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昆虫亀

2018-07-11 飯田隆『新哲学対話』の合評会に出ます。(7/28(土)、岡山大学) このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

緊急登板で以下のイベントに登壇することになりました。

※タイムテーブルを追記しました

重要:会場が変更されました(2018年7月26日)

講演会「 日常に根ざした言葉で哲学をするということ:飯田隆『新哲学対話』をめぐって」


登壇者 

飯田隆日本大学

近藤智彦(北海道大学

森功次(大妻女子大学

植村玄輝(岡山大学)*

*当初予定されていた山口尚氏(京都大学)の提題内容を紹介します。



日時 2018年7月28日(土)14:00–17:30

会場 岡山大学津島キャンパス 文法経一号館 文学部会議室

参加費無料・事前登録不要

お問い合わせ先 岡山大学文学部 植村玄輝(uemurag@okayama-u.ac.jp)

https://researchmap.jp/jows49osy-9639/


タイムテーブル

・14:00-14:10 イントロダクション

・14:10-14:30 飯田「台所の言葉で哲学を語るということ」

・14:30-14:50 森「ワイン評価基準の独特なところ」

・14:50-15:10 植村「山口尚「言葉づかい・価値観・哲学――「機械は計算するか」という問いに即して」紹介」

・15:10-15:50 近藤「『新哲学対話』はプラトン的か」

・15:50-16:05 休憩

・16:05-16:35 飯田 森・植村(山口)・近藤へのリプライ

・16:35-17:30 全体ディスカッション

当初は山口尚さんが登壇する予定だったんですが、諸事情で参加できなくなりましたので、その代打で出ます。

家で寝てたサッカー選手が急遽代表に呼ばれたような気分です。

(なお、山口さんの原稿は植村さんが代読する予定。)


名著の合評会に関わることができて、光栄です。

がんばります。


飯田先生のこの本は本当に面白いし、第一章「アガトン――あるいは嗜好と価値について」は、最高の美学入門(としても読める)文章なので、美学関係者は必読!テーマは「よいワインとは何か」です。

美学系のコースは、こういう議論学部生にまず読ませるべきだと心から思いますね。

(かといっていきなりプラトン対話篇を読ませるべきかと言うと、ちょっと違うんだけど。。。)




あとひとつ報告ですが、本務校の学内科研費をもらえることになりました。

なので、そのお金使って秋頃に「ネタバレ」をテーマにワークショップをやろうか計画してます。おそらく『フィルカル』と共催になるかなと思います。

こっちも「日常に根ざした言葉で哲学する」会になるかと。

最近まわりの人々に「ネタバレ」についてどう思ってるか聞いて回ってるんですが、みなさん一家言ある模様。

いろいろ考えたくなるテーマであることは間違いなさそうで、楽しい会になりそうです。

ご期待下さい。詳細はまた。

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2018-05-04

西村清和『感情の哲学――分析哲学現象学』の感想 西村清和『感情の哲学――分析哲学と現象学』の感想を含むブックマーク 西村清和『感情の哲学――分析哲学と現象学』の感想のブックマークコメント

 恩師*1、西村清和先生の最新刊、『感情の哲学――分析哲学現象学勁草書房2018年

 少し前に、ご恵投賜っておりました。ようやく読みおえたので、ちょっと感想を書いておく。


 美学会の元会長が、東大定年後に國學院再就職*2その國學院の定年直前に仕上げた本*3、ということで、西村清和の(少なくともアカデミックポストにいる期間の)最終仕事、ということになるのだろう。なので「よーし西村美学の集大成か!」と期待して読んだのだが、結論からいえば、この本は美学の本ではなかった哲学の本だ。美学哲学の一分野なので、こういう書き方をするとちょっと変に聞こえるかもしれないが、要は、美学的な考察は最後の第七章にあるのみで、それまでの六章はバリバリの感情の哲学なのだ。詳しい目次はこちらをどうぞ。

 さらにいえば、美学的な考察を行なっている第七章は、ほとんどこれまでの西村美学の焼き直しでしかない。ウォルトンやカリー、モランといった分析美学の論者を西村美学の立場から批判する作業がメインで、西村美学の発展という意味では、おおきな進展はないと思う。(想像的抵抗をめぐる論点など、若干の新規論点はあるが、基本的な主張は『遊びの現象学』や『フィクション美学』で出しているものと変わりはない。)

