛し、またエミリー・ディキンソンの詩集を持ち歩き愛読していたのだった。確認するために観直してみた。洋書でタイトルはハッキリしないけれど確かにエミリー・ディキンソンだった!

エミリー・ディキンソン(Emily Elizabeth Dickinson)は、1830年12月10日のマサチューセッツ州生まれ。生涯独身で1886年5月15日に腎臓炎で55歳の生涯を終えている。エミリー・ディキンソンの作品の多くは遺言に従い妹ラビニアが焼却している。でも、ラビニアは詩篇だけは惜しくて焼却出来ずに残り、こうして私に深い感銘を与えてくださるものとしてあるのだ。エミリー・ディキンソンは映画の中の少女リンと共通するところが多いと感じる。エミリーもリンも共に父親は詩人であり、独自の厳格な信念を持って生きて来たお方のようだ。そして、娘は共にそんな父、及び一緒に暮らした家を愛していた。エミリーの時代とこの映画の時代は違うけれど、父親という存在が家と密接であること、それは私も未だに拭い去ることのできないものとして想い出が残る。エミリーは自ら作品を出版社に売り込むような気持ちも無く、また記録に残された学業時代と、その後の僅かな外出以外に家から出ることをしなかったという。1874年の父の死後、一切外出しなくなったそうだ。親友ヘレン・ハント・ジャクスンとの書簡、そして”死”をテーマにした詩篇も多く書かれてゆく。訪問者があっても滅多に会うこともせず、夏冬を通じて白い衣服を纏っていた。

女が身を白く飾ることは 尊いこと 神さまが似合うとおっしゃれば その汚れのない神秘を身にまとうことも

エミリーの隠遁生活は次第に強くなってゆく。父の死後40代初め頃のエミリーにとって「もはや侵すことの出来ぬ神聖な」もの(家)となり、その孤独の生活は「彼女に許された唯一の存在の方法であったのだろうと想う。」

参照:(リチャード・チェイスが語った言葉)

2008.3.10.

《原作レアード・コーニグの『白い家の少女』とジョディ・フォスター演じる少女リンの髪の色》

レアード・コーニグの『白い家の少女(路地の奥に住む少女)』を読み返して謎が解けた!!と大喜びしていた私。ずっと不思議に想っていたことだけれど、ジョディ・フォスターが映画『白い家の少女』の少女リンを演じた時、ジョディの髪が染められていたのがずっと謎だった...ジョディは生まれ持った美しいブロンドの髪の少女なのに、映画の中では微妙に違うブロンド色だった(気のせいではないと想う)。

久しぶりに再読してみると、勝手に謎が解けたようで気分が良い。原作の中で、13才のお誕生日のお祝いのケーキとロウソクと薄暗いお部屋の描写の場面。映画とかなり二重に浮かぶ、可愛いジョディ♪

焔が二重になって輝いている鏡の前で、少女はじっと立っていた。ゆらめくロウソクの光を浴びて、彼女の両手と顔は青白く、蝋のように白かった。ふだんは樫の落葉色をしている長い髪の毛は、いま赤銅色に染まっていた。

ジョディの本来の髪ではロウソクの光で赤く映えないという美術的な理由からだったのだろう(謎が解けたと言いながらも勝手な想像に過ぎない)...まあ、とにかくやれやれ☆以前も少女リンの愛読書であるエミリー・ディキンソンの詩集のことで、映画を見返したりして納得していたこともあった。やはり、かなり大好きな少女リンなのだろう☆

2009.2.10.

関連:クララの森・少女愛惜

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