天文記事から見る『日本書紀』α群巻とβ群巻

 思いもよらないところで『日本書紀』が出てきました。それにしても、この新聞記事のタイトル、もう少しわかりやすくならなかったか。
http://www.asahi.com/science/news/TKY200612060246.html

日本書紀に、信頼に差がある2種の筆者 天文現象で分析


 複数の筆者が書いたとされる日本書紀で、天文に関する記述が実際の観測と合う筆者と、そうではない筆者の2タイプいることが、天文学の研究でわかってきた。書紀は筆者により表記の仕方が違うとされるが、内容の信頼度も差があるようだ。
(中略)
  京都産業大の森博達教授(中国語学)は、日本書紀全30巻を、万葉仮名などの使い方で、筆者A群(14〜21、24〜27巻を担当)、筆者B群(1〜13、22、23、28、29巻)、不明(30巻)に分類している。Aは、当時の日本の社会常識に疎いことなどで渡来中国人、Bは、漢文の執筆能力が低いことなどで日本人(日本生まれの渡来人子孫も含む)との推測だ。
 河鰭さんらの結果を合わせると、Aの巻に出てくる643年の月食が、日本では見られないものだった。彗星(すいせい)や超新星を表す記述は中国では記録されていないなど、事実と確認できる天文現象はない。逆に天智天皇の代に中国で見えた彗星2個が記録されていない。
 Bの巻にある628年から681年の5回の日食は、年代の誤記とみられる1例はあるが、いずれも日本で観測できたと認められた。月食と火星食各1例も事実で、684年のハレー彗星など6個の彗星も、5個が中国の記録と一致した。
(中略)
 こうしたことから、少なくとも天文記録ではB群の信頼性が高く、他は実際の目撃記録によらず書いたようだ、という。

 記事ではAとBになってますが、森氏の用語に従えば、「α群」(アルファ)と「β群」(ベータ)です。参照:森博達『古代の音韻と日本書紀の成立』(大修館書店)、同『日本書紀の謎を解く』(中央公論新社 中公新書)。用字論・文体論以外で分担説が補強されたというのは、大変興味深いですね。
 ただ、森氏に関しては、惜しむらくは、『日本書紀』の本文分析の段階で筆を止めておけば良かったものを――出版社の要請もあったのかもしれませんが――『日本書紀』の「作者」とされる人物を名指ししていくのはやり過ぎではなかったかと、今でも思う。どの箇所でもいいのですが、一例だけ。『日本書紀の謎を解く』184頁、

三方沙弥は、山田史三方(御方)のことと私は推測する。(中略)第五節で詳述するように、私は三方をβ群の述作者と見なしている。

 しかし、すでに山田孝雄万葉集講義 巻第二』(120頁)が、「○○沙弥」という名前について、

然れども三方の如き俗名をその上に冠する例を知らず。又笠沙弥の如く氏を上にせるは例稀ならず。

ということで、三方は名ではなく氏であろうというのが通説になっているはずです。