 なので、この本の学術新規性は、むしろそれまでの六章にかかっていると言っていい。


 では、六章までをどう評価すべきか。正直言って、私にはこの部分を正当に評価できる能力がない。というか、かなり難しかった。まだちゃんと理解できてないと思う。

 まず、挙げられる文献が非常に多様だ。この本では、カントヒュームといった哲学の古典から、ハイデガーメルロ=ポンティ、リップス、シェーラーなどの現象学者、ライル、クワインデイヴィドソン、ルイスといった分析哲学のビックネーム、そしてプリンツやジェイコブソンといった現代の論者が(あと日本人哲学者としては柏端達也や金杉武司、村井忠康なども)矢継ぎ早に挙げられていって、ザクザクと検討される。その全ての論点を追いかけるのはとても大変だ。いやほんと難しいっす。

 

 この難しさはまずもっては私の知識の無さによるものなので、「すいません勉強します、、、」としか言えないんだが、ただこの読みづらさは、あつかっている内容が高度だというだけでなく、西村の書き方にも若干起因していると思う。西村先生は昔は読みやすい本を書く人だったが(『遊びの現象学』や『現代アート哲学』)21世紀に入ると、だんだん難しい本を書くようになった。まぁこれは読み手を選ぶ書き方にシフトしたということでもあるので、一概に否定すべきことでもないのだが、それでも今回の著作に関していえば、「いやー、読み手限定しすぎでしょ」と思ってしまう。古典哲学や伝統的現象学から分析哲学の最新文献までフォローできている日本人がこの世にどれくらいいるのか。少なくとも、学部生にこの本を一読で理解させるのはとうてい無理だろう。難しすぎる。


 もう一点いっておくと、――これは西村先生の書き方の癖(著述のスタイルともいう)でもあるんだが――もうすこしナビゲーションをきちんとかいてくれてもいいのにな、とは思った。どの章でも、冒頭からいきなりいろんな論者の論点サーヴェイが波状攻撃的になされていって、その各所にチラチラと批判が入るのだが、最終的に西村がどういう立場を打ち出そうとしていて、今の論点整理の作業が何のためになされているのかが表明されないままその作業がなされるので、非常に読みにくい。最初に、「◯◯という立場を出すために、以下では似たようなトピックを論じているこの人達の論点を、●●の観点からまとめていきますよ」といったナビゲーション的記述を入れてくれるだけでだいぶ読みやすくなると思うのだが。まぁ西村先生は、こういう「道しるべ」を冒頭に書くのを嫌う人なのでなぁ、、、今回はこの好みがかなり悪い方向にあらわれてしまった気がする。(あと、この段落長すぎじゃないですか、という箇所がけっこうあった。一段落に「他人の論点のまとめ」と「批判」「自説の展開」「自説の敷衍」が詰め込まれると、読み手としてはけっこうつらいです。)

 

 

 ただ美学的な考察をやっている第七章は、けっこうスラスラ読めた。これは、僕がこれまでの西村の著作を読んで西村の立場をそれなりに理解していたし、分析美学知識もそこそこもっていたからだと思う。なので、それまでの各章も、その分野を専門とする人にとってはそう読みにくくないのかもしれない。上記の「読みづらかった」というのは、あくまで知識のない者が一読したあとで持った感想だ、ということをお断りしておく。



 これから読む人向けに、西村の基本的立場を(かなーり暴力的に)まとめておくと、基本的には「感情の哲学をやるのなら現象学的な一人称視点を重視しようぜ!三人称視点で感情を語ると「自己性」や「情態性」といった大事な事実性が抜け落ちるよ!」というのが西村の立場だ(繰り返しますが、これはかなり乱暴なまとめです)。その意味で、この本は「現代現象学*4」的著作といってもいいし*5、その現象学ベースの立場から、命題的態度といった道具立てや、「すべてを考慮した最善の判断」「感情移入」といったさまざまな考え方が批判されていく。この西村の基本姿勢を最初に頭に入れておくと、少しは読みやすくなると思う。


