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・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。 最短30秒からの反戦と平和のアクション。萌える反戦運動! だいたい1日に10分くらいで、鼻歌まじりに更新していきます。 ▼ホームページ ▼旧HP跡地 ▼サイトマップ ▼CL.A.W.ギャラリー ▼アンテナ ▼ブックマーク ▼管理人:九郎政宗 (ID:claw) clawsince2003「@」yahoo.co.jp ←スパムよけに@を「@」にしています。送信時は元にもどしてください。▼プロフィール ▼従軍慰安婦 ▼嫌韓下流 【リンク→】 ▼Yahoo!News「イラク」 ▼Yahoo!News「パレスチナ」 ▼日本史▼『国が燃える』弾圧事件 ▼南京大虐殺&百人斬りFAQ ▼『イヌxワンGP』 ▼BBC ▼阿修羅 ▼2ちゃんねるイラク板 ▼「荒らし」最終解決 ▼2ちゃんねる検索 |
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・・・今回は「教育・職員条例」の前文に示された橋下維新の教育理念について、そのバカさ加減(@∀@)について書き出してみたい。なぜ「バカ」だと言い切れるかといえば、彼らの教育理念の根本には、ある重大な矛盾があるからだ。
・・・この前文が、現行法の原則にどのように違反しているかは、こちらを参照してもらいたい。
法律上の論点は専門家にまかせて、わたしとしては、橋下の条例の内容がいかに現実離れしているか、また子供たちの教育にとっていかに役立たずであるかを、実例を通じて示そうと思う。
橋下がくだんの条例の前文で示していることは、
ということだ。
ここには資本主義についての巨大な誤解があり、それゆえに生じる救いがたい矛盾がある。
彼らは「資本主義における競争に勝つために、子供に競争を教えるべきだ」と主張している。
しかし、この主張は前提が間違っている。
資本主義における競争に勝つためには、競争に参加する必要はないのだ。(@∀@)
考えてもみるがいい。競争とはどういうことか?
すでに敷かれたコースがあり、すでに設定された到達すべきゴールがあり、打ち倒すべき多数の競争者がすでに存在する。その状況下で他者よりも早くゴールに到達するために時間と資源を投入する。犠牲を支払い、ムダを削減する。競合者より少しでも速く速くと互いに競い合い、拮抗した力量を持つ者どうし、少しでも相手より有利に立つために、わずかな差をつけようと必死に走る、走る、走る・・・
な〜んてのは、バカのやることである。
たとえばアップルは、というかスティーブ・ジョブスは、「競争した結果」として市場における巨大な地位を得たのだろうか。iPhoneやiPadは何か他の商品と競争する中で生まれたのだろうか。
amazonや楽天は、「競争した結果」として現在のような地位を得たのだろうか。フェイスブックはどうだろう。
彼らはすでにある競技場の上で他者と競ったわけではなく、新しく競技場を作ることで覇者となったのだ。
新しい競技場を、つまり新たな基盤、プラットフォームを作るには、多くの人々が既存の商品やサービスに対して持っている不満を注意深く観察し、そこに隠された欲求や願いを読み取り、それに応えるために巨大な努力を注ぐという、ある意味で利他的な思考が要求される。企業がこの一点で利他的であればあるほど、その商品やサービスは消費者に選考され、資本主義社会で成功する・・・これは面白い矛盾だ。そのような企業だけが、競争相手のいない新しいフィールドの上を独走し、大きな利益を得る。
だが、橋下や維新の連中が叫ぶ教育方針では、このような思考を身につけることはできない。
ただ、他人の作った競技場の上で走り回る競技奴隷が育つばかりだ(@∀@)
資本主義における企業の目的は「競走に勝つこと」ではなく、一般的には少しでも多くの利潤を獲得することにある。「競走には勝ちました、でも利潤はたいして出なかったうえにジリ貧です」では本末転倒だし、だいいち未来が見えない。ともかく労働者をしぼりあげて、利潤率さえ引き上げればそれでいいんだ!という方法にも限度というものがある。むしろ理想をいえば、「別に競走なんかしませんでしたが、利益はガッツリ出ました」ってな方がいいに決まっているw
