20120205
■2012年02月05日のツイート
2012-02-05 18:40:49 via web
@clnmn: 「今の仕事をやってなかったら、どんな仕事をしてると思いますか?」に答えました URL #theinterviews
@clnmn: ジェームズ・コバーンの『荒野の隠し井戸』がすごい。
@clnmn: 「進行中のお仕事について教えて下さい。」に答えました URL #theinterviews
■[仕事][随想][卓球] Q「進行中のお仕事について教えて下さい。」
朝日出版社第二編集部ブログにて連載中の『理不尽な進化』は、進化論を題材にしたエッセイです。
昔から進化論/進化学にかんする読み物が好きでたくさんの刺激を受けてきましたが、下手の横好きを通していくうちに、われわれ(わたしも含めて人類のほぼ全員)は自分たちが思っているほどには進化論(ダーウィニズム)を理解していないのではないかという疑念を抱くようになりました。ダーウィニズムの教説は一見あたりまえのように思えるけれども、そこにはわれわれの理解を阻む一種独特の難解さがあるのではないか。それがわれわれを思わぬ誤解へと導き、また愛憎にまみれた激しい論争をも引き起こすことになるのではないか。その難解さのツボを探ってみたい、こんな風に考えています。
その意味でこのエッセイは、ダーウィニズムを解説するものではないし、ましてやダーウィニズムに反対したり代替案を提出したりするものでもありません。わたしにそんなことができるわけはありません。これは、われわれが進化論(ダーウィニズム)に触れる際に出会うであろう躓きの石あるいは落とし穴(概念的混乱)を精査することで、なんとか「ダーウィニズムを真面目に受け取る」ための舞台を整えようとする試みにすぎません。目標は登頂ではなく、あくまで標高ゼロメートル地点でありスタートラインです(いま、「〜にすぎません」などと申しましたが、アームチェア派にとって、これほど意義深い仕事もなかろうかと思います)。
優れたダーウィニズム擁護の書『ダーウィンの危険な思想』を著した哲学者ダニエル・デネットは、ダーウィニズムを万能酸にたとえました。しかし、彼がそのような本を書かなければならなかった理由のひとつは、たしかにダーウィニズムは万能酸であるが、誤解や反感に阻まれて、その力能を十分に発揮していないように思えることでした(彼が言うとおりその思想が「危険」である以上は当然のことですが)。なぜダーウィニズムは勘違いによって愛され、また勘違いによって憎まれるのか、その秘密を解読する知的エンターテインメントに仕上がればと思っています。
以上、自分にとっては長いこと大事なテーマだったのですが、同じように大事だと思ってくれる人がいるかどうか……。詳しくは連載中の拙稿をご覧いただけたらと思います。
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また、『哲学の門前』(仮)という書物を準備中です。これは、ジグザグに動きながら件の標高ゼロメートル地点へといたろうとする概念的冒険(その冒険を仮に「哲学」と名づけておきましょうか)の魅力を伝える、ジャン・アメリー風ロマン・エセーです。←この紹介文から香ばしくたちのぼる胡散臭さからおおよそ見当がつくように、まだあまり内容が固まっておりません。
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最後に卓球のこと。物書き関係の知人に卓球の話をすると「聞いてないよ」とばかり場がシラケてしまうことが多いのですが、わたしの生活においては大きなウェイトを占める活動なので、少しだけ報告させてください。
最初は人から頼まれて嫌々ながら、最近では自ら喜んで従事するようになったのが、初級者から中級者を対象とした卓球の指導です(上級レヴェルともなると少なくとも技術的にはわたしから教わることなど何もありません)。
いま教えている生徒さんはおもに高齢者と中高生で、週2〜3回は出かけていって個人指導をしています。これがとても勉強になり(もちろん生徒さんにとっての勉強になることが第一ですが)、得がたい経験をさせてもらっている実感があります。
同じひとつの単純な技術をとりあげてみても、それを習得するにいたる道筋は人によってさまざまなわけで(みんな身体的精神的文化的社会的等々の来歴が異なるのであたりまえですが)、指導の際には頭をフル回転させて考えられる可能性を数え上げながら試行錯誤しなければなりません。しかも学校などでは同時に数十人の生徒たちを相手にしなければならず、そうとう工夫しないとわけがわからなくなります。どんな分野でも同じだと思いますが、その過程で思わぬ発見や驚きがあり、そんなことがあるたびに、こちらのほうこそお金を払うべきなんじゃないかと思ったりもします(もちろん払いませんが)。
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ご質問に答えるのが遅くなってしまい、完全に時機を逸した感もありますが、ご注文は以上でよろしかったでしょうか。
■[随想][仕事] Q「今の仕事をやってなかったら、どんな仕事をしてると思いますか?」
もし物書きをしていなかったら、その直前まで勤務していたインターネットの会社(ヤフー)で、いまでも働いていたかもしれません。でも、そもそもしんどくなってヤフーを辞めたわけなので、いまの物書き仕事がなければ、はたしてどうなっていたことやら。見当もつきません。いまわたくしに仕事をくださるみなさまに感謝します。
■[随想][IT] Q「インターネットとの出会いを教えてください。」
1990年の4月、大学生になったときに学校(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)のワークステーションを介して出会いました。当時、ウェブはまだこの世に存在しておらず、ニュースグループや電子メールがおもな用途でした。レポート作成にはLaTeXを使っていました。
WWWを普通に利用できるようになったのは卒業間近の1993年あたりだったでしょうか。現在のWWWブラウザの原型といえるNCSA Mosaicが登場したのもそのころで、強烈なインパクトを受けました。
当時の日本において、アホな学生が日常的にインターネットを利用できるほぼ唯一の恵まれた環境であったかと思いますが、なにかIT的なノウハウを身につけることができたと自信をもって言えるのは、わたしの場合、ブラインドタッチ(タッチタイピング)と、ネットを使った完全犯罪は案外むずかしいという認識くらいでしょうか……もったいないことです(1990年だったか91年だったか、他人がログインしたワークステーションを使って、ある輩が特定の人物を誹謗中傷した文書を流布するという事件がありました。なにも理解していなかったわたしなどは犯人を割り出すなんて無理なんじゃないかと思っていたのですが、ログと監視カメラの照合によって不届者はあっけなく御用となりました。印象に残る出来事でした)。
■[随想][人さまざま] Q「あなたに最も影響を与えた人物はどなたですか?」
サービスの人気が下火になったころに回答して申し訳ありません。
わたしの人格や思想の形成に大きく作用した人物ってことですよね。とくにこれといった人物は思い当たりません。親などからは多大な影響を受けているはずなのですが、実際どのような影響を受けたのか、よくわからないというのが正直なところです。
もう少し軽い意味でよければ、アメリカのテレビ番組『フライング・コップ――知能指数0分署』のフランク・ドレビン警部には、出会ったときからずっと、あんな風になりたいものだと憧れてきました。
文章表現にかんしては、トルストイ、ドストエフスキー、幸田文、深沢七郎、大西巨人、大森荘蔵の諸氏は、わたしにとってつねに変わらぬお手本でありつづけています。
卓球では、中学高校時代のアイドルであった中国の江加良(Jiang Jialiang)、それともちろんスウェーデンのJ.O.ワルドナー(Jan-Ove Waldner)の両選手でしょうか。
ともあれ、上記すべての人物は憧れの対象であって、影響を受けたなどと胸を張って言うことなど到底できません(まあ「影響」の定義にもよるけど)。