 とはいえ、読みにくいからといって、哲学的な中身が悪いということにはならない。そしてこの本は随所でかなり大事な論点を出していると思う。

 巷によくある薄っぺらい分析哲学批判ではなく、きっちり論点をくみ取った上での明確な批判がなされているので、その意義については自分も読み直しながらしっかり検討したい。そして、分析系の哲学者たちがこの本にどう応答するのかは、僕としても非常に気になる。先日『情動の哲学入門』を出された信原先生とかはどういう感想をもたれるんでしょうか*6。また逆に言えば、分析哲学批判したい現象学者のひとたちにとっては、とても参考になる論点が提示されていると思う(3500円+税と、価格は安いのでぜひ多くの分野の人に読んで検討・批判してもらいたい)。


 そして称賛せずにはいられない点を再度述べておくと、挙げられる文献の多様さは本当にすごい。この本は、たんに年配の先生がいままでの蓄積をつめこみました、という本ではない。西村先生は、感情の哲学にとりくむために、あらためてかなり勉強をしている。あの年齢になってもここまでたくさんの文献を読みまくって本を書くところは、心から尊敬するし、偉大な能力だと思う*7

 まだ知識の浅い自分には、この本の真価はわからないので、これがいい本なのか悪い本なのかの結論はちょっと出せない。ただ、すくなくとも今後事あるごとに読み返す本だとは思う(そして西村先生の本は、だいぶあとになって「うわー、実はめっちゃいい本じゃん」となることが多いので、油断ならない)。

*1修士、博士課程での指導教官

*2:すこし間が空いたので「異動」ではない。

*3:印刷期間もあるので発売は4月だったけど。

*4:現代現象学って何?という人には、『ワードマップ現代現象学』という良書がありますので、それをオススメしておきます。

*5:もしこの本の書評を依頼するのであれば、こうした哲学的立場を正当に評価できる人に頼むべきだろう。間違っても美学者に書評を頼んではいけない。

*6科学哲学会とかで書評会とかやればいいと思うんだけど、西村先生が科学哲学会の会員じゃないからなぁ。

*7:ただ、こんなにたくさん人名ならべるのなら、せめて人名索引はつけてほしかった……ここは勁草の編集者の関戸さんが勇気を出してガツンと「先生、索引は付けましょう!」言うべきところだったのではないか(まぁじっさいには、編集者「索引は付けなくていいですか」、著者「もうめんどうだから索引はいいです」といったやり取りがなされたのではないか、と想像するが。もしくは印刷前の時間的締め切りが厳しくて索引作る余裕がなかったとか)。索引なし、文献表なしでop.citで文献参照されると、探すの大変なんだよな……

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2018-04-08

4月21日(土)夜、『フィルカル』最新号刊行記念のトークイベントを開催します。 4月21日(土)夜、『フィルカル』最新号刊行記念のトークイベントを開催します。を含むブックマーク 4月21日(土)夜、『フィルカル』最新号刊行記念のトークイベントを開催します。のブックマークコメント

このたび、哲学と文化を接続しようとする雑誌『フィルカル』の編集委員を務めることになりました。

『フィルカル』は、哲学系雑誌の中ではいま一番勢いがある雑誌と言ってもいいんじゃないかと思います。

『フィルカル』みたいな活動は、一般向けに研究動向を紹介するある種のアウトリーチ活動とも言えるんですが、

そういう堅苦しい思惑ぬきにして、ふつうに読んで面白い雑誌です。かなり勉強になります。

編集委員としてこの勢いに少しでも寄与できれば、と思います。



で、4月21日(土)夜、東京 田原町の書店「Readin’ Writin’」にて、『フィルカル』最新号刊行記念のトークイベントを開催することになりました。

最新号に論文を載せている高田敦史さんと岩切啓人さんと、トークイベントをやります。

論文はこちらです。

  • 高田敦史「スーパーヒーローの概念史」
  • 岩切啓人「創造と複製」


高田さん、岩切さんがそれぞれ、論文の背景にある分野(スーパーヒーローの定義と歴史、芸術における作品創造と複製)を解説したうえで、来場の方々と質疑・ディスカッションをする予定です。

質疑といっても、じっさいには話題をどんどんゆるーく広げながら、考察をすこし掘り下げていくような感じだと思います。

アメコミ」「スーパーヒーロー」「ハッキング」「歴史的存在論」、「創造」「複製」「アプロプリエーション」あたりのキーワードに興味がある人はぜひどうぞ!