(※ところで、「競技場を作ることで儲ける」といった発想は、実を言えば昔からいくらでもあった。たとえば、賭場(とば)で最も儲けるのは、個々のバクチ打ちではなく、賭場を開く胴元である。土地開発で儲けるために、まずは鉄道を敷く・・・という業者のみなさんもいらっしゃった。まーこれらについていえば利他的どころか私利私欲が動機ではあるけれどw、しかしながら考えてもらいたいのは、なぜこのような戦略をとる企業や個人が存在するのか、ということだ。ここには「競争をしないことによって利益を確保したい」という欲求が見て取れる。というのは、競争というのは人間や企業を疲弊させ、一方で利益を小さくするからだ。昨今の例で言えば、牛丼の値下げ競争。あるいはクラウドサービス。というかパソコンなんかまさにそうだよね。IBMはハード産業からどんどん「いち抜けた」して、ソフトやソリューションなどのサービス分野が事業の9割を占めるようになったというが、要するに「価格競争の激しいハードの分野では、稼ぎが小さくなりすぎる」から撤退しているわけだ。)
もうひとつ。
・・・「言わせんな恥ずかしいw」って話ではあるけれど、資本主義社会における巨大企業は「公正な自由競争」などしていない。んなことはとっくにみんな知っているはずだ。
▼マイケル・ムーア監督作品『キャピタリズム〜マネーは踊る』関連インタビュー
http://democracynow.jp/video/20090924-1
http://democracynow.jp/video/20090924-9
>・・・ムーア監督はこの映画で、民主主義を形骸化させ政治と社会を牛耳る金融資本と、それに寄生する議会と行政に正面から切り込み、返す刀で、問題の本質から目を背け弱者に責任を転嫁することで権力に擦り寄る大手報道機関を切り捨てます。2008年、リーマンブラザーズ証券の破綻とAIG保険の経営危機に端を発した世界同時不況、それに続く巨額の公的資金による金融業界救済。「デリバティブ」や「クレジット・デフォルト・スワップ」(CDS)など、専門用語の煙幕に隠れて行われた「略奪」を誰にでも分かるように説明するという野心的な作品・・・
・・・もっと言えば、橋下や維新の会の政治屋たちもまた、「公正な競争」に反することをやっているではないか(@∀@)
▼「以前、(松井一郎が)府営公園管理の入札にケチをつけ、橋下知事に直談判し、入札を見直させた一件があります。また、別の公園でも、彼の後援会幹部が入札に参加した事業に関わる件で、決算委員会で彼が質問をしたのですが、それがきわめて不自然な形での質問だったので、注意を受けたということもありました。他にも、松井氏だけでなく、他の維新議員が公共事業で不自然な質問をしている場面があり・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/6144792/
▼パー券売りさばいた「幼馴染」が総額6億7784万円の府公共事業を受注
橋下知事、パー券あっせん認める 「幼なじみのつてで売ってもらったので問題はない」
http://www.47news.jp/CN/201005/CN2010052401000337.html
▼>閉園した遊園地・エキスポランド跡地の利用が課題となっている万博記念公園(大阪府吹田市)をめぐる最近の橋下徹知事の動きに、不信感を感じている。・・・
>テーマパーク誘致を進めているのは、大阪市内の投資会社。この投資会社は実は構想発表前から知事側と接触し、知事の私設秘書も構想に関与していたという背景があり、投資会社の動きに符合するかのように、知事がテーマパーク構想を打ち出した経緯がある。
>さらに、この投資会社の社長が知事後援会主催のパーティー券を購入していたというおまけもついた。
>当初、こうした動きに対し、特定企業の利益のために知事が環境づくりをしているのではないかと疑う声もあり・・・
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100327/lcl1003271204003-n1.htm
▼>建設コンサルタントをしている大阪府の橋下徹知事の叔父が、知事の政治資金パーティー券を100万円分購入したことについて4日、共産府議が府議会決算特別委員会で「叔父が大阪府の公共工事にもかかわっており不適切だ」と批判。橋下知事は「知事の就任祝いとして購入してもらった。入札は公正で問題はない」と説明した。
