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昆虫亀 このページをアンテナに追加 RSSフィード

昆虫亀

2016-11-29

サルトル学会で博論の合評会を開催して頂きます(それに合わせて博論公開)。 サルトル学会で博論の合評会を開催して頂きます(それに合わせて博論公開)。を含むブックマーク サルトル学会で博論の合評会を開催して頂きます(それに合わせて博論公開)。のブックマークコメント

今週末のサルトル学会で博論の合評会を開催して頂けることになりました。

日本サルトル学会第38回研究例会

日時:2016年12月3日(土) 14 :30〜

場所:立教大学 池袋キャンパス 5209教室(5号館)

14 :30 -16 :15  

提題者:根木昭英 Akihide Negi (司会:北見秀司、特定質問者:水野浩二)

「La « Poésie de l’Échec » : la littérature et la morale chez Jean-Paul Sartre」(「挫折のポエジー」――ジャン=ポール・サルトルにおける文学モラル

   

(15分休憩)

16 :30-18 :15 

提題者:森功次 Norihide Mori  (司会:生方淳子、特定質問者:永井玲衣)

「前期サルトルの芸術哲学――想像力独自性・道徳」

  

18:30 懇親会

今回の合評会のために、両氏の博士論文はweb上にて公開されております。各自事前にご参照下さい。

 根木昭英 博士論文 https://goo.gl/cPL6k4

 森功博士論文  https://goo.gl/BB7MKA

    ※どちらもResearchmap上の「資料公開」ページになります。


以上、告知まで。

澤田直編『サルトル読本』

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2016-11-21

科学哲学ワークショップ、『恐怖の哲学書評会の資料公開 科学哲学会ワークショップ、『恐怖の哲学』書評会の資料公開を含むブックマーク 科学哲学会ワークショップ、『恐怖の哲学』書評会の資料公開のブックマークコメント

科学哲学会で次のワークショップに出てきました。

科学哲学会 第49回年次大会(信州大学2016年11月19-20日

ワークショップII

戸田山和久『恐怖の哲学書評会:情動の哲学理論からアプローチするフィクション論と意識の哲学

http://pssj.info/program/program.html


発表タイトル

  • 源河亨「ホラー鑑賞の恐怖と楽しみは複雑な気持ちとして説明した方がよかったのではないか」
  • 森功次「ホラー観賞においてわれわれは本当に恐怖を楽しんでいるのだろうか」
  • 鈴木貴之「意識のハードプロブレムは解決可能にちがいないが、もうすこし面倒な問題かもしれない」

科学哲学会、非会員ながら二年連続発表になってしまった(そろそろ会費払えと怒られそう*1)。

しかし信州大はちょうど紅葉が綺麗でとてもよかった。大学も綺麗だったし、設備も充実してる。授業やりやすいだろうなあ。ゆっくり観光とかできればよかったんだが、泣く泣くとんぼ返り。蜂の子は食ったがザザムシは食えず。



当日は、ディスカッションもかなり盛り上がりまして、戸田山理論の内実はかなり明らかになったと思います。

よかった、よかった。

自分の発表も、戸田山理論の内実を明らかにするという方向性で話を組み立ててたんだけど、あとで鈴木生郎さんから「もうすこし美学者として強いこと言ったほうが面白かったんじゃないの」とも言われた。そこは少し反省。

資料公開しておきます。

https://researchmap.jp/mutmqgjs2-1833297/#_1833297



書評論文にするなどして今度どうにかして形にしましょうか、という話も出て来てるんだけど、問題は文字数規定なんだよなあ。



つぎは再来週にサルトル学会です。

http://ajes.blog.so-net.ne.jp/2016-11-09



戸田山和久『恐怖の哲学 ホラーで人間を読む』

*1:昨年は発表したことで第一子の出産に立ち会えず、今年は発表したせいで子供の1歳の誕生日を祝えませんでした。ひどい父親だ。

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2016-08-08 ドゥルーズ『感覚の論理学』、新旧訳の図版番号対応表つくりました。 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

2月に出てたフランシス・ベーコンのLogique de la sensationの新訳をようやく確認。

ジル・ドゥルーズ『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』宇野邦一訳


訳は山縣訳よりも(少なくとも日本語としては)だいぶ読みやすくなってるが、残念なことに図版が大幅に削られてる。

もちろんその分お値段が安くなってるので、まぁしょうがないといえばしょうがないのだが、ただやはりこの著作が、個々の作品にきちんと気を払いながら書かれた本であることを考えると、図版が参照できなくなっているのは、痛い。

