コーヒーと心疾患リスクのパラドックス

#畝山先生の「食品安全情報blog」経由。
http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20100622#p6

>カフェインのリスクとベネフィットについては多くの矛盾した知見がある。

重箱の隅だけど、この部分は矛盾というより、文脈上「相反した知見」程度かな。カフェインには健康上都合のいい面と悪い面の、相反する両面がある、というだけの(言わば「当たり前」の)ことで、別にこのことを「矛盾」だとは思わない。…まぁ世の中には、そういう「当たり前」のことを理解しない人も多いから、NHSがわざわざそういう補足の文章を書くのは、必要なことなのかもしれないけど。


ただ、コーヒーやカフェインと心疾患リスクについての疫学調査の結果には、実は本当に「矛盾」がある。単によくある「調査ごとの結果のばらつき」なんて解釈では済まないような「本物の矛盾」、つまりは「パラドックス」。


かつて、コーヒーやカフェインの摂取は「心疾患のリスクを上昇させる」と言われてた。実際、いくつかの疫学調査ではそういうことが報告されたし、薬理的にもカフェインには一過性の血圧上昇があるため、このことが関与してるのだろう、と考えられた。


ところが近年になって、この仮説とは逆に「コーヒーやカフェインの摂取と、心疾患による死亡のリスクの低下が相関する」という報告が、次々に出てきてる。どうも男女間で効果の違いがあったり、カフェインなのかコーヒーなのか、心疾患の「罹患率」で見た場合や脳卒中リスクなんかの結果ではばらつくのだけど、「心疾患による死亡」のリスクでみると、近年報告されてる主だった調査では概ね似たような結論になりつつある。

日本でも

で、まぁ同様の傾向を示唆する結果が得られてるという、そんな流れ。上述の畝山先生とこ経由のオランダの報告(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20562351)も先日その一つとして加わった、という位置付け。


こういう「疫学結果の食い違い」の原因としては、例えば、古い調査では交絡因子が見逃されてた、とかいう可能性もあるのだけど、このケースについては別にそういう問題というわけでもなかった*1


実は、コーヒー摂取と心疾患の関係についても、既にメタアナリシスまで行われているのだけど

このうち2007年に行われているメタアナリシスから、どうもこの「パラドックス」には、研究手法の違いが影響してるんじゃないか、と考えられてる。

初期によく行われていた症例対照研究だとリスク増加の傾向が見られるのだけど、コホートではほとんど差がないか、むしろわずかながら減少する傾向すら見られた、ということ。で、これらをまとめてメタアナリシスで解析すると「ほとんど差がない」という結果になってきてるというわけ。


症例対照研究とコホートでは、そもそもの実験デザイン上に違いがあるのだけど、このような「大きな食い違い」が何に起因するものなのかと考えると、これがなかなか難しい。ただこの場合、恐らくは母集団の偏りに起因してるんじゃないか、と考えられてるようだ。症例対照研究の場合、何らかの疾患のある人が調査の対象になっている関係から、「特定の基礎疾患ないし、それに関連するような素因」を持つ人に偏った調査になる傾向があるのではないか、ということ。

その「素因」を持つ人においては、カフェインやコーヒーの摂取が心疾患リスクの増悪因子になりうる。ただし広く一般レベルで考えると、そのような素因を持つ人の割合は高くはなく、そのような素因を持たない人にとっては殆ど影響がないか、むしろ心疾患による死亡で見ると、わずかながらリスク低下すら認められる、とか、そんな感じの解釈になる。


……まぁ、実際には心疾患による死亡においても、心理的ストレスがリスク因子になることが知られてるので、カフェインによるリスク低下があるならば、何らかの直接的な薬理作用というより、ストレス軽減を介するものじゃないか、とか勝手に想像してたりもするんだけど。


要は「コーヒーやカフェインの摂取と心疾患リスク」の相関関係は、context-dependent(状況依存的/文脈依存的)である、ということになるわけで。そうなってくると、次は当然、その「状況」が具体的にどういう素因などを指すのかってのが問題になるわけですが……今のところ判ってる範囲だと、どうやら「心疾患の既往歴がある」場合は、高リスク群になりそうだ、という程度。ひょっとしたら、特定の遺伝子多型との関連があるんじゃないか、とかが、最近調べられだしてるけど、まだよく判らないのが現状ってところです。

*1:後述の仮説が正しければ、心疾患の既往歴やらなんかが、隠れた交絡因子になってる可能性があるわけだけど。