高校で授業をする必要はない

高校で授業をする必要って本当にあるの?割と有名な進学校に通っていたけど授業を真面目に聞いている生徒なんて1割もいなかった。ほとんどの生徒は何かほかの事を考えてたり参考書を読んでいたりしていて、授業は単なる儀式と化していた。進学校といっても学校に見捨てられた落ちこぼれクラスに入れられていたので、教師の授業力が圧倒的に足りなかったのと、教師と生徒両方にやる気がなかったのもあるのだろうけど。


それで授業は聞いてないんだけどテストの点は欲しい生徒はテスト前だけノートや参考書を見て勉強する。そのときに「なんだ先生が言ってたのってこうゆうことだったのか、簡単じゃん」という感じで理解する。結局授業を聞いてようがいまいがテストの点数は変わらない。


こうして考えてみると授業っていらなくね?って思えてくる。短いながらの学生経験上では授業で受身で理解するのよりも、自分で参考書などを読んで理解した方が圧倒的に定着する。学問がなんたるかなんてわからないけど、自分で学ぼうという意志がなければ学習なんて出来ないんだと思う。自分で本気で調べて考えて答えが出ないなんてことはほとんどない。どうしても質問があれば友達にすればいい。


先生は駄目な奴が多くて、教科書を読むだけだったり英単語を駄洒落で覚えさせようとしたりするような先生ばっかりだ。僕の落ちこぼれクラスは他のクラスから授業ペースで3倍以上の差をつけられていて、予備校から誘われているほかのクラスの教師陣が生徒に本物の授業をやっている間に僕のクラスの先生は松山千春がいかにすばらしいかを語って授業を潰したりしていた。授業が出来る先生なんか本当に一握りなので、もうすべての先生に授業をやらせる必要はないと思うわけだ。


先生に何をやらせるかというと、コミュニティ管理とカリキュラム作成をやらせる。生徒達に自主的に勉強をさせるとしても学校という性質の良い部分は残していった方がいい。
そのうちの一つはコミュニティ管理。もちろんいじめとか風紀とかの管理は当たり前だが、主にクラスの雰囲気を盛り上げていくことを重要視する。成績の良いクラスは雰囲気が良く、みんなで結束して前に向おうとする。その雰囲気をつくりだすことに専念する。
もう一つがカリキュラム作成。自分ひとりで勉強して行くうえで何が難しいかというと、何をやるべきかわからないというのが一番むずかしい。未知のものを学習することは常に何をやればいいのかがわからないということなので、舵取りは学校がやるようにする。


こうやるとものすごく効率化されると思う。そして授業力のある先生に余力ができるから、必要なところはその先生に授業をやってもらう。たぶん本当に授業が必要なところなんて全体の1割くらいだから授業力のある先生に全部やってもらう。教えることの出来る教師の教員免許は司法試験以上に難しくして、そのかわり莫大な給料を与えればいいと思う。教師は結構憧れの職業だと思うのだけど、コストパフォーマンス的にやりたくない人が多いんじゃないだろうか。こうすれば優秀な人材が教師につくので生徒も教師を尊敬できて、学校の雰囲気もかわるのではないだろうか。


以上が受験失敗のいいわけ。