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Scape + Space

2009-07-02

私のための方法論と、社会のためのバランス感覚

22:45

青山ブックセンターで開かれたトークイベント『設計/デザインを考える』に足を運んだ.濱野智志と藤村龍至の対談だ.

『アーキテクチャ』というコンセプトが、2000年の『スーパーフラット』に継ぐ批評性のあるコンセプトであるなと強く感じた.アトリエ/組織、固有性/効率性、美学/工学、と二層構造化する社会に対して『方法論』のみがそれらを架橋すべきものになりうるし、それは情報ネットワークの世界では既に起こりえていることには、深く感銘を受けた.

※建築をつくらない人が藤村の方法論を理解できる?

これは濱野さんの面白い指摘だ.自分が知っている限り、藤村批判は「社会に対する問題意識も明確であるし、提示される批判的工学主義というコンセプト、超線形設計プロセスという方法論も明晰である.しかし、作品としてどうなのか.頭では理解出来るのだけど、身体が理解できない」だろう(問題意識は分かるんだけど、批判的工学主義が理解できないという人も多い気もする).料理に例えれば、ラーメンの早い作り方は理解できるけど、そのラーメンは本当に美味いのかということだろう.つまり濱野氏の指摘は、理論の面では建築の味を知らない人ほど理解できると言い換えられよう.

建築界は作家主義ワールドである.新建築なんて特にそうだ!作家として認められなければ建築家として生きていくことは難しい.東工大では、そのリスクを冒すくらいならゼネコンや組織事務所に行くか、設計をやらずに不動産や役所に行った方が人生は安定するという流れだ.学校も作家主義な世界だ.コルビジュエ、ミース、ライト、カーンといった巨匠がいかにスゴい人かを教わる.東工大でも篠原一男先生、坂本一成先生、塚本由晴先生の影響力は恐ろしいほど強い.一方で、建築学科に3年以上もいると、デザインの素養が磨かれてくるのか、建築作家たちのスゴさが身にしみて分かってくる.

※美味い建築をつくるのは個人のセンス?

最近、藤村氏は設計教育現場において、超線形プロセス方法論を実行している.そこで私が興味深い点が2つある。まず一つは、落ちこぼれが出さずに、誰もが初めての設計課題でも完成度の高い住宅を設計することが出来て、自信を持つことが出来る.もう一つは、人をコンピューターのように扱えば(考えるな、ふりかえるな、枝分かれさせる)、個人の設計センス=デザインセンス(スケール、プローポション、マテリアル)が浮き彫りになるということだ.

藤村氏が問題にしているのは、醜いデザインの建物が都市を覆い尽くしているということだと私は理解している(それは超高層、SC、大規模開発を否定する立場ではない).が、それを乗り越えるための方法論が、デザインセンスの有無を浮き彫りにしていく現象は、アイロニーにも思える.一方で、デザイナーの社会的意義を強調するようにも思える.

※センスはマニュアル化できるのか?

藤村氏は講演会で、「設計を濃密にすれば、空間が濃密になり、社会が濃密になる」といっている.確かに方法論としてのアーキテクチャーは、社会に介入していける理論の明晰さを持ち得ると思う.しかし、濃密な都市風景を獲得するためには、方法論とともに『センス』や『デザインのバランス感覚』がより重要な気がしてならない.それは、現代の作家システムを擁護するものでは全くない.が、それはマニュアル化できるものではなく「私のもの」であるように思う.というのは、デザインに一般解はないが、特殊解は無数にあるからだ.そう考えると、LAJ8号のテーマが『マイ・アイデンティティ』に落とし込まれたのは非常に納得がいく.

やはり、今重要に思えるのは、情報化社会だからこそ、方法論を持ってコミュニケーションすることなのだろう.そして「方法論」と「デザインセンス」は切り離して考えるべきなのでないかということだ.

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