『コーヒー おいしさの方程式』紹介 (10)

補足解説3。精製法の話を少し。


近年、いちばん多様化が目覚ましいのが精製法ですが、この部分は一度きっちり整理させとく必要を前々から感じてました。いろんな本で精製法について書かれ、割と好き勝手に定義や分類がされていますが、精製法にはれっきとした国際規格(ISO)による定義と分類が存在しています。

「コーヒーとコーヒー製品:用語集」こと、ISO 3509は1984年に最初に制定され、その後1989年、2005年に改訂されています。現在はこの2005年版が最新になり、コーヒー関連の用語が英語とフランス語で定義されています。精製法に関しては、

  • 2.6 wet-processed coffee
  • 2.8 dry-processed coffee
  • 7.2 dry process
  • 7.3 wet process

で主に述べられています。さらにwet-processed coffeeの項には、その中に"washed"と"semi-washed"の2種類があること、dry-processed coffeeの項には別名で"natural"と呼ばれることが記述されています。

ISO 3509に日本語の用語定義はありませんが、過去の用例から日本語に訳すと

  • 湿式(ウェット)
    • 水洗式(ウォッシュト)
    • 半水洗式(セミウォッシュト)
  • 乾式(乾燥式、ドライ、ナチュラル)

と大別するのが、現在(2014年1月時点)で最新の分類という扱いにできるでしょう。

本書やスペシャルティ大全で取り上げている、パルプトナチュラル、ハニー精法、エコウォッシュトなどの語は記載がありませんが、これらはISOの定義文に当てはめれば、すべて「湿式」の中の「半水洗式」に該当します。スマトラ式もこれに準じると考えていいでしょう。

近年はパルプトナチュラルやハニー精法などを「ナチュラル=乾式」の仲間として分類しているコーヒー屋さんの資料も見かけるのですが、国際規格での定義がある以上、おいそれと無視するわけにはいきません*1。図中で「ウェット(ISO分類)」という大きな枠内に表しているのはこのためです。

*1:実際、香味の特徴などでは似ている部分が多いので、ひょっとしたらISO 3509の次回以降の改訂で変更される(半水洗式で独立させるなど)かもしれませんが、現時点では時期尚早です。

「乾式」の呼称 〜消えていく「非水洗式」の名

本書でも触れていますが、乾式はもっとも古くから行われており、コーヒー精製の「原型」と位置づけることができます。1850年代にカリブ海で、パルパー(パルプ除去器、果肉除去器)を用いる水洗式が考案されるまで、これ以外の精製法はありませんでした。


1922年に書かれた、Ukersの"All About Coffee"では、この方法は"dry method"のほか、"wet method = washed(水洗式)"との対比で"unwashed"(非水洗式)と呼ばれています。見出し文には"Washed and Unwashed Coffee"と書かれているため*1、"dry"よりも"Unwashed"という呼称の方が前面に出ています。

また、それ以外の呼称として

The coffee prepared in this way is sometimes called "common," "ordinary," or "natural," to distinguish it from the product that has been cleaned by the wet or washed method.

と、common(普通の), ordinary(普通の)、natural(自然の、普通の)という別名が紹介されており、現在よく使われる「ナチュラル natural」の名も既にこのころから使われていたことが伺えます……とはいえ、この当時は「自然/天然」の持つ良いイメージを意識したものではなく、パルパーという器械を「わざわざ使う」ことがない「従来通り」の方法という程度の意味しかありません。しかも、他のいろんな呼称の中でいちばん最後に出てくる程度の扱いでした。


Ukersの頃から「Washed - Unwashed」という対比的な呼び名は一般的で、これに倣って日本でも「水洗式 - 非水洗式」という訳語が使われてきました。しかし「非水洗式 "unwashed"」という言葉は、現行のISO 3509には見られません。一方、1994年に最終改訂のICO用語集 http://dev.ico.org/glossary.asp には、"Unwashed"の記載があります。