昔の山縣訳は図版をドーンと盛り込んだおかげでかなり高価な本になっていたのだが、元の絵をを参照しつつドゥルーズ議論を追える、よい作りになっていた(実際にはほとんどの図版は白黒化されていたのだが、それでも絵の構図や雰囲気はかなりつかむことが出来た)。あの読書経験が失われるのはもったいないなあ、しょうがない山縣訳の図版と突き合わせながら新訳読むか、、、、

ジル・ドゥルーズ『感覚の論理 画家フランシス・ベーコン論』山県煕訳



と思ったら、旧訳と新訳で作品リストの順番が変わっていて、図版番号もバラバラになってるー!

これだと旧訳の図版と突き合わせながら読めない。くそう。




という旨のことを思いましたので、対応表つくりました。

以下、山縣版(旧)−宇野版(新)、(旧)−(新) という並びになってます。



旧-新   旧-新

80-#1   #1-23

#7-#2   #2-17

30-#3   #3-64

#8-#4   #4-37

11-#5   #5-66

#6-#6   #6-#6

52-#7   #7-#2

12-#8   #8-#4

13-#9   #9-72

62-10   10-56

59-11   11-#5

41-12   12-#8

60-13   13-#9

15-14   14-60

16-15   15-14

54-16   16-15

#2-17   17-61

81-18   18-57

57-19   19-55

48-20   20-43

49-21   21-59

65-22   22-62

#1-23   23-81

55-24   24-44

43-25   25-38

51-26   26-80

45-27   27-79

44-28   28-65

56-29   29-73

66-30   30-#3

37-31   31-45

79-32   32-67

82-33   33-39

74-34   34-36

58-35   35-51

34-36   36-52

#4-37   37-31

25-38   38-82

33-39   39-77

67-40   40-78

68-41   41-12

63-42   42-47

20-43   43-25

24-44   44-28

31-45   45-27

61-46   46-58

42-47   47-63

71-48   48-20

75-49   49-21

69-50   50-75

35-51   51-26

36-52   52-#7

53-53   53-53

72-54   54-16

19-55   55-24

10-56   56-29

18-57   57-19

46-58   58-35

21-59   59-11

14-60   60-13

17-61   61-46

22-62   62-10

47-63   63-42

#3-64   64-68

28-65   65-22

#5-66   66-30

32-67   67-40

64-68   68-41

76-69   69-50

70-70   70-70

73-71   71-48

#9-72   72-54

29-73   73-71

78-74   74-34

50-75   75-49

77-76   76-69

39-77   77-76

40-78   78-74

27-79   79-32

26-80   80-#1

23-81   81-18

38-82   82-33

92-83   83-86

93-84   84-88

94-85   85-95

83-86   86-89

91-87   87-90

84-88   88-91

86-89   89-93

87-90   90-94

88-91   91-87

95-92   92-83

89-93   93-84

90-94   94-85

85-95   95-92

96-96   96-96

97-97   97-97


フランス哲学者たちは芸術を語るときにしばしば作家論に陥りがちなところがありますが、ドゥルーズベーコン論はちゃんと作品に即している感じがして、そこはとても好感がもてます。図版とつきあわせながら読むと、ドゥルーズが各作品を細かく読み解いていることがよく解りますので、そういう意味でも、『感覚の論理学』はぜひ図版とつきあわせながら読むのをオススメします*1



*1:というか図版なしだとこの本何言ってるかよくわからない箇所多いと思うんだけど、みんなどうやって読んでんの? ドゥルーズの難解な記述に振り回されるのが好きな人はそれでもいいと思うんだけど、ちゃんと理解しようと思うのであれば図版なしとかありえんだろ。

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2016-05-10

「おける論文」、「横のものを縦に研究」への批判について 「おける論文」、「横のものを縦に研究」への批判についてを含むブックマーク 「おける論文」、「横のものを縦に研究」への批判についてのブックマークコメント

 「自分で一から考える」型の研究を称揚し、「おける論文」「横のものを縦に」系の研究をけなす論調は、人文系の研究ではたびたび見られるし、「反省的に思考する」作業を重視する哲学分野では、数ヶ月に一度聞く話。

