陸前高田のこと

今日知り合った朝倉さんの陸前高田の一本松のお話を読ませていただいて、
私は1996年の夏に東日本を自転車で北上する旅の途中で
陸前高田に寄っていたことを思い出しました。
古い日記帳を出してきてページを開いてみました。
まいにち日付と地名で始まる殴り書きの日記には、
すっかり忘れていた事がたくさん詰まっていました。


山形で予備校の友人と別れた後、私は花巻に立ち寄り、
錆びのひどい白に水色のラインがあしらわれた中古自転車を6000円で購入し、
そこから海岸線をゆっくりと北上していました。
今は失われてしまった町の姿が書かれていて、
なんというか、ちゃんと、そこにありましたよ。と、
ここに残しておいてみたくなったりしました。




8月14日 陸前小泉
宮城県全域に低温注意報が出ていた。天気は曇りとNHKラジオでは伝えていたが、パリッと晴れていた。気温はさほど高くならなかったので、気分よくのんびりと流したはずが50kmも進んでいた。気仙沼まではあと27km。明日の午前中に着いてしまいそうだ。国道45号に入ったとたんに交通量が増えた。街の前では必ず交通渋滞になっていたので、スイスイと100台のごぼう抜きをしてみた。泊まりは小さな海岸に1人。米を炊こうとストーブをつけたが、ガソリンがきれた。海岸には16時頃に到着していたので、日が沈むまでに薪を探す時間が十分にあった。小雨が降ってきたが米は炊けた。焚火は久々だったので、ガソリンがきれたおかげで贅沢な気分を満喫できた。




8月15日 陸前高田
あいかわらずママチャリの調子はよく40km進んだ。気温は20度以上にはならず曇ったり小雨が降ったりした。地獄のような灼熱日和に比べたらまだましだが、夏らしくないのは少々寂しい気がする。ここ高田松原というところは前から気になっていた。このへんはリアス地形だというのに、1〜2km程の海岸線がきれいに国道沿いに続いていたからだ。地理的に観光地に違いない。という予想は的中した。東京ドーム10杯分はあるくらいの駐車場とPA、その中には土産屋や商店、屋台や便所が並んでいて、丁寧にふるさとのVTRを見ることのできるテレビや高校野球を中継するハイビジョンのテレビまである。大きな三角形のシンボリックな建物の裏側は階段のような屋根になっていて、その目の前にはステージまである。PAを抜け海岸の方へ入っていくと、ユースホステルと海水浴場、そしてキャンプ場があった。人口くさい川の辺にはふるさと体験村とかいう小屋が点在していた。キャンプ場に入る前、リヤカーを引く人の姿が見えたが、駐車場からキャンプ場まで重たい荷物を運ぶためのもののようだった。私のキャンプのスタイルとは違う。一応、キャンプ場の受付のようなところへ寄ってみた。兄貴が2人出てきて、私にこう説明してくれた。「このキャンプ場はテント1張につき1000円。家族連れでも1人でもテント1張につき1000円だから、ちょっと高いよね。」と。するともう片方の兄貴が「こんなキャンプ場より海岸広いから、ずっとあっちのはずれの方まで行って張ればいいよ。見回りが来たら『はいはい』って言っておけば大丈夫だから。このへんも観光化でうるさくなっちゃったけど、奥の松林の中はだれも行かないし静かでいいよ。何かあったら、またここまで戻ってくればいい。」と、意外にも優しくしてくれた。

今夜は花火があがり笛と太鼓が響いている。楽しげだ。食事後ビールを飲んで、食器を洗いにPAに出たのだが、祭りが賑やかで本当に楽しく感じた。駐車場には車がぎっしりとつまり、道路まであふれていた。PAの前にある広場で、山車のようなものがずらりと並んでいて、その背後の国道45号の向こう側で花火があがっているのが見える。最高。明日は大船渡、盛まで行く予定。標高150mの峠越えがうまくいけばいいのだが。