くわしくは、こちらのフィルカル・オフィシャルサイトを御覧ください。


【日時】4月21日(土)18:30開場 19:00開演

【場所】田原町 書店「Readin’ Writin’」

【料金】参加費1,000円

【登壇者】高田敦史、岩切啓人、森功

【テーマ】芸術における作品創造と複製、アメコミスーパーヒーローの定義と歴史

【内容】

『フィルカル』最新号の論文著者が、論文の背景にある研究分野を一般向けに解説&ディスカッションします。

高田さん論文「スーパーヒーローの概念史」は、ハッキングの歴史的存在論の展開として、アメコミのスーパーヒーロー概念の質的変化を分析する論考です。

制度の変化も観点に入れた、虚構種の存在論としてもアメコミヒーロー論としても新しいタイプの議論が展開されています。

(高田さんのブログ記事に紹介があります。)

分析美学の新世代を担う岩切さん論文「創造と複製」は、分析美学の本格的な論文です。

芸術における作品複製は創造になりうるのか、というテーマをめぐって、それを否定する論証を批判し、肯定する立場を模索しています。

お店の詳しい情報:

田原町 書店「Readin’ Writin’」

【住所】111-0042 東京都台東区寿2-4-7

【電話】03-6321-7798

HPhttp://readinwritin.net/

Twitter】@ochimira

いちおう予約フォームもありますが、当日参加でも大丈夫かなと思います。

(人がたくさん来てたらわからないけど)

あと『フィルカル』は現地でも売るので、読んでくる必要は必ずしもないです。



では。



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2018-02-21

2018/3/16(金)日本大学ワークショップ美的経験、再考!」(要旨つき告知) 2018/3/16(金)日本大学、ワークショップ「美的経験、再考!」(要旨つき告知)を含むブックマーク 2018/3/16(金)日本大学、ワークショップ「美的経験、再考!」(要旨つき告知)のブックマークコメント

要旨が出そろったので、あらためての告知です。


日本大学ワークショップを開催して頂けることになりました。

ワークショップのタイトルでは「美的経験」という語がつかわれてますが、テーマは美的判断とか美的価値とかそのあたりをざっくり含む話題だと思って頂ければよいかと思います。

以下、正式な告知文です。


日本大学文理学部人文科学研究所

第13回哲学ワークショップ

美的経験、再考!」


来る3月16日に、日本大学文理学部にて、分析美学に関するワークショップ美的経験、再考!」を開催いたします。

興味をお持ちの方はぜひご参加ください。


日時:2018年3月16日(金)13:30〜17:30


場所:日本大学文理学部3号館5階3504教室

   京王線 下高井戸桜上水 下車 徒歩10分

    (https://www.chs.nihon-u.ac.jp/access/)


プログラム

 第1部 提題、および提題内容に関する確認の質疑 13:30〜16:10

 休憩  16:10〜16:25

 第2部 質疑と討論  16:25〜17:30

 懇親会


提題者および題目(発表順)

 森功次「美的選択:伝統的美学理論からの逸脱とその影響」

 松永伸司「スノッブのなにが悪いのか」

 青田麻未「観光者・居住者の疎外――環境美学における美的経験論再考

 高田敦史「美的価値と行為の理由」


提題要旨


1.森功次「美的選択:伝統的美学理論からの逸脱とその影響」

 近年、Yuriko Saito, Thomas Leddy, Sherri Irvinといった日常美学(everyday aesthetic)の論者たちは、「美的なもの(the aesthetic)」について再考を促している。日常美学の基本姿勢は、伝統的美学の考察領域――たとえば芸術作品や自然美――の外、たとえば料理、洗濯、インテリア、といった暮らしのさまざまなところに美的なものを見出そうとするところにあるが、そのさい論者たちは、たんに「美的なもの」の従来の基準を日常生活の事象に当てはめるだけでなく、伝統的美学が提示してきた「美的なもの」の基準に変更を迫っているのだ。

