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めるみほしき さみあもにょる

2017-09-22

文学論をひとり遊び、の話。

小説家である著者が生み出した架空の小説家が、

作品の中で意気揚々と、著者本人が普段口にする

文学論や作家論を登場人物相手に戦わせる。


という劇を著者がひとりで演じ分けているのです。


そういうひとり遊びの楽しさを

あたしも少しばかり知っている気がします。


追伸

アフリカ文学オーストラリア文学の共通点。

国外の人に国内の事情を伝える通訳文学になりがちだと。

でも、そう指摘できてること自体は

国内の読者を意識できている証だと感じました。


『エリザベス・コステロ』さんへ

(南アフリカオーストラリア)

もやもやを持てないもやもや、の話。

あなたという小説に登場する

ルーシーという娘さんは、

南アフリカアパルトヘイト廃止直後を

たくましく生きる女性だけれど、

その姿を、あたしは

あたしが望んで立ち寄る街の一角で

よく見かけたことがあるような気がしています。


その彼女は「善い人」を目指すよう言い残しました。


ルーシー父親は、ルーシーとは違う

ルーシーとは異なるタイプの同年代のメラニーに

身も心も奪われたのか、奪われることに全身全霊をかけたのか、

いずれにせよ、恋に落ちていきました。

そして、そのことに誇りを持っていました。


あたしは、そのことに嫌悪ももやもやも持てず、

その心の行き場のなさに、激しくもやもやしているのです。


あたしがあなたの紙を深く指で絡み取るには、

あたしはルーシーなのかメラニーなのか、

きちんと知ることが必要なのでしょうか。


ルーシーでありながらメラニーになりたいあたしは、

ルーシー父親からすら相手にされないのかもしれません。


『恥辱』さんへ

(南アフリカ)

すごろくを作れば、の話。

世界すごろく、とは苦し紛れに名を付けましたが、

いざ考えてみると、案外いいネーミングでした。


すごろくを作っているのはあの人ではなく、

あたしだという決め事があるだけで。


コマを進めるのも、あたしの強い気持ちだったり、

隣の人が向かう先に気まぐれに付き添ってみたり、

それをやっぱりやめてみたり。


何が目的なのか、どこが終着点なのか、

まるで分からないすごろく。

分かっているのは、はじまりがあり、前進があり、

後退はないということだけなのです。

ハロー、世界、の話。

最近、ふたたび開始したのは、

本を読みながら世界を巡ろうという計画


今回は、南アフリカオーストラリア

いずれにしても南半球から始めようと。

でも、最後の最後までどちらにしようか決められず、

南アフリカ出身で現在オーストラリアに住んでいる作家さん

お力を借りることにしました。


さらに、こちらの鉄道の旅

同じタイミングで再開したとのことで、

近々ヨーロッパに舞台を変える予定です。


体を動かす旅では体験しえないルートを使い、

行きたいところから行きたいところへひとっ飛びし、

ひとつに絞れないのなら、絞らずに進める。

これが、この旅の良さということなのでしょう。

頭の中ががらりと、の話。

ここに来ると、

話す言葉も書く言葉も様変わりする。

直前の直前まで、頭を埋め尽くしていた文字の並びは

全くもって違ったというのに。


そんなふうに一瞬にして、

あたしを取り巻く風のにおいを変えてしまう。

この場所は、きっときっと大切にしないといけない。