実はISO 3509でも一つ前のバージョン、ISO 3509:1989 までは"unwashed coffee"が用語として収載されており、naturalやdryなどの項から"unwashed"が参照されるなど、むしろ主体的な扱いになっていました。それが2005年になって削られたのです。これは何故なのか……その背景には、コーヒーの「消費大国」アメリカでの消費動向と、それと対立する「生産大国」ブラジル側の事情があります。



コーヒーは「熱帯地方産の一次産物の中で、石油に次いで第二位の取引商品」と言われており*2、毎年巨大規模の国際取引が行われています…いわゆる「コモディティコーヒー」は、この取引対象となるコーヒーを意味します。いくら「スペシャルティコーヒーが流行してる」と言ったところで、取引規模の大きさでは比べ物にならないほどの「巨大市場」です。その主な取引は、いわゆる「ニューヨーク商品取引所(現ICEフューチャーズUS)」で行われており、ここで世界中のコーヒーは現在、以下の4グループにカテゴリ分けされ、それぞれに値が付けられています。

  1. Colombian Mild Arabicas(コロンビア・マイルド・アラビカ):コロンビア、ケニアタンザニアの水洗式アラビカ
  2. Other Mild Arabicas(アザー・マイルド・アラビカ):上記以外の国(中米など)の水洗式アラビカ
  3. Brazilian Natural Arabicas(ブラジル・ナチュラル・アラビカ):ブラジル、エチオピアパラグアイの乾式アラビカ
  4. Robustas(ロブスタ)

このうちロブスタは常に「低価格低品質」という扱いで、残る三つの「アラビカのグループ」は…それぞれ (1)コロンビア、(2)中米諸国、(3)ブラジルという、中南米ラテンアメリカ)生産国がグループ代表に当たるのですが…グループごとに生豆の取引価格が異なります。もちろん収穫量など世界的な需給バランスに応じて生豆価格は毎年変動しますが、三つのグループの値段が「どういう順番になるか」は一つのポイントになります。それぞれの年で最も高値に取引されているグループが、最大消費国であるアメリカから最も高評価されていた、と見なせるからです。

実際は、この「グループごとの取引価格」を決める要因は結構複雑で、「生豆が他国より高価格=生豆自体の品質が他国より高い」と単純に見なすことはできない部分があります。例えば消費者感情を考えても、同じ品質ならば、そのときに外交関係が悪化している「仲の悪い国」のコーヒー豆よりも「仲の良い国」のコーヒー豆の方が売れ行きは良くなると考えられるでしょう。生豆の「値段 value」は、単に「品質 quality」だけでなく、もっと総合的な「価値 value」で決まるものなのです。


上述したようにコーヒー取引の経済規模は巨大なため、生産国にとって自国グループの生豆価格は無視できない経済要因になりえます。これは特に、まだコーヒー以外の産業が発達していない地域と時代で顕著であり、アメリカから見ると中南米諸国への経済的措置に直結する外交カードの一つでもありました。これは1960年代に締結された国際コーヒー協定(ICA)自体が、冷戦時代のラテンアメリカ共産主義化を防ぐための、西側による経済保護政策であったことからも伺えます。


右に1976-2007年の取引価格の推移のグラフ(妹尾,2009から引用)を示します。アラビカ3グループの取引価格の推移をみると、1986年までは、(1)コロンビア・マイルドと (3)ブラジル・ナチュラルが1,2位を争っていたことがわかります。しかし1987年に(3)ブラジル・ナチュラルが3位に転落し、以降は他2者の後塵を拝しつづけています。また、それまでずっと3位だった(2)アザー・マイルドの評価が上がっており、(1)コロンビア・マイルドの価格を超えるには至らないものの、かなり肉薄する年もあることが判ります。この傾向は2008年以降も続き、現在統計が公開されている2012年まで変わっていません(http://www.ico.org/new_historical.asp 参照)。


