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めざせ!へなちょこ脱出 RSSフィード

2014-02-21

[]2年ぶりの更新で一区切り

2年ぶりの更新です。実はこの間にいろんなことがありました。

2012年の1月から契約社員として再就職して忙しく働いていました。当初は1年以内に東京の会社に出向という話だったのですが、なかなか話がまとまらず、2012年の年末にかけてバタバタしたものの、思い切って会社を辞めて東京に引っ越すことにしました。2013年からはフリーランスとして奮闘中です。そして2013年には2回も引っ越し。

うつの方はまだ投薬中ですが、かなりよくなってきました。自宅仕事で引きこもっているため、このところ若干調子が悪いのですが…気づけているのでまだ大丈夫。

闘病中のことを思い出してまとめて書きたいなとか、読書記録を書くかもと思ってこのブログを残していたのですが、しばらく更新しないと思います。ライフハックも一段落。いろんな情報を自分の中で熟成させる期間のようです。

普段はTwitterでグダグダやっております〜。

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2012-02-26

[]袋町小学校の伝言板から感じた逞しさ


広島で一番の商店街「本通」のすぐ近くに、袋町小学校という学校があります。今年で創立138年。ずっと今の場所にあるそうです。

その一角に平和資料館があります。小さい建物で見逃してしまいそうです。

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私もこのあたりは何十回も通っています。広島中心部には原爆関係の慰霊碑がいくつもあるので大して珍しく感じなかったこともあり、一度も入ったことはありませんでした。しかし、先日この本を読んで途端に興味が湧き、訪れることにしました。

ヒロシマ―壁に残された伝言 (集英社新書)

ヒロシマ―壁に残された伝言 (集英社新書)

1999年、袋町小学校の旧校舎から被爆直後に書かれた伝言板が発見されました。袋町小学校は爆心地から460メートル。ほとんどの教員・生徒は即死したものの、奇跡的に一部の校舎は残りました。校舎の内部は火災で全焼しましたが、外壁は残り、爆心地近くでは貴重な雨風をしのげる場所だったため、避難場所および救護所となりました。その結果、自然と安否情報を求める人が集まる場所になりました。混乱の中、お互いに連絡を取るための手段になったのが伝言板です。校舎の壁にチョークで安否情報や尋ね人情報が書き込まれました。当時の様子が写真に残っています。

その後、学校は改装され、20世紀の終わりまで校舎として使われました。伝言板の存在は忘れられ、写真だけが残りました。しかし1999年に校舎を取り壊す段階で、再発見されたのです。

(参考)

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この本は、伝言板に書かれた人たちのその後を追った取材をまとめたドキュメントです。

被爆の悲惨さや原爆症の辛さは注目されるものの、被爆者がその日・その後にどういう行動を取ったのかはあまり注目されていません。それぞれに家族がいて、それぞれの安否を確認する人たちがいました。そして広島に多くの人が探しにきました。

その様子を本で知り、私の頭の中で、当時の人と東日本大震災で安否を確認する人たちの姿が重なりました。そこには確かに今と同じ人の生活があり、人生があったのだなあと。確かに現実として。

平和資料館には、当時の校舎の一部と伝言板の一部が保存されています。伝言板の文字は本当にかすかで、よく60年も残ったものだと驚きました。しかしその文字からは、確かに存在した人の証を感じ取れました。決して遠い過去のことではなく、今に繋がっているのだなあと感じました。展示はわずかですが、当時の場所に残っていることに意義を感じます。混乱の中でも助けあい、生き延びた逞しさも感じました。

袋町小学校 平和資料館

袋町小学校の周りは華やかな繁華街です。多くの人が笑顔で行き交うのを見ながら、街は壊滅してもちゃんと生き返るのだと実感しました。

きっと、きっと、東北も福島も生き返ります。そう強く感じました。

2012-02-11

[]「いい」努力と「悪い」努力


「努力」という言葉にどんなイメージを持っていますか?私は二宮金次郎とか、修学旅行のお土産(努力と彫ってある)をイメージしてしまうのですが…ちょっと古いですかね!小さい頃から「努力しなさい」と言われてきたせいか、努力は辛くて忍耐力を試されるイメージです。

仕事で資格を要求されるケースが増えているので、社会人になっても努力を強いられるようになりました。電車やカフェでと勉強する人をよく見かけます。また、書店では自己啓発本をよく見かけます。そういうものを見て「とりあえず努力しなければ!」と焦りを感じている人も多いのではないでしょうか。

努力は是か非かという議論もネットで見かけますが、私は努力には「いい努力」と「悪い努力」があると考えています。いい努力はどんどんした方がいいけれど、悪い努力はしない方がマシ。今日は私なりの善し悪しの見分け方をご紹介します。

私は苦手

努力=忍耐というイメージを持っている私ですが、2年前には「努力は絶対にしたほうがいい!」という趣旨の記事を書いていました。自分で読み返すとなんとも気持ちが悪いです。おそらく鬱がひどかった頃に書いたからだと思われます。驚くほど押しつけがましいですね…(反省)。

現在の私は努力が苦手です。楽しいことや面白いことが好きなので、ちょっとでも楽しくないとすぐに投げ出してしまいます。英語をコツコツ勉強しているイメージがあるからか、「努力家だね!」とよく言われるのですが、全然そんなことはありません。必要に迫られているからやっているだけです…。そのため、英語の語彙力はまったく伸びていません。トホホ。

努力=忍耐か?