 だが日常美学の論者たちのアプローチも、よく見るとさまざまである。美的対象の領域を拡張しようとする者もいれば、美的判断の基準を緩めようとする者もいる。そこで本発表ではまず、日常美学の論者たちが伝統的美学の何を切り捨て、何を取り込もうとしているのか、その見取り図をまとめてみたい。この作業が提出するマップは、美的経験を再考しようとする本ワークショップのための、足がかりともなるだろう。

 その作業を経た上で、本発表は、より特定的なテーマとして、日常美学を後押しする論者の一人であるKevin Melchionne (2017)が近年の論文で考察している「美的選択(aesthetic choice)」という事象について着目したい。われわれは日常生活の中で、明日はどの映画を見ようか、今日はどの服を着ようか、とさまざまな選択・決断をしている。そうした選択・決断が、どのようなメカニズムで行なわれ、どのような意味を持つことになるのか。これが「美的選択」というトピックにおける基本的な問いである。Melchionneの論文行動経済学などの知見を用いながら、美的選択について考えるための各種枠組みを提案しており、非常に示唆に富んでいる。

 本発表で検討したいのは、Melchionneの概念・枠組みそのものについてというよりは、彼の議論が伝統的な美的なものの議論をどのように拡張し、何を諦め、その影響・余波として何が説明できなくなっているのか、である。美的選択は日常生活のさまざまなところにありふれているが、われわれが普段行なっている美的選択は、もはや「対象の同定のしかた」、「主観的感覚へのコミットのしかた」、「普遍的妥当性の要求の強さ」といった点で、伝統的な美的経験・美的判断の基準からは逸れている。(そのため、もはや人によってはこういった選択に「美的」という形容詞を用いることに抵抗すら覚えるかもしれない)。

 この検討を経て、私が提出したい主張は、以下のようなものである。

 美的選択は、その積み重ねによって、たしかに選択者の個性を示すが、その個性の示し方は、伝統的な美的判断が示す個性の示し方とは重要な点で異なっている。美的選択から個性を読み取るさいには、怠惰やいわゆる「美的アクラシア」といった現象を考慮せねばならない。


2.松永伸司「スノッブのなにが悪いのか」

 古典である、伝統的である、高級である、高尚である、有名な批評家が良いと言った、流行りである――等々の事実自体に美的判断が動機づけられるケースは少なくない。この種の判断をしがちな人々は「スノッブ=俗物」と呼ばれ、その傾向性は「スノビズム=俗物根性」と呼ばれる。スノビズムのあり方は、権威主義的なものだけではない。主流やエスタブリッシュメントに反しているという事実に美的判断が動機づけられることもまた、スノビズム一種である。スノッブ的判断は、ふつう自分の社会的地位を持ち上げるという目的のもとに、美的に関連しない事実にもとづいて対象に美的価値を帰属する。この意味で、それは不純で不当な美的判断である。

 スノッブに関する美学的な問題はいくつかある。スノッブであるとは、正確にはどのようなことなのか。スノッブ的判断と正当な美的判断は、実際に判別できるものなのか。スノビズムはわれわれの美的実践のなかで悪徳と見なされるが、それはどんな悪さなのか。それは擁護不可能なものなのか。

 発表の流れは以下の通り。第一に、Kieran(2010)の議論に沿いながら、スノッブ的判断と正当な美的判断の判別が容易ではないことを示す。両者は、行動的にも内観的にも見分けがつきづらい。第二に、スノッブ的判断の積み重ねが正当な美的判断につながるケースがあることを示す。ゲシュタルト知覚はふつう美的判断にとって関連ある材料である。そして、評価はしばしば知覚の体制化に影響を与える(源河 2016)。実際、そうした評価的態度は、われわれが新しく出会った文化になじみはじめるときにしばしばとる態度だろう。第三に、正当な美的判断につながるスノッブ的判断とそうでないスノッブ的判断を、行動の点である程度判別できるという仮説を提示する。Lopes(2017)によれば、美的判断のやりとりにおける不同意の特徴のひとつは、不同意に際して理由づけの論争がしつこく続く傾向にあるという点にある。美的判断の理由づけは、ふつう知覚的証明による裏づけを目標にしてなされる(Sibley 1965; 源河 2014)。正当な美的判断につながるスノッブ的判断とそうでないスノッブ的判断のちがいは、ある程度までは、この理由づけの論争に対して積極的な態度をとるかどうかのちがいとしてあらわれる。この仮説が正しいとすれば、たとえ正当な美的判断とスノッブ的判断を見分けることが困難だとしても、スノッブ的判断のうちに徳あるものとそうでないものを見分けることは可能である。