このブラジルの評価の下落、アザーマイルドの評価の上昇の背景には、アメリカ・スペシャルティコーヒー運動の中での「クリーンカップ派」の台頭*3があると言われています*4。1980年代に入ると、スペシャルティコーヒーの中でも特に「クリーン」と評価されやすい水洗式のコーヒーの人気が高まりました。例えば、既に1983年にはアメリカ側から、ICAが定める生産国輸出割当でブラジルの分を削って、中米のアザーマイルドをその分増やすような要望が出た*5ものの、ブラジルが難色を示した記録が残っています。


なぜ「クリーンカップ派」の主張が、ブラジルへの評価を落とすことに繋がったのか。そこには英語の"clean"という言葉が含意するイメージが大きく関わっています。"washed"(洗浄した)と"unwashed"(洗浄していない)、どちらの言葉が"clean"(きれい)なイメージに繋がるかというと当然「洗った」方ですし、もともと"unwashed"には「汚れた/汚い」という意味もあります(http://eow.alc.co.jp/search?q=unwashed&ref=sa)。また一般的な「きれい clean」の反対語に「汚れた dirty」がありますが(http://www.synonym.com/antonyms/clean/)、これは"dirt"、すなわち「土」が語源になっています。この点でも「地面」に拡げて乾燥させる乾式のイメージは不利だと言えます。

ブラジルの生産者たちは、こうした「言葉から来る悪いイメージ」の払拭に煩わされることになりますが、そこで行き着いた答えの一つが、アンウォッシュトという呼び名を廃して、「ナチュラル」という呼び方を普及させることでした。言葉から来る悪いイメージに苦しめられた彼らは、単に「乾式 dry」という中立的な言葉を飛び越して、「natural=天然の、自然の」という、今度は逆に「良いイメージ」の、特に「天然指向」の人たちにとって良いイメージに結びつきやすく訴求性がある言葉を使うようになったと言えます*6

*1:http://www.web-books.com/Classics/ON/B0/B701/26MB701.html

*2:ただし、この表現はいささか正確性に欠けます。詳細は妹尾(2009)の論文、脚注1を参照。

*3:ここを単に「スペシャルティコーヒーの台頭」と書かなかったことには、十分に注意してください…「高品質なコーヒー生豆を求める」という「スペシャルティコーヒー運動」と、「『汚れ』がつかない味を求める」という「クリーンカップ派」は、もともとは別のモノです。この部分は、現在の日米コーヒー業界での新興勢力の主義主張にも深く関わってくる問題で、出来れば解説を避けたい面倒なテーマなのですが…ここをきちんと分けて理解できないと、近年「ナチュラル」や「ハニー精法」が流行っていることが持つ本当の意味を理解しているとは言えませんので。詳細はまたの機会にでも解説できれば。

*4:実際には、上述のようにブラジルとアメリカの政治経済からの影響は無視できません。ブラジルは、1964年にカステロ・ブランコ将軍によるクーデターで成立していた親米右派の軍事独裁政権から、1985年に民政移管しており、ここから現在の中道、中道左派路線へと転換していきますが、この時期とも重なっています。またラテンアメリカでは1970年代から、主に欧米からの過剰投資によって対外債務が増大していましたが、1980年代初頭にアメリカのレーガン政権下での自由主義経済政策(レーガノミクス)による世界金利の上昇などから、1982年のメキシコが債務危機に陥り、これを皮切りにラテンアメリカ全体が「空白の10年」と呼ばれるマイナス経済成長とインフレに見舞われます。ブラジルも、メキシコやアルゼンチンとともに、この影響を大きく受けた国の一つですが、1987年2月には外国民間銀行への利払いの一時的中止、いわゆる「モラトリアム宣言」を出しています。こうした政治経済要因の影響は非常に複雑ですが、ブラジルの一次産業への投資に当たるブラジル・ナチュラル・コーヒーの先物取引に影響を与えなかったとすることはできません。

*5:ただし、これも単純に高品質要求によるものと考えるべきかどうかは、また微妙です。この前年にあたる1982年、メキシコで債務危機が発生したことで、ラテンアメリカの経済危機が顕在化していた影響も考慮する必要があるでしょう。

