2010/08/24
遅ればせながら、東京プライドパレードについて
Twitter で書いてもよさそうなことかもしれないけれど、あまりこの件に関してのいざこざに巻き込まれたくないというのもありつつ、まあそんなことはブログで書くことで避けられることじゃないと思うけど、でももうある程度 Twitter での盛り上がりも終わりかけているので、遅出しじゃんけんをこちらで、という感じですが。
東京プライドパレードに関しては色々と論争がこれまでもずっとあったのだけれど(名称問題から、具体的政治との接続の仕方まで、いろいろ)、ボクの基本的なプライドパレードに対するスタンスは、「半分祭り、半分政治的デモ」という感じ。だからパレードから政治性を抜こうという主張(あるいは、政治性の不足を指摘されて開き直る態度)には明確に反対するし、同時にパレードを純粋な政治的主張の場とする主張(あるいは政治性の不足を問題だと主張するあまりにパレードという場の持つ意味をそこに限定してしまうような態度)にも反対の立場です。それは、そもそも政治性を持たないものなどないという認識があるというのもあり、(もし)政治性を失った(と言えるような)プライドパレード(が可能だとして、それ)はその歴史を裏切るものであると思う。そして同時に、たとえ政治性に乏しいものを行うとしても、その理由でパレードが「無意味」であると言われたらボクは憤ると思う。
ボクにとってのプライドパレードとは、単に「楽しいこと」でも「政治的主張の場」でもない。それでもボクはプライドパレードを楽しむ。重い体重に数時間以上も耐えた足がその後数日間も悲鳴をあげ続けても、あるいは暑さにやられてクラクラした頭が目の奥まで焼き尽くすように痛くなっても、ボクはプライドパレードを楽しむ。それは、楽しいものから楽しさをもらっているのではない。楽しいのか楽しくないのかよく分からないものであるようなパレードを、「無理矢理楽しむ」のが、プライドパレードなのだと、ボクは個人的に思っている。そして、それこそがボクがプライドパレードに見出す政治性であり、可能性なのだ。
ボクは膝に病気を持っているし、体重の負荷が大きいので、今後プライドパレードに参加することはどんどん、年々「つらいこと」になっていくだろう。そして、その点で、「無理矢理楽しむ」ことはどんどん困難になって行く。ボクだけではない、少し年上のクィアたち、うんと年輩のクィアたち、そして持病を持っていたり暑さに弱かったり人ごみが苦手だったり、障害を持たされていたりするクィアたちにとって、今のプライドパレードのあり方は既に「参加困難」だと思う。だから、「無理矢理楽しむ」ことがいいことだ、ということを言いたいのではない。どこまで「無理矢理」なことが出来るのかというのは、人それぞれ限界があるし、その限界ギリギリまで無理をしなきゃいけないいわれも無い。ボクが言いたいのは、実際にどんなに運営側が頑張ろうが参加者が増えようが「絶対に楽しい」なんて保証の無いものにわざわざ集まって、みんなちょっとずつ無理矢理、楽しいのか楽しくないのかよく分からないようなその場の空気に飲まれるしか楽しむ方法がないようなパレードを楽しんでいるのだから、あるいはそのような無理矢理な楽しみ方のハードルの高さに圧倒されて参加を断念している人がたくさんいるのだから、わたしたちはそのハードルを下げる方向に向かわなければならない、ということだ。
こう言うと、あたかもプライドパレードが楽しくないかのような、あるいは少なくともボクにとってはプライドパレードが楽しくなかったかのような印象があるかもしれない。でも、ボクが言ってるのは、プライドパレードが「本当に」楽しいのか、そんなことはどうでもいいことなんだということ。もちろん「本当に楽しかった!」という人もいるだろうし、「こういうところは楽しかったけど、こういうところはちょっとね」という冷静な感想を持つ人もいるだろうと思う。そしてその感想は尊重されるべきだし、それを否定するつもりは全然ない。あるいは、「楽しくなかった」という意見も尊重されるべきだ。ボクが「無理矢理楽しむ」のがプライドパレードだ、と言ったからといって、「楽しくなかった・楽しめなかった」という人の存在を否定しているわけではないし、その人たちを責める気も全くない。それは、「無理矢理楽しむ」ことのハードルがまだまだ高いという事実を表しているのだと思う。
だから、まずわたしたちはパレードを、みんなが少しずつ無理をするだけで楽しむことが出来るようなパレードにしなければいけない。だからと言って、「一切無理なんてしなくない。楽しくない。参加するけど、別に楽しさは求めてない」という人がいてもいい。でも、誰にとっても(その人たち楽しもうとした時には)「楽しむ」ことが出来るようなパレードにすることは、パレードに直接にしろ間接にしろ関わっている人たちの急務だと思う。そして、その段階を経てからこそ、「無理矢理じゃなく、楽しむことがみんなできる」ようなパレードを作るための努力をするべきだと思う。
これはつまり、「楽しさ」を前面に出そうとするが故にパレード参加者の中の差異の問題を後回しにしようとする態度への批判でもある。参加者のうち一定の人たちにだけ「楽しむ」ことのハードルが低く設定されているとすれば、わたしたちはまずその問題に取り組まなければいけないはずだ。その問題に対処する労力や精神的疲弊によってその人たちの(あるいはその人たちを代表する、より少数の人々の)「楽しさ」へのハードルが一時的に高くなるとしても、その懸念を優先させることはクィアたちによる連立的な運動にとって結果的には有害なこととなると思う。
この文章はボクの個人的な感情が大きく入っているので、論旨はむちゃくちゃかもしれない。2、3行にまとめたら、もしかしたらとんでもない発言かもしれない。けれどそれもパレード参加者のひとりの感想として、書いておきたいと思った。
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