街森研究所

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豊島産廃問題は終わっていなかった

 また一つ嫌なことを知ってしまった。瀬戸内海に浮かぶ香川県の豊島(てしま)と言えば、1990年に産業廃棄物の大量不法投棄ニュースが全国を駆け巡ったことを記憶している人は多いだろう。当時中学生だった私も漠然とそのニュースを知っていたのだが、その豊島に当時の活動を保存した資料館があると聞き、立ち寄ってみた。この豊島事件は、2000年に住民、県、業者間の調停が成立し、産廃処理施設を作って順次処理することで解決したと思っていたのだが、現地で話を聞いて愕然としてしまった。


(中央の灰色の平坦部が不法投棄現場。現在4割が処理され、防塵シートがかぶせられている)

 岡山県宇野港から豊島行きのフェリーに乗ると、あっけないほど簡単に問題の産廃現場を見ることができる。この時、私を含む多くの訪問者は2つの感想を抱くだろう。その1、産廃投棄現場は意外と狭いこと。島全体が産廃で覆われていると想像する人も多いそうだが、実際は豊島全面積の0.5%、甲子園球場の2倍弱の広さである。その2、産廃投棄現場が驚くほどよく目立つ場所にあること。山に囲まれた場所でこっそりゴミを捨てていたのかと思いきや、海に突き出た岬で堂々とゴミは捨てられていたのだ。得体の知れぬ産業廃棄物を野焼きし、海に汚水を放ち、住民らのぜんそくを引き起こしたこの場所が、1978年から12年間もうやむやにされていたことが信じられない。

 豊島の産廃現場は、豊島住民会議という所に申し込めば誰でも見学でき、ほぼ毎日、年間約2000人の見学者があるという。今回の見学者はたまたま私一人だったが、豊島住民会議の方が丁寧に案内してくれた。いざ産廃現場に足を踏み入れると、やはりすごいゴミの量だ。ゴミの内容はシュレッダーダスト(車の破砕片)が中心だが、詳細は不明で、ヒ素カドミウム、PCBなど、代表的な有害物質は大概検出されるという。作業員は防塵マスクをして入るというこの現場には、特有の悪臭が立ちこめ、10分も立ち話をしていると鼻の奥が痛がゆくなる感覚を覚えた。それにしても、豊島関連の産廃処理施設は、建物といいトラックといい妙にカッコいい。聞くと、このデザイン料に1000万円かけているとか。公共事業に余計なカネをかけるなという批判はあれど、負の遺産を(私のような島外者には)多少なりともプラスに見せている点では、その意図は成功しているのかも知れない。

 そして意外だったのは、豊島住民の戦う相手は、今も昔も「香川県」であるということ。実行犯は悪徳業者であるのは間違いないが、それを見て見ぬふりして、煩わしいことをもみ消そうとし、認定・監督責任を怠った香川県が主犯格という構図である。豊島事件の摘発前、豊島住民が産廃不法投棄の被害を香川県民100万人に懸命に訴えて回っていたときも、香川県は投棄現場を「ミミズの養殖が行われている」「産廃ではないので合法」などと言い張り、豊島住民の運動を「お金欲しさの運動」などと非難さえしたという。こうした信じ難い香川県の対応に対し、豊島住民は香川県からの離脱を希望し、岡山県玉野市への編入を申し入れたこともあるというから驚きだ。

 それだけではない。現在は産廃の後処理が遅れていることから、国からの補助金が使える期限が迫ってきたため、処理しきれなくなった産廃を豊島に置き去りにしようとする香川県の策略が見え隠れするという。・・・正直、私は豊島問題を昨日今日に詳しく知ったばかりの人間なので、問題の本質を客観的にとらえる知識はまだない。けれども、豊島島民が香川県を“敵”と見ている姿は、短い時間でも強く感じられた。住民の代表者であるはずの県、行政とは何者なのか。その根本を揺るがす問題がここでも起きていることを実感し、心が重くなった。同時に、知ったからにはこれを伝えなくてはならない。そして、豊島の辛い経験を生かさなくてはならない。


(資料館に展示された産廃の断面はぎ取りサンプル。最大18mの深さがあったという)