「あるいは最悪、再発」

東京の大病院の門を叩いてから一年と一ヶ月。ぼくはまた、内科外来の長椅子に座っていた。担当の先生が、ドアを開けて名前を呼ぶ。一礼して診察室に入ると、すかさず机の上の血液検査結果に目を走らせる。そこにあったのは、先週よりさらに低下していた血小板の数値。そして、白血球の数値の脇に手書きでメモられた「blast5%」の文字。それは、自分の身体がまた「あちら側」へ転落してしまったなによりの証拠だった。
「やっぱり、ですか……」
「そうですね……」
「再発、ってこと、ですよね」
「そうなります」
動揺を隠せない意識の中で、ぼくは、一週間前に先生から言われた言葉を思い出していた。


「血小板が下がっているのが気になります。原因としては、サイトメガロウイルスかもしれませんし、GVHDかもしれません。あるいは最悪、再発の可能性もありえます」

一週間前の伏線

そう、伏線は一週間前にあった。
退院三週間目の6月3日、気楽な気持ちで出かけた外来診察。そこで、上記の言葉を告げられ、「一応くわしく診たいのでマルク(骨髄検査)をしていきましょう」ということになった。
こういうとき、だいたいものごとは最悪のほうに進む。あるいは最悪のほうに考えてしまう。今日までの一週間は不安と焦燥の日々だった。再発だったらどうする?、復帰はどうなる?、また入院なのか?
だが、一週間も過ぎればそれも多少は落ち着く。今日病院に来たときには、もうほぼ再発で間違いないだろう、という覚悟を決めていた。あるいは、そうでないほうの望みも少々は抱いて。しかし、結果は……。


診察室では、先生の説明が続いていた。再入院はできるだけ早めの6月12日で設定したい、まずは免疫抑制剤を切って様子を見てみます、まだ治療法はいろいろとあります、といった内容を聞くともなしに聞いていた。
「それで、入院期間っていうのはどれぐらいになるんでしょう」
「うーん、早くて1ヶ月ってところですかね」
これは逆に、さすがにそれはないだろう、と思った。白血病の治療期間の長さは、ぼくが一番実感している。2回目だから1ヶ月なんてことはありえないだろう。


会計受付の前で周囲を見渡す。自分が沈み込んでいるときは、他人がずいぶんとまぶしく見えるものだ。「みんな健康でうらやましい。こっちなんて、白血病再発だぞ」なんてふと思い、すぐかぶりを振る。病院に来てる時点でみんなどこかしら病気やケガを患っている。それぞれにつらさや痛みを持っている。それに優劣なんて付けられるものじゃない。
イスに座って、自分の心と向き合ってみると、嵐のように揺れている部分と、冷静に事実を受け止めている部分があることに気づく。意外にも、後者の方が過半数を占めているようだった。
その中でも一番大きかったのが、今まで支えてくれていたみんなに申し訳ない、という気持ちだ。両親にも、兄にも、友人にも、会社の人たちにも。

マンガ喫茶にて

今日は実家の両親は日中出かけていて、帰宅は3時以降にしてほしい、とのことだったので、それまでの時間を行きつけのマンガ喫茶に過ごすことにした。某所でオススメされていた2つのマンガを持って、ブースにこもる。
そのタイトルは『バクマン。』と『とめはねっ!』。どちらも、紙面からあふれるキャラクターのパッションに圧倒、スピーディーな展開にも押され、一気に読み終えてしまった。


だが、読み終えて熱が引いてしまうとしまうと、ぼくは白血病再発患者なんだ、というシンプルな現実に揺り戻される。思い返せば、ぼくの人生はこんなことのくりかえしだったような気がする。なにかで気をまぎらわせ、現実から目をそむける、しかし、それが過ぎればシビアな日々が待っている。


