commonjinのいい手相を目指すブログ

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1人で出来そうなこと

手相で何が自分だけで出来るのか。

実は覚えがあれば、どの線も刻むことができると思われる。

筆者は努力線とお腹にも線が出来たが、それらは1人で居た時だった。後者は風呂に入って上がって鏡を見た時には刻まれていた。

作り方のヒントがあるとすれば努力線ならば、努力線という言葉を頭の片隅で覚えておき、実際に努力している時に自分で生命線のどこかから上の方に刻もうとして欲しい。

しかし、お腹の線をどう刻むのかはよくわからない。

 

だが、腕のいい人なら1人で受験勉強をしていても運命線が刻まれたりするのかも知れないが、それは家庭環境だったり、受験する時の目標だったり、誰かからもらった大切な言葉を覚えていたりするからだろう。

だが、実は線が刻まれたのは、今朝のテレビで死人が出たニュースでも見ただけなのかもしれない、なんてこともあるかもしれない。シャーロックホームズもこう言っている、「実生活こそはつねに、いかなる想像力の産物にもまして思いきった、何がおこるか底の知れぬ不思議なものである」と。

自分でも始めはこの言葉が謎だったが、よく振り返るともしかしたらそうかも知れないと思うようになった。

このサイトについて

異路道帰という言葉がある。

どんな方法を取っても同じ結果になることだ。

だから、このサイトに載っている方法を取っても、またこのサイトのことを知らなくて成功しても同じである。

どちらも一つの道だったからである。

何故なら成功するにはある程度、運が充分でないと成功はままならないからだ。

このサイトが教えることは一つである。

道の人になること。これに尽きる。

例えば、残念ながらこの間亡くなってしまったが、鳥山明さんのドラゴンボールの悟空などの筋肉には線が刻んだあったのだが、これは身体に現れる線なのだ。これも鳥山さんが道の道理を感覚的にわかったいたからではないかな。

そして、他にも筋トレの本にも筋肉に線を刻むと肉体がよりよく見えると書いてあった。

これは知らず知らずに道の人になっていたということだろうか。

こんな風に道は無数にある。だからこの宇宙が望んでいるのは道の人になることなのだと思われるのである。

 

それでこのサイトを見なくてもセンスがよければ道に辿り着けるはずだ。

科学とかもどんどん極めてもらって構わない。

そういう科学者になるのも道の人と言えるからだ。

だが、それでも、もしこのサイトが必要になったら、その時は存分に読んで理解して頂けたら幸いである。

妨害する線たち

今日はストーカー線と妨害線について少し。

 

ストーカー線や妨害線について考えても仕方ない気もするが、なぜなら他人が関わってない時にも刻まれるから。幽霊を研究する人のようだ。

 

でもこの二つがあることを知って予防できるなら、人間の未来にとって大きな幸福になると思う。

 

感情線の下に斜めに出るのがストーカー線で、知能線や生命線に親指の付け根くらいから出るのが妨害線(だいぶ離れてたので正式名称は忘れた)。

 

ストーカー線は私は幼少期からストーカー線があったので原因はわからないが、ただ不快な目にあいやすくなるという効果がある。

妨害線はたぶん考えることを邪魔する効果がある。こちらは少し原因がわかって、自慢したり、何かを憎んだりしたら刻まれる。ただこれも心の中だけだったとしても刻まれることがある。

 

恋人にストーキングする前に、全体をバランス良く考えて何が原因か考えましょうね。

 

キェルケゴール追記

去年の暮れに細胞レベルで相があるんじゃないかと考えた。

それで死に至る病について前に書いた記事を訂正したい。

運が欲しくて線を引いた場合、運がよくなる理由がない時はたぶん無理。

で、何か理由があって、もし引けた時、線はできる。でも周りの風当たりが強い気がするなら細胞レベルで線が長くなりすぎてる可能性があると考えられる。

まあ細胞に線があるかはわからない。ただ運がよくなると周りの風当たりが強くなる理由として考えた。

ただ周りに嫉妬されるからとも言えるが、反応が早すぎる気がする。

相性のいい人

性格に相性があると言われる。実は寵愛線という手相の線があるんですが、もしかしたらこれが原因なんじゃないだろうか。

ただその相性を考えた人が自分の手の中にある将来の恋人のタイプをみんなに当てはめてしまっただけ。

ちなみに私はどんな人が入っているのか、わかった。

だから、相性の表を見て一喜一憂するより、自分の手にいる人に近い人と結婚すればいいと思います。

 

最後にこれは自論ですが、運命線の先が寵愛線の先にくっついたら確実にその人に会えるというロマンチックな仕組みなんじゃないかとも私は思っている。

癌と世界

前、100分de名著を見ていた時中江兆民の三酔人経綸問答という本が紹介されていた。自分は癌のような存在だと言う豪傑君の言葉があってぐさりと刺さった。

自分で自分をそんな風に思うというのはなかなかできることではない。

これを現代に当てはめるなら戦争を起こすロシアやハマース、他の諸国の武装集団は癌の様な存在なのだろう。

ところで癌というのはよく知られる病気である。かかる人も多い病気である。

もし豪傑君の言うことが本当なら、そういう癌のような人間はたくさんいるのではないか。

癌が罹った病人を攻撃するように戦争で人間という同胞を殺してしまうような人間がいて、普段は無関係を装っているのではないのか。

ロシアがプーチンが死んでも新たなプーチンが現れるというのは癌の転移である。

そんなことを今日のクローズアップ現代を見ながら思った。

 

久々に

久々に書きます。

一つ目、地球の話。

二つ目、自然寿命の話。

 

一つ目行きます。

地球以外の惑星は生物はたぶんいないし、ただ回ってるだけで、太陽も燃えているだけ。確かに地球には生命がいる。その地球が作った手相は他の惑星が入ってる。そのどうしようもない星たちをどうにかしようとして作ったシステムが手相であるのではないか。

 

仏陀が地球で輪廻しないことを最上としたのも地球が、私たちのこの太陽系が地獄だと見抜いた上なのではないか。

 

地球が綺麗だからって多くの人はこの世界は素晴らしい世界だ。とかいうが、実際には日本でも昔は泥棒、強盗、辻斬り、山賊、海賊、他の地域に至っても同じである。現在もウクライナ戦争。どこが素晴らしいのか。大体、人間の前は恐竜が繁栄し、滅亡し、その前は海底生物が幅を利かせ、なのに絶滅していたではないか。人間のための世界なわけではない。地球が唯一とか言うのは神を信じるのと同じだ。

 

山とか空がなんとなく安心したり、綺麗に感じたりするのは実は他の地球みたいなところも同じような作りになっているからじゃないかと最近疑ってる。

 

ホラー映画を見、戦争ゲームを楽しそうにする、こんな世界が最上である筈がないのだが、何故か生きていると良いもののような気がしてくるのだから不思議である。

 

二つ目。

長い線は無駄。というお話。

実際にちょうど開始点から火星までの半分で終わる線をもつ人がいる。自分もそうだった。人間の自然寿命は38年くらいだが、これより人が長く生きるのは線が長い人がいるからではないのか。実は動物にも手相を持っているものがいるのだが、動物が自然寿命で死ぬのは長い線を持てないようになっているのではないか。人間だけリミッターが外れている。まあ、百聞は一見にしかずで実例を見て動物にも長い線の個体がいたら私の推論は違うことになるが。

 

それとこのことを書いたのはこの自然寿命の話を聞いた時、その寿命で死ぬのが真実であると思ったからです。これなら高齢化社会も来ないですよね?だからこれからの社会には長い線を改善できる取り組みをしてもらいたいですね。