 以上の議論は、スノビズムが基本的に悪徳であるという考えを維持しつつ、スノビズムを部分的に擁護するものである。それは、純粋な美的判断が交わされる理想的鑑賞者の王国には関係ない話だろうが、スノッブが満ちあふれるわれわれの社会の美的実践にはなじむものだろう。


3.青田麻未「居住者・観光者の疎外――環境美学からの美的経験論再考

 本発表は、英米系環境美学environmental aestheticsに立脚しつつ、美的経験の諸相について考察する試みである。環境美学とは、自然であれ都市であれ、環境一般におけるわれわれの美的経験を理論的に説明しようとする分野である。ところがこの課題を遂行するにあたって、同分野はひとつの問題点を抱えている。というのも、初期の環境美学、たとえばカナダ美学者アレン・カールソン率いる一派は、芸術作品美学からその理論的枠組みの多くを借りてくることによって、環境を美学の中に位置づけなおす傾向にあった。すなわち、議論対象としては新たに環境を取り上げたと言えても、美的経験を説明する理論として何か新しいものが提示されたわけではない。芸術作品以外がもたらす美的経験の内実を説明する試みは、むしろ近年環境美学から派生した日常美学everyday aestheticsにおいて活発に議論されている。しかし日常美学の成果もまた、結局のところ議論対象を絞り込まずに普遍的適用するのは難しいものである。そこで本発表は、人間環境を議論対象とし、そこでわれわれがどのような美的経験をするのか考察することで、美的経験という事象について環境美学こそが付け加えることのできる論点を探る。

その際に無視できないのは、われわれがある環境において取りうるステータスの多様性である。わたしは上野において居住者であり、博多において観光者である。そしてその逆の人もいるだろう。このようなステータスの違いは、当該の環境における美的経験にも違いをもたらす。この点に関して、これまでの環境美学は十分な注意を払っていない。むしろ、居住者と観光者の美的経験は、それぞれ異なる理由において平凡な美的経験、あるいは浅い美的経験とみなされることさえあるのだ。

そこで本発表は、第1節を居住者、第2節を観光者に割り当て、どちらの節においてもまずそれぞれの美的経験が「主流の美的経験」とはみなされない理由を整理する。その結果として、居住者にせよ観光者にせよ、そもそも美的経験の対象objectがない/不適切である、美的経験に基づく美的判断が下されていない/その人自身によってなされていない、という2つの事柄が批判されていることがわかる。本発表は、これらの批判が不当である、あるいは部分的にしか当たらない、ということをそれぞれの節で確認する。最後に第3節を設け、美的経験の対象とは何でありうるのか、美的経験と美的判断の関係はどうなっているのか、という2つの問いに関して、居住者・観光者のケーススタディを通して言えることを提示する。


4.高田敦史「美的価値と行為の理由」

 美的価値は、道徳的価値や認識的価値と同じく、価値の一種であると見なされている。当然ではないかと思われるかもしれないが、実のところ、これは通常思われるほど自明な主張ではない。この主張が疑わしいとまでは言えないにしろ、美的価値がれっきとした価値の一種であると示すことは、それほど簡単な仕事ではないからだ。美的価値と行為の理由のつながりを示すことは、この仕事の重要な部分である。およそ何かが価値であるためには、それは規範的なものでなければならず、また、規範的なものであるためには、それは行為の理由を与え、後続する行為をガイドするようなものでなければならないからだ。美的価値はいかなる形で行為の理由を与えるのか。それが示されないかぎり、美的価値がどのような価値であるか明確になったとは言えないだろう。

