「私たちはなぜ映画を観るのか」
私たちは、なぜ映画を観るのか。
なぜ毎日のように映画を観るのか。
なぜ色んな映画を観るのか。
楽しい映画も苦しい映画も。
面白い映画も面白くない映画も。
美しい映画も醜い映画も。
快楽の映画も不快な映画も。
何も考えない映画も色々考える映画も。
思うんだけど、映画とは人生なんだよね。
擬似的人生という意味ではない。
比喩的人生という意味でもない。
人生とは楽しみも苦しみもある。
考えない時も考え抜く時もある。
それが映画を観ることによって、その向こう側に自分が見えてくるわけだ。
人生は映画に投影される。
同時に、気づいていないかもしれないが、映画は人生に投影される。
だから、映画は人生である。
決して楽しいだけの逃避の時間、ではない。
そうであればもったいない。
そして時間が経てば、苦しかった映画も考え抜いた映画も
「ああ、あんなことが会ったなあ」という記憶になる。
人生と同じように。
別に思い出作りに映画を観るという訳ではない。
結果的になるということである。
生きている証として。
映画は人生を反映する。
そして、人生は映画を反映する。
私たちは、そんな映画の見方をしている。
・・とまでは言い切れないかもしれないが、
おそらくは、そんな映画の見方がしたいのだろう。
少なくとも今の私は。
ー眠れぬ夜のために、同好の士に捧ぐー
(2018年2月23日)