小学生期にこそ「頭が良くなる」ための先生を!

<最近、自分の名前であっても学校で習ってない漢字を使ってはならないと先生が指導するという。おかしい。だって名前の漢字はすべて学校で習うとは限らない。ならばいつまでも自分の名前は漢字で書けない。名前は親が指導し、学校では友達の名前を読めるように指導すべきと思う>
 
立命館小学校副校長で大阪府教育委員も務める陰山英男さんがツイッターに書き込んだつぶやきが、大きな議論に発展している。あまりの反響の大きさに、陰山さん自身驚いているようだ。

ツイッターでは、大阪府の教育基本条例の問題なども取り上げているのですが、漢字と名前の問題の反響はそれよりはるかに大きいものでした。あまりにも多数の声が次々に届くので、何かの間違いではないかと思ったくらいです」

反響の理由を、陰山さんはこう分析した。

「保護者の声で最も多かったのは、書ける漢字を書かせないという“ブレーキをかけること”への反発でした。この問題に保護者がここまで熱くなっている背景には、学校への不信があります。これまで教師がよかれと思って指導してきたことが、保護者目線で見るとズレていることがあるんです」

※女性セブン2012年3月15日号

私はあるSNS上でこの記事を見てびっくりしました。
と言うよりも怒りがわき、次第に震えてきました…

なぜこのような指導を小学校の先生はするのでしょうか…(もちろん一部の「先生」らしいのですが)

いろいろ調べてみますと、「当該学年配当漢字(文部科学省が出す指導要領に基づく)本人はともかく他の子が読めない・分らないから」という「もっともらしい理屈」を並べておられる現役の「小学校の教師」が居ました。

ばかな…

私が思うに
①クラスの子の名前の中に「当該学年配当漢字以外の漢字」が合った場合、教師がその漢字について、読み・意味・書き順・熟語などを紙に書き出し、教室に掲示する。

②一日に1つ〜3つ程度、みんなで先ず読みを覚える習慣をつける

といった指導の可能性は無いのか…とこの「先生」に問いただしたく思いました。

彼らがいう「興味を持たせる指導」とはいったい何なのでしょうか?
このような指導こそが興味を持たせる指導ではないでしょうか。

私の不信感はそう考えれば考えるほど大きくなりました。
そこで、私の若い友人が、ある地方国立大の教育学部の大学院生で、その附属小学校の研修生として学んでいますので聞いてみました…

「おいおい、小学校ではこのような(上記①②のような)指導をしとらんのか?」

するとその友人は答えました。

「この報道は私も見ました。ホンマ腹が立ちます。こんなおかしげな指導をしているなんて…言い訳みたいですけど宮口さんが言うような指導は、うちの附属小学校では当たり前のようにやってますよ。」

やはりそうでした。

小学校時代は知性が飛躍的に伸びる時期です。低学年であればあるほどそういえます。
何でも好奇心を持つ時期です。

スポーツでも芸術活動でも、将来社会で活躍する人は小学校低学年のうちから、良い指導者の下で練習をする事で大きくその能力を伸ばしています。


勉強でも同じ事がいえます。

国立大附属小学校や有名私立中学校ないと良い指導者にめぐり合えないとは申しません。しかし、普通の公立小学校では実際に、子供の才能や可能性を伸ばす事ができないレベルの「先生」がいることは、この報道だけではなく実際に耳にする事でもあります。

私はこう考えています。

子供に対して「優しい」とか「厳しい」などはどうでもよいことで、子供の才能を伸ばし可能性を伸ばせる指導ができうる限り、私は子供の前に立とうと思います。

それができるのは、子供の才能・素質・可能性を見る(見分ける・展望する)ための知性を私が持っていると自負するからです。そのために様々な活動や勉強で自分を磨く事を続けています。

それができなくなる、または子供の才能や可能性が見えなくなるのならば、私は潔く子供の前から立ち去ります。

私以上の知性や才能、そして可能性を持つ子供に対しては、私は指導する事はできません。この報道を見てこのように思いました…