ティピカとブルボン

前のネタに関する答えのメモ書き

  • 豆の形状の違い

一般に「ティピカはやや大型で細長く、しばしば舟形の豆でセンターカットがまっすぐ、ブルボンはやや小粒で丸みを帯びた長方形の豆で、センターカットがS字を描く」と言われる。ただし豆の形状による分類は、商業上は用いられることがあるが、植物学上では便宜上のものに過ぎない。

  • 新芽の色 (tip color)

一般に「ティピカでは濃いブロンズ色、ブルボンでは緑色」。sweetmaria.comのように、生産地に直接出向く業者のサイトでも紹介されてるし、重要視されているようだ(業者ではあるが、sweetmariaの品種についての解説はcoffeeresearch.orgあたりでも採用されてるので、それなりに影響力がある)。ただしブラジルでの研究では、新芽の色は確かに一般的ではあるが、必ずしもティピカ/ブルボンの違いを反映するとは言えないという立場をとっている。私もこの立場に同意。なお、新芽の色については、不完全優性の対立遺伝子Brが決定しティピカではBrBr(濃いブロンズ)、ブルボンではbrbr(緑)としているが、この表現型の調節はかなり複雑で、他にPr(パーピュラセンス)遺伝子やV(ヴィリディス)遺伝子などによる影響もある。

  • それ以外の形態的な特徴

これ以外のティピカとブルボンの形態的な違いとしては、(1)葉の形態:ブルボンが幅広、(2)幹と枝の角度:ブルボンが角度が小さいので、横枝が「立って」るように見える。(3)実の形:豆と同様、ブルボンが丸い。(4)収量:ブルボンがやや多くとれる。

  • Na遺伝子に対しエピスタシス(上位性)を示すT遺伝子

形態的な特徴はティピカやブルボンの変異種ではしばしば失われる。ブラジルでは新しく発見した(農園などで見つかった)変異種がティピカとブルボンのどちらに由来するかを確認するために、ムルタもしくはナナとよばれる品種との交配による古典遺伝学的解析を行う手法を用いた(1933〜)。ムルタやナナは古典遺伝学的にNaと名付けられた遺伝子が変異した矮性のブルボンの変異種。ブルボンではNaNa、ムルタではNana、ナナではnanaで、ナナは非常に小型になる(不完全劣性)。ただしティピカや、ティピカとブルボンのF1植物ではこの遺伝子の表現型は(ほとんど)現れない。このことから、ティピカ/ブルボンの違いは、古典遺伝学的にTと名付けられた遺伝子により、ティピカはTT、ブルボンはtt。このT遺伝子がNa遺伝子に対してほぼ完全なエピスタシスを示すため、TTNana、TTnana、TtNanaはいずれも(ほとんど)ティピカ(TTNaNa)と同様の表現型になる(一方、ttNaNaはブルボン、ttNanaはムルタ、ttnanaはナナ:ただし厳密にはTTnanaはややブルボンに似、Ttnanaは葉の大きいムルタに似るなど「完全な」エピスタシスとはいいがたいらしいが)。このT遺伝子はティピカとブルボンの形態的な違いのうち、葉の形態や枝の付く角度、収量なども支配しているらしい。なお「ティピカがtt」とか書いてる本があるけど、あれは間違い。

  • 学名の観点から

「ティピカ」という名称は、リンネが命名した基準種を、1913にCramerがC. arabica var. typicaという「変種」として分類した際に名付けたものだが、これは植物学名の命名上のルール違反なので、無効な名前(nom. inval.)という扱い。変種名というのは、原則的には基準種「以外」に付けられるもので、基準種に敢えて付ける場合は種小名と同じにする。なので、植物学上敢えて名付けるならC. arabica var. arabicaでないといけなかった。また、リンネが命名した植物標本は(おそらく)ジャワを経由してオランダに持ち込まれたものの子孫だと言われているので、それ以降、つまりオランダやフランスから中南米に渡ったものについては問題なく「ティピカ」だと言えるが、その前の段階のもの、つまりジャワで栽培されていたアラビカ(や、それに由来すると言われるスマトラなど)、あるいは後にイエメンから直接持ち出されたティピカと類似の表現型を持つ植物が、「ティピカ」に分類可能かどうかは実はあやふや。この辺りに配慮して、これらすべての「ティピカ・タイプ」の品種については「品種名アラビカ」と呼ぶ関係者も、海外では増えてきてる。

これに対して持ち出されたルートが割ときっちり判っているブルボンは判りやすく、変種名にしてもvar. bourbonは「一応」問題なかった……が、まぁ結局最終的に、アラビカについては(複二倍体由来であるため)表現型が多彩であって、植物学上は亜種や変種などの下位区分を設けず、C. arabicaのみに統一されてるのだけど。

一般に「ブルボンはティピカが変異して生じた」と呼ばれることがあるが、以上のような理由から、単純にそう呼ぶのは良くない……もし仮に、オランダに渡った「ティピカ」を栽培していく過程で、それが変異してブルボンが出現した、というのであれば、そう呼んでも構わないのだが、歴史的経緯から見てもそれは正しくない。また、イエメン栽培種やエチオピア野生種との関連からも同様のことが伺える。

一般にイエメン栽培種の表現型はティピカに近いと言われる、が、ブルボンがイエメンから直接レユニオン島に送られたことに加え、現存するイエメン栽培種には新芽の色が明るいブロンズ(Brbr)のものがあること、ティピカの表現型の方が優性(顕性)であること、から考えると、イエメン栽培種には、少なくとも、Tt、Brbr、などティピカ、ブルボンにそれぞれ見られる遺伝子対がヘテロになったものが存在していた可能性は考えてよいだろう。

もっと決定的なのがエチオピア野生種であり、ここには明らかにティピカとブルボンの遺伝子をそれぞれ持った野生種が存在している(交配実験や、SSRマーカー解析で判明している)。つまり、現在のティピカ/ブルボンの違いを決める遺伝子の変異はエチオピアで既に生じていたものと考えられる。ただし、例えばT遺伝子のオリジナルが、Tだったのかtだったのかは判らない……つまり「ティピカがブルボンの変異種」だった可能性だって存在する……あくまで「ティピカを基準に考えると」ブルボンは一遺伝子(t)の劣性ホモの変異体だ、ということに過ぎないのである。