椿木生人手

〔見聞雜記〕御勘定吉川榮佐衛門支配所、上州山田郡の内、龍舞村名主隱居庭に、文化二年五月十日比、圖ノ如く椿木に人手生ず。其色白く、六七才位の小兒の手の如く、厚さ手程にて爪は鳥の樣子少し有之、虫の巣か、又は朽木に出來候茸のやうにも見ヘ候よし、同月十三日稻垣藤四郎手代、中澤良佐衛門儀郷村巡りの時、見及候由

椿ノ木に、人手の如きものを生ずるは椿の餅病に罹りし場合なり、手の如き物の他に桃に似たる丸き物を生ずることあり、其他奇形百出名状す可らざるものを生ず、是物は右説明書に虫の巣か、朽木に出來候茸の樣にも相見え候と云ふ觀察至極其當を得たるものにして、寄生菌の菌絲が葉芽、花芽の組織中に侵入して此の如き變形物を生成せしめたるものなり、伊豆七島の中の大島にて、之を椿のイモチ病と名付て、椿の可恐病害の一とせり。予嘗て植物學雜誌第百十三號ニ此類ノ病害菌數種を圖説し亦明治四十四年七月ノ農業國にも此菌に就て圖説せり。此椿の餅病に二種の區別あり、一は其子實層を被害植物葉の外面を去る數層の内部に生ずるものにして、一は直に其外面に生じるものなり、共に其芽胞及擔子嚢の形状はほとんど同大にして區別なし、前者の植物學的記載左の如し。

ツバキノモチビャウノカビ(Exobasidium Comelliae, Shirai)

子實層は初め變形肥大せる被害部の深層中に生じ十個若くは十數個の表皮下細胞組織層によりて被はる、後破りて外出し白色の厚層をなし被害部の全面を被ふに至る、而して破裂せる表皮下組織は、多數の細屑片をなし乾燥して褐色に變じ、一部は子實層面より離脱し、一部は處々に島嶼状をなして着存す、其芽胞は擔子頭毎に四箇並び生ず長楕圓倒卵形にして長一四・五―一七μあり。

此種は常に山茶の花芽を犯し變形肥大せしむ、第ニ十八圖に示すが如く畧ぼ花葉の形状を具ふるあり、何とも名状す可らざる形をなすことあり、又は稍老成せる子房に寄生し桃實状の球塊なさしむることあり。
五月頃東京に於て普通に發見す伊豆七島の如き山茶樹を植林し其子實より油を搾る地に於ては此菌の爲に屡々大害を被ふることあり彼地にて之をツバキノイモチとへり。
後者は稍々老成せる葉、新枝、葉柄等に侵入する塲合にして其子實層は被害部の外面に露出して形成し往々著大なる嚢状變形物を葉上に生ぜしむることあり。