 これモチベーションはわからなくもない*1し、自分で考えることそれ自体には重要な意味があると思うのだが、こういう話を聞くにつれ、いつも「一般向けの哲学カフェはさておき、専門家なら先行研究をふまえて議論しましょうね。そうしないと学術的に無駄が多いよ」という論点でオチが着く。ここまでだと大して面白くない話。


 ただ最近は、「日本の」「今の若手」研究者に向って「自分で考える研究のほうがすばらしい」と説教することの害については、一度(というか大事なことなので繰り返し)明示しておいたほうがいいかな、と思うので、ブログ書いときます。


 1.まず「日本の」という部分について。非西洋言語圏の中で、西洋文化の議論母国語でここまで読める国は少ない。これは先達たちが西洋文化の輸入に勤しんできたからだ。この蓄積は研究の土壌を育てるのみならず、非専門家の人々の教養を向上させることにも役立つ。専門家が海外動向を紹介しなくなったら、学術的土壌は蝕まれ、学問の質が下がるし、異文化理解の水準もぐっと下がるだろう。

 これは単に翻訳サボるなという話だけではない。「おける論文」の蓄積によって日本のカント研究やハイデガー研究、プラトン研究とかは、世界的に見ても質の高い業界になってるんじゃないの? そこもう少し評価しましょうよ、と思う。

 

 2.次に「今の若手」という点に関わる点。今の日本のアカデミック事情を見ていると、年配の先生方は相当忙しそうで、正直言って、よほど能力の有る人でない限り、文献を網羅的に読む作業ができていないと思う。これは各人の能力うんぬん以上に業界の構造的問題だ。そのため、一部の分野では、「たくさんの文献を読み検討する」という作業は若手(念頭に置いているのは学振とその後数年のオーバードクター)にしかできない、という状況が生まれつつある。

 むろん、多くの蓄積を備えた年配の研究者にしかできない大局的な研究もあるのだが、今の日本はそれとは別に「文献バリバリ読む系」の研究を若手がやらねばならない状況になっているのではないか。(もう少し言ってしまうと、場合によってはこれは「大御所先生の素朴な放言に対して、文献証拠を明示しつつその意義/無意義を示していく」という作業になる。これはなかなか大変な作業だが、時間と根気と善意がないとできない。年配のくそ忙しいはずの先生でこういう仕事ができるのは、伊勢田先生クラスの超優秀な人だけじゃないか。)

 「今の日本の」アカデミック界の構造的を見るに、こうした比較検討の作業を若手がやめてしまうと、かなり困ったことになりそう。ただでさえ今後はポストどんどん削られるし、優秀な若者が去りつつある(/去らざるをえなくなってる)んだから、業界的に意義のある地味な作業をやってる若手はきちんと評価しましょうよ、と思います。


 あと「自分で考える作業」は誰でも出来るし、非専門家Kindleなどで出版・発表すらできる時代なんだから、もう専門家に求められる作業って別のところな気がするんですよね、という話もあるがそれはまた今度。

*1:とりわけ歴史的にいろいろ怨念抱えた年配の先生が溜まりに溜まった批判をいうのは理解できなくはありません

2016-04-16

ウォルトン「芸術のカテゴリーの売上を熊本地震支援のために寄付することにしました ウォルトン「芸術のカテゴリーの売上を熊本地震支援のために寄付することにしましたを含むブックマーク ウォルトン「芸術のカテゴリーの売上を熊本地震支援のために寄付することにしましたのブックマークコメント

noteで売り出していたケンダル・ウォルトン「芸術のカテゴリー」の翻訳ですが、今後しばらくの売上全額を熊本地震支援のために寄付することにしました。

まだ購入してない方はこれを機にぜひどうぞ。

39ページ、390円です。


noteの記事への直接リンクはこちら

https://note.mu/morinorihide/n/ned715fd23434

なおこちらに補足解説記事も書いております。

http://d.hatena.ne.jp/conchucame/20150608/p1


ウォルトン論文で日本語で読めるものとしては『分析美学基本論文集』に「フィクションを怖がる」が収録されています。こちらも良い論文なのでおすすめです。(こっちも拙訳なので恐縮なのですが)



寄付先はまだ決めておりませんが、被害に合われた若い方々の学業支援として使われそうな先を探すつもりです。

では。

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