実際のところ、努力=忍耐なのでしょうか。なんとなく「楽しいことを我慢して努力する」というイメージがあり、それが美徳という風潮もあります。スポ根ものの影響かな?

「努力」という言葉は、「努力しなさい」という他者からの指令とセットになっていることが多く、「させられる」「努力しなければならない」強制力やプレッシャーを伴っています。なんとも言えぬ暑苦しさは、この他者から強いられる圧力から感じられるものかもしれません。

一方で「楽しいことを楽しく努力する」イメージも広まってきたように感じます。自分の好きなことなら、どれだけ時間をかけても苦ではないし、むしろ楽しみになりますね。私の場合は読書がこれにあたるでしょうか。いろんな本を読むことは快楽です。

自分にとって楽しいことなら、努力は辛いことではなく楽しいものになるでしょう。

「いい」努力と「悪い」努力

これは他者から強いられる努力か、自発的にする努力かの違いです。どんなに自分のためになることでも、嫌で辛いと感じたら続きません。むしろ楽しくないと続かないのが当たり前です。人間ですからね。

このことから、私なりの努力の善し悪しの見分け方は

いい

  • 楽しい
  • 幸せになれる

悪い

  • 人から強いられている
  • 苦痛を感じる

というシンプルなものになります。

努力はするべきか?

では努力はするべきでしょうか?

私はやりたくない努力を無理にする必要はないと思っています。むしろその時間を自分の人生が楽しくなることに使った方がいいですね。あまり辛い努力ばかりしていると、ストレスが溜まって体が弱ってしまいますよ。

「そうか!じゃあ努力をやめよ〜っと」と思えた人は幸せな人生を送れるでしょう。自分の心に忠実なのは素晴らしいことです。

「でも努力しろと言われたからには、した方がよい」「人に迷惑がかかる」と考えた人は、要注意です。その真面目な性格、とても素晴らしいのですがストレスを溜め込むタイプです。他者から強いられている指令に応えようと頑張ることはいいことですが、どんな努力をするのかは吟味する必要があります。

自分の体に合うものを

真面目な人は、他者から与えられた像に自分を合わせてしまう傾向にあります。常識やら世間体やら、そういうことが自分の気持ちよりも優先してしまうんですね。与えられたスーツを無理矢理着ようとしています。

その努力を、少しでも「自分の心地いいものに」する努力に向けてみてはどうでしょうか。これを楽しくするにはどうしたらいいだろう?できるだけやらずに済ますにはどうすればいいだろう?もっと自分の心に素直に生きるにはどうしたらいいだろう?と考え、実行することに力を割くのです。

与えられたスーツに体を合わせるのではなく、自分の体に合うスーツを探す。自分の体に合う方法を見つける。そうすれば努力も毎日も、ちょっと楽しくなりますよ。

2012-01-14

[][]先送りとセルフイメージ


私は普段から、気になることをリストにしたり、タスク管理ツールを使ったりと、「やるべきことをこなす」ためにアレコレと画策しているのですが、「ああ、今日もやろうとしていたことができなかったな…」と毎日思っています。今日やるべきことはすべてやった!とスッキリしたいのですが、積み残しがでるんですよね。

積み残しの理由としては

  • 実際に処理できる能力以上のタスクを積み上げている
  • 今日はいいか…と先送りをしている

の2つが大きいです。

特に先送りは毎日やっています。疲れたから、ちょっと休みたいから、今日が締め切りではないから、などと理由をつけ先送りしまくっています。タスクリストに3年くらい載っているタスクもあります(自慢にならない)。

先送り女王と名乗れるほどですが、最近になって先送りし続ける弊害をじわじわと感じてきました。セルフイメージの低下です。

セルフイメージとは

セルフイメージとは、自分自身のことをどう思っているかということです。自己概念とも言います。

たとえば「自分は親切な人間だ」と思っていると、親切な行動が取りやすくなります。また「自分はツッコミだ」と思うことで、人の行動に突っ込みたくなるのもセルフイメージでしょう。

一方で、セルフイメージが悪くなると本来持っている能力を使えなくなることもあります。「自分は嫌われる人間だ」と思っていると人に話しかけるのが怖くなったり、「自分は勉強ができない」と思っていると勉強しても意味が無いように思えたりします。

