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Scape + Space

2008-10-11

建築における『出来事』/『非場所』における場所性

01:54

先週に引き続き、建築夜学校2008ー『ショッピングモールとローカルシティ』に参加してきました。

モデレーター:藤村龍至(建築家)、南後由和(社会学者

パネラー:中村竜治(建築家)、岩佐明彦(新潟大学准教授)、芝田義治(久米設計)、関谷和則(竹中工務店

コメンテーター:若林幹夫(社会学者)

というメンバー構成で、テーマは先週に引き続き、『量・スピードが求められる中で建築のあるべき姿、建築家のあり方とは』ということと、『ショッピングモールでは建築の形態は問題ではないという建築家不要論が唱えられる中で建築的思考の可能性とは何か』に設定された。

まず、藤村氏が先週のシンポジウムで浮かび上がった2つの問題提起<美 VS 崇高>、<フロー VS ストック>について説明し(詳しくは藤村氏のブログ 'http://www.round-about.org’ を)、続いて南後氏がショッピングモールは『街づくり3法』(1998年〜2000年)を口火に増加し、役所や警察が入ったショッピングモールがあること、イオンの社長が『ショッピングモールこそ現代の地方における中心市街地だ』と言っていることなどを紹介し、イオンのような1つの私企業の意志によって街づくりが存在していることを問題とした。

続いてパネラーのプレゼンが展開された。ここで一番興味深かったのは、新潟の人はショッピングモールをつなぐように生きていると分析した岩佐氏のプレゼンで、郊外で起こっている状況を詳細に実況中継してくれた感じだ。岩佐氏はショッピングモールでくつろぐ家族連れや、ジャージで歩く若者に違和感を感じ、周辺を含めた空間の成り立ちをリサーチし、家からショッピングモールへとシームレスに車で行ける状況を『インドア郊外』と定義し、<ショッピングモールが人々の生活の中でインフラとして機能していること>、<ショッピングモールの空間が単純な人間工学で組み立てられていること>、<スタバのように、記号的に設置される『居場所』の存在>を問題として提起していた。

後半では『建築における場所性とは何か』をテーマにモデレーター、コメンテーターを交えて議論が展開された。そこから展開したテーマは以下の2つに集約できよう。

<1>、『非場所』としての場所性とは?

<2>、モノとしての建築ではなく、出来事としての建築とは何か?(見える建築⇔見えない建築)

<1>/非場所の場所性とは、コンビニに行くと落ち着くとか、スタバにいくとおしゃれな気分になれるというように、自分の居場所を決める判断基準が、空間の空間性ではなく空間の『記号性』になっている状況ではないだろうか?これは、郊外だけでなく都心でも起こっている状況であり、自分の生活スタイルを振り返っても実際にコンビニやチェーン系の店にいくし、カフェといったらスタバかエクセだ。こういう記号化した空間にどう建築家がデザインをして介入し、場所性を創造していくかが問われるのだろうか。

<2>/『モノとしての建築(モール)から、出来事のしての建築(モール)』というキーワードは、1985年出版の多木浩二氏の『生きられる家』のテーマであり、建築を構成する物理的なモノではなく、建築の中で起こっている現象に空間性を価値づけることを意味し、出来事が場所をつくるという観点からすれば<1>にも通じるといえる。しかし、現象が建築をつくる観点こそ注意しなければならず、行き過ぎるとモノをつくる職業としての『建築家不要論』に陥ってはいけない。

つまり、<1><2>は人々の居場所が記号化していく状況や、モールの建築空間に新たな価値を見いだしていこうとする姿勢が読み取れ興味深い。

しかし、ショッピングモールがもつスケールの大きさに違和感を感じていた私にとって、そういうモールのBIGNESSは生活者にとって意味を持たないと、生活者の経験とVISITERの経験の対比で片付けられて、ショッピングモールのヴリュームや立面に関して議論されなかったのは心残りだ。というのは、先週と今週のテーマは場所性/地域性の観点からまとめれば、『街の中に突如出現するBIGNESSなARCHTECTUREにどのように場所性/地域性を定着させるか』だろうし、藤村氏が自身のBUILDING Kを説明する際に、『高円寺の地域性を群像形というフォルムで表現する』ということにとても納得がいくからだ。

最後に南後氏がシンポジウムの最後に提出した3つの問いを紹介して終わりたい。

<1>本当にタワーマンション、モールは必要か

<2>モールやタワーマンションに完結性が求められている

<3>商業空間の中にどう『公共性』を実現するか。