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/osaka/091205/osk0912051508005-n1.htm
▼週刊ポスト「橋下知事スキンヘッドの叔父の公共工事受給額が2倍に」
http://blogs.yahoo.co.jp/nothigcat2000/13151442.html(記事の概要紹介)
・・・以上のことから明らかなように、資本主義社会における成功とは、競争によってもたらされるものではない。
目的はは競争に勝つことではない。「競争に勝っても利益はスズメの涙」ではお話にならない。むしろ「いかに競争しないことによって利益を確保するか、あるいは大きな利益を獲得するか」が重要なのだ。それが新たなプラットフォームの創造を意味するにせよ、あるいは談合や汚職や裏取引を意味するにせよ(@∀@)そうなのである。
これによって橋下の「教育論」めいたたわごとは、前提からして完全な間違いであることがわかる。学校で子供たちに競争を教えても、資本主義社会の競争にはクソの役にも立たないのだ。では、子供たちには何を教えるべきなのであろうか。この資本主義社会で生き抜いていくために、何を身につけさせるべきなのか。汚職や談合の仕方か?wもちろんそうではない。次回以降はその話をしていこう。(続く)
・・・デートムービーとしてはいかがなものかと思ったんだけど、相手の女性が希望したんだからしょうがないw
ネット上ではなんだか酷評する奴もいるんだが、これね、「ああ今日は映画ガッツリ見たわ」という満足度は非常に高い作品ではあるのですよ。
そりゃあアラはありますな。「朝鮮人懲罰部隊」とか「命令書が巻き物」とか「帝国軍人に切腹命令」とかねw
しかしまあ、だんだんどうでもよくなるわけですよ、戦闘シーンに勢いがありすぎて(@∀@)同じ監督の『ブラザーフッド』もそうなんだけど、大画面で見ると息苦しくなるほどの戦場密度。痛い熱い苦しい。一緒に見てた女性は悶絶してましたが、あー、見る前に俺が引き止めるべきだったかな、と思うくらいwww
ただ、俺が感心したのは、「これは手塚治虫だ!『アドルフに告ぐ』だ!」ってことなのでした。つまり、国家や民族などの制度の中で分断されている人間どうしが、制度の奴隷としてではなく、ひとりひとりの個人として向かいあう、そういうテーマが描かれていたってことです。それは良く考えたら『シュリ』とか『ブラザーフッド』の時からそうなんであって、監督のカン・ジェギュ(姜帝圭)はそのてん一貫している人なんですよ。彼はたいした人物だと思う。『ブラザーフッド』でも保導連盟事件をきっちり描いていたので、さぞかし右翼(韓国の)に脅迫されたのではないだろうか。
・・・歴史のいきがかりで激しく憎みあうことになる日本人と朝鮮人の青年二人が、幼いころにひたすら無心に街なかを競走していくシーン、ああ人はどうしていつまでもこのように生きられないのかと、そう思わずにはいられない。
だからまあ、もしもあなたのお近くの映画館でまだ上映中なら、大画面で見ておいて損はない、そういう映画でした。
・・・それにしても最近の映画・・・『聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実』もそうなんだけど、どう考えてもフィクションなのはわかってるんだから「真実」「真実」って題名やコピーにいれるのやめようよ(@∀@)と、それだけは声を大にして言いたいです。
99.99%を占める他のほとんどの人間が、資金や労苦の限界にぶちあたって、新しいフィールドの構築を”あきらめてくれた”からこそ、ジョブスたちは新しいフィールドを占有することができたんじゃないかよ。
こういうからくりがわかんないのか?
安易に資本主義を解釈するクロウのようなバカサヨクは、起業をすすめる教育がさかんな場所は、みんながみんな起業を狙ってしまい、起業したら成功する確率が世界一低いという、起業家にとっては地獄の場所になっているという、この単純な算数のしくみがわからないのだろうか?
カリスマ理容師になりましょう!と推奨する地が、カリスマ理容師が一人も誕生しない場所になるのと同じことだ。
ばーか!床屋同士が激しい競争をして、ほかで勝負できるくらいレベルの高いごく一部が生き残るがら、結局カリスマは誕生するじゃねえか!と反論する人もあろうが、じゃあ、それは激しい競争社会とどこが違うのだろうか?