 本発表で検討の対象となるのは、美的価値の規範的側面として捉えられたかぎりでの美的理由(美的価値が与える理由)である。美的理由の典型例は「あの映画はおもしろいから観に行く理由がある」「この絵は美しいから保存する理由がある」といった形で現われる。また美的理由に関する問いとして、(1)外延の問い、つまりどんな美的理由があるかという問いと、(2)源泉の問い、つまり美的理由の規範性は何に由来するかという問いを区別できる。

 これらの問いが明示的に論じられることは多くはないが、美的価値に関する主流の立場である美的快楽説は、両者の問いに答える説明としても機能する。美的快楽説によれば、美的価値をもつものは、非道具的価値をもった経験(美的快)を与える。従って、(1)美的快を最大化するような行為を選ぶ理由があり、(2)美的理由の規範性は、美的快の価値に由来するといった形で、両者の問いに答えることができる。しかし、本発表では、美的快楽説の説明が問題を抱えることを指摘したい。快楽説の難点のひとつは、不適切な美的判断もまた快を伴うため、快に訴えることでは美的価値の規範性をうまく捉えることができないという点にある。

 また本発表では、美的快楽説のオルタナティブとして、ドミニク・ロペスが擁護するネットワーク説を検討する。ネットワーク説によれば、美的価値の規範性は、様々な領域における美的エキスパートの達成の価値に由来する。ただし、ネットワーク説が美的価値の規範性、とりわけ源泉の問いにうまく答えられるかという点については、疑問の余地があるだろう。


告知文は以上です。

3人目の青田さんが環境美学の話もするので、予習本としては『分析美学入門』の第一部(環境美学美的経験、美的性質)あたりがいいんじゃないでしょうか。

あとは「分析美学は加速する」の解説文とか。(提題者は皆このブックフェア関係者です)




なお、翌日3月17−18日は早稲田大学でフッサール研究会もあるのでそちらもどうぞ。

『ワードマップ現代現象学』の合評会があります。評者が超豪華です。

pingu98pingu98 2018/03/15 00:06 これは…興味津々なのですが、一般人でも参加出来ますでしょうか。

conchucameconchucame 2018/03/15 12:52 一般人でも大丈夫ですよ。参加資格に制限はありません。当日直接会場に起こし下さい。

pingu98pingu98 2018/03/15 20:19 わぁ。ありがとうございます。楽しみです!伺います!

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2018-02-06

ノエル・キャロル『批評について』続報 ノエル・キャロル『批評について』続報を含むブックマーク ノエル・キャロル『批評について』続報のブックマークコメント

昨年12月にノエル・キャロル『批評について』の翻訳を出しました。


いくつか続報です。


1.

星野くんがartscapeでレビュー書いてくれてました。

甲斐くんの『写真の理論』と並べてくれてます。嬉しい。

http://artscape.jp/report/review/author/10002655_1838.html



2.

勁草書房の12月売り上げランキングは1位を獲得してました。

地味なタイトルのわりには売れてる、、、よかった、、、。

http://www.keisoshobo.co.jp/files/tushin/tuushin1801.pdf

※追記:1月ランキングは4位でした。

http://www.keisoshobo.co.jp/files/tushin/tuushin1802.pdf


3.

ジュンク堂書店池袋で、小さなブックフェアを開催してもらってます*1

松尾先生訳のダントー『ありふれたものの変容』とのコラボフェアです。

勁草書房から出したのに、なぜか慶應義塾大学出版会がブックフェアやってくれるという謎企画です。

いや、とてもありがたいんですが。


「批評の哲学」というテーマで関係しそうな書籍を選んでいくつかコメントつけてます。

見たところ、松尾先生がゴリゴリの哲学書をセレクトしてきているのに対して、僕はもう少し領域を広げる感じの本を選んでます。

4Fのぼりエスカレーター前フェア台にて、2月末までの予定です。





『批評について』のその後の批評の哲学の展開については、また解説ブログ書きたいんだけど、それはまた今度。

*1:今年度ブックフェア三回目。おかしい。

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