*6:もちろん、これはこれで中立的なものではなく、フェアとは言いがたいやり方でもあるのですが。

パルプトナチュラルと半水洗式

ブラジルが、アメリカのクリーンカップ派の台頭のために行った対策は、この「ナチュラル」という言葉の普及だけではありません。そのもう一つの答えが「パルプトナチュラル」です。80年代以降、ブラジルは従来の乾式精製だけでなく、パルパー処理で果肉を除いた後に乾燥する「パルプトナチュラル」の生産に力を入れるようになります。この精製方法は、ブラジルでは既に1950年代後半の文献に見られますが、当初は「pulped and dry」「semi-washed セミウォッシュト/半水洗式」「semi-dry セミドライ/半乾式」とも呼ばれていました。

上述したように「水洗式がパルパーの発明によって生まれた」とするならば「パルプトナチュラルはパルパーの発展によって生まれた」と言えるでしょう。パルパーをさらにもう一歩進めて、ミュシレージの部分まで効率的に除去可能な器具(いわゆる「ミュシレージ・リムーバー」)の開発がその始まりになっています。その最初の記録はかなり古く、1930年代にインドネシアで使われていたドイツのKruppe社の"Raoeng pulper"というパルパーに、すでにミュシレージまで取除く性能がありました。その後もHenschel社、Stülcken社などのドイツ製のものがインドネシアで使われていたようですが、彼らはそれを単に「改良型パルパーの一種」と見なし、特別扱いはしていませんでした。

ラテンアメリカでは1960年代後半、イギリスのE H Bentall社製の"Aquapulpa"がその最初だと言われています。器具名はスペイン語"aquapulper"なので、やはり「パルパー」の一種と見なされていますが、これを元にして1980年代初頭には"ELMU"(Eliminadoras de Mucílago/スペイン語で「ミュシレージ・リムーバー」、の略)と言う名前で、コスタリカなど中南米諸国で生産され用いられるようになりました。


「半水洗式/半乾式」というのは、精製工程の前半で水洗式と同じようにパルパーを使うものの、後半では水洗式のような発酵水槽を使わずに乾式と同じように乾燥させることから付いた名前です。そういう意味では折衷型なのですが、現在は「セミドライ」という言葉は使われずに、上述のように"semi-washed"という言葉でISO 3509に「湿式の一つ」として分類されています。こうなった背景にも、ブラジルが「乾式だけではない」というイメージを普及させることに腐心していたことを伺うことができます。


現在、中米諸国ではハニー精法などの形に発展している「パルプトナチュラル」ですが、それが先行していたブラジルでは、元々アメリカの「クリーンカップ派」への回答の一つとして発達したという経緯が有ります。特に、ジョージ・ハウエルに代表されるような、いわば「原理主義的なクリーンカップ派」は「精製工程に由来するような香味が、生豆に付かないこと」をクリーンカップの条件として掲げてますから、果肉やミュシレージをさっさとこそぎ落としたパルプトナチュラルこそが、「クリーンカップ派の注文通りのコーヒーだ」ということになるわけです。


こうした流れからブラジルでは、パルプトナチュラルは「ミュシレージを完全に取除く」方向を目指して発達していきます。今日でいうところの、中米の「エコウォッシュト」と同じような方向です。最初のうちは、まだパルパーやミュシレージ・リムーバーの性能などの問題がありましたが、まもなくそれらの性能が向上してミュシレージを完全に機械的にこそぎ落とせるようになりました。しかしいざ出来上がって、カッピングでの点数がよくなったかというと…。確かにクリーンとは言われるけれども、味の華やかさや個性が足りないという評価になっていきます。要するに「アメリカ人が、やれクリーンだクリーンだと言うから注文通りに作ってみたら、こんなもんだ」という、そういう結果になったわけです。これが教訓となって、従来のナチュラルの再評価や、パルプトナチュラルでもわざとミュシレージを多く残して乾燥させる応用法(ハニー精法)の開発へと繋がっていったのです。