教育によってのぞましい人物が多数誕生してしまったら、また、そののぞましい人物の存在を許せる器が、社会でごく少数しか用意できなかったら、全員が全員生き残らすことは不可能ゆえ、結局、競争はおこるのである。
つまり、競争をたくみにさけることもまた、競争なのである。
競争しなくても安穏にくらせるヤドカリの殻の居住権もまた、激しい競争によってしか得られないのである。
みんながみんな新しいフィールド構築に参画
新しいフィールドが飽和、新しいフィールドを巡る競争が激化
今度は、フィールドを巡る激しい競争社会を勝ち抜く教育を!とさけびはじめる
新しいフィールドの競争からさらに抜け出すことができる、さらに新しいフィールドを目指し成功する輩が出てくる
さらに新しいフィールドを構築できる人間になれるような教育をすべきだと、クロウが言い始める
その教育によって、さらに新しいフィールドを目指す若者が増え、さらに新しいフィールドが飽和状態
くりかえす
識者>余計な教育するなボケ!ほっとけば自然に調整できたのに!
ただし、自分以外が競争している状況下で
つまり、競争しないことで成功するといっても、自分以外も競争せずに成功することをもくろんでいたら、競争しないで成功するノウハウの発明合戦の競争が激化してしまい、そこに勝利しないと成功ができないのである。
わーい競争しなくてもおれのもんだぞ!と勇んで、前人未到だとおもって分け入った原野が、すでに多数の先駆者によって熾烈な開発競争がなされていたら、やはりそこでの競争に勝利しないとその土地がえられないであろう。それとおなじことである。
クロウのいってることは、おまえらみんな誰もいない山奥を開発しろ!競争しなくて済むから得だぞ!と日本国民全員相手にいっているようなものだ。
そうなったら日本国中の山奥が人間だらけになってしまい、競争回避どころじゃなくなるだろう。
知らない人からよく勘違いされることなのだが、まったく新しい分野を開発したと思われる偉人も、実は他人との熾烈な競争をしていたのである。野口英也やエジソンしかりである。たいてい、自分が思いつくことは他人もすでに思いついているからである。人間、考えることはそう大差ない。AKB商法を思いついていた人は実は秋元康以前にもたくさんいた。テレビ番組の起業投資番組で類似するシステムを言っていた人がいたし、実は私の周りにも、人気投票で可愛い子をネットで人気者にしようというアイデアをしゃべっているものは結構いた。
思った以上に、思いつくアイデアというものは人とかちあっているものである。
もちろん、無駄な競争をさけようとして、あわよくば自分がラクや栄誉をてにいれようとして、ほかの効率の良い分野を一人で開拓するということは、決して悪いことではない。高く評価されるべきものであろう。
だいたいお上というものは下に競争させたがるものであるからして・・・・
だが、だからといって、それを教育方針に入れよ!競争に参画せよ!という教育方針を廃止せよ!というというのは明らかな欺瞞である。
橋下が競争しなくちゃ日本は駄目になるといっているのは、そんな底辺産業のことではなく、科学技術や医学の分野のようなトップ層だぞ?
日本の飲食業の接客レベルやタクシーの運転手のテクニックが熾烈な競争によって多少ハイレベルになったとて、たしかに日本はまったく豊かになることなんてないだろう。台湾のビンロウ売り子や、タイの三輪車の運転手も熾烈な競争をしているが、それらがタイや台湾が豊かになる原動力となるわけではない。
新入りが誰でもとっつける敷居の低い産業は、それだけ緊急性や重要性も低いので、労働者の希少価値も無い。ゆえに過当競争になりがちなわりには社会に還元される公益はすくなく、怠けたいサヨ文系たちから”競争なんて無駄じゃね?”と反論される格好の材料となってしまっているというわけだ。
だがちょっとまってほしい。ハイテク分野や医学で、タクシー運転手や牛丼やのバイトと同じように過当競争を抑制してしまったら、社会のみんなが豊かな果実を受け取る確率がひくくなり、みんな損をしてしまうのではいだろうか?
発展すればみんなに益をもたらす最先端の産業はどしどし競争をしてもらい、ローテクの産業は疲弊しないくらいのほどほどの程度にしよう。これがベストなのではなかろうか?
そりゃ、不当廉売によってライバルをぜんぶなぎたおして独占状態になったトップ企業は、もう競争する必要は無いだろうからな。左翼のおまえが独占資本を容認してどうすんだ?
極端な資本主義は社員への福祉を充実させようとするあまり極端な拡大、独占路線におちいってしまい、結局は社会主義思想と大差なくなってしまうといわれているが、まさにそのとおりだ。
誰もめざしていないニッチをめざすべきだ!という意味で競争しないといっているならばまだ正論だといえようが、クロウのいっていることはそうじゃないからな。
まったく、クロウは骨の髄まで資本主義者だわ。