セルフイメージが実際の行動にも大きく影響するわけです。

先送りによるセルフイメージの低下

先送りが続くと、「自分はいつも先送りする」「挙げたタスクをすべてこなせない」というセルフイメージができます。このような状況が続くと、しだいに劣等感や自己不全感を抱くようになります。「ダメな人間だからできないんだ」と。

このように考えると、先送りというのは本当に恐ろしいことです。作業が進まないだけでなく、劣等感の原因になってしまうとは。

セルフイメージの低下を防ぐ方法

セルフイメージの低下を防ぐには、「挙げたタスクができなかった」という事態を防ぐ必要があります。つまり、

  • とにかく片付けてしまう
  • 今日するタスクを必要最小限にする

のいずれかの方法が考えられます。

一番いいのはとにかく片付けてしまうことでしょう。作業も片付くし、「終わった♪」と達成感も味わえます。

そう考えるとなぜ今まで先送りにしていたのか…とバカらしくなってきました。私は一瞬の快楽のために先送りをして、達成感を得られないばかりか、劣等感をもつ羽目になっていたのですね。

今日するタスクを必要最小限にする方法は、「マニャーナの法則」で紹介されている方法です。

マニャーナの法則 明日できることを今日やるな

マニャーナの法則 明日できることを今日やるな

楽をとるのかセルフイメージを取るのか

私の性格上、楽をしつつもセルフイメージを高める方法は思いつきません。やりたいことがたくさんありすぎて、やらないと不全感が残ります。楽をとるのか、セルフイメージを取るのか、優先順位をつける必要があります。

今までは目先の楽を選びながらも、「できなかった…」と後悔していました。楽もセルフイメージも両方求めていたわけです。これからは「今は楽を選択する」「今はセルフイメージを高めるために作業をこなす」と意識し、モードを切り替えるつもりです。

2012-01-08

[]別れは突然訪れる

年末に祖母が亡くなりました。お通夜でお寺の方が言われた話が印象的でした。

「いままでは人のことじゃと思うてきたが、俺が死ぬとは、こいつはたまらん」十返舎一九はそう言ったといわれている。

どんな人も、いつかは死が訪れることを知っているのに、自分だけはいつまでも命があると思い込んでいる。そうして毎日の生活に流され、不平・不満・愚痴ばかり。

生きているのは今だけなのに。

概要を要約するとこのような話でした(実際は20分くらいの話で長かった…)。

こういう思い込みありますね。何となく自分は大丈夫だろう、自分の周りの人もいつまでも元気でいるだろうと思っているという。

父との別れ

私のその幻想を打ち砕いたのは、父の突然の死でした。

父は単身赴任をしていましたが、月曜日になっても出勤しない。心配になった職場の方が家に行ったが誰も出ない。警察を呼び、窓を破って侵入すると変わり果てた父の姿があったそうです。56歳でした。母と私と妹はあわてて単身赴任先に向かいました。なにかの間違いであってほしいと祈りながら。

その場で父と対面し、現実感のわかないままボーッとしていました。広島に父を連れて帰るために、葬儀会社の人が父を持ち上げ運び始めたとたん、涙が溢れてきました。もう自分で歩くことができないんだ…と気づいたのです。

父の死は、特に父親っこだった私に大きな打撃を与え、うつを発症する原因の一つになりました。

そして「死は誰にでもいつか訪れる」ことを身をもって経験したのです。

別れはいつか訪れる

それ以来、世の中の見方が変わりました。楽しみを先延ばししたり、やりたいことを後回しにすることをやめました。今のうちに楽しめる範囲でしっかり楽しんでおこう、誰に対しても後悔の無いように振る舞おう、と思うようになりました。

いつまでも一緒というのは幻想です。どんな人でも物でも、いつか別れは訪れます。私はいつその日が来てもいいように、その日にできることはやるように心がけています。実際はだらけて時間を過ごすことが多いのですが、少なくとも人に対しては徹底しています。

人生30000日しかない

以前に人生三万日しかない。有意義に過ごしたか? - めざせ!へなちょこ脱出という記事を書きました。30Thouという、毎日を有意義に過ごしたのか記録するサイトの紹介です。このサイトが元となって、「人生30000日」という人が増えました。

一方で、「人生3万日」だと思ってはいけない | Lifehacking.jpLifehack.jpの堀さんが述べられているように、「30000日ある」と思ってはいけないという指摘もあります。

私も堀さんと同意見です。「30000日しかない」が「30000日ある」「30000日もある」となるのはすり替えです。平均で30000日しかない。もっと早いかもしれないし、長いかもしれない。約束された未来などないのです。

いつその日が来ても、笑顔で別れられるような人生を歩みたいです。