じゃあ、どうすればいいっていうんだ……。リクライニングシートをぐっと倒し、ひたいに手のひらをのせる。迫り来る病魔に対して、人間はあまりにも無力だ。当人が努力してできることはあまりにも少ない。もちろん、現代医療も、今の病院も、先生も、看護師さんも信頼している。それでも、運悪く、再発はしてしまった。
目を開くと、視界には薄暗い天井。そうだな、○○でガンが治る!みたいな民間療法を試してみるか? それとも、お祈りすれば救われる、的な神仏にすがってみるか? ……どちらも自分の趣味でないことはたしかだった。


リクライニングシートをゆっくりと戻す。薄暗いブースの中、煌々と光るモニターの画面が目にささる。
そうだな、『すがる』ものなら、ここにあるじゃないか。マンガ、アニメ、ゲーム、ネット、PC、これらがなければぼくはここまで生きてこられなかったし、一年間の闘病生活もとうてい乗り切れなかった。ということは、これらオタ系アイテムが自分にとっての神、ということか。ずいぶんと刹那的で浪費的な神だけれど。

事故車

帰り道で、駐車場に放置されたままの事故車を見かけた。車の前部が大きくひしゃげ、全体へのダメージもかなりあり、修理には相当の時間と費用がかかりそうだった。
今のぼくの身体も、この事故車のようなものだな、と思った。不慮の事故で大破、なんとか修理をして走り出せそうか、と思ったところで、白煙を吹いて止まってしまった。けれど、この車を廃車にして、新車に乗り換えるなんてことはできない。ポンコツとなってしまったこの車とうまくやっていくしかない。

両親と兄と

やや重い足取りで実家に戻る。そして、さらに重い気分で両親に再発したことを伝える。
精神面、生活面、衣食面、資金面など、全面的にサポートしてくれる両親がいなければ、この一年間の入院生活はとうてい乗り切れなかった。それが、また迷惑をかけてしまう。
父は一言、「よし、わかった」とうなずき、母は「ショックだったでしょう。よく帰って来られたね」と言葉をかけてくれた。


さらに、兄に電話をかける。兄には、ブルーレイレコーダーの予約、コミックの特典付き購入、ネット&PCの相談、対戦ゲームのお相手など、主にオタ系方面で厚いサポートをしてもらった。両親同様、兄にも頼りきり、甘えきったこの一年だった。
電話口、つとめて重くならないように切り出す。
「さっき病院行ってきたんだけど、よくないニュースでさ、再発だって」
返事はなかった。無言、が答えだった。
「なんか一言ない? ……あ、でもないか。自分も言いようないもんなー」
なにも言えない兄の前で、思わずこちらが涙声になりそうだった。
一年前、白血病発症のときに兄に電話をしたときも、なにも言葉はなかった。
身近な人が重病を患ってしまったとき、なんと言葉をかければいいのだろう。ぼくにも、正解は思いつかなかった。


そういえば、帰りぎわによったいつもの調剤薬局では、こんなやりとりがあった。
何度か通って、ようやく顔見知り程度になった初老の店長。薬をもらいながら、また再発して再入院になったこと、しばらくここには来られなくなることを、世間話風に軽く伝えた。
「そうなんだ、でも大丈夫ですよ。すぐ治って退院できますよ。がんばってください。そうしたらまた、この店に来てくださいね」
おそらく、再入院の人にかけるセリフのテンプレートとしてはそう間違っていないのだろう。ただ、ぼくはもうこの店に来ることはないだろうな、とは思った。

夜の床

フトンの中で目を閉じる。長かった入院期間、そして短かった退院期間を思い返す。
実家療養生活をあらためて送ってみての実感は、体力も気力も入院前にくらべ確実に落ちたこと、だった。入院生活の一日一日、それ自体は激しく消耗するというものではない。だが、内科的闘病生活というのは、生命力を徐々にカンナで削っていくようなものなのかもしれない。
治療はいつまでかかるんだ? 次の入院で本当に治るのか? 今、自分の身体はどうなってるんだ? ……わからない。わからないことは、考えてもしかたがない。ぼくは、ゆっくりと眠りに落ちていった。