どうして最賃体験だったのか。

またまた最賃のsaです。

前々回で「経済のこと、雇用のことを書きます。」と言っていたので今回はそんなテーマでいきたいと思います。

その前に、僕は最賃体験を通して経済や雇用のことを考えるようになったわけですが、どうして最賃体験を続けるようななったかを書いておきます。

そもそも僕は今の会社の労組に入ったことで最賃体験を始めたのですが、当時の宮城県では最賃体験は、主にパートではたらく人達の均等待遇をすすめる、ということに主眼があったように思います。

僕は「若いし、体力がありそうだ。」という安直な理由から体験を勧められ、実際、貧乏生活をしていた学生を終えたばかりだったので、これまた安直にOKしてしまったわけです。

実際に最低賃金で生活をしてみると、その辛さに驚きました。
学生時代の貧乏暮らしが楽に思える程です。

「働きながらこういう生活を続けるというのは、なんて悲惨なのか」と。

そうです。働いているのに(すごく)貧しい、という矛盾が悲しいのです。

そして、時を同じくして「ハケン」、「ワーキングプア」、「勝ち組負け組」という言葉がマスメディア上に表れはじめ、辺境の地・宮城県に住む僕のまわりでもそういった状態にある人たちが増えていたのです。

確実に変化が起きていました。
本来なら大学を出て社会人になるはずの人間が、悉く短期雇用で稼ぐしかなくなっていたのです。

しかも時給で700円程度の仕事です。月収を増やすために大概は2つ位の仕事を掛け持ちするわけですが…。

この時から「最低賃金体験」はパートタイムではたらく人たちだけの運動ではなくなりました。
僕のような20代の人間から、40〜50代まで含む、あらゆる業種の労働者に関わる運動に変わりつつあり、そして今、完全に変わったのです。


これまで僕たちは主に若い世代を中心に「正規雇用を増やして!」という活動をやってきました。
この訴えは今でも重要ですし、これがなければ雇用の運動というのは成り立たない気がします。

ですが、最低賃金を引き上げる運動というのは、賃金闘争という意味以外に、「生存権」や「人間の尊厳」を取り戻すたたかい、という意味を多分に含んでいるように思います。


僕が最賃体験に引き付けられた理由は、多分ここにあるんでしょう。
地味ですが、こんなに気高い運動はない、と。


よく考えてみると、僕の20数年の人生の中で、こんなに社会のみんなが貧しくて、しんどい生活をしている時期はなかったように思うのです。
バブルの真っ只中に生まれた世代としては、こういう現実は受け入れがたく、「損な時代に生まれたな…。」という気持ちも多少あります。
最賃引き上げを言わないと、あるいは「生きさせろ!」と叫ばないと生きていけないなんてねぇ…。

でも、これは時代のせいでもなければ、勿論、自然現象でもありません。
科学的に見て、こんな急激な変化が自然に起こるはずがないのです。

ここには必ず人為的な原因があり、星が降ってきたわけでも、「見えざる手」が動いたわけわけでもありません。
ならば人の手で変えることはできる(はず)。

そう。
加えて言うならば、僕が最低賃金体験を続けているのは、この運動が革命性を帯びているからです。

この日本で、こんなにも革命的で、戦闘的で、人間味に溢れた運動があるでしょうか?

こういう運動に携われるというのは、日本共産党員冥利に尽きるというものです。
そうであるならば、この最低賃金体験を通して日本の経済や産業構造も学習し、社会進歩に貢献する活動も必要になると思います。

今回、このブログに載せていくのはそんな学習の一端です。
やや長いですが、いつも通りののんびりペースで書いていきたいと思います。

派遣・請負・ワーキングプア!?「雇用の変化」はなぜ起きた?(1)へ